第234話 お救いせねばという事

 市街地を歩く亘は棒状の包み肩に預け、嬉しげな足取りであった。

 暴漢どもから取り上げた刀を運んでいるのだが、流石に抜き身をぶら下げては歩けない。そのため布で覆って丁重に扱っているというわけだ。

「早いとこ白鞘を新調してあげないとな。でも状況が状況だから直ぐには無理か、落ち着いた頃に新調するのが一番か」

「それでしたら、元あった博物館に持っていくのはどうでしょうか」

「うっ……」

 思いっきりの正論を言われ亘は口ごもる。

 返すつもりなんて、サラサラないのだ。なんとかして七海を言いくるめようと、思考を巡らせる。ネコババする男と思われたくはないが、さりとて手放すには惜しいのだ。

「でもな、これが奪われたぐらいだろ。そんな場所で安全に保管なんて出来るわけがないだろ……安全に保管? ……あっ……」

「五条さん?」

 亘が言葉を途切らせてしまう。足を止めたどころか表情も固まり、凍りついたように動き自体が止まっている。心配そうに七海が見つめるなか、次第にワナワナと震えだし、獲物を見つけたネコのように瞳の色が増した。

「博物館だ。博物館に行かなければ!」

 そう力強く宣言する。神楽はすぐに察し、ため息をつく。

「マスターってばさ……何考えてるか分かるけどさ、ボクに言ってごらんよ」

「そりゃもちろん。こんな状況だろ、貴重な美術品が盗難に遭ってないか心配なだけだ。ほら、これみたいにな。つまり必要とあれば安全な場所に避難させてさしあげる必要があるはず」

「あのさぁ……そーゆーのってさ、みんなの物として未来までずーっと伝えてくべき大切なものなんでしょ。そんなの私物化するなんてさ、人として間違ってるとボク思うよ」

 悪魔に説教される人間は、しかし悪びれない。

「私物化なんて、とんでもない。貴重な品が散逸せぬように、一時的に預かって保管してあげねばならないと考えているだけだ。お救いせねばという事だよ」

「エルちゃんやイツキちゃんと合流するんでしょ。ナナちゃんだってさ、お母さんが心配なんだよ。いい加減にしときなよね」

「うぐぅっ、それは確かに……」

 亘は黙り込んだ。そう言われてしまうと、行きたいとは言えなくなってしまう。良識と欲望が激しく争い思い悩むのだ。

「えっと、私は大丈夫ですよ。お母さんはイツキちゃんとエルちゃんが一緒ですからね。少しぐらい寄り道しても構いませんので。だから五条さんが気になる場所に行きましょうよ」

 七海はニコリと笑う。優しく全てを肯定するような笑みだ。同時に子供を宥めるような笑みでもある。

「まーたそーやって甘やかす。あのさ、マスターを甘やかすと好き勝手やりだすんだよ。ちょっとぐらい厳しいぐらいのさ、しつけるぐらいの気分でいかなきゃ。きっとこれから苦労しちゃうからね」

「うるさい黙れ」

 レクチャーするような神楽を一喝し、亘は意気揚々と歩きだす。その足取りは散歩に連れ出して貰えた犬のようにウキウキして弾むようであった。サキが後ろをスキップしながら付いていく。


◆◆◆


「なんだこの有り様は。なんてことだ! 人の心はここまで浅ましいのか」

 亘は両手を床に付き嘆きの声をあげた。それもそのはず、美術館内は散々に荒らされていた。展示ケースは打ち破られ空っぽ。床にはガラスの破片と、価値を見出されなかった展示物が散乱し踏みにじられた痕もある。きっとわざわざ打ち捨てられ踏みつけられたのだろう。

「酷いですよね」

 七海が足下にあった萌葱色の衣を手に取った。軽く叩いてガラス片などを落とし、そっと畳んで展示ケースの中へと戻す。その他のどうしようもない破片を悲しそうに見つめている。

 博物館内は静かで誰の姿もない。

 コボルトの群れが入り口で彷徨いていたので、それが原因で人間は逃げだしたのだろう。もちろん、そこにいたコボルトは亘を見るなり逃げだしたのだが。

「そうだな、本当に酷いもんだよ」

 嘆く亘の前にある展示ケースには、アクリル製刀掛けが転がっているのみ。手に入れた一振りだけでなく、残りも同様にして何者かに持ち去られたのだ。

 武具の類いが荒らされているため、身を守るために奪ったのかも知れない。

 なんにせよ、価値あるものは亘が来る前に尽く失われている。保管庫に収められた品々は無事なのだろうが、それでも損失は多大に違いない。きっと同じように日本中、世界中の貴重な品々が散逸しているだろう。

