第443話 ボク、悪魔なんだよ
やっぱりそこは慣れ親しんだアパートだった。
玄関に立っていた亘は、自然と靴を脱いであがる。小狭い廊下があって右手にあるドアはトイレとバスルームに続き、左手のドアは台所とリビングだ。
左手のドアを開ける。
「…………」
懐かしき部屋を前に亘はボンヤリとした。
公務員宿舎なんてものは大幅削減されているため借りた民間アパートだ。
家賃補助はあるが四割程度、しかも上限が決められているので安アパートしか選べない。家賃補助は収入として見なされ課税対象だが基本給には含まれないのでボーナスには関係ない。結局下っ端は搾取される運命にあるのだ。
「えっ? 生き返って戻って来たのか?」
「そなことあるわけないじゃないのさ。ここがボクの世界だよ」
後ろから神楽に押されて部屋に足を踏み入れる。
「はい座って座って、お茶煎れたげるからさ」
「ん、そうか」
「ボクにお任せー」
「…………」
亘はコタツ兼用のテーブルに向かって座り込んだ。そして機嫌良さげに台所で準備をする神楽の姿を見やった。
見慣れた姿だが違和感が凄い。自分の手の平サイズの人形のような神楽が、ごく普通の少女のサイズで立ち動いているのだ。どう考えてもおかしい。
「なあ、神楽?」
「なーに? お茶ならもうすぐだよ」
「そうだろうな。それより――」
「えへへっ。こうしてマスターにお茶煎れたげるの、ボクの夢だったんだよ」
嬉しそうな声だ。
その声も姿も性格も、間違いなく神楽だ。ただサイズが違うだけで。
「はい、お待たせー」
にっこにこの明るい笑顔で神楽は湯気立つ湯飲みを持って来た。それを置いて座るのだが、テーブルを挟んだ向かいではなく、亘の真横だ。
小さいサイズだったときと同じように、べったり側に居る。
しかし、その方が良かっただろう。もし真正面にでも座られたら、その小さくない胸に視線が向いていたに違いないのだから。亘はそんな気持ちを誤魔化すためにお茶を飲んだ。凄く美味しい。程良い熱さが、身体だけで無く心まで温めてくれる気がする。
亘は湯飲みを置いた。神楽はその様子を見ると、もたれ掛かるのをやめ座り直したが、何も言わずに待っている。ただ楽しそうに微笑んでいた。
神楽はやはり神楽だ。
大きさこそ変わったものの中身は何も変わっていない。
「で、生き返るのはどうなったんだ?」
「そんなに急がなくたっていいのに」
「社長はどちらかしか生き返れないと、持っていたDPの全部を手にいれねば、ここから出られないと言ってた。つまり神楽の持ってるDPを?」
一番恐れていたことだ。大事な相棒と戦いたくはない。もしそうであるのなら、生き返らなくてもいいと思うぐらいにだ。
「それなら大丈夫。ボクとマスターはDPを共有してるもん、一心同体だもん」
「なんだ、良かった」
「でもボク言ったよね。そのまんまだと無理だって」
「言ってたな」
「悪魔ならさっさとDPで身体ができちゃうけどさ、マスターは一応は人間でしょ。だからさ、生き返ろうとしたって何十年とか時間がいるかもだよ」
何十年後かの帰還で、世界はより一層荒廃し世紀末化し、お金が円でなくDPになり、チャラ夫が新宿の支配者になっているかもしれない。
「いやそんなのって、何十年!?」
亘が動揺すると神楽は優しく微笑んだ。
「だから大丈夫。ボクにお任せなのさ」
「そうか、よかった」
大きくなっただけでなく神楽は頼りになる。いつも味方をしてくれて一緒に悩んでくれて、頼りになって助けてくれる。今回もそれに助けられるというわけだ。
「で、どうするんだ?」
「うん、簡単だよ。ボクがマスターを産みなおすの」
「いま何と? ウミナオスノとは?」
「だから産みなおすの。人はお母さんから生まれて誕生するでしょ、それと同じでマスターを産んであげるのさ。あっ、でもそれは魂的な意味だから。マスターの肉体のお母さんは、マスターのお母さんのまんまだよ」
「…………」
神楽がママと言うか母になるという言葉に亘は大いに戸惑った。小柄だが小さい感じでは無く、細身だが柔らかな丸味を感じさせる体つきをしている。つまり年頃の女の子といったものだ。
