第448話 見ろ、この極めて安全な生物を
そろそろ冬がはじまりそうな、ちょっと寒いぐらいの気温だが、空は綺麗に晴れていた。降り注ぐ日差しは暖かさを与えてくれている。心地よいぐらいだが、それは天気だけが理由ではなかった。
「うーん、五条さんが出張されていた半年にあった話ですか」
七海は明るい声で喋りつつ、亘を軽く見上げている。殆ど瞬きもしておらず凝視の一歩手前ぐらいの様子だ。自分の中にある情報を目の前の事象と擦り合わせ、アップデートするような見方であった。
だが、そうした雰囲気は直ぐに消える。
「ちょっと忙しかったですね。キセノンヒルズが壊れたことは知ってます?」
「それは見たよ。あー、うん。派手に壊れてたな」
亘は躊躇うように続けた。
その壊れたという原因者であるサキが足下を彷徨いている。頭の上に神楽がのっかり、隣には七海がいる。なんとも居心地の良い空間だ。時刻は昼すぎぐらい、辺りには人の気配もなく廃墟になった街が広がるだけだった。
「そのー、なんだ。サキと合流したのは、少し前なんだがな。サキが壊したとかって言うんだよな」
「ええっと、それはそうですね。壊していたのは事実ですけど」
「……そう」
損害賠償請求という言葉が亘の脳裏をよぎる。サキのしでかしたことだが、それでサキを放逐するような発想には至らず、あくまでも自分の責任という考えしかない。
「まあサキは色が黒くなっていたからな。別のサキということで処理して貰おう、それがいいな」
「別人みたいな感じでしたから、大丈夫だと思います」
「……別人みたいな感じだって?」
七海の言葉に、亘は眉を寄せて足下を見やった。ジロリと睨まれたサキがビクッとして身体をこわばらせる。間違いなくやましい気持ちがあるらしい。察した亘は、むんずとサキを掴んで持ち上げた。
「…………」
「攻撃、してない」
「ほう? 何も聞いてないのだがな」
亘が静かに言うと、サキは目を見開き両手で口を押さえた。後は首を竦めてぶるぶるしている。そんな様子に七海が困り顔でフォローに入る。
「大丈夫です。サキちゃんは、キセノンの人たちを攻撃してくれて。こっちには配慮してくれて、ちょっとした威嚇ぐらいでしたから」
「威嚇……なるほど威嚇か、威嚇ね」
亘はそのままサキを俵担ぎにして、鼓を打つようにしてサキのお尻を叩いた。狐が鳴くような声の悲鳴があがりジタバタ暴れている。
「それならキセノンの動きはどうなってる?」
反省した素振りのサキを小脇に抱え、七海にいろいろと確認を続ける。自分が不在の間に何がどうなったかは確認しておきたかった。なお、実家の母のことは心配だが心配はしていない。間違いなく、この世で一番安全な場所なのだから。
安全にしてくれているアマクニ様に挨拶がてらお礼をした方が良いと思ったが、まだその時ではないだろう。
「キセノンヒルズがなくなりましたので、第二社屋だそうですが、そこに拠点を構えているようです。そこから悪魔を誘導したり集めたりで攻撃してくる感じです」
「新藤社長は?」
「あれから姿を見てません。五条さんが社長さんを倒されたのかと思ってましたが」
「なるほど」
それで亘は、ふと気付いて自分のスマホをポケットから取り出した。いままで全く確認もしていなかったが、もし社長を倒していたり、または半年間の空白期間で悪魔を倒していたならDP値に変動があると気付いたのだ。
増えてくれていれば御の字だが、しかし画面の表示がおかしい。
DPの保有容量やら何やらが常に変動し、さらには神楽の表記にはノイズがはしる。バグっているという状況だ。
「まさか故障? 故障のはず、いや壊れてないはず。壊れてないよな」
亘は自分に言い聞かせるように呟いた。もしスマホが壊れていれば、そこに蓄えられているDPも消え失せているかもしれないのだ。
「なんだこれ……数字がおかしい」
「え? そうなんです?」
七海は体を傾けて軽く覗き込むが、寄り添うように頭をもたれかかってくる。
「変ですね。どうしたのでしょうか」
「壊れた!? 修理は法成寺さんに頼むしかないか」
「法成寺さんでしたら、最近は調子が悪いそうです」
「あの人なら過労ってことはないな。さては不摂生で倒れたな」
「いいえ、神楽ちゃんに会えない病と主張されてまして。お仕事ボイコット中ですね、それで正中さんが気を揉んで胃痛の原因なんだそうです」
胃痛の原因者は全く別だが、しかし七海が知るよしもない。
「そうか、困ったな」
もちろん亘が困っているのはDPの数値だけだ。
