第237話 四半世紀はもはや太古の昔
交通網は脆弱だ。
たった一台でも道を塞いでしまえば、後方の車両は停止せざるを得なくなる。通常時であれば適正に措置がなされ、交通を復旧させてくれるのだが、非常時ともなればそうはいかない。
かくして、片側三車線はある大きな国道は放置された車両の列で塞がれている。
もちろん全て乗り捨てられたもので、運転手はどこかに避難し隠れただけなのか、それとも既に悪魔の餌食となったのか……路上に無残に散乱する品々が、ここで何かのパニックがあった事を物語るだけだ。
惨事の幕開けから幾ばくかの昼夜を繰り返し、街中もある種の落ち着きを見せつつある。ただし、それは社会の崩壊を示唆するような静けさとしてだ。
そのとき、空き缶がカタカタと音をさせだした。始めは小さく、徐々に大きく。ついには跳ね上がり、転がっていく。
原因が――現れた。
輝くような金の毛並みに紅のラインの入った大きな狐。背後に多量の尾をなびかせながら爆走をしてくる。まるで翔ぶが如く勢いよく路上を進み、その一歩毎の衝撃が振動となって周囲を揺らしていた。
その背には人の姿が二つ、ずっと小さな姿が一つある。もちろん亘たちであった。
「あんまり車を踏むなよ」
亘の声に応えてか、大狐は高速で走りつつ器用に車と車の隙間を踏んでいく。ちょっと一生懸命な様子で、言われた言葉に出来るだけ沿おうとする健気さがみられる。ただし、時々失敗し踏んづけているのだが。
「またまたマスターってばさ、そんな面倒な事とか言っちゃって。今更そんな事言い出すとか何なのさ」
「ローンが残ってたら気の毒だなっと思っただけだ」
「思いつきで言ったら迷惑だって、ボク思うよ」
大狐に跨がる亘の頭に跨がる神楽は言った。なお、その亘は頭にタオルを巻いており、吹き付ける風に負けぬようしっかり結んでいる。本人が絶対に巻くと強固に主張したものだ。
「あの、でもですね。足跡が燃えているので、あまり意味ないのでは?」
「「あっ……」」
「えっと私、あんまり後ろを振り向きたくないような……」
それから大狐が緊急停止した事は言うまでもない。
◆◆◆
狐の姿が消えると、小さな女の子の姿に変わる。白磁のような肌に緋色の目、そして多少の黒房の混ざった長い金髪。まるで人形のように可愛らしい姿だ。そのサキは道路の上を跳ねるようにして、亘の腰元に抱きつき顔を押しつけた。
甘える姿は、先程までの大狐の威容など少しもない。ただの可愛い子供だ。
その頭を撫でてやりつつ、亘は来た道を振り向いた。
「……よし、火の気はないからセーフ」
「そだねセーフだね。燃えてたらショーコインメツで吹き飛ばすつもりだったけどさ」
「よかったよかった」
言いながら亘と神楽は同じ動きで腰に手をやり大きく笑った。気が合ってるなー、と横で見やる七海は少しばかり羨ましそうにしている。
「でも、ちょうど良かったです。そろそろ目的の場所に近いので、あまり皆をびっくりさせるような登場はさせたくなかったですから」
「確かにな。いきなり狐で乗り付けたら驚くよな」
稲荷の神社を出て、そのまま移動してきたところである。
博物館に寄って稲荷神社に行くまでは、それほど時間を要してはいなかった。しかしながら稲荷神社で幾つか用事があり――主に子狐の相手――寄り道と言うには少し時間が経ちすぎていた。
それでサキに乗って大急ぎで移動して来たのだ。
「エルムたちが避難してる場所ってのは、七海が通っていた小学校だったか」
「そうですよ、もうずっと昔で六年ぐらいも前ですけどね」
「ああそう……」
「どうされました?」
「なんでもない」
亘からすると小学生時代など軽く二十年以上も前だ。ずっと昔が六年であるのなら、ほぼ四半世紀はもはや太古の昔といった感覚に違いなかろう。
「大丈夫ですよ。昔の事でも、ちゃんと道は覚えてますから」
ますます落ち込む亘に七海は不思議そうにしている。
「次の信号を右に行くと近道なんです。でも、当時は通っては駄目だって言われてたのですよ。でも、友達と二人でこっそり走りぬけたりしてましたけど」
「意外にヤンチャだった?」
「どうなんでしょう。でもですね、直ぐに学校に連絡が入って先生に怒られてしまいました。別に危ない道でもないのですけど、よく分からないルールでしたよ」
