第446話 皆の生活を脅かす邪悪な存在

 片腕にサキをぶら下げたまま亘は歩いて行く。正確に言えば、腕に抱きついて放さないサキをぶら下げ歩いている。

 目指すは自分のアパートだが、この辺りもそれなりに被害が出ていた。

 天気は上々で風もなく、肌寒さはあるが明るい日差しは辺りの景色を鮮烈に見せている。亘はカーテンを身体に巻き付けさすらい人のような格好をしており、それで過ごせるぐらいだ。

 幾つかの建物は斜めに崩れ道路の半分以上を塞いでいる。

 辺りに人の気配はないが、なぜか狐らしき影を時々見かけ、亘を――正確には亘に抱きつくサキを――見た途端に逃げて行く。残念ながら悪魔は見かけない。

「くすぐったいぞ」

 亘はぼやいた。

 なぜならサキが顔を押しつけて匂いを嗅いでくるのだ。しかも念入りにだ。その度に熱い吐息を受けるため、なんともくすぐったい。

 だがサキが首を傾げた。

「ん、何か違う」

「何が違うんだって? どういう意味だ」

「違わない、でも違う」

 答えないままサキは呟き、いきなり大きく口を開け二の腕に噛みついてきた。それは甘噛みを超えており痛いぐらいだ。これが敵悪魔なら即座に引き剥がしたところだが、相手はサキなので好きにさせておく。

 サキは噛むのを止めると舐めてくる。

「血の味同じ、風味違う。はて?」

 飼い狐に噛まれたあげく、血の味まで評価されている。ちょっと酷いとは思うが、しかし真面目な顔で悩んでいる様子を見ると怒るに怒れない。

 神楽が回復魔法をかけてくれた。

「ちょっとさ、サキってば何してんのさ」

「…………」

 しかしサキは返事をしないまま神楽を見やって目を細めた。訝しがりながら、急に何かに気付いた様子で頷いた。

「んっ、そう。理解した」

「理解って何なのさ」

「逃がさない。いずれ追いつく」

「だーかーらー、何なのさ。ボク分かんないんだけど」

 神楽は騒ぐが、サキは興味を失った様子で視線を戻し亘に頬ずりをした。その仕草は単に甘えると言うよりは念入りにマーキングするような様子すらあった。

 仕方ないので亘はサキを両手で抱っこした。

「それより、サキはここで何してた」

「寝てた」

「そうか寝てたのか、お利口さんだな。で、アパートに来るまではどうしてた」

「走った」

「そうか走ってたのか、お利口さんだな」

 褒められたサキは嬉しそうだ。素直で良い子だが、話すのを面倒くさがって言葉を省略したがることは困りものだ。

 少し考え亘は質問を変えることにした。

「キセノンヒルズはどうなった」

「壊した」

「そうか壊したのか、お利口……壊した!?」

「んっ」

 とっても得意そうなサキは自慢げですらある。

 だが亘は戦慄した、ペットのしたことは飼い主の責任。ならば従魔が何かした場合も、やっぱり召喚者の責任になるかもしれない。現状は法的な整備がなされていないので安心だが不安は不安。

 しかもキセノン社とは対立中。戦いが法廷へと移りかねない。

 故に亘は言及を止めた。


 アパートとその周辺は殆んど壊れておらず変わりなかった、少なくとも建物は。

 無人となった住居では狐たちが暮らしているようで、立ち話をする親狐に子狐がじゃれつき、もう少し年上の子狐が追いかけっこをしている。老狐たちが竹箒を持って掃き掃除をしたり草抜きをしている姿もあった。

「…………」

 なんとも言えない気分で見ていると、狐たちが気付いた。

 亘を見るなり尻尾の毛を逆立て慌てて逃げ散って行く。途中で転んだ子狐が道路でジタバタしていると親狐が決死の様子で戻って回収していった。

「…………」

 まるで亘が皆の生活を脅かす邪悪な存在だ。

「これはアパートに行っていいのか?」

「ん、大丈夫」

「狐が大家さんになってないだろな」

「ふむ?」

 地面に降り立ったサキに手を引かれ、懐かしのアパートの自分の部屋へと向かう。玄関は施錠などされておらず不用心だったが、のんびりした先ほどの光景を見れば、たぶんそんな必要はないだろうと思えた。

