第132話 乗り物酔いは辛い

「ところでなんですけど、これからの予定。どないなっとりますか」

 後部座席からの声だが、いつものような明るさや元気さはなく、弱々しかった。

「そうね、全体の流れとしては今日はNATSの皆と顔合わせで、明日と明後日が実際に大使の護衛ね。それと今日は異界で訓練とか聞いてるわ……」

 志緒はバックミラーをチラッと見ながら答える。郊外の二車線幅広の直線となっているため、よそ見されても多少は安全だ。ただし、こうした郊外の田畑が多い場所では、暴走軽トラが飛び出してくる可能性があるため油断はできない。

「正中課長が言ってたな。鍛えてくれってヤツか。そうか、本当にやるのか」

「ねえ本気でやらないわよね。大使の護衛もあるのよ、訓練でケガや疲労するのは良くないと思うでしょ。軽くやる程度にしましょうよね」

 以前、亘に鍛えられたことがあるため、志緒は極めて消極的意見を述べる。餓鬼の前に蹴り出してやった程度なのに、なにやらトラウマとか騒いでいるらしい。なんと軟弱なことか。

「そうだな。そこまで真面目にやる必要はないよな……面倒だからな。適当にやるか」

 他のNATS隊員までもとなると、何人いるか知らぬが全員面倒をみるのも大変だ。適当に異界に行って、一緒に戦闘してお茶を濁して訓練扱いだろう。

 そんなことを考えていると、後部座席から押し殺した声が聞こえた。

「ううっ、ぎぼぢ悪い」

「こらあかんで。志緒はん、車を止めてーな。緊急事態や、早ようせんと間に合わんなるで!」

「えっ? ええっ!? ちょっと、車内は止めて! 車内はっ!」

 志緒が周囲の交通状況も考えず急ブレーキを踏んで停車する。当然、後続車は猛クラクションを鳴らし追い越していくことになる。追突されずよかったが、しかし後ろの車も遅いからと煽ったりせず車間を取るべきだろう。


 シートベルトを外して貰い、イツキはよろめきながら車外に出ていく。後を追って亘も車外に出る。

「乗り物酔いか辛いよな。可哀想にな」

 草むらに向かい四つん這いとなるイツキを慰める。そうしながら観察してしまうが、半ズボンのお尻や背中も丸みがあって女の子らしい。太股も健康的に日焼けしたスベスベしている。

 ややあってイツキが辛そうに立ち上がるが、まだ顔色は悪い。

「ううっ、恥ずかしいとこ見られたぜ」

「気にするな。志緒の運転が下手なせいなんだ」

「そやで。確かに志緒はんの運転は、ちょっと……いんや、かなり酷いわ。ほい、これで口を濯ぎなれや。あと飲んだら、すっきりするで」

 エルムは近くの自販機まで走ってきたようだ。水のペットボトルをキャップの開け、差し出す。細やかな気遣いで、お尻を眺めてにやついていた亘とはえらい違いだ。

 礼を言って受け取るイツキは言われたとおりにしている。それで顔色が少し戻ってきた。濡れた口元を手の甲で拭いながら、弱々しく笑う。

「エルムさん、ありがとうございます」

「そんな他人行儀な呼び方せんで、ウチのことはエルやんとでも呼んでな。あと話し方もや」

「わかったぜ、エルやんありがとな」

 二人はすっかり仲良しで、そのコミュ能力の高さが羨ましくなる亘であった。


 強い日差しの下、のどかな田園風景を眺めやる。爽やかな風が吹き抜け心地よいが、そこに少しだけ秋の気配が感じられる。共に危機を乗り越えたせいか、奇妙な共感が生まれていた。しかし。

――ガリガリ。

 縁石をホイールで削る異音が背後で響き我に返ってしまう。目的地が近いことを祈りながら、三人はまた車中の人となった。


◆◆◆


 『帰りは電車』そんな言葉を胸に秘めつつ、亘たちは小さな公民館の入り口に立った。アスファルトからの照り返しもあって暑い。その熱を感じながら、生きて辿り着けたと安堵するのも、あながち大袈裟な感想でもないだろう。

 背後の駐車場で何度も前進後進を繰り返す軽自動車は見たくもない気分だ。メキメキとした音に振り向けば、植栽の茂みに車が突っ込んでいた。

「……先に行くとするか」

「そやな」

 玄関を入って直ぐにある横手の小部屋に管理人がいる。白髪の老人だが、呼び鈴を押しても面倒そうに一瞥しただけで、またテレビに目を向けてしまう。

「すいません。こちらの施設の使用状況を知りたいのですが」

 身を屈め小窓から尋ねると、管理人は愛想もなく壁のボードを見ろと言うだけだ。二F会議室の利用者に堂々とNATSの名があった。

 将来は公民館で管理人をやりたいと考えながら階段を上がっていく。


 会議室の古びた扉を遠慮がちにノックし、そっと覗き込む。

「失礼します」

「やあ、よく来てくれた」

 正中課長の姿を発見するが先日会った時と同じく黒いスーツをビシッと着こなしており、公民館備え付けのパイプ椅子で足を組んでいた。

 会議室には正中以外にも何人かの姿がある。まだ機材の設営をしており、ケーブルを持って走り回ったり机の位置を調整したりと忙しそうだ。少しだけ顔を向け会釈してくれたので、歓迎されてないわけではないらしい。

