第449話 必ず道は拓ける
人が生きるためには糧が必要で、糧を得るためには仕事をせねばならない。
かつて職場は仕事至上主義に支配され、家族やプライベートを犠牲にしてでも仕事の遂行を優先せねばならなかった。けれど時代は変わる。数多の悲しい出来事や犠牲を経て、仕事と家庭の両立が叫ばれだした。だが、それはお題目だけで世間には浸透しなかった。
それでも仕事と家庭の両立は諦めなかった。
ワークライフバランスと名を変え生き延び、古き価値観の者たちが定年退職により徐々に姿を消したことで、ついには実現に向けて動き出したのだ。だがそれでもまだ古い価値観は生き延びている。
濁った水に清水を注ごうと濁りが残るように、プライベートより仕事を重視せねばならない感覚はまだまだ残り続けるのだろう。
「今日のキセノン社対策……」
亘はプライベートより仕事が大事な感覚が強い。嫌だ嫌だと思いながらも、そういった環境の中で生きてきたからだ。だから仕事を放置することに対し強い罪悪感を抱いてしまう。
しかもそれがドタキャンともなれば、強い罪悪感がある。いろいろ調整し手はずを整えた誰かの胃痛を思うと申し訳なさがたつ。
――いや、七海が抜けられるぐらいなら大した内容でもないか。
半年経っているとはいえ、七海が主戦力であるのは変わりがないはず。その主戦力が抜けても良いと許可がでたのだ。さして問題ないだろう。
「はい、侵攻してくる悪魔の阻止ですね」
「侵攻? えっ!? キセノン社が、そんなこと出来る?」
「法成寺さんの話ですと、DPの操作で散布すれば可能だそうです」
「驚きだな。まあ、大したことないならいいが」
「総力戦の決戦と言ってました」
「え?」
「でも、五条さんの方が大事ですし」
両手を頬に当て恥じらう七海に亘は、喜び半分困惑半分にジェネレーションギャップというものを感じてしまった。
正中は部下の志緒に軽く手をあげ合図をして、壇上に一人であがった。
踏み台が二段しか無いアルミ製の朝礼台だが、それでも整列している数百人を見回すには充分な高さだった。緊張と気合い僅かな悲壮感を宿した視線に、正中は怯むこと無く一身に受け止め堂々と胸を張っている。
マイクを手にした志緒が声をあげた。
「西端の大宮氏を基準に、整列!」
先頭が少しずつ動いて位置を調整し、その後ろの列が合わせて動く。数が数のためザワザワとした雰囲気となる。しかし言葉は一つも聞こえず、それは全て足音と衣擦れの音による者だ。
列が整うと、大宮が駆け足で志緒の元に移動しマイクを受け取った。
「戦闘部隊大隊長、大宮だ。西側より各班長は人員を報告せよ!」
これに応じ、各列の先頭がその場で敬礼して声を張りあげていく。
「木屋班、人員十五名!」
「簀戸班、人員二十三名!」
「近村班、人員十七名!」
端から端まで報告が終わると、大宮は向き直って正中に敬礼する。
「戦闘部隊、総員三百七十五名と報告します!」
大宮がマイクも不要ない大声で言い、日頃の戦いで日焼けして険しくなった顔に豪快な笑いを浮かべた。
頼もしい限りだと正中は思いながら渡されたマイクを手に取った。
「各員に告げる。我々は、これからキセノン社が操る悪魔の侵攻を阻止する」
キセノン社は極めて賢く、そして嫌らしかった。
これまで放置されていた主要インフラを狙い、各地域に多数の悪魔を送り込んだ。それにより各地域からの救援要請が続出。一方で本部地域には悪魔の侵攻は少なく、簡単に撃退できる程度に留めたのだ。
正中や古宇多といった者は相手の罠だと見抜き、議会に進言した。
一部の議員はそれを理解したが、大多数の議員はそうでもなく議会は紛糾。ぐだぐだの議論の末に各地域へと部隊の派遣を強硬。あげくに民心安定という名の下に警備まで行った。
そして今日、キセノン社は手薄となった本部地域に総力戦をしかけてきたのだ。
「確認された中で最大規模のものだ。各地に派遣された部隊が参集中だが、到底間に合わない。ここに居る者だけで阻止する」
流石にざわめきが広がり、それが徐々に大きくなっていく。中には罵り声をあげる者もいた。だが、そこで大宮がマイクも要らない大声をだした。
「逃げたところで悪魔に襲われるだけ! 戦わねば死ぬ! 戦っても死ぬ! だったら悪魔を殺せ! 悪魔を殺せ! 避難してる奴が生きれば未来がある! 未来を守ったと胸を張って死ぬぞ!」
大宮は正中を振り仰いだ。
「さあ! 正中さん言ってくれ、俺たちは悪魔をどうすればいい!」
「食い止めてくれ、一瞬でも長く」
熱く滾るような大宮に正中は冷静に鋭く言い放った。
周りで戦いの準備が行われる中で、正中もまた具足を身に付けていく。無才としてアマテラスを放逐されたが、それは術の才能に関してだけ。厳しい修業で戦いの技術は水準以上に身に付けている。
「大宮君に助けられたよ」
正中が苦笑しながら呟くと、具足の装着を手伝っていた志緒が微笑んだ。
「あの人は化けましたね。今ではもう、本当に凄いリーダーですよ」
「将来、きっと大物になっただろう。残念だ」
