第444話 心の底から願ったら――その時考える

 安アパートの中に歓喜や抑えた嬌声が響く。布団の上で男女の裸体が絡み合い、互いを貪り合うようにして重なり、相手の全てを使って快楽をむさぼり、相手の全てを知り尽くしていく。

 その一室は創り出された世界だ。

 時間の概念すら曖昧で、だから二人は幾千幾万回と繋がり愛を交わし続けている。存在する肉体は精神で構成されたものでしかなく、男の精神は少しずつ少しずつ奪われ胎内へと回帰していく。

 ついに最後の精神を奪われた男――亘の肉体が消え失せた。

 文字通り全て受け止めた女――神楽は己の下腹部を愛おしそうに撫でた。

「ボクのマスター。全部、全部ボクのものだもん」

 呟いて幸せそうに微笑む。

 だが、直ぐにその表情を険しくさせ不機嫌そうに言い放つ。

「ふんとにもう、最高の気分を邪魔するとか失礼だってボク思うよ。出てきてよ」

 神楽が言い放つと同時に、そこに二つの姿が現れた。美しい怜悧な顔立ちをした存在は、アマクニとシンソクの二柱であった。

 ひょいっと頭をさげ神楽を見つめる。

「それは失礼。邪魔しないよう、終わるまで待っていたのだが」

「外から様子を窺ってる気配もあるしさ、やんなっちゃう」

 神楽が腕を一振りすると、いつもの白い小袖に緋袴姿になった。そのまま促して居間へと移動する。大人しく従うアマクニとシンソクを居間の席に着かせ、一応は飲み物を出した。

 ただし、どんっと置かれた湯飲みの中身は水であった。

「それで? なにさ」

「死を覆そうとする様子を見れば心配もする。わざわざ輪廻の流れから、あの子を引き剥がし連れ出そうとしているのだから」

「ふーん、邪魔する気なの?」

 つまらなさそうに問う神楽に、シンソクは頷いてみせた。

「必要によっては」

 安アパートの形をした世界に一触即発の雰囲気が流れる。


「そっか、邪魔するんだ。でもさ、そんなこと無理だってボク思うよ」

 神楽が凄みのある顔で笑うと、安アパートの景色が吹き飛んだ。瞬時に辺りは無数の星が瞬く景色となって、恐怖すら感じる壮大さとなった。これが神楽本来の世界であった。

 さらに星のひとつずつが神楽の姿に変わっていく。

「「「「かつて一匹の悪魔だった神楽はマスターを失った。それでも生き続け、マスターを取り戻そうと生き続けた。やがて力を得て輪廻の流れを見つけ、永劫の時の中でマスターの魂を探し続けた」」」」

 神楽の声があちこちから聞こえ、アマクニもシンソクも目を見張った。

 数え切れないほどの神楽が存在しており、その個体一つ一つがアマクニやシンソクの力を超えている。相打ち覚悟で戦えば多少は倒せるだろうが、全ては無理だ。

 しかも一番近くの神楽は別格。

 シンソクの本体や他の神々の力を結集したところで、どうにもならない。戦うこと自体を諦めるぐらいに超越した存在だった。

「これは……」

「どうして、こんなになるまで放置されていたのです?」

 動揺しきった二柱の前で神楽たちは艶然としつつ、どこか遠くを見やる。

「やがてボクたちはマスターの魂を見つけ、そして」――「母になり」「娘になり」「姉になり」「妹になり」「祖母になり」「孫になり」「妻になり」「友になり」「愛人になり」「好敵手になり」「同僚になり」「上司になり」「部下になり」「仲間になり」「敵になり」「弟子になり」「師匠になり」

 神楽たちが次々と呟いていく。

「マスターの魂に寄り添い、その生が良きものになるよう助け続けた。そして待ち続けた。三千世界を巡り、世界の終わりと始まりを何度も乗り越え。ただひたすらに、あの輝かしい日々を待ち続けた」

 神楽たちが拍手をした。

「そしてボクたちは同じ物語が繰り返される世界と時を見つけた。マスターがデーモンルーラーを使った時の喜びが分かる?」

 神楽たちが泣き笑いして何度も頷いた。

「お喋りな神楽を送り込んで、あの時はできなかったお喋りをいっぱいしたの。そして同じ物語を、その時間を、その全てを楽しんだの」

 神楽たちが幸せ一杯の顔をした。

「そしてマスターは、あの時のように死んでしまった。けど、今度は終わらせないもん。マスターの物語を最後まで見続けるんだもん」

 アマクニとシンソクは、もう完全に諦めた。目の前に存在するのは、たった一人のためだけに創世神級の力を持つに至った悪魔だ。力の差以前に絶対に諦めない相手に、どう足掻こうと勝てるはずがなかった。

 それでも確認せねばならない。

「だが、聞かせて頂こう」

「なにさ?」

「あの子をどうするつもりだ? 無敵の力を与えるのか? ありとあらゆる富と栄華を授けるのか? 全ての望みを叶えてやるのか?」

「何言ってんのさ」

 神楽が呆れると、分かってないなーと神楽たちが首を横に振る。

「マスターはちょっと情けなくてドジで我が儘で、小利口ぶって誤魔化して、誤魔化しきれなくって慌てて、お金にうるさくて」

 神楽たちが何度も頷き、ねーっと声を上げ隣の神楽と語り合う。

「でも、とーっても周りに気を遣って考えて一生懸命で、悪い人になりきれなくて良い人であろうと頑張る普通の人だもん。そこが良くて、そこが魅力なんだよ。推しを歪めるはずないじゃないのさ」

 神楽たちがマスターと記されたボードや似顔絵や縫いぐるみを掲げ、やんやと騒いでいる。とても一体ずつが強大な力を持つ存在とは思えなかった。

「では、何の力も与えないと?」

「ボクたちが見て味わいたいのは物語の続きだもん。だから余計なこと、するわけないじゃないのさ。元と同じ力を持ったマスターにするだけだもん」

「あの子が再び死んだとしたら?」

「老衰とか天寿なら素直に従うよ、マスターの命をもてあそんだりしないもん。でもさ、それ以外でマスターが心の底から願ったら――その時考えるけど」

 神楽たちは含み笑いをした。

 たぶん、何かしらの干渉をするのは間違いない。五条亘という人間を知るアマクニとシンソクは、その人間らしい善性を信じて諦めた。

「分かったならさ、もう出て行ってよね」

 神楽は両手を腰に当て頬を膨らませた。

「ここはボクとマスターの楽しい記憶を残す大事な場所だもん。余計な記憶は邪魔なんだからさ。早く出てかないと消すよ」

 脅しではなく淡々と事実のみを述べている。

 この神楽であれば、データを完全消去するようにアマクニとシンソクを消し去ることは容易いだろう。それをしないのは、ただ単に両者が亘の知り合いという理由だけでしかない。

 あきらめたアマクニとシンソクは産屋となる世界からお暇した。

 全ての神楽が神楽の元に集まり取り囲む。

「さあ、物語の再開なのさ」

 神楽は愛おしげに下腹部を撫でた。そこを愛おしげに撫でるほどに、少しずつ大きくなっていく。全ての神楽が見守り祝福する中で一人の人間が誕生する。


 キセノンヒルズ。

 かつて技術の最先端を誇り近未来的なデザインとして人々から憧れられ、やがてDPを吸い取り悪魔の巣窟となり悪の牙城となった。

 今や全てが崩れ去り夢の跡状態。

 コンクリートの巨塊やねじ曲がった鉄骨、粉々となった様々な物が散乱し、偶に悪魔がうろつくだけで人は近寄らない。

 燦々とした日の照らす瓦礫の山に優しい閃光が迸った。

 虚空にふいに現れたのは、誰あろう亘であった。そのまま落下して受け身もとれないまま地面に転がった。

「……いつっ」

 呻いて仰向けになった顔面へと、続けて神楽が落下してくる。手のひらサイズだがしっかりしたお尻に、のしっとされて亘の鼻は打撃を受けた。

「ああもうっ、気をつけろよ神楽」

 文句を言って摘まみ上げようとした亘だが、いつも掴む小袖がない。さらに顔に触れる感触からすると袴すらないらしい。さすがにそれで顔面に座られるのは宜しからずだ。

 神楽を片手で鷲づかみにしながら身を起こす。

「いきなり何やってんだよ」

「マスターこそ何すんのさ、酷いや」

「と言うかだ、こんな外で何も着てないとか何を考えてるんだ」

「それマスターが言う?」

「え?」

 言われた亘は自分も何も着てないと気付いた。完全なる露出状態だ。しかも手のひらで堪能していた神楽に反応してしまった自分の状態が丸見えである。

 神楽は亘の手に掴まれたまま、のぞき込むようにして下を見た。

「うわぁ」

 それで残骸の間に亘の羞恥の悲鳴が響き渡った。

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