第133話 組織は違いますけど

「さて五条係長のレベルも教えてくれるか」

「レベル30です」

 亘が答えた途端、室内が静まった。設営中の職員の動きが止まり物音が途切れたせいで、静けさが強調されている。電子機器や冷房機器のたてる駆動音だけが響く状態だ。絶句した正中がまじまじと亘を見つめ、それから傍らの志緒へと目をやる。

「……長谷部係長。私には彼がレベル30と言ったように聞こえたが、君はどうだね」

「ええ私にも、そう聞こえました」

「そうか……」

 腕組みをした正中課長だが、そわそわと室内を歩きだす。志緒は額に手をやり、項垂れ頭を振っている。他の職員たちもようやく作業を再開するが、皆がちらちらと亘を気にしている。

 何だか拙いことを言ってしまったかと、亘は落ち着かない気分となった。エルムとイツキの二人は不思議そうに首を傾げている。

「あの何か、おかしなことでも?」

「何かではない! どうやったら、そこまでレベルが上がるんだ。どう考えたって、おかしいだろう!」

「いや別に普通に毎日異界に行ってですね、普通に悪魔と戦って、普通に異界の主を狩れば上がりますよ。特に大したことしてないですから」

「そこ待てい! どこが普通だ。毎日異界という時点で、既におかしいだろうが! それに異界の主が普通に狩れるものか!」

「課長落ち着いて下さい。この人はこういう人なんです」

「むっ……すまない。すこし動転してしまった」

 荒い息の正中は志緒に宥められ我に返った。咳払いして取り繕っているが、思ったより感情的になりやすいタイプかもしれない。

 そんな正中は腕組みすると、ブツブツ呟きだす。

「ワーカホリックが別ベクトルで発現すると、こうなるか……面白い。うちのメンバーの何人かで試し……いや連中の性格では無理か」

 仕事中毒扱いされた亘だが、異界に行くのはあくまでも趣味だ。もし決められた内容で決められた時間を戦えと言われたら、きっと行きたくなくなるだろう。忙しい仕事の合間を縫って行くからこそ続くものだ。

「……すまない。少し考え事をしてしまった。いいだろう、君はレベル30だ。よし、分かった納得した。納得しよう」

「そんな何度も納得しなくても……」

「さて、そのレベルなら尚のこと、うちの戦闘班を鍛えてやってくれないか」

 正中の言葉に志緒が泡をくう。さっと顔を向け押し掛けるように迫る。

「待って下さい、課長! お言葉ですが……本気で五条さんに訓練を依頼するつもりですか。私は絶対に止めておいた方がよいと思います」

「なんだね、何か問題でもあるのか」

「ですからその……少々厳しすぎなんです」

「厳しくない訓練などないだろう、君は何を言っているんだ」

「だから、そういう意味の厳しいではなくてですね……」

「いいか、我々は国の悪魔対策機関だ。民間の従事者に負けぬよう、戦力アップはどうしたって必要なんだ」

「せめて、せめてアマテラスに頼んで鍛えて貰った方が……」

 言いにくそうな志緒は意味深にチラッと亘を見る。まるで一緒に行きたくないとでも言いたげで、亘は少し傷ついてしまった。

 しかし正中は裁断をくだす。

「この折角の機会を逃すわけにはいかない。それにだ、今回の仕事にあたって連携をとらねばならないだろう。お互いの動きを知るためにも、事前訓練は必要だ」

「でも、しかしですね……」

「つべこべ言わないで早くなさい。時間は有限だ」

「……はい」

 正中の言葉に志緒は項垂れてしまった。


◆◆◆


 志緒が案内され、廊下を挟んで向かいの会議室へ向かう。

「あっちは事務系で、現場系メンバーはこっちなのよ」

 冷房が良く効いており、扉を開けるとヒンヤリした空気が流れてきた。中には折りたたみ会議机を囲み、銃器具らしき装備を手入れする四人の男と一人の女の姿があった。

 扉が開くと一様にギクッと振り向くが、相手が志緒と見るなりホッとする。その中の女性がキツメの声をあげた。

「長谷部係長、入る前にノックしてくれますかしら」

「あら、ごめんなさい。そんなにビクビクしているとは思わなかったわ」

 そんなやり取りだけで、女性と志緒との関係が分かってしまう。ギスギスした言葉通りの関係で間違いない。なんだか先が思いやられる。

 亘たちが自己紹介をすると、男性陣から歓声があがった。

「イツキちゃんに金房ちゃんか」「やっと女の子だ、いいね華やぐ」「オジサンたちに任しとき、しっかり面倒みたるから」「ふぉーっ現役女子高生!」

 男性メンバーには亘の存在は認知されていないらしい。そのテンションが高くメンバー同士が和気藹々としている様子に、この中に溶け込むのは無理だと亘は端から人間関係の構築を諦めてしまった。