 玄関に入ってみると、中は埃一つ無かった。

 懐かしい気持ちが一杯なのは亘だけでなく神楽も同じであるし、サキは亘を見上げたまま嬉しそうに足下をちょろちょろしている。

 そのまま居間に入ると、テーブルの上に置かれた白鞘が目に付いた。

「サキ、お前持って来たのか。ここに置いていたのか」

 サキは、うっとりと目をつぶったまま頷いた。

 亘は太刀をひょいと手に取って抜き放つ。青黒さを感じる鉄色に、見事な鍛えが見えている。前にサキに預けていたもので間違いない。

 久しぶりに眺めてウットリしていると、神楽が頭を踏んづけてきた。

「あのさマスターさ、そーいうのはいいから。早く着替えたらどーなのさ」

「むっ、それもそうか」

 カーテンを袈裟にして羽織っただけの海外の修行僧のような格好なのだ。もちろん下着もなにも身につけていない。そもそも着替えを確保するため、ここを目指して来たのである。

 太刀を白鞘に収め、着替えのため奥の寝室に行った。

「…………」

 寝室に入ったところで、亘はふと足を止めた。

 何か奇妙な既視感を覚えたのだ。とてつもなく大事な心安らぐ安心感と、言い知れない活力が込み上げてくるような気がする。強いて言うなら、青春の思い出スポットに足を踏み入れた感覚だ。

 もちろんそこは単なる寝室でしかない。

「気のせいか」

 よく分からない気分のまま押し入れを開け、衣類ボックスを探る。季節ごとに分けておらず、使って洗った順に突っ込んであるだけで整理が悪い。そこから適当に引っ張り出し、外の気温に合わせた服に着替える。

 お役御免となったカーテンは外の物干し竿に吊しておいた。


「スマホの日付を信じれば、あれから半年過ぎているみたいだ」

 果たしてそれが正しいかという問題はある。

 まず、その半年間の記憶がない。さらに、素っ裸で地面に転がってスマホだけ持っていたという状況。両者を合わせると、果たして本当に半年という時間が経過したのか疑わしくもある。

 否、正直に言えば認めたくない気持ちが強い。

 認めてしまえば、それは自分の異常を認めてしまうことにもなるのだから。

 室内のカレンダーは最後に部屋を出た時のままであるし、他に日付を確認する方法はない。案外と暦というものの確認は難しいものだと思う。

「外の天気からすると、季節が違うのは分かるが」

「そだよね、やっぱし半年過ぎてるんじゃないの?」

「うーむ」

 唸る亘が思いついてサキに尋ねるが、寝ていたので分からないという答えだった。きっと怠惰に惰眠を貪っていたに違いない。ちょっとだけ腹が立って膝の上にのせ、頬を左右に引っ張るが喜ばれただけだった。

 何にせよサキはべったり側にいる。

 先程着替えをした時も、寂しがって戸を開け乱入しようとしたぐらいだ。その寂しがり具合から考えれば、やっぱり半年ぐらい過ぎているのかもしれない。

「認めたくないものだな、自分の前後不覚による過ちというものを」

「どーでもいいからさ、早いとこ連絡したら? ナナちゃんに」

「うむ……まあそうだな」

 だが電話しづらい。

 元からして電話というものが苦手という点を差し引いても、七海から半年という時間の経過を尋ねられた時にどう答えるかが悩ましかった。

「いきなり会いに行った方が良くないか」

「早く電話しなさい。そーいうとこがダメなんだから」

「……分かったよ」

 神楽に冷たい目で睨まれて、亘は渋々と頷いた。意を決し受話器を手に取るのだが、テーブルの上から見つめてくる視線に気付いた。

「そんな見つめるな、電話しづらいだろ」

「はいはい。ふんとにもう、マスターはこれだから」

「うるさい」

 スマホを操作し電話アプリを立ち上げ、お気に入り登録で一番上にある七海の名前をタップして電話をかけ――ワンコールもしないうちに七海が出た。

『五条さん!?』

 あまりの早さに驚きながら、頷いて答える。

「そうだ、ええっと上手く言えなくてな。どう言えば良いのかな」

『大丈夫です。それより――お帰りなさい』

「ん、ああ。ただいま」

 電話をして良かったと心から思った。

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