第131話 衝突時の安全な姿勢

――初日。

 亘は駅前のロータリーに佇み、人待ち中だった。一応研修扱いのため、背広にネクタイ姿をしている。

 まだ日が出て少しの朝方で、早朝の空気には涼しさが混じっていた。けれども陽射しは早くもジリジリ照りつけ、暑くなりそうな予感だ。世間的には夏休み期間とあって、大荷物を抱えた者たちがゾロゾロと駅構内へと吸い込まれていく。きっと、これから楽しい旅行なのだろう。

 それを羨ましげに見ていた亘だったが腕時計に目を落とした。予定の時間まで、まだ余裕がある。例によって世話焼きピクシーな神楽に早くから起こされ、口うるさく身だしなみやら心構えを説かれてしまったのだ。ここで所在なげに待つ時間があるなら、その分だけ寝ていられただろう。


 軽く欠伸をしてロータリー脇に佇みながらボンヤリする。

 こうして一人で待っていると、自分が置き去りにされ皆だけ行ってしまったのではないか不安になってしまう。バカバカしいと思うが、けれど過去に職場の旅行でそんな目になったことがあるので、あり得ないことではない。

 気を取り直し、待ち合わせ中の人に紛れないよう背筋をピンと伸ばす。

「まず七海は来られないんだよな、うん」

 残念なことだが、コンポトン大使の訪日日程と都合が合わなかった。なんでもグラビア関係のファンサービスイベントがあるそうで、それを告げる声は電話の越しでも分かるぐらい憂鬱そうだった。

 本当は人前に出るのが苦手な七海だ。大勢の人の前に出るイベント活動は辛いことなのだろう。とりあえず励まし元気づけておいた。

「あとチャラ夫も来ない」

 こちらも不参加だ。なんでも就職の内定を貰ったとかで、その事前研修に行くそうだ。それを告げる声は電話越しでも分かるぐらいハイテンションだった。

 調子にのっている様子も伝わってきた。とりあえず、卒業できないと台無しだぞと水を差しておいた。急にローテンションになったので、かなり危ないらしい。

「来るのは……」

「五条はん、お待っとさんやで」

 怪しい言葉使いにホッとする。ようやく同行者が来てくれたのだ。


 振り向くと、ポニーテール風に髪をまとめた少女が明るい笑顔で歩いてきた。Tシャツにデニムのショートパンツ姿と、女子高生時代しかできない格好をしている。この金房エルムは亘と同じデーモンルーラー使いにして七海の親友である。

 そして今回の協力者だ。

「やあ、よく来てくれたな」

「いやーん、五条はんとお泊まり旅行なんて、ウチ今からドキドキですわ」

「ちょっ、変なことを大声で言うな」

 エルムが恥じらうように、両手を頬にあて大声をあげた。そんな事実無根のデタラメに亘は大いに慌ててしまった。

 なにせ傍から見れば年齢差の大きい両者で、背広姿の男と見るからに女子高生といった少女の組合せである。塾の講師か学校の教師が教え子に手を出しているように見えてもおかしくない。事実、周り見回せば不適切な関係ではないかと勘ぐられているのが分かる。

 焦っていたものだから、背後から突進してきた存在に気付けなかった。

「小父さん! 待たせたな!」

「うおっとぉ!」

 いきなり腰元にタックルをもらい、思わずたたらを踏んでしまう。

「俺が来たからには、もう安心だぞ」

 飛びついて来たのはキャップ帽姿の少女だった。

 スポーツシャツに半ズボン、これにキャップ帽をかぶっているせいか、中学生ぐらいの男の子にしか見えない。もちろん一人称が俺なのも原因だ。

 こちらは知り合いの忍者である藤源次の娘のイツキである。山奥にあるテガイの里から山を越え谷を越え町にやって来た。しかもその理由というのが、亘の嫁になるべく長老に指示されたという、かなりぶっ飛んだものだ。

 見知らぬ相手にエルムが訝しげな顔をする。

「なあ五条はん、その子誰なんや。ウチに紹介してな」

「初対面だったか? そうか……こいつは藤源次の娘さんでな。色々あって七海の家に居候しているが聞いてないか?」

「ああ、この子がイツキちゃんなんやな」

「テガイの里の藤源次が娘、イツキと申します。よろしくだぜ」

 諸事を省いた説明で紹介すると、ニカッと笑ったイツキがキャップ帽を取って丁寧に頭を下げてみせた。真似してエルムも丁寧に挨拶しだすが、どこか面白がっている雰囲気だ。

「ニシシッ、これはご丁寧に。ウチは金房家が一人娘のエルムと申す。以後、お見知りおきなすって」

「その名前知ってるぞ。ナナゴン……じゃなくて、ナナ姉から聞いてるぞ」

 とりあえず周囲からの疑惑の目は薄まっていた。これはイツキのおかげだろう。よく見ればTシャツの胸が膨らみ下着も透けて見えて――前は目のやり場に困る状態だった――女の子と分かるが、パッと身は男の子でしかない。

