第447話 昔日の如く

「こっちから行くが」

「大丈夫です、私が行きます」

「そうは言うが、別にこっちから行けば――」

「私が行きます」

 七海にしては珍しく言葉を強めに言って、そのまま通話が途切れてしまった。

 困った顔でスマホを見つめる亘は、軽く項垂れテーブルに頭を載せた。電話が少し苦手な上に、七海に何をどう話そうかと思って悩んだ後なので若干疲れていた。

 ただし結局のところ、七海との会話は軽く言葉を交わしただけだ。

 後は避難所のある場所に亘が行くと告げたところ、七海が亘の居る場所まで行くと言いだして、後はどちらが動くかを言って通話が終わったのだ。

「あっ」

 そのとき亘は、ある事に気付いた。かなり致命的なことだ。

「そういや居場所を言ってなかった」

「あのさぁ、マスターさぁ……そーいう肝心なとこでヌケてるんだから。ほんっと、ボク呆れちゃうよ」

 神楽は心底呆れたといった様子で、両の手の平を上に向けて首を横に振っている。しかも、わざわざ亘の目の前に来ての仕草だ。ちょっとムッとする。

 しかし事実は事実なので、亘は我慢した。

 それよりも、まずは七海に再度連絡する方が先だという判断もある。テーブルに頭をのせたままスマホを操作して電話する。だがしかし。

「……出んな」

 先程は驚くぐらいの早さで電話に出たというのに、何度か鳴らしても七海が電話に出る気配は無かった。あまり何度も鳴らすのもしつこい男と思われそうで、仕方なく電話を止めた。着信履歴は残るので、気づいた時点で掛け直して来るはずだ。

「はぁ」

 自分の部屋を見回す。

 それなりの間、不在だったわりには小綺麗である。閉め切った部屋など、放置しておけばカビ臭くなる場合だってあるというのに、そうした気配も無い。気づいてみればテーブルだって埃一つない。

 恐らくここに居たサキが、せっせと掃除をしていたに違いない。


 そのサキは先程から側を離れない。今も首にしがみついて背中にべったり張り付いてきている。お陰で後ろに引っ張られるぐらいだ。

「こら、絞めすぎだ。苦しい。首を絞めるな」

「やだ」

「首が絞まってるだろ。ほれ、いい加減に手を放してくれ」

「やだー! 放さない!」

 サキは我が儘な子供のように叫んで余計に力を込めてきた。いつも以上の抵抗だ。これもやはり半年間の不在がなせる反応だろう。七海もこれぐらいとまでは言わないでも、会いたかったという反応を示してくれるだろうか。ちょっぴり不安だ。

 何にせよサキを引き剥がす。

 正確に言えば前に持って来て膝の上で抱っこしただけだ。それでようやく大人しくなるが、今度はそこから動こうとしなくなる。

「もういいだろ、そろそろ離れなさい」

 その言葉にサキはジッと見上げてきた。緋色の瞳をうるうるさせている。ただし、亘が膝を揺すって催促をすると、うるうる感は一瞬で消えて不機嫌そうになった。狐なのに猫を被っていたらしい。

「ん、呼んで」

「何をだ」

「名前」

 どうやら取り引きを覚えたらしい。

「サキ」

「もっと」

「サキ」

「もっと」

「サーキサキサキ、サーキサキサキ、サキサキ」

 何度か雑に呼んでやると、それでも満足したらしい。サキは膝の上から退いてくれた。そんなやり取りを神楽は呆れたように見ている。いつもなら割り込んでくるぐらいが、なにか見守るような素振りさえあった。