表記にノイズがはしる神楽の詳細情報を表示させると、その種族名は、マスター大好き族――いきなり神楽がスマホ画面に突っ込んだ。画面から突き出た足がバタバタしているので、何かやっているようだ。
ややあって神楽は画面から上半身を起こしたが、一仕事終えた感じで汗を拭うような素振りをした。画面を確認すると神楽の種族名はピクシーとなっている。
「なにやったんだ?」
「んー、よく分かんないけどさ。何だろね、何だかそういう気分? そんな感じがしただけだよ」
「つまり適当にやったってわけだな。弄れるのか? 大丈夫だろうな? と言うかな、変なことして壊れでもしたらDPが消えてしまうだろが」
亘は不信感を滲ませ――あまつさえ軽く舌打ちまでして――スマホのデータを確認する。いつも寝る前にDPの数値を確認していたが、覚えのある数値よりやや多めになっていた。
「どうやら直ったようだな。数字もバッチリだな」
安堵した亘が七海にむかって笑いかけると、神楽がその間に移動して、胸を持ち上げるように腕組みて反っくり返った。どうやら威張っているらしい。
「でしょ。ボクさ思うんだけどさ、こーいうときに言うべき言葉ってのがあるって思うんだけどねー」
「ああ、そうだな」
亘は頷いた。
「よくやった。褒めてつかわす」
そのまま人差し指で神楽の頭を連打してやった。途端に神楽は目つきを悪くして、亘の指先を掴まえ大きく口を開け、思いっきりかじり付く。
「喰われる!」
凶暴化したピクシーは亘が手を振っても、食いついて離れない。恐るべき執念だ。仕方なく丁寧に謝罪し感謝の気持ちを伝えると、ようやく牙を収めてくれた。
「くそっ、なんて奴だ」
「なんか言った?」
「別に。なにも言ってない」
「あーそー。マスターは、もっと素直になさい。ちゃんと謝ったり、お礼を言ったりとか。そーいうの大事だってボク思うよ」
「ふんっ、人に噛みつかないのも大事だと思うがな。みろ、これを」
亘はサキをひっ捕まえると、その口に指を突っ込んだ。歯を噛みしめているが、そのまま奥歯の方を探ると、我慢しきれず口が開く。そのまま舌を掴まえても、あうあう言うだけ。歯が当たると慌てて口を開け、噛もうとする気配すらない。
「見ろ、この極めて安全な生物を。ちょっとは見習え」
「またそーいうことして」
そんなやりとりの横で七海は和やかに、そして嬉しく楽しそうにしている。このやりとりを心から楽しんでいるらしい。
亘はサキを解放すると、道路脇の縁石ブロックに腰掛けた。七海が腰掛けようとしたのを軽く制してハンカチを広げ、それから座るように言った。ちゃんとした気遣いというものである。
七海は微笑んで、隣に並んだ。
「報告ですけど、藤源次さんが大けがをされまして」
「あの藤源次が!? どんな具合なんだ」
「命に別状はないです。あのキセノンヒルズから脱出するとき、皆を逃がすためですけど片腕を失って」
「……そうか」
こんな時に何と言えば良いのか分からない。まず、信じられないという驚きに満ちた思いもがある。命が助かって良かったとも思うが、しかし腕一本失ってもいる。良かったとも悪かったとも言いがたい。
「でも、悪魔との戦いは続けられてまして。今でも頼りにされてます」
「面倒かけてるな。もちろん七海にもだが」
「いえいえ私なんて。それよりチャラ夫君ですよ、凄く変わってリーダーシップを発揮して皆を引っ張ってるぐらいです」
「チャラ夫がか」
少々信じがたいが、しかし人は急に成長するときがある。チャラ夫にもそれが訪れたに違いない。
「心境の変化という奴だな」
「五条さんの代わりに頑張る、と気合い入れてましたから」
「あいつめ……」
「それと、子供が出来たというのも大きいみたいですね」
「あいつめ」
ちょっと感動した後に、軽く苦笑した。不思議と以前のように苛っとする気分ではなかった。他人の幸せやら喜びを素直に受け止められていた。
「でも正中さんが日々やつれていかれまして。偶に挨拶に行ってお話しをしてましたけど、会う度に凄く疲れた様子でした」
「いろいろ背負い込む人だからな」
「ですね。今日のキセノン社対策でも、かなり気を揉んでましたから」
「そりゃそうだ……って、今日の?」
「はい、ちょうど出るところでした。もちろんちゃんと許可貰って出てきました、だって五条さん以上に大事な用事なんてありませんから」
七海は照れ気味に言って恥じらう仕草をした。しかし、亘はどうしたものかと考え込んでいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます