第349話 なんだか風格もある感じ

 静かな建物の一角にある会議室。天井の蛍光灯は煌々とした光を放ち、空調が微かな音を立てている。窓にはブラインドが下ろされ、その隙間から垣間見える外は真っ黒。室内の光景が微かに映り込んでいる。

 テーブルを囲み、亘は母親やその他数人と、とりとめもない会話をしていた。

「あら、もうこんな時間。あたしゃ、そろそろ寝るわね」

 時計を見ると、労働基準法では深夜と呼ばれだす時刻だ。

 母親である美佐子が口元に手を当て眠たそうに欠伸をして、亘はもの悲しさと労りと気遣いの入り交じった、なんとも言えない気分だ。昔は平気で起きていた時刻に眠気を催している姿に親の老いを意識させられてしまう。

 だから静かに頷いた。

「今日は長距離移動で疲れただろ。ゆっくり休みなよ、母さん」

「優しい言葉をありがとうね。あんたも良い感じに年を重ねて、丸くなったわねぇ」

「さあ、それはどうかな」

「前は切羽詰まったような、何と言うのかしらね。苦しんで生きてる感じだったのに。それが、すっかり落ち着いて。なんだか風格もある感じで、良い男ぶりだわ」

 嬉しそうな母の言葉に照れてしまい、亘は自分の鼻を挟むように撫でた。

「そうか?」

「あんたは、あたしなんかよりも。よっぽど立派な大人になったわ」

 その言葉を聞いた瞬間、なぜだか亘は悟った。母親という存在は、母親である前には一人の人間なのだと。

 親とて人間、人格もあれば個性もある。完璧とはほど遠い普通の若者が、結婚して子を産み、親という役割を持ち、四苦八苦しながら子育てをするのだ。

 そんな親に対し子供だった自分は、理想の親像を押し付け現実との違いに不満を抱き、苛立ち鬱陶しく思いながら、親に庇護されながら生きていた。それは成人して経済的に独立した後も、精神的には変わらなかったに違いない。

 ――自分は本当に子供だ。

 親に老いを感じたのなら、今度は自分の方が親を守ってやるべきなのだろう。既に死去した父親にも、せめて許せはしないでも理解はしてあげようと思った。

 ――大人にならなきゃな。

 強く思った亘は、ようやく今ここで自立し大人としての一歩を踏み出したのかもしれない。勿論、この瞬間からガラリと心が変わることはない。少しずつ少しずつ時間をかけ、しかし着実に変化していくのだ。自分の親が親になっていったように。

 本人は元より、周囲も亘の心情変化には気付いていない。

 ただアマクニ様だけが軽く眉をあげ、続けて優しく微笑んだだけである。

 美佐子は、うつらうつらしていたサキの頭を撫でた。

「サキちゃんは、婆ちゃんと寝ましょうか」

「んっ」

 サキは椅子から降り、小さな手で眠たげな目を擦る。手を引かれるままに歩きだし、そのまま一緒に会議室を出て行った。たっぷり甘やかされて懐いたのもあるが、半分は亘に命じられた護衛の任を意識しているのかもしれない。

 どこまでも健気なサキで、亘の懐で寝こける神楽とは大違いであった。


「うぃーっす。おこんばんはー」

 チャラ夫がノックもせずに入ってきた。シャツ一枚にアンクルパンツでスリッパというラフな格好だ。それで茶色に染めた髪をばりばり掻いて大欠伸までしている。

 もし美佐子がいれば行儀の悪さを注意したに違いないが、いまはもう寝に行ってしまった。代わりに注意をしそうなのはアマクニ様だが、今は美しい顔に疑問を浮かべている。

「ちーっす、が挨拶ではないのかな」

「そこは適当っすよ、挨拶なんて気分によって変えて当然っしょ。フィーリングっつうかファジーで心の赴くがままにってやつっすよ」

「ふむ、なるほど。うぃす?」

「もっと伸ばして、うぃーっす」

「うぃーす?」

「ちょっと違うっすけど、そんな感じっすよ。後は練習あるのみ!」

「そうか、頑張ってみよう」

 全く物怖じしないチャラ夫と、真面目な顔のアマクニ様の会話に、亘は眼だけを上に向けて肩を落とした。ただ少しこれまでと違うのは、むしろアマクニ様が変な挨拶をしてくれることを望んでいる点だろうか。母親に怒られるというのも、今となっては、そう体験できるものではないのだから。

 考え事をしていると、チャラ夫はどっかり椅子に座って亘は顔をしかめた。

「お前は何をしに来たんだ?」

「ちょっ! その言い方は酷いっすよ。せっかく兄貴の顔を見に来たのに」

「見て楽しいものでもなかろう」

「そうでもないっすよ!」

 チャラ夫はニカッと笑ってみせる。本気なのか冗談なのか分からない。ただ楽しそうなのは間違いなく、その気分は亘にも伝わってくる。こうした憎めないところがチャラ夫の良いところなのだろう。