 なお亘は知らぬ事だが、娘と息子を連れ旅行に出かける父親に見られていた。


「良かったわ、全員揃っているみたいね」

 そこに、最後の待ち合わせ相手が現れた。長谷部志緒、自称エリートにして実態はお荷物の公安職員だ。悪魔やDP関係に携わる仕事をしており、その関係で知り合ったが偶然ながら亘の仲間であるチャラ夫の姉である。レディーススーツを着た姿はドラマの女主人公的雰囲気があるが、実体はまるで違う。

「エルムさん、お久しぶりね。それから、そちらは藤源次さんの娘さんのイツキちゃんかしら、初めまして」

「志緒はん、おはようございます。よろしゅうお願いします」

「イツキだ。お世話になるぜ」

「うふふ、元気がいいわね。それじゃあ、行きましょうか。車は向こうよ」

 敬礼してみせるエルムに微笑み、志緒はスタスタと歩き出した。できる年上のお姉様ぽい態度だ。無視されてしまった亘は追いかけ横に並ぶ。

「おいこら、人を無視するな。失礼だろうが」

「煩いわね、早くしないとコインパーキングの無料時間は短いのよ」

「あのなあ……駐車料金ぐらい経費で出ないのか」

「申請が面倒なのよ。だから自腹よ」

 素晴らしくみみっちいことを言って、志緒の化けの皮は一瞬ではがれた。やはりチャラ夫の姉だとよく分かる。


◆◆◆


「いいか、シートベルトは腰骨にしっかり当て、衝撃に備えて足を踏ん張るんだ。首に力を入れ、頭はヘッドレストに押し付けておくんだ」

 助手席に座る亘は後部座席へと、衝突時の安全な姿勢を命じた。

 その理由は志緒の運転にある。乗車前から嫌な予感がしていたのだ。なにせ車体のあちこちに衝突痕や擦った痕があるなど、駐車場にあったら絶対隣に駐めたくないタイプだった。

「失礼ね。私は事故なんてしないわよ」

「前、前を見ろぉ! 赤信号だ止まれ! ああっバカ、なんで交差点の真ん中で止まるんだ。早く動け!」

「止まるか動くのか、どっちなのよ」

「お前が運転手で、お前が決めることだろ!」

「だったら、黙ってよね。気が散るでしょ」

 かなり恐い思いをして、街中を走行していく。周囲からクラクションを何度鳴らされたことやら。

 あげく下手な運転手にありがちな行動パターンで、わざわざ狭く通りにくい道へと突進していく。そう、突進だ。すれ違える場所を無視して突き進み、わざわざ一番狭い場所で固まってしまうのだ。

 亘は対向車の運転手に頭を下げ拝んでみせると運転手の志緒に命じる。

「バックしろ、バックを!」

「なんで私がバックしないといけないのよ」

「お前がバックすれば皆が幸せになれるからだ!」

 後部座席の二人はグロッキー状態ですんでいるが、助手席に座る亘の消耗は果てしない。


 そんなスリル満点の運転でようやく郊外に出たが、グッタリ虚脱状態だ。愚痴がこぼれてしまう。

「もう嫌だ。アパート帰りたい」

「あら、うちのチャラ夫みたいなこと言うのね。いつも横に乗せると泣き言を言うのよ」

「こんな運転に乗せられて、あいつに同情するよ……」

 亘がポツリと呟くと、志緒が不満顔で睨んできた。しかし、横を向いたせいで車が車線の脇へと寄っていくではないか。おかげで、またしても声を張り上げねばならない。

「だから前を見てくれ、前を。なんで視線の方向に車が逸れるんだ、お前バカだろ」

「貴方が余計なこと言ったせいでしょ! バカとか失礼な人ね。バカと言う方がバカなのよ。バカバカ」

「……頼むから前を見てくれよ。ほら右、右に寄れ。このままだと縁石に擦る。パンクする! アホー!」

「煩いわね。ちょっとズレただけじゃないの」

 ぶちぶち言いながらも、自分でも拙いと思ったのか志緒はようやく前をみて運転をしだす。それで亘も戦々恐々としつつ、少しだけ安堵した。

「あのな。こういう場合は、運転手付きの送迎車が来るもんじゃないのか」

「だから私が来ているじゃないの」

「まともな運転手だ。そもそも、この車は私用車だろ。公用車はないのか」

 前にキセノン社の送迎に来てくれた高級車とまでは言わぬが、せめてまともな運転ができる人に来て貰いたかった。

「NATSは予算不足で人員も足りないのよ。仕方ないじゃないの」

「だからってなあ……」

「でもね、今回のコンポトン大使との会議次第で、それが改善されるかもしれないのよ。うちの職場じゃ、みんな上手くいくのを願っているわ」

「会議次第か、DP飽和対策の会議だったな」

「そうよ。お偉方に危機感を持って貰えれば、予算も回ってくるかもしれないわ。NATSの全員が期待して、張り切ってるのよ」

 そんな志緒の言葉を聞いてしまうと、亘は別の意味で不安になる。なにせ、予算要求の資料を徹夜までして作成している身分なのだ。そんな末端職員の苦労など関係なく、偉い人への根回しだけで配布予算が決まるのだとしたら……。

「勘弁してくれよ」

 亘はウンザリした顔で深々とした息を洩らした。

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