第130話 獲物で遊ぶ猫

「まず自己紹介をしておこう。名刺は渡せないが、私の名は正中と言う。こういった身分の者でね、いつも部下が迷惑をかけている」

 内ポケットから取り出されたのは見覚えがある手帳だ。そこにある『公安』の二文字が全てを語っている。

 亘には長谷部志緒という知り合いがいる。何かと面倒をみて世話したり協力している相手だが、彼女は公安関係に勤務し悪魔関係の対策部署に所属しているのだ。

 つまりこの正中という男はその上司であり、NATS――警視庁公安部内に組織された悪魔対策機関の通称で、日本国内における異界と悪魔被害を防止する機関――の職員ということだ。

「もしかして、噂の課長さんですか」

「そうだ、噂の課長だよ。うちの長谷部がどんな噂をしているか、興味が湧いてきたな。今度本人に聞いてやるか」

 そう言って正中は笑った。腹の中でどう思っているか分からないが、表面上は友好的な雰囲気だ。もっとも、相手は頭の良いキャリアなので腹芸の一つ二つは簡単だろうが。

「さて、そのコンポトン特派大使が狙われているとの情報があった。しかも悪魔絡みでな、だから悪魔と戦う力がある五条係長に……」

「ちょっと待って下さい。事務所長の前で、その話はですね……」

 悪魔の話は一般に知られていない事項に属する。

 そんな内容を大真面目に話しだしたとすれば、頭がどうかしたとしか思われない。正中という男がどう思われようと関係ないが、自分が同類と見られることは勘弁して欲しかった。

「ああ私のことは気にしないで下さいよ。悪魔絡みの件でしたら、とうに承知してますから」

 しかし事務所長は苦笑してみせる。穏やかで優しげな、育ちの良い笑いだ。

「承知って……まさか事務所長もデーモンルーラーを使われるんですか?」

「違いますよ」

 亘の問いに対し、事務所長は笑いを堪えた顔で軽く手を振ってみせた。

「我々キャリアはですね、悪魔やDP関連についての情報が開示されているのですよ。もっとも、同時に国の組織から逃げられなくなりますけどね」

「マジ……失礼。本当でしょうか」

「普通に喋って下すっていいですよ。仕事とは直接関係ありませんから」

 そう言って事務所長は笑っている。しかし、そんな言葉を信じるのは、飲み会の無礼講という言葉を信じるぐらい愚かしいだろう。


 亘はその様子を見ながら、しかしどこか納得していた。

 キャリア試験の合格者は、それだけでもう優秀と国が証明したようなものだ。民間企業からすれば、是非にも手に入れたい人材だろう。それが民間に流れず公務員を続けているのは、悪魔やDPなど機密情報を知らされ逃げられぬよう雁字搦めにされているからに違いない。

 ただし元キャリア官僚としてテレビ出演し古巣を悪し様に扱き下ろす例外もいる。そうした人物については、機密を明かすに足りぬ人物として人格も含め判断された部類だろう。

「ついでに言えば、正中君は私の大学時代の後輩なんですよ。その関係で五条係長さんについても、早い段階から教えてくれましたね」

「先輩には逆らえませんから」

 苦笑した正中は表情を戻し、さてと呟き身を乗り出す。

「人工異界については、詳しい説明をする必要ないな。なにせ、最初の発見に関わったのは五条係長だからな」

「ありましたね、そんなの。最近遭遇しないんで、忘れてましたよ」

「五条係長が遭遇してないだけで、それらしい事件は幾つも発生している。既に何人もの要人や有名人が巻き込まれ、行方不明になっている。表向きは病気療養中だがね。まあお陰で、うちに対する風当たりも強くて」

 正中が苦々しげに呟く。拳で自分の額をコンコン叩き、苛立たしげだ。

「コンポトン大使が狙われている件でも、人工異界が使われると?」

「おそらくはそうだ」

「なるほど。大使が日本で行方不明になったら、NATSどころか日本の面目丸潰れですからね」

 亘は納得して頷く。だが、それだけではないらしい。

「それもある。だがコンポトン大使の来日はエネルギー問題などより、もっと別の目的があるのだよ」

「別、ですか?」

「大使は物理学者として有名だがね、同時にDP関係の世界的権威でもある。今回の来日は、将来発生するDP飽和についての対策会議に出席して貰うためだ」

「DP飽和……」

 その言葉を反芻し、ややあって世界に悪魔が溢れだし社会が滅茶苦茶になると言われた現象だと思い出す。確か懸念されるリミットまで、あと十年程度だったはず。ただし、それを聞いてから一年近く経過しているのだが。

