記念SS第3話 大喜びするのは間違いない

「うらぁっ!」

 亘の一撃が枯れ木のような悪魔を捉える。硬い金属バットは木の皮のような身体に打撃痕を刻んだ。それで相手が怯めば容赦なく次の攻撃を加え、あげくに蹴り倒したところを踏みつける有り様だ。

 トレントとでも呼ぶべき枯れ木姿の悪魔は甲高い断末魔をあげ力尽きた。

 消えゆく姿からDPを回収する亘は肩で息をする。けれど、その顔には満足など欠片もない。それどころか頬をぴくぴくさせ不機嫌そうだ。

 少し離れた場所で浮いていた小さな姿がおずおずと近寄る。

「あのさ、マスターってばどしたのさ。なんか、いつもより荒ぶってるみたい……」

 神楽は袂を合わせるように指先を付き合わせ、上目遣いで様子を窺う。

 なにせ亘は異界に侵入して以降、この調子で悪魔を襲い続けていたのだ。話しかけづらいこと、この上ない。

「あっ? 誰が荒ぶってるだって?」

「ひゃぁっ!」

 怯えた神楽は変な悲鳴をあげ空中で身を縮こまらせた。

 普段であればすかさず謝るところだが、今日の亘は鼻から短く息を吐くだけだ。それでも視線を逸らしたのは、多少なり悪いと思ったからだろう。

 もっともそれは、新たな敵を探しているだけかもしれない。

「もしかして、お仕事で面白くないことがあったの?」

 健気に尋ねた言葉に亘がビクリと反応した。

「違う」

「あのさ……ボクで良ければ聞くよ」

「…………」

 優しげな言葉を亘は黙殺する。いや、黙殺せざるを得なかったのだ。

 不機嫌な理由について、たとえ神楽であろうとも、否。神楽だからこそ言えやしない。そもそも、誰かに話せるような内容でもなかった。

 それで原因となった出来事を思い出し、改めて鼻息を荒げだした。


◆◆◆


 数日前のこと。

「よかったら、うちに養子に来ないかな?」

「はい?」

 そんな言葉に亘は大いに戸惑っていた。

 昼休みに別部署の課長に手招きされ、誰もいない会議室へと呼び出されたのだ。何事かの叱責か注意かと身構えていたところに、その言葉なのだ。戸惑って当然だろう。

 相手の課長は構わず続ける。

「私には娘がおってね、そろそろ三十にもなるが浮いた話の一つもない」

「はあ」

「それで誰か良い人でも、と考えたわけだが。五条係長が良いかと思ってね」

「はあ」

「うちの家内にね、君の人となりを話して相談したのだが。それは良いと賛成してくれたんだ」

「はあ」

「もちろん君に相手がいるのであれば、無理にとは言わないが。いるのかね」

「いえ、居ませんが」

 亘は素直に答えた。それは相手の言葉に肯定的返事をするためではない。本当に虚を突かれてしまって、取り繕うことすら忘れていたのだ。

「それなら前向きに考えて欲しい。もっとも娘にはこれから話すのだがね」

 言って課長はそそくさ会議室を出ていってしまった。

 一人残された亘はその後ろ姿を見送り、しばらく呆然と立ち尽くした。そして理解が進むにつれ、ソワソワしながら嬉しくなってしまう。

 初めて誰かから、自分を認められたからだ。養子に欲しい、つまりは自分の家族にしても良いとまで見込んでくれたのだ。これが嬉しくないはずがない。

 浮かれ気分で、本当に雲の上を歩くような足取りになるぐらいであった。


 そして今日。

 亘はずっと頭を悩ませてきた。養子の誘いを母親にどう報告するか、そして降って湧いた出来事を受けるべきか受けざるべきか。悩みに悩んできたのだ。

 仕事中も、つい息をついてしまうほどであった。

 と、そこに同僚がやって来た。

「五条係長、集金のお願いにあがりました」

 手には紙幣のはみ出した封筒とバインダーがあった。集金相手をチェックしたメモには、けっこうな数の名前がある。

 亘は財布を取り出した。

「なんでしたっけ」

「ご祝儀の集金ですよ。前祝いなんで取りあえず千円でいいです」

「ああそうですか、今度はどなたのですか」

 表向きは笑顔で承諾するが、内心はため息だ。結婚祝いだの出産祝いだのと何かと集金が多い。確かに人付き合いは大事だ。でも、出費は出費で独身彼女なしの者にとっては面白くないこともまた事実である。

