記念SS第8話 紙の放つ香り

「いくら何でも食べ過ぎだろ。はい、もうお終いだ」

「そんなことないよ、ボクまだ食べられるもん。返してよ」

 菓子の袋を取り上げられた少女が思いっきり不満の声をあげた。明るさと元気さのある顔が口をへの字にして睨んでいるが、それはそれで可愛らしい。

 取り返そうと両手を伸ばした頭を巨大な指が押さえ込む。ジタバタと暴れるが、ぴんっと叩かれると小さな悲鳴をあげ尻餅をついてしまった。

 袖の大きく膨らんだ白い衣装には刺し縫いのような赤いラインが入り、胸に載るように赤い胸紐がある。倒れた拍子に緋色のスカートが腿までめくれ上がると、健康的な太股が見えていた。

 少女は気付くなり頬を染め、慌ててスカートを整えた。女の子座りしながら両手を足の間に挟み込み、巨大な相手を非難の目で見上げる。

「今さ、ボクの下着見た?」

「見てない」

「見たよね」

「……見てない」

 少し口ごもった相手は誤魔化すように巨大なスナック菓子の袋を傾け、残りを全て食べてしまう。

「あーっ、そんなの酷いや」

 それで少女は絶望の声をあげ、よよっと泣き真似をした。すがってみせたのは、巨大なペットボトル――つまり、周りが巨大なのではなく少女の方が小さいのであった。

 神楽。それが少女の名前だ。

 巨大と見えた存在の五条亘と、『デーモンルーラー』と呼ばれるアプリで契約した悪魔である。背丈は小型ペットボトルより小さいぐらいしかない。

 そんな両者だが契約によって結ばれているにしては、少々雰囲気がフランクで砕けている。今のやり取りをみても分かるように仲が良い。大きさで関係を推し量れば、神楽より亘が上のようだが実際にはそうでもない。

「ああもおっ、マスターってばさ。細かいのが、いっぱい落ちたじゃないのさ」

「うん? そうか? 見当たらないな」

「そんなこと言ってないでさ、ほら掃除機持って来て片付けるの」

「少しぐらいいいだろ。それに、どうせ週末には掃除するんだ」

「ダーメ!」

「小うるさいやつだな……」

 ぶつぶつ言いながら亘は、のそりと立ち上がり掃除機を取りに押し入れへ向かう。どうにもダメ男と、それを再教育しようとする女の子のような関係に見え、実際それはそうなのだ。

 神楽は背に煌めく羽を生じさせ飛び上がる。それで宙を漂うと、両手を腰にやって呆れ顔だ。

「まったくもう、マスターときたらさ。お菓子を独り占めするし、ボクの下着を見るし、掃除を面倒くさがるわでさ。ダメダメなんだからさ」

 とんだ言葉に亘は振り向いた。

「おい風評被害も甚だしいな。少なくとも、菓子は神楽が食べ尽くしたし、掃除だってこうして準備してるとこだろが」

「へえ、そんじゃあさ。ボクの下着を見た件は、どなのさ」

「……掃除機、掃除機っと」

 そそくさとした動きで、亘は掃除機を押し入れから取り出した。

 やれやれと頭を振った神楽だが、掃除機の電源コードが引き出されると飛んでいく。それを肩に担ぐとコンセントへと突進してみせた。


◆◆◆


 亘は夜の街を移動する。

 周囲は煌々とした人工光で満ち明るい。道の脇ではLEDの外灯が強い光を放っているし、コンビニなどの商店は目映い光を漏れさせている。行き交う車のライトは眩しく、中には規則は守るが空気の読めない運転手がハイビームにして走行していたりもする。

 そうした光のあるおかげで、足下に不自由なく夜道を不安なく歩くことが可能だ。とはいえ、少し眩しすぎる気がしないでもない。

「んーっとね。そこの道路の真ん中のさ、草がある辺りだよ」

 亘の懐から神楽の声が響く。

 これは単なる夜の散歩ではない。異界と呼ばれる、悪魔が巣くう場所を探し歩いているところだ。

「植栽帯の中か、ここは交通量も多いから無理だな。次を探してみよう」

「そだね、ちょっと遠くに反応があるかも」

「ちょっと待ってくれ、メモしておくから。ここは『×』っと」

 亘は外灯の下で手帳を広げた。

 そこには、『いつもの通り道のポスト横○』、『美味しくない店の裏△人多し』などと、他の人が見ても意味がさっぱりの内容だ。暗号を気取るわけではないが、誰にも見せるつもりがないので問題ないだろう。

「でもさ、こんなのんびりできる夜なんてさ。久しぶりだよね」

「そうか?」

「だってさ、いつも異界の中で戦闘じゃないのさ。こんな風に歩くなんてないもん。でもまあ、それも異界を探してなんだけどさ」

「こうやって、狩り場を探してストックすることも必要だからな」

「やっぱしさ。結局は、そーゆーことなんだよね