「真っ先に逃げた議員さん連中と交替させたいですけど」
「そう言うものではないね。総理や雲重議員のように、腹を括って残られた方々もいるのだから」
「弟を逃がしてくれてありがとうございます」
志緒が小さく礼を言ったのは、デーモンルーラー使いでも若者は避難誘導の護衛という名目で逃がしてある。チャラ夫は主戦力だが、やはり子供が出来た状況であれば生き延びる方向に使うしかなかった。
「感謝は必要ない。もし七海君がいれば、無理を言ってでも君の弟君にも戦って貰ったのだが」
呟くような正中の言葉に、志緒は無言のまま具足の締め付けを続けている。そうしながらポツリと呟く。
「七海さん、行かせて良かったのです? 亡くなった五条さんに呼ばれたなんて言いだした状態ですよ」
「引き留められたとでも?」
「欠片も思いませんよ」
「だね」
この半年ばかり七海は情緒不安定だった。
正中が直々に懇々と説得したおかげで、唯々として従い黙々と悪魔を狩ってくれていた。だが徐々に淡々とした態度に、苛々や陰々、鬱々や哀々とした顔を見せだしたので、薄々と嘘に気付きだしていたのだろう。
そんな七海に皆が恐々として処々方々から不安の声が寄せられたが、刻々と変化する匆々たる状況に強々な七海は不可欠。近々真実を告げようと思いつつ日々が過ぎていき、今日まで来てしまった。
そんな彼女が嬉々とした笑みをみせ軽々とした足取りで出かけたのだ。
誰がどうして止められようか。
「彼女も限界だったのだろう」
「五条さんが亡くなってから、ずっと情緒不安定でしたものね」
「無理もない、本当なら青春を謳歌していたに違いないぐらいの年頃だ。この半年の間、ずっと騙して悪魔退治に従事させた。それだけで充分に助けられた」
具足を身に付け終わった正中は、自分の身体を叩いて気合いを入れた。志緒も戦闘準備でスマホを手に取り、自分の従魔を召喚――そこに颯爽と誰かが現れた。
「ういっーす、俺っち参上」
現れたのはチャラ夫だった。空を指差しつつ片手は腰に当てるといった、おどけるような変なポーズを取っている。どうやら皆を笑わせたいらしい。
だが誰も笑わない。志緒は顔を驚きから怒りに変えて詰め寄った。
「ちょっと、どうしてここにいるの。避難の責任者が持ち場を離れてどうすんのよ」
「あっちは責任者である俺っちが、次の責任者を任命してきたんで問題ないっす」
「勝手なことをして! 怒るわよ! 自分の子供のことを考えなさいよ!」
「いや、もう怒ってるっすね。ま、姉ちゃんが怒っても関係ないっすけど」
口調はふざけているが、しかしチャラ夫の表情はふざけてはいなかった。そこには堂々とした力強さが存在している。
よっと、と呟いたチャラ夫は身軽に台の上に上がる。そして頭上で手を叩いた。
「はいはいはい! 注目!」
大きな声に皆が驚き、それがチャラ夫だと気付いて二度驚かれる。この半年の間に皆を牽引し、五条亡き後に頑張り続けてきた存在に誰もが注目した。
「ちょーっと聞こえたっすけど。死ぬとか殺すとかね、そーいうの。全部なし! やめやめ、そんなのなーし! 必要ありませーん!」
自分の決意を全否定され、大宮が悲しい声なき声をあげた。志緒が怒り心頭でチャラ夫を引きずり下ろしに向かおうとしたが、その足にガルムがしがみついて止めた。
「生きるために戦うっす!」
チャラ夫は拳を突き上げ叫んだ。
「死ぬつもりじゃなくって、生きるつもりで戦うっす! 俺っちの尊敬する兄貴は、いつもそうやって戦ったっす! そうすりゃ必ず道は拓けるっす!」
正中や大宮の決意や言葉の全否定だ。だが、その否定された二人は文句を言うどころか、眩しそうな顔をしてチャラ夫を見つめるばかりだった。
「頼もしい援軍を紹介するっすよ!」
ビシッとと指差した先に少女と推定少女と、少女とは呼べない相手と頼もしい男たちがやって来た。
「一番手! イツキちゃん! 頼もしい雨竜くんに愉快な仲間達も一緒」
イツキが手を振る足元で雨竜くんが丁寧に頭を下げ、虎やら鳥やら馬までいる。
「二番手! エルムちゃん! 超強いフレンディちゃんも居るっす!」
エルムが万歳して飛び跳ねると、フレンディも真似している。
「三番手! ピヨちゃん! 兄貴も認める天才陰陽師! え? 違う!? 陰陽師じゃなくって術士? あ、ピヨ呼びの方? いいじゃないっすか」
ピヨと呼ばれ頬を膨らませるヒヨだが、その部下たちが微笑ましく見守っている。
「四番手! 藤源次さんと、その一族の皆さん!」
隻腕の藤源次が悠然と立ち、息子のイブキや里の男衆もいる。度重なる激戦で装備は酷い状態だが、闘志は強い。
「でもってー、真打ちは! もちろん俺っち! ほらね、もう完璧っしょ!」
能天気な喋りに自然と笑いが広がり、張りつめていた空気が良い感じに緩んだ。死ぬ気の大宮たちは、死ぬつもりで生きようという不思議な心持ちになっていた。
だから雲霞の如く押し寄せる悪魔を見ても、皆から笑みが消える事はなかった。
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