――ああ、でも貰う側になるかも。

 まだ受けると決めたことでもないが、自分にもそんな目が出てきたのだ。やはり慶事を祝うことは大事だろう。喜びとは、人と人とで分かち合うべきだ。そうした相手を思いやる心が、世の中を明るく住みよくしていくに違いないだろう。

 集金に来た同僚は隣の課を指す。

「あっちの課長さんの娘さんと、上の階の子が婚約したそうなんで。なんでも養子に入るらしいです」

「……へえ」

 指さす先は、もちろん亘に養子を持ちかけてきた課長であった。嬉しそうにニコニコ笑って幸せそうだ。そんな笑顔を見ていると、やっぱり喜びなんて分かち合えそうもない。

 亘の意識が自動的に偽装モードへとチェンジし、軽い驚きと慶事を祝うような表情を取り繕う。己を守ろうとする精神による自己防衛手段だ。

「おや、そうなんですか。そら目出度いもんですな」

「まったくです。さあ、次は五条係長の番だといいですよ。頑張って下さい」

「そうありたいですね、はははっ」

 亘は何も気にしてないような様子で明るく笑った。


◆◆◆


 亘は記憶の反芻をやめ、異界の空を見上げ下唇を突き出した。

 結局のところ見くびられたのだろう。

 あの課長自身かその娘かは分からぬが、こんな男は嫌だと拒否したというわけだ。まあ、それは仕方がない。ちょっとでも期待した方が悪いのだから。

「バカだなあ。実にバカだなあ。はっはっはっ」

 亘は額を叩き、抑えた笑いをあげた。そばで見守っていた神楽が怯えだすような声色だが、とにかく笑っている。

 進んで養子に行きたいと思っていたわけではない。結婚したかったわけでもない。それは強がりでもウソでもないことだ。

 ただちょっと、田舎の母がさぞ喜ぶだろうなとか、結婚生活をどうしようかなとか、分不相応な想像してしまっただけだ。

――本当にバカだな。

 亘は空を仰ぎ見ながら歯を噛みしめた。

 迂闊に期待してしまった自分がバカみたいで、情けなくて恥ずかしかった。裏切られたという思いが胸を突き抜け、込み上げた怒りがドロドロと渦巻く。

 だが、こんなことを誰かに相談できようか?

 出来るはずがない。それがたとえ神楽であろうとも。


「マスター気をつけて、敵が来るよ。さっきのより、ちょっと強い反応!」

 警戒を促す声に、亘は視線を戻した。

「……手を出すなよ」

「えっ、でもさ」

「手を出すなよ」

「あっ、うん」

 根っこの足を動かし大型のトレントが現れた。先程が若木ならば、こちらは成木だろう。幹は一回り以上も太く大きなものになり、生い茂る葉の数だって多く小さな花が一輪咲いている。

 そのトレントが地面を打ち鳴らし向かって来る。動きこそ遅いものだが、振り回される枝の腕は早く力強いものだ。

 激しい攻撃を身を屈め避け、そのままの姿勢から前に出る。

「食らえやぁっ!」

 力強い踏み込みからの一撃で金属バットを振り下ろす。ドンッとした手応えのとおり樹皮の肌が陥没した。かなりの威力ではあったが、若木のようなトレントとは違い反撃が放たれる。鞭のようにしなった枝の腕が亘を直撃した。