「はあ、ちょっと疲れたんな。ウチはちょっと休ませて貰うわ」

「俺もだぜ」

 エルムとイツキは手近な椅子に腰を下ろすと、若さに似つかわしくない様子でグッタリしてしまった。

「おや、お疲れかな」

「そりゃそうですよ。あの運転……本当によく辿り着けたって気持ちですよ。もっとマシな迎えはなかったんですか」

「みんな忙しいんだ……それに君らも、顔見知りの方が嬉しいだろ」

 亘の嫌みに対し、正中はついっと視線を逸らしてしまった。絶対こじつけに違いない。どうせ忙しい部下の中で、ミソッカスが送迎に派遣されたぐらいの理由だろう。

 バタバタと廊下を騒々しく走る音が響き、急に静かになる。そして、澄まし顔をした志緒が背筋を伸ばして入室してきた。

「ただいま戻りました。部外協力者を無事に連れて参りました」

「無事じゃないだろ」

 亘の呟きに志緒がムッとした顔で睨んできた。


 それを無視しながら室内を見回す。古びた公民館の、古びた会議室だ。天井の表面が剥がれかけ、床にはそれとおぼしき白い破片が落下している。窓枠サッシも歪み、場所によっては『開きません』との張り紙がしてあった。涼しい空気を送り出す業務用の冷房は古びたものだ。

 そして折り畳み机が並べられ、配線むき出し状態のPCが何台も設置されている。壁際のホワイトボードには時系列に予定行動が記載され、完了した部分に赤チェックが入れられていた。

 正面の壁にA3用紙を縦に貼り合わせ『コンポトン特派大使護衛任務対策本部』との墨書があるが、なかなか達筆だ。

「どう上手でしょ。私が書いたのよ」

 視線に気付いたのか、志緒が得意そうな顔で自慢した。きっと皆が忙しく動き回る部屋の隅っこで、一生懸命習字をしていたに違いない。感心するより、まずそんな感想が先に立つ。

「なあ本部とあるが、ここがNATSの仕事場だとか言わないだろな」

「そんなわけないでしょ。あくまで、ここは今回用の対策本部よ」

「なるほど……」

 設営中なのでそれはないだろうが、予算不足のNATSなら案外その可能性もあるかもと思ったのだ。当然違ったわけだが、それでも仮とはいえど公民館の会議室は無いだろう。こんな貧乏所帯が本当に国の悪魔対策機関でいいのだろうか。

「まさか夜もここで寝泊まりじゃないだろな」

「あなたねえ、NATSを何だと思ってるのよ。ちゃんとホテルぐらい予約してあるわよ」

「そうか。良かった……もう会議室で雑魚寝とか勘弁だからな」

「もうって?」

 聞き咎めた志緒が眉を寄せる。それに対して亘は肩をすくめて見せた。正中は設営で呼ばれており、エルムとイツキはグッタリ椅子に座り込んだままだ。

「うちの職場だと、よくあるんだよ」

「そういえば、あなたってあの省庁勤めだったわね。噂に違わぬ酷さみたいね」

「他の省庁でも噂になってるんだ」

「でも、どこだって似たようなものよね」

 二人揃って肩をすくめてしまう。行政組織の現実として四十代以上の職員が七十%という省庁もあり、あと十年か二十年後の大量退職時代を経た後にどうなるか不安しかない。

 そんな雑談をしていると、正中課長が戻ってきた。それで志緒が口を閉ざし背筋を伸ばすが、そこだけ見るとキリッとした刑事ドラマのヒロインのようだ。

「すまない、待たせた。さて確認させて貰おう。そちらの二人の名前とレベルを教えて貰えるか。ああ、疲れているだろうから座ったままで構わない」

 そうは言われても座ったままでもいられず、エルムが立ち上がりイツキも続く。

「はいな。ウチは金房です。レベルは12で十八歳です」

 エルムが名前とレベルを告げる。緊張しているのか余計な年齢まで告げており、正中課長は苦笑した。なお、同時期にレベル1だった志緒がギョッとしている。

 たははっと照れ笑いをあげるエルムの後を受け、イツキも挨拶する。

「俺は使用者じゃないかんな。テガイの里が藤源次の娘、イツキ。十六歳だぜ」

「おや、あの藤源次の娘さんなのか。そうか、それなら安心だ」

「藤源次を知っているんですか?」

「無論だ。私もまあ……アマテラスとは多少縁があるからな。その伝手もあって藤源次氏には、いろいろと助けて貰っているのだ。なにせ、あの人はアマテラスでも有数の実力者だからな」

「なーる。藤源次はんってば凄いんやな。そうなると、イツキちゃんも凄い強いんか」

 こう見えてイツキは対悪魔の忍びとして鍛えられてきた。その実力はテガイの里の次代を担う若衆の精鋭に数えられるほどだ。実際に亘も鍛錬用の異界で戦う姿を見たが、なかなかのものだった。

「当然だぜ! この俺の実力を見せてやる……でも今は少し休む」

 イツキは得意そうな顔をして拳をあげたが、またすぐグッタリした。まだ乗り物酔いのダメージが抜けきっていないらしい。

 そんな様子に正中は微笑ましそうに満足げな顔をしていた。

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