「くそっ! 気付くのが遅かったか。盗人どもめ許せない。素直にお金でも奪っていればいいものを!」

 亘は義憤にかられ床を叩くと、固そうなそれが粉々に砕けた。頭上の神楽は呆れ交じりの冷たい目をする。サキは我関せずと辺りを彷徨き、足元に落ちていた古びた紙片などを拾い上げては、興味深そうにクンクンとしていた。

「あのさぁ、持ってく気満々だったマスターがそれを言う?」

「違う。保護するために来ただけで、盗人どもと同類にされるのは真に遺憾だな……んっ、なんだ」

 チョイチョイと突かれ亘は反応した。視線を向けた先でサキがキヒヒッと笑い、指差してくる。

「五十歩」

 それから空の展示ケースを指差してみせる。

「百歩」

 もちろん余計な言葉を発したサキは頭を鷲づかみにされキュウキュウと悲鳴をあげる。それを眺めながら、神楽は冷やかすように跳びながら笑った。

「あははっ。ほんっと、そだよね」

「黙れ。そもそも五十歩と百歩は、五十歩も違うじゃないか。持って行こうとして何もなかったんだ、まだ何もしてないだろ!」

「もう隠す気もないよ……」

 語るに落ちたとはこのことだと、神楽は呆れきっている。

 そんな仲良い主従の様子に七海はやはり優しい笑みで宥めにかかる。

「まあまあ仕方ありませんよ。こうなったら警察に任せるしかありませんよ」

「うぐぐっ――ん? まてよ」

 閃いた亘は己が掴むサキを持ち上げ、しげしげと眺めやった。

 じっと見つめられ嫌な予感に震えるサキであったが、それは的中する。そのまま顔面を床へと押し付けられたのだ。

「狐も犬の親戚だろ。だったら臭いを辿って犯人を探せるよな。さあ探せ、出来るだろ。出来る筈だろう。もちろん出来るよな」

「無理」

「大丈夫だ、やれば出来る。鼻がすり切れるまで臭いを嗅げ、臭いを辿って探せ」

 荒れ果てた博物館の薄暗い館内にサキのキュウキュウといった悲鳴が響く。

 止めようと神楽が髪を引っ張っても、亘の暴挙は止まらない。埒があかないと見て最終手段に訴えた。つまり七海だ。

「うわっ、マスターってば目がマジだよ。ナナちゃん、なんとかして!」

「五条さん、無茶言ったらダメです。サキちゃんが可哀想ですよ。確かに犯人は許せないでしょうが、いずれ警察の方が捕まえてくれますよ」

「ぐっ……だが、すぐ探さないと二度と見つからない。犯人は絶対に死蔵する。自分もこれをそうするから間違いない」

 その発言に、ついに白状したかと神楽が呟くが亘は聞いてはいない。サキを解放すると膝をつき、項垂れ嘆きだしてしまう。

「ううっ、なんて事だ。死蔵するならまだいい、もし手荒に扱われ傷つき錆びて朽ちてしまったら最悪だ。何百年もの間、何人も何十人もが丁寧に伝えてきた品々だぞ。そんな事があっていいのか。ああ絶望した、この世界の不条理に絶望した」

 嘆き打ちひしがれる様子に、神楽と七海は顔を見合わせ困った様子である。そこに欲望さえなければ賞賛すべき言葉なのだから。

 サキが立ち上がり、顔を擦り張り付いた汚れを落としていく。そして健気にも心配そうな視線を亘へと向けた。案外と尽くすタイプなのだ。

「式主、どうしても探したいか」

「そりゃもちろんだ。ああ、すまないな手荒な事をして。悪かったな」

「なんとかできるかも」

「本当か!」

 バッと顔をあげた亘の目はキラキラと輝いていた。そのまま膝立ちでにじり寄っていけば、さしものサキも怯んで後退る。だが逃がすまいと伸ばされた手に掴まり引き寄せられる。よい歳をした男が少女を掴んで拘束するといった、見た目は完全にアウトな絵面だ。

「どうする気だ。やはり臭いを追えるのか」

「任せる」

「もちろんサキに任せるとも。急かしたりしないから、今すぐに探してくれ」

「マスターってばさ、それ急かしてるよ」

 神楽が冷静に突っ込みを入れているが、亘は聞いてやしない。サキの肩を掴みガクガクと揺するぐらいだ。

「違う、任せる」

「だからサキに任せると言っているだろ」

「五条さん。もしかしてサキちゃんは誰かに任せると言っているのではないですか。違いますか」

 七海が口を挟めばサキは我が意を得たりと頷いた。

「んっ、そう。まず移動する」

 戸惑う亘はサキに手を引かれ博物館を後にする。

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