第442話 マスターの名にかけて

 辺りは亘の世界で、懐かしきアパートの光景が広がっている。

 そこに神楽は軽く浮き微笑んでいるのだが、亘は困惑しながら見つめた。

「神楽?」

「そだけど、どしたのさ?」

「いやだって、お前……」

 目の前にいるのは確かに神楽だが、どうしても神楽には思えなかった。いつものように小さいが小さくもない胸を持ち上げるように腕を組んでいるが、その表現を改めねばならなかった。小さくない胸を持ち上げているように、と。

 神楽の足は床から軽く浮いた位置にあり、しかしその頭は亘の肩と並んでいる。つまり、その姿は普通の人と同じぐらいの大きさなのだ。

「そなこと、どーだっていいからさ。いまは敵を倒さなきゃだよ、マスター」

「まぁ、そうだけど」

「集中しなきゃダメだってボク思うよ」

 直ぐ近くで喋る神楽の存在に戸惑いながら、しかし亘は身構えるしかない。

 なぜならアンリマーユは全ての餓鬼を片付け、悠然と佇んでこちらを見ているのだ。強者の余裕と言えなくもないが、本気で戦う相手の準備を待ってくれている。

「そんじゃさ、まずは補助魔法だよ!」

「よし」

 亘は身を低くしながら突進、アンリマーユに金属バットを叩き付ける。その一撃で大きく弾き飛ばされた巨体に雷魔法が炸裂。阿吽の呼吸だ。

「二億四千万の同胞がため、私も負けられんのだよ」

 しかしアンリマーユはさしたるダメージは受けていない。

「私は我が世界を救う! 五条君はどうなのだ! その覚悟はあるか!」

 手が掲げられると同時に周囲が暗闇に包まれた。それがアンリマーユの持つ世界の一つなのか真の闇だ。それは深く濃く、隣にいる神楽の姿さえ見えなかった。しかも心の底まで凍てつきそうだった。

「大丈夫」

 神楽の声が聞こえて、首元に手が回される。暖かくて柔らかく安心できる存在感に寒さは消し飛ぶ。さらに耳元で聞こえる囁きが不安すら打ち消す。

「ボクが居るから大丈夫」

「そうだな、僕も安心できる」

「やっちゃえマスター!」

 不意に迫る気配を感じ、一瞬の躊躇いもなく亘は金属バットを構えた。同時に闇が覆い尽くすように圧倒してくる。思いきり振り回し手応えを感じた。背中から伝わる安心が力を与えてくれて、亘は更に闇に向かって攻撃をした。

 反撃を受けた亘は弾き飛ばされるが、その前に確かな一撃を入れた。

 辺りの景色がアパートのものに塗り替えられ、そこに背中に張り付いていた神楽と一緒に落下する。

「大丈夫か?」

「うん、もちろん。でもさ、重いから早く退いて欲しいかな」

「すまん」

 気付けば神楽を下敷きにして押し潰していた。これが元のサイズであれば大変なことになっただろう。今の人間サイズでは安心だが、くんずほぐれつの状態。しかも再現された布団の上に倒れているので、別の意味で大変だ。


 アンリマーユが近づいて来た。

 亘が立ち上がるのを見て立ち止まったが、地を蹴って激しい勢いで襲い掛かってきた。先程までとは違って荒々しい動きだ。

 上から落ちてくるように襲って来たアンリマーユの攻撃を、亘は神楽を抱きかかえながら回避した。更なる追撃さえも、そのまま一緒に転がって逃れる。

「えいや」

 一瞬のタイミングを狙って神楽が雷魔法を放った。それがアンリマーユに直撃するが、思ったよりも威力が強く、相手を弾き飛ばしただけでなく亘たちも地面の上を転がったぐらいだ。