「七海から電話がないな」

「気づいてないんじゃない? もいっかい電話したら?」

「電話に気づかないということは、気づかないだけの理由があって大変なのかもしれない……それともまさか、もしかして怒ってるとか? 変なこと言ったかな」

 亘は自分の言葉を思い返し、まずい点はなかったか省みてみた。たぶん大丈夫だ、そう思うが不安は募る。しかし電話をかける勇気はない。

「よし! やっぱり移動しながら考えよう」

「またそーいう、思いつきで行動するんだから」

 困ったような声を出しつつ、神楽は母性を感じさせる笑みを浮かべ頭の上にのってきた。この半年という不明の時間の間に、神楽もまた何かしら変わったのかもしれない。


 出掛ける気分でアパートの外に出ると、狐たちが不安そうに集まっていた。親狐の足に隠れて子狐が顔を覗かせている。

 亘がご近所さんにするように会釈をすると、狐たちも会釈を返してきた。

「ちょっと出掛けますので」

 出来るだけ気にしないようにして歩きだす。

 どうせ悪魔が闊歩する状態なので、隣近所が狐だろうが関係ない。何となく人間よりよっぽど付き合いやすいような気もする。ただ、向こうが警戒しているだけで。

 歩きだした亘の顔の横を神楽が漂い、足元にはサキが並ぶ。

 道路の瓦礫は片付けられて、昔日の如くとまではいかなくとも、ちゃんとした道路に思える。ただ単に道路が道路として通れるだけで感心してしまう。

 しばらく歩いていると前方に車が見えた。

「おや、車だ。車が走るだけで珍しいと思える時代だな」

「そだねー」

「近づいて来てるな」

「うーん、来てるみたいだね」

「なんか突っ込んで来ないか?」

「そかも」

 若干の不安を感じ見ていると、運転しているのは女性だと分かり、さらに女性が七海だと分かる。思ったより勢いのある急ブレーキをかけ綺麗に停止した。間違いなく長谷部志緒よりも運転が上手いと思うが、志緒の運転と比較しては失礼だと思い直した。

 何にせよ亘は、どうして七海が来たのか疑問だった。

 場所も言っていないのに、なぜここに来たのかが謎だ。スマホで位置情報を共有していただろうかと考えるが、やっぱり心当たりは無い。

「五条さん!」

 いろんな疑問はあったが、車を降りてきた七海の声を聞いて全部消えた。

 七海は車を降りてドアに手をかけたまま動かない。白いブラウスに黒いロングスカートで大人びて見える。やぁ、と亘は言った。七海は車のドアを閉めると、一歩前に出た。また足を止めて動かない。

 身じろぎもせず、七海は亘を見つめている。

 日射しを浴びる姿は大人っぽくなったように見えたが、亘が近づいていくと、その目に涙が見えた。

「車、運転出来るようになったんだ」

「はい……免許を特例で貰いました。練習もしました」

「なかなか上手だな」

 何気ない会話を続ける間に、七海の頬を涙が伝い落ちていく。


 神楽とサキは気を利かせてくれて、車のところで待機中。亘は再会した七海と並んで辺りを散歩するように歩いていた。

「五条さん、何か変わられました?」

「そうか? いや、よく分からないが」

「何だか……ううん、私もよく分かりません。でも、なんでしょう。前より落ち着いているような自信があるような……」

「どうだろう」

 見つめてくる七海の視線に、何だか心の底まで見通されているような気がした。しかし七海は不思議そうに首を捻って、分からないといった素振りだ。

「ところで出張中と聞いてましたが、どちらに?」

「出張中?」

「違うのですか」

 そう言った七海の声に常には無い冷たいものを僅かに感じた。なんとなく責められているような気がして首を竦め、亘は素直に話す事にした。

「正直に言うと、記憶が無い」

「え?」

「こんな事を言ってはなんだが、キセノンヒルズで社長と落ちたところで記憶が途切れているんだ」

「ええっ?」

「逆に聞くが、やっぱり半年経ってるのか? いや、スマホの時計を見るとそれぐらい過ぎているんだが」

 不安な気分で尋ねると七海は小さく頷き、間違いなく半年過ぎていると言った。

「そうか。いや、本当にそうか。何も分からん」

「五条さん……」

「ああ、でも。心配をかけたみたいだな、それだけは分かる」

「そうですね、とっても心配しました。こーんなに」

 からかうように七海は両手を広げてみせた。その仕草の中に嬉しくて堪らないといった様子が感じられて亘も嬉しくなった。

「すまないな」

「そうですね。うーん、悪いと思うなら。ちゃんと態度で示して下さい」

 七海は後ろで手を組んで目を瞑り、心持ち顔をあげてみせた。何を催促しているのか理解した亘は微苦笑すると、そっと顔を近づけ唇を合わせた。

 そして離れるのだが、七海は自分の唇に触れつつ軽く考えるような顔だ。

「うーん、五条さん。なんだか慣れてません?」

「慣れてって……いや、そんな。正真正銘、その、なんだ……七海以外とキッスなどしたことはないぞ」

「ええ、そうみたいですね。嘘は言ってませんもの」

 そう言ってくれた七海の言葉に信頼を感じ、亘は七海を抱きしめキスした。

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