いろいろ言いたい事はあったが、亘は天井を見上げ息をつき、床を見やって息をつき、諸々を妥協納得して頷いた。
「なるほど。それでは、早いところやってくれ」
「そだね。ボクもさ、ずっとずっとずーっと、この瞬間を待ち侘びてたもん。だからさ――お布団のとこ行こっか」
「布団? なんでだ?」
「はえ?」
その問いに神楽は心の底から不思議そうな顔をした。
「マスターこそ何言ってんのさ。だって産みなおすんだよ。子供つくるみたいにさ、命の素を貰わなくっちゃ産めないでしょ」
「…………」
亘は不穏さを感じ僅かに神楽から身を離した。だが離した分だけ神楽が身を寄せてくるではないか。しかも、もっとぴったりとだ。非常に拙い予感がする。
実際、神楽は腰元の帯の結びを解きだしていた。
「大丈夫大丈夫、痛くないから」
「……僕は七海と付き合ってる。変なことは良くないし駄目だろう」
「変なことじゃないよ。それにさ、ここは魂の世界。だから現世の肉体関係とは違うから大丈夫。あと、記憶も残んないからさ。ほらさ、何の問題もないでしょ」
神楽は普段通りの優しい笑顔で頷く。
だが、そんなことはできやしない。亘は素早く立ちあがった。
「大ありだ!」
弾みで神楽が転がり、帯が解かれているため袴が半分脱げて白い素足が見えた。しかも神楽はそこから袴を脱ぎ捨てている。最初に出会った頃、小さな姿の神楽を脱がせた時の姿だ。
もちろん今は神楽が自分でそうしたのだが。
「どーして、そなこと言うかなぁ」
「だから七海との関係がある」
「うんうん、でもこのままだと生き返れないよ。肉体は全部新品になるんだし記憶も残らないのに。マスターってば何言ってんのさ、ボク信じらんないよ」
笑顔で――どこか蠱惑的だ――神楽が立ちあがる。
「でも、いいけどさ。ねえ、マスター。ボク、悪魔なんだよ。今こそあのスキルを取得するからさ、5ポイントを使って」
神楽がスキルを取得する。同時に亘は部屋を飛びだした。しかし玄関のドアは開かなかった。どれだけ頑張っても開かない。袋の鼠だ。
リビングに通じるドアから神楽がひょっこり顔を出した。
「ここはボクの世界だよ。逃げられるわけないし、逃がさないもん」
「そういうのは、悪者の発言だろ!?」
「無駄な抵抗をやめて大人しくしようね。なんだっけ? そう、天井の染みを数えてれば終わるからさ」
間違いなく襲われる。亘は戦おうと思ったが、しかし相手は神楽である。攻撃など出来るはずもないし、そもそも敵と思う事もできない。
とっさに、もう一つのドアに向かう。トイレの方のドアだ。
幸いにも開いて、飛び込み大急ぎで扉を閉める――だが、その前に神楽が扉を掴んだ。簡単に止められてしまう。亘が力を入れ、ついには渾身の力で引っ張ってもビクともしない。壊れない扉に感心するが、それも神楽のつくりだした世界だからだろう。
「マスター? トイレの中がいいの? それともお風呂?」
扉の向こうから聞こえる神楽の声は呆れたような声だ。
「でもさ、やっぱり最初はお布団の上がいいよね。そだよね。折角なんだからさ」
そのまま扉が開けられていく。もちろん亘が全力で引っ張っているにもかかわらずだ。しかも神楽は片手でやっている。
扉が開かれると神楽の笑顔があった。
亘は掴まえられ、いつもの寝床に引きずられていく。そして布団の上に放り投げられた。優しい投げ方なので痛くはない。
倒れ込んだ亘は仁王立ちの神楽を見上げ可愛い悲鳴をあげた。
「はぁ、その悲鳴なんなのさ、ボクが悪いことしているみたいじゃないのさ」
「悪いことしてるだろうが!」
「そかな? そかも。そだね、うん。ちょっと強引だったのはゴメンね」
「ちょっとじゃなかろう!」
「大丈ー夫、今からは優しくするからさ。そじゃさ、全部脱がしちゃうから」
「やめ――」
声をあげる亘の言葉は唇で強引に封じられた。
人間は悪魔に誘惑され蹂躙の中で快楽浸けとなり、溺惑の中で耽溺し狂乱のまま享楽を享受し悦楽に溺れた。
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