 かなり転がったせいだろうか、アパートの前の道路に景色が変わっている

「凄い威力だ」

「ふっふーん、ボクにお任せだよ」

 神楽を引っ張り上げ亘が立ち上がると、アンリマーユも起き上がってきた。その面のような顔の切れ込みのような目が、窺うようにして神楽を見つめている。

「単なるピクシーではないと思っていましたが……そうか貴女は、そうだったのか――」

 アンリマーユが呟くと神楽は微笑んだ。

「あのさボクさ思うんだけどさ、余計なこと言わない方がいいよ」

「確かにそうでしょう。俗に言う所の、馬に蹴られてしまうことになる。一つ頼みがありますが聞き届けて頂けるでしょうか」

「いいよ、マスターの名にかけて」

 勝手に名前にかけられているようだが、亘は発言を差し控えておいた。何が何だか分からないときは、分かったふりをして黙っておくのが得策だ。

 アンリマーユは軽く手を合わせるが、礼の姿勢と分かる丁寧さだった。

「では、私の故郷をどうか救って頂きたい」

「いいよ。マスターと出会う切っ掛けだもんね、だから聞きとどけてあげる」

「ありがたい。これで心残りは何もない」

 頷いたアンリマーユだが、高らかに清々しく堂々と咆える。

「しかし、たとえそうであろうとも! 私は最後まで戦わせて貰う! それが生きるということなのだから!」

「そだね、そうする権利があるってボク思うよ」

 神楽が頷くと、アンリマーユは再び激しい勢いで向かってきた。一歩ずつが力強く迫力がある。しかも強い信念があり、亘の世界を砕きながら迫ってくる

 恐ろしい勢いで腕が振られるが、亘は素早く回避。続けて放たれる攻撃も避けた。

 ――大丈夫だ。

 心は落ち着いてる。

 アンリマーユの攻撃は鋭いが、亘はそれがしっかりと見えている。落ち着いて回避していく。一撃貰えば終わる、まさに必殺の攻撃を上手く躱していた。冷静に見定めることも出来ていた。

 それは神楽という安心できる存在が与えてくれる自信なのだろう。

 ――そうか。

 亘はなんとなく理解した。自分を信じる自信は、信じられる相手がいて、信じてくれる相手がいて持てるのだ。これまでずっと一人ぼっちで他人との関わりを避けていれば持てるはずがなかった。


 アンリマーユは渾身の力を込め、全身全霊で攻撃を放ってくる。その攻撃には凄味や迫力もあった。掠めただけの腕が使い物にならなくなった程だ。

 これまで沢山の悪魔と戦ってきたが、その中で一番の強敵だろう。

 力の強さも技の鋭さも、信念も気合いも迫力さえも、間違いなく一番だった。何の油断もなく、ただひたすらに亘を殺すことだけに集中している。

 亘は回避から動きをみせた。

 アンリマーユが反応するものの、構わず踏み込み肩に一撃を入れると、そのまま敢えて姿勢を崩して斜めに身体を倒す。思わぬ動きにアンリマーユの反応が遅れた瞬間に、地面を殴りつける。

 拳が砕ける一撃の反動で身体を起こし、さらに地面を踏みしめ勢いを載せ、下から上へとアンリマーユの構えに腕を当てた。思わぬ攻撃を受けたアンリマーユの腕が弾かれ、胴体ががら空きとなる。

 そこに砕けた拳で全力の一撃を放つ。

 さらに拳が壊れ飛び散る自分の血が顔にまでかかった。脳天まで突き抜けるような激痛だが、そんな痛みも無視して耐える。

 白い面の線のような目が大きく見開かれ、仰向けにゆっくりと倒れ、そしてアンリマーユの姿は人間である新藤へと変わった

「私の負けです、五条さん。貴方は貴方の力で私に勝った、実に素晴らしい」

「社長」

「戻ったら、海部君を叱ってやって下さい。そして彼の心を救ってあげて下……さい。中堂君は……駄目……彼はどうしようもない」

 新藤の姿が端から砕けて消えていく。

「私の本願は叶った。もう……何も頑張らなくていい……ありがとう。感謝する」

 そして新藤は微笑んだまま砕け散った。

 亘に戦いに勝ったという達成感も喜びもない。ただ終わったというだけの、一段落ついただけの気持ちがあるだけだ。

「治癒」

 言葉と共に亘の身体を強い緑の光が包み、全ての痛みが消えていく。砕けて滅茶苦茶になっていた拳も元通りになった。

 隣にはニコニコした神楽の笑顔がある。

 そのサイズの違いも慣れてきて亘が笑い返すと、神楽はさらに嬉しそう笑った。

「やっぱりマスターは凄いね。うん、マスターだ。ボクのマスター、会いたかった。ずっとずっと会いたかったんだよ」

「そうか、まあそうだな」

 つい先程まで名前も思い出せなかった者とは思えない態度で亘は頷いた。そして手を合わせて瞑目する。

「スオウ、ミズチ、新藤社長。あと餓鬼たちもだな。そのお陰で、ここまで来られた。感謝しないとな」

「そだね」

 思ったより近い位置からの声に目を開けると、神楽が何か言いたげに緋色の瞳で見つめてきていた。そこには催促するような雰囲気があった。

「もちろん神楽のお陰もあるぞ」

「ふっふーん、当然なのさ」

「これで生き返れるというわけだな」

 亘はようやく達成感が得られた。自分が死んでいるという事実を知ってから、ここに至るまで戦いづくめだった。もちろんDPも回収できたので万歳だ。

「んー、まだだよ」

「なに?」

「そのまんまだと無理だよ。でも大丈ー夫、ボクにお任せ。そんじゃ行こっか」

「どこにだ」

「もちろん、ボクの世界に」

 神楽は亘の手をしっかりと掴んだ。その力が思った以上に強かったため、亘は驚き戸惑うしかない。そして辺りの景色がかすれ別のものへと変わっていった。

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