第445話 マスターと従魔は一心同体

「状況を整理しよう」

 崩れた瓦礫の間で、亘はねじ曲がったオフィスチェアに不便そうに座っている。少し肌寒いぐらいのためコンクリートやアスファルトに座るとお尻が冷えてしまう。なぜなら服どころか下着すら身につけていないのだから。

 辛うじて付近で見つけたボロビニールで前だけは隠し尊厳を保っている。

「そだね。どーしてマスターが露出するに至ったのか、それが問題だよね」

「違うに決まってるだろが!」

「えーっ? ボク、そっちのが気になるけどさ」

「くそっ、自分だけ服を着おってからに」

 神楽はどこからともなくスマホを見つけてきて、その中に入って出て着替えていた。それで白い小袖をこれ見よがしに振り、服のない亘をからかってくるのだ。

「話の前に脱げ。脱げ脱げ、脱いでしまえ」

「ええっ!?」

「マスターと従魔は一心同体、つまり神楽も同じになるべきだ」

「ふーん、そなの。いいよ、脱ぐよ。だけど後で、ナナちゃんに言っちゃおっと。ボクを脱がして裸にしたってこと。いいのかなぁ」

「……脱がなくていい」

「んー? 何か言った? ボク、よく聞こえなかったけど」

 楽しげな神楽は耳に手を当て笑っており、それに不満そうな顔をする亘ではあったが――そんな両者は、長年連れ添った夫婦とか相思相愛を超えた恋人のような雰囲気であった。以前からそうであったが、殊更に強まっている。

 もちろん両者に、そういった自覚はないのだが。

「うるさい。それより状況整理だ。社長と戦って、それでキセノンヒルズから落ちたのは覚えているわけだが」

 亘は辺りの瓦礫を見やり、明るい空に目を細めながら視線をあげた。そびえ立つ何かを見るように視線を上へ上へ向けていき、また瓦礫に視線を向ける。

「この瓦礫の山がキセノンヒルズなのか?」

「そじゃないかな」

「どうしてこうなった?」

「さあ?」

「それに、あの高さから落ちて何で無事なんだ? それに社長はどうなった? でもって、なんで服がないんだ?」

「やっぱしさ、どーしてマスターが露出するに至ったか。それが問題だよね」

 けらけら笑う神楽に、亘はむすっとした。


 瓦礫の山を探ってみても布の一つもなく、仕方なく亘は移動を開始した。

 スマホを確認すれば、キセノンヒルズを攻略に来てから明らかに半年は過ぎている。自分の身に何が起きたのか、さっぱり分からない。

「どうなってんだ?」

 今までどこかに監禁されており解放された、というのが現実路線での考えである。その間の記憶を失っているのは謎で、やっぱり裸で放り出された点も同様だ。そうなるとマッドサイエンティスト気味の法成寺が犯人と思いたいが、神楽を巻き込むはずないのでありえない。

 ぼんやり考えていると――脳裏にひどく懐かしく心地よく、とても甘美な何かが浮かんでは消える。それは記憶と呼ぶ程でなく、色彩を思い浮かべるような印象だけの何かでしかない。

 それは何かこの上なく大事なものなのに、思い出せずに頭痛さえしてくる。

「どしたのさ?」

 気付くと目の前に神楽が浮いている。その心配そうな顔を目にすると、大事なことは思い出せないが、妙に安堵して安心できてしまう。

「いや、なんでもない。それより服だ。せめて布だな、ビニールでなくて布だ。その辺りに落ちてないか?」

 いま亘が身につけ腰巻きにしているのは半透明のボロビニールだ。何度か重ねたおかげで、モザイク程度の効果はある。しかしそれほど保温効果はない。

「残念だけどさ、落ちてないよ」

 神楽は両手を上に向け、やれやれと首を振った。

「それよかさ、スマホがあるじゃないのさ。誰かに連絡して服を持って来て貰ったら? ナナちゃんとかに」

「あのな。そんなこと出来るわけがないだろ」

 記憶がない間に真っ裸で外で寝ていたなど、人生における汚点といえる。服など持って来て貰ったら一生頭が上がらなくなるだろうし、何より七海だからこそ情けないところを見せたくない。

「そだよね。マスターがそんな人だったんだーって、ボクも呆れちゃってるし」

「神楽だって何も着てなかっただろうが」

「そだっけ? 覚えてないもん」

 これ見よがしに両腕を広げた神楽だが、白い小袖に袴姿を見せつけるようにして、ゆっくりと回転してみせる。亘は無言で手を伸ばすと神楽を捕まえ、自分と同じにすべく服を剥ぎ取りにかかった。