「ちょっと。あなたたちバカ言ってないで、自己紹介なさいよ」

 志緒が叱責するが、それについてはもう一人の女性も同感らしく頷いている。

 それで慌てて男性陣が起立して自己紹介をしだす。それはエルムとイツキに対してだけのもので亘のことなんて蚊帳の外だ。

 拗ねた亘は、どうせ数日間だけの付き合いだからと適当に聞き流した。

 そうはいえど、経歴だけは耳に入ってくる。どうやら男性陣は防衛隊からの出向組らしい。寄せ集めになるかもしれないが、異界適性があるなら訓練の下地が出来た防衛隊員を組み入れた方が手っ取り早いのは確かだろう。

 続いてキツメな顔の女性が自己紹介してくれる。

「私は桃川よ。長谷部さんと同じ係長で、戦闘班の班長もしてるわ。よろしく」

 どうやら志緒と同様、生粋のNATS職員らしい。こちらは亘に向かって自己紹介してくれるが、代わりに自分より若い女子高生たちは無視している。

 相手をして貰えた亘は嬉しくなり、友好的態度で挨拶を返した。

「これはどうも。自分もですね、組織は違いますけど同じ公務員で係長してますよ。よろしく」

「あらそう。でも私は本省庁直轄人事ですから、あなたと同じ階級とは言えないわね」

 若干の侮りの笑いを浮かべながら、桃川がビシッと言ってみせた。

 同じ公務員のノンキャリ職員でも、本省庁と地方事務所では格が違う。一概には言えないが、本省庁係長なら地方事務所の課長級の扱いになるのが一般的だ。もちろん、給料もそれに応じる。

 そんなことを態々指摘するとは、どうやら面倒くさいタイプの性格らしい。亘はこの桃川という女を嫌いになることにした。


 桃川がジロジロと下から上まで亘を眺めやり、特に顔をジッと見つめてくる。そして突拍子もないことを言いだした。

「ところで……あなたが長谷部さんの彼氏なの」

「はあ? いきなり何を」

「あら、結婚を前提に付き合ってるのでしょ。そう聞いてるけれど、違うのかしら」

 そんな桃川の問いを受け、亘がゆっくり視線を向けると志緒が真っ青な顔をしていた。どうやら何かあるらしい。それに気付かないほど、空気の読めないバカでもない。適当に話を合わせておき、恩を売って後で回収するべきだろう。

 なお、何か騒ぎかけたイツキの口はエルムが素早く押さえている。

「それが何か?」

 すると桃川は値踏みするように、亘の全身を上から下までジロジロ見る。なんとも嫌な気分だが平然としておく。

「ふーん。この人がねえ」

「桃川さん、その話は別にいいじゃないの。それよりね、ほら訓練の話をしましょうよ、ね?」

「あらあらあーら、長谷部係長ったら慌てちゃって。彼氏がパッとしないからって、恥ずかしがらなくたっていいじゃないの。おほほほっ」

「…………」

 桃川は手の甲を口にあて高笑いをあげるが、冷たい目をする亘の様子には気づいていない。

 焦る志緒が何か言葉を紡ぎだす前に会議室のドアがノックされ、NATSの女性職員が顔を出した。

「桃川係長、課長がお呼びです。よろしいですか」

「あらそうなの、何かしらね。ちょっと失礼するわ。後で詳しく聞くから覚悟しておきなさいね」

 桃川は勝ち誇った顔で部屋を出て行った。それを見送った亘だが、今度は凶悪な笑みを浮かべ怯えた小動物のような志緒に視線を向けた。

「さて、どういうことか説明してくれるかな?」

「あのその、つまりね……てへっ」

「舌を出したって似合わないぞ、年齢を考えとけ。あと、エルムも真似するな」

 エルムの舌出しポーズは可愛いが、今はそれを愛でる気分ではない。桃川のせいで気分は最悪に近い。言われた内容は事実だとしても、それを許せるかは別なのだ。


「まあまあ、そう怒らずに。事情は私どもが説明しましょう。何故に、五条さんが長谷部係長と付き合っている話になっているか、をね」

 不機嫌となった亘を男性陣が宥める。横で慌てる志緒なんてお構いなしだ。

「ちょっ、ちょっと! 私は別に嘘なんて言ってないんだから。本当なんだから、この人と結婚を前提に……」

「長谷部係長。悪いですけど、それ職場のみんなにバレてます。気付いてないのは、桃川係長とあなただけですから」

 必死な志緒の前で男性陣が揃って頷いた。

「う……そ……」

 志緒は青い顔をさらに青ざめさせ、ヨロヨロと後退っていく。エルムとイツキがパイプ椅子を用意してやると、倒れ込むようにドサリと座り虚脱してしまう。真っ白に燃え尽きたプロボクサーのようである。ただ、その顔にはやり遂げた感もなければ、満足感もなかったが。

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