「それはさておきなんすが、真面目な話をしていいっすか?」

「本当に真面目だろうな」

「トラストミー! 大真面目っすよ。実を言うと、さっき組織の人から話があったんす。これでデーモンルーラのメンバーが増えたんでPV撮影とか広報に力を入れたいそうなんすよ。で、その人選するのに頭の体操をしとけって。つーか、頭の体操ってなんすかね」

「上の連中の好きな言葉だよ」

 亘は鼻で笑った。

 本来はリラックスや思考訓練で使われるのだが、役所という組織の中では意味が違う。これから面倒事を指示するので事前に考えて準備をしておけといった、頭を痛くしてくれる言葉なのである。

「人選って、どーすりゃいいっすか!」

「無理に考えなくてもいい。そんなの適当でいい、どうせ誰をどう選ぼうと正解なんてないんだ。問われた時に答えれるように、選んだ理由だけ考えておけば良い」

「そういうもんすか?」

「そういうもんだ」

 亘は顔をほころばせた。人というものは教えたがりで、亘もその例に洩れないのだ。しかも気心しれた相手に自分の経験で語れることは嬉しいのである。

「それは何の話かな?」

 聞いていたアマクニ様が身を乗り出した。何か面白そうだと眼を輝かせ、興味津々だ。田舎の寂れた祠で長年過ごしていたので、こうした話も物珍しいのだろう。

「そろそろ本格的に悪魔対策しましょう、と上の方が動きそうなんですよ」

「なるほど。君も活躍するつもりなのかな」

「多少は頑張りますよ」

「なるほど……なるほど。それなら明日にでも少し力になろう」

「はい?」

「明日を楽しみにしているといいよ」

 アマクニ様は内緒を楽しむように笑ったが、何をするつもりなのか教えてくれない。亘が聞き出そうとしても、むしろ面白がって答えてくれない。そうこうする内に、チャラ夫や七海と楽しそうに話しだして盛り上がってしまった。これでは口を挟めそうになかった。

 明日になれば分かると、亘は自分を納得させ皆の話に耳をかたむける。


 そこそこ時間が過ぎて、亘は提案とも促すともとれる口ぶりで言った。

「さて、そろそろ解散して寝ますか?」

 そこには気遣いがある。目の前にいるアマクニ様は少しも眠たげな様子はなく、それどころか、まだまだ話し足りない様子なのだ。しかもワクワクした感じもあるので、その相手に対し、お開きにしましょうと明言しにくいではないか。

 実際アマクニ様はそっぽを向いてしまう。

「私はまだ寝ないよ」

「少し早いですけど明日もありますし……」

「いやだ寝ない。私は、もっと皆と話したいんだ」

 言い募る姿は、とても一柱の神とは思えない様子だ。アマクニ様は神である前に一個の感情を持った存在なのだ。神とて心もあれば個性もある。ゲームに嵌まって引きこもっている神だっている。

 神話をみれば分かるように、完璧とはほど遠い力持つ存在が神という役割を持つようになり、長年神をやってきただけ。

 ――ん?

 何だか少し前に考えていた事を再び考えてしまって、亘は苦笑した。

「ですけど、そろそろ消灯時間になりますよ」

「むっ、君はそんなにも私と話をするのが嫌なのかい?」

「そうじゃありませんけど。明日じゃだめなんですか」

「今日がいいんだ。よし、君が寝るのを止めはしない。代わりに私はアレをやる。アレだよ、女子会という奴を」

「女子……?」

 亘が思わず呟いた言葉に、齢千年を超すであろう女子が目を細めた。

「そんな事を言う口は、これかな」

 ひょいっ、と伸びたきた手が亘の頬をつまんだ。もちろん軽くであって痛くはない。むしろ優しくて、温かで滑らかな指の感触に驚かされてしまう。だから亘は、しばらく目を瞬かせて戸惑ったぐらいだ。

「いいさ。今日は、この子の部屋で話をしよう」

 ひょっとしたら女子会という事でなければ、亘の部屋で同じような事をするつもりだったのかもしれない。その場合は亘は床で寝る事になったかどうかは不明だ。

「名前は前に聞いていたが、何だったかな。忘れてしまった」

「あ、はい。舞草七海です」

「そうそう七海だ。五条になれば五と七で、割り切れぬ数字が二つで縁起が良い」

「そうですよね、ぴったりですよね」

 アマクニ様は七海の肩を抱き寄せるが、両者は妙に御機嫌だ。それから一緒に歩きだすのだが、これから女子会というものをやるのだろう。

「では、エルちゃんとイツキちゃんとヒヨさんも呼びましょう」

「賑やかなのは良いね。楽しみだよ」

 上機嫌な声に桜の香が微かに漂っていた。

 それを見送った亘は、軽く欠伸をして自分の部屋に向かう。今日は久しぶりに神楽と二人っきりだ。きっと目を覚ましたとき、神楽は驚くに違いない。

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