 二人はわちゃわちゃじゃれ合うようにして喧嘩した。


 スマホで位置情報を調べるという、とても基本的なことを亘が思いつくまでしばらく時間を要した。

「キセノンヒルズのあった場所か」

 こうした大規模施設の周囲は案外と服飾関係店はない。さらにビジネス系ビルが大半で、小洒落た雑貨店やカフェ、そしてコンビニや飲み屋ぐらいとなる。

 誰かの着替えや仕事着などはあるかもしれないが、見つけるのは困難だ。

 そもそもキセノンヒルズ周辺の建物は元から破壊されていたし、今はさらに酷い状態となっている。

「キセノンヒルズが崩れたにしても、相当な酷さだな」

 高層ビルが崩壊すればどうなるかは、かつての歴史を揺るがす大事件の記録映像で亘は知っている。だが、それにしても辺りは酷い状態だ。

「なんだか、凄ーい凶暴な悪魔が暴れたってボク思うよ」

「大食いピクシーが暴れたとか?」

「マスターが裸で暴れたとか?」

 互いににらみ合って同時に視線をそらした。

「……とにかく、まだ周囲に居るかもしれないな、警戒した方がいいな」

「そだね」

 途中で運良く無傷の段ボールを見つけたので、それを組み立て頭と腕を通す穴を開けて着た。下は前後に長い段ボールを垂らしている。あまりに酷い格好のため、神楽がさめざめ泣いたぐらいだ。

「なかなか良いな」

「それ絶対に違うってボク思うよ」

「なかなか保温効果があって暖かい。神楽にもつくってやろうか」

「直ぐ燃やすから」

 神楽は情けなさのあまり辺りを一生懸命探し、ついにカーテンを見つけてきた。それを与えられた亘が身体に巻き付けてみると、海外のさすらい人ぐらいの見た目になる。

 そうやって亘と神楽が向かうのは、かつて暮らしたアパートだ。

 変に辺りで服を探して時間を使うより、そこに行けばサイズも合う衣類が下着も含めて存在するだろうという考えだった。


「意地張んなくって、素直に誰か呼べばいいのにさ」

「そんな気もしてきた」

 足の裏が熱い亘はぼやいた。

 DPにより身体は強化されガラス片を踏んでも怪我はしない。だが痛くないわけではない。そして冷たさを感じるアスファルトを歩いても平気だが、やっぱり寒くないわけではない。

 できるだけ土の地面を選びつつアパートに向かう。

 風にまじる粉塵で亘がくしゃみをした後だった、遙か前方で激しい音がしたのは。かなり激しい音で、ものが砕けて散乱したようだ。

「ん?」

 目をこらした亘は、巨大な黒狐が駆けて来る姿を見つけた。後ろに九本もある尾をたなびかせ、黒炎を吐きながら突っ込んでくる。アスファルトが踏み砕かれて飛び散る勢いだ。

「あれは……」

「サキの気配っぽいけどさ、ちょっと違うかも。気をつけた方がいいって思うよ」

「なるほど」

 黒狐は両前足を投げだし一直線に突っ込んできた。止まろうという意識すらない勢いであるし、そのまま大きな口で咥えてくる。

 とりあえず亘は大人しく咥えられた。

 突っ込んできた黒狐はそのまま前転して転がり、抱え込んだ亘を後ろ足で引っ掻くように蹴り蹴りした。そうかと思うと飛び離れ、周囲を左右に横飛びして、また飛びかかってのしかかってくる。

 我を忘れているのは間違いない。

「待て!」

 亘の鋭い声で黒狐は我に返って飛び跳ね、両前足を揃えて着地すると背筋を伸ばした。そして微動だにしない。

「伏せ!」

 次の言葉で黒狐は全身を投げ出し伏せた。

「お手!!」

 黒狐は伏せをしたまま、のしっと前足を差し出す。亘の手にちょんっと触れた。

「サキだな」

「サキだね」

「なんで黒いんだ?」

「さあ?」

 話し合っている亘へと黒狐が伏せをしたまま躙り寄り、そっと鼻先をぶつけてくる。それに応えて鼻面を叩いてやると、黒狐の姿が消え失せ少女となって思い切り飛びついて来た。

 間違いなくサキだ。

 亘が撫でるに従い、その黒髪がさらさらと金色に変わっていく。

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