「ぐっ!」

 とっさに腕を盾にしてガードするが、それでも大きく跳ね飛ばされ蹌踉めくほどの威力だ。体勢を立て直した亘の顔を血が伝う。それは結構な量の出血であった。身体の方でも切れたり打撲を受けたりしているぐらいだ。

 そんな危機を神楽が見過ごすわけがない。

「マスター! こんのぉっ、雷魔――」

 だが、鋭い一喝が飛ぶ。

「手を出すなっ!」

「でもさ、だったら回復――」

「いらん!」

 それは強がりではない。

 言い放った亘は嬉しそうに顔についた血をぬぐい取り笑った。獰猛なそれは、傷ついたことが嬉しくて堪らないといった様子だ。

 亘に苦痛や加虐を喜ぶ趣味はない。けれど、今この時ばかりは何故かそんな気分であった。自暴自棄ではあるが、後で回復という手段があってのことだ。

「さあ、もっと攻撃しろよ。さあっ、もっと攻撃してこいよ! ははははっ!」

 金属バットをだらりと下げ歩を進める。片手で何度か素振りすると、その重みと空を切る音の心地良さに目を細めニヤニヤと笑う。

 トレントが後退る。神楽もまた後退る。

「おらぁ!」

 そして亘の猛烈な攻撃が放たれた。心の中に巣くう負の感情を込め、何度も何度も金属バットを振り下ろすのだ。激しい攻撃にトレントの樹皮が次々と陥没し打ち砕かれていく。

――ああ、そうだったのか。

 亘は気付いた。

 強がったところで、やっぱり悔しかったのだ。見くびられたことも、見限られたことも、それを我慢する自分も。何もかも悔しかったというわけだ。

 戦って感情を爆発させたことでようやく気付くことができたのだった。

 気付けばトレントの姿は消えつつある。

 痛みに顔をしかめた亘は、膝に手を突き荒い息に苦しんだ。胸の中には黒い感情が満ちており、自分の感情が自分で制御できなかった。

 そんな様子を神楽がジッと見つめる。

 恐々とした様子は消え、優しげな顔だ。小さくため息をつき軽やかに飛ぶと、そっと亘を鼻から抱きしめた。

「はい、『治癒』。マスター、あのね。ボクが傍にいたげるよ」

「神楽……」

「ボクは傍にいるからさ」

「…………」

 小さな少女に優しく顔を抱きしめられ、そっと撫でて貰う。そうされるだけで憑き物が落ちたように、亘の荒ぶる感情が消えていった。


「いろいろとすまなかった。酷いこと言って悪かったな」

「気にしないでよ。ボクとマスターの仲じゃないのさ」

「さよか」

「さよだよ。じゃあさ、今日はもう帰ろっか。途中でアイスとか買ってほしいな」

「こいつめ、それが目的か。仕方のないやつだな」

「えへへっ」

 亘が冗談めかしてみせると、神楽は手を後ろで組みながら目の前を漂う。

 一緒に食べるアイスはさぞ美味しかろう。そんなことを考えながら異界の出口目指し歩きだし――スマホが着信音を奏でだす。

 思わぬことにワタワタしながら取り出す。

「誰だ、母さんか。なんだろ、もしもし? ……はい、はい……え? またその話。いいよそんなの……自分で何とかするから……いや、こないだも同じこと言ったかもしれないけど……とにかく断っといて……そんな気分じゃないから。見合いとかいいから……切るよ、もう切るから。それじゃあ」

 通話を終えた亘は、雑な仕草でスマホを懐のポケットへと放り込んだ。

「えっとさ、どーすんの?」

「もう少し戦ってく」

「だよね、そだよね。そだろと思ったよ」

 神楽は哀しそうに頷いた。アイスがお預けになるであろうことは、電話をの最中から気付いていたのだ。なにせ、顔が徐々に暗く闇に包まれていくのだから分からないはずがない。

 結局、亘の心が晴れるまで異界で戦い続けることになった。

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