「ああ、なるほど」
なんとなく亘は通っては駄目な理由を察した。きっと学校側に子供が煩いから通すなと騒ぐ住人がいたに違いない。それで常時目を光らせ見張っていたのだろう。
だが、今は誰も文句は言う事もない。
交差点を鋭角に曲がり、住宅を数軒と路地路を幾つか通り過ぎる。やがてオレンジの塀と高い柵に囲まれた建物が目的地の小学校校舎が見えてきた。不審者対策で厳重に囲障がされているが、きっと今回も役だったに違いない。
しかし――。
建物から物の壊れる音が聞こえてきた。
「あのっ!」
「分かってる。急ごう」
進んで人助けをする気はないが、流石に目の前で人が襲われているのであれば見て見ぬふりはしない。偽善的ではあるが、ここには七海の母親やエルムとイツキがいるのだ。
亘が頷くと軽やかに、しかし全力で走りだす七海。その後を神楽とサキが追いかけるのは護衛のつもりだろう。
誰も亘に護衛が必要とは思っていないらしい。別に護衛して欲しいわけではないが、一抹の寂しさを覚えてしまう。
「まあいいか。さて、それでは……」
校舎は四階建てのコンクリート製だ。一階の窓は大半が割れ、無事なガラスの方が少ない。
「下に人は居ないか。まあ、あの二人がいれば無事だろな……上からいくか」
亘は壁に手をかけ力強く登りだした。華麗さも何もあったものではない。背広姿の男がシャカシャカと小学校の壁を登っていく姿は、随分と怪しい。平時であれば完全に通報事案に違いない。
やってみると思ったより足場も多い。
今の亘の身体能力からすると、まったく疲れも感じないぐらいだ。そのまま一気に軽々と登ってしまい、屋上へと顔を覗かせる。
目の前にスラッとしたジーンズ姿の足があった。もちろん体つきは女性。お尻はキュッとして、ローアングルからでもスタイルの良さが分かるぐらいだ。
「あっ」
気配を感じたのか、相手が何気なく見下ろしてきた。
思わぬ珍客に軽く目を見張り固まっているが、それで悲鳴をあげるわけでもない。戸惑ってはいるが、しっかりと状況を把握しようと考えている様子が見て取れる。
その間に亘も相手を観察した。
目つきに力のある感じの、しかし柔らかさも絶妙にブレンドされた穏やか感じの女性だ。かなりの美人で、どこか既視感を覚えるのだが思い出せない。
結局、思い出す前に相手が先に声をかけてきた。
「こんにちは、そんな場所でどうされましたか」
「あ、どうも。別に怪しい者じゃありませんので、ご心配なく」
「なるほど、そうなのですね」
「ええ、そうなんですよ。実は知り合いの女の子がここにいるもので、それで壁を登って助けに来たわけでして」
「それはご苦労様です。もし助けて頂けるなら、娘のお友達を助けてあげてくれませんか。今も恐い悪魔と頑張って戦ってくれていますから」
「分かりました」
亘はガシャガシャとフェンスをよじ登り、屋上へと到着した。他に数人がいたが、突如現れた背広姿の男に恐怖の混じった目を向ける。何人かの女性が老人や年端のいかない幼子を庇っていた。意外に数が多い。
説明が面倒なので、そのまま校舎に続くドアへと進み――ドアが内側から勢いよく開かれ異形の生物が現れる。触手の生えた顔だ。しかも禿げかけたオッサンという、見るからに嫌悪を誘う――将来への不安をかき立てられるためだろう――悪魔である。
背後で悲鳴の声が聞こえたが、亘は軽く手を伸ばし頭頂部を鷲づかみにした。
「あかんっ! 一体逃してもうた。屋上に行かれたで!」
「任せとけ、俺が行くぜ。戻ってくるまで頑張ってくれよ!」
「早う頼むで!」
聞き覚えのある声がする。さらに校舎から小気味よい足音が響き、小柄な姿が飛びだして来た。
「逃がさないぞ! 間に合え……って、あれ。小父さん! なんでここに!?」
「よう、元気だったか」
「小父さん。俺、俺っ!」
「まあなんだ。話は後にしようじゃないか」
亘はそう言って、ガチガチ歯を噛み鳴らし続けるオッサンヘッドを遠くへと放り投げた。手に残った頭皮脂に顔をしかめ、壁に擦り付け綺麗にする。そして戦いの喧噪が響く校舎へと足を踏み入れた。
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