 ようやく対策が検討されだすというなら、随分とのんびりした話だ。


「大使の護衛にはアメリア国の悪魔対策チームが同行してくる。だからそこまで心配はしていない。しかし日本側からも護衛を出さねばならない」

「だから協力しろと?」

「五条係長の実力は相当なものと聞いている。異界の主を何体も倒しているそうじゃないか」

「へえ、それは凄いですね」

 事務所長が感心したように頷く。悪魔関係の知識があるのは間違いないようで、異界の主の強さも知っているらしい。

 しかし協力を要請された亘は渋い顔をする。

「それなら自分なんぞより、アマテラスが適任じゃないですか?」

「確かにそうだな。実際これまではアマテラスから人員を派遣して貰っていた」

「じゃあ……」

「ところがだ、最近どうしたことか人材不足らしくてね。警備に回せる人員確保が厳しいらしいが、どうしたことだろうねえ」

 思わせぶりな口調だ。そこに含まれた言外の指摘が分からない亘ではない。それでも、すっとぼけてみせる。

「いやー、どうしたんですかね。はははっ」

「シッカケの里の連中は現在も治療中だそうだよ。特に目に酷いダメージを受けた者もいるそうでね。幸い魔法で治るらしいが、普通なら失明したかな」

「……ええっと」

 亘は目を泳がせた。傷害で逮捕とか洒落にならない。ついでに後で詫びの贈り物も貰っている。あれは収賄にあたるのだろうか。もしそうなら非常に拙いではないか。

「別にそれを責めるつもりはない。異界の中で起きた事件は管轄外なのでとやかく言う気もない」

 ホッと胸をなで下ろす亘に対し、正中は捕まえた獲物で遊ぶ猫のような顔をする。

「五条係長が協力してくれればね」


◆◆◆


 事前情報万端で交渉の場に臨んできたキャリア相手に、亘如きが勝てるはずもない。最後の砦であった、仕事が忙しいの台詞も事務所長に粉砕されてしまう。

「職場の皆さんには、私が研修をムリに押し付けたと説明しましょう。何日ぐらい必要ですかね」

「それでしたら、コンポトン大使の来日日程の三日程度でいいでしょう」

「じゃあ、そうしておきましょうか」

 事務所長と正中が決定事項として話している。もう逃げられない状況と分かって、亘は頭を切り換える。

「研修扱いなら、協力に対する報酬は無いですよね」

「無い。まあ旅費ぐらいはNATSから支給しよう。ただし、旅費規程に則った額だがね」

「旅費って基本赤字なんですよね……ないよりはマシですけど」

 公務員の出張はきちんと管理されており、宿泊費も移動費もそれを証明できるものがなければ支払われない。大昔のようなカラ出張など不可能だ。しかも宿泊費は安価な規定額が支払われ、移動は安価となるルートが調査された上で支払われる。

 普段なら自宅ですませる食事も全て外食となり、細々とした買い物も発生する。つまり研修などに行くと出費が痛いのだ。

「それはそうと、万一失敗しても不問にして下さいよ」

「やれやれ、やる前から失敗することを考えるのか。もっと前向きに考えたらどうだね」

「性格ですから。それで、どうなんですか」

 問いただす亘の前で正中は苦笑する。それは、些細なことで大袈裟な心配をする子供を宥めるような笑いだ。

「もちろん大丈夫だ。責任を取るのが私の仕事だと考えている」

 その言葉は亘の心に響いた。


 つい先程、直属上司から言われた言葉と真逆なのだ。同じ課長でも何もかもが違う。それが真実かどうかは分からないが、真面目に取り組もうという気にさせられる。

「じゃあ、仲間に声をかけて戦力を増強しましょう。それはいいですか」

「人数が多い分には構わない。むしろありがたいぐらいだ。うちからも人員を出すが、『デーモンルーラー』を使えるのは長谷部と、もう一人だけだがな」

「戦力的にアテにできますか?」

「ついでに鍛えてやってくれ、としか言えないな」

「なるほど。それじゃあ、ついでに鍛えますか」

 正中が足を組み直しながらニヤリと笑ってみせた。

「長谷部がこぼしていたが、随分と厳しいそうじゃないか」

「厳しい? そんなことありませんよ」

「五条係長に鍛えられた長谷部は、あれでうちで一番の戦力になった。できれば、他のメンバーも思いっきり鍛えてやって欲しいものだな」

「はははっ……思いっきりですね」

 そして事務所長と正中は雑談を続ける。どうやら久しぶりの親交を深めているらしい。邪魔する気もないため、亘は事務所長室を辞した。

 頼られ嬉しい亘は気分良く歩きだしたが、しかし数日留守準備のためやらねばならぬ仕事量に思い至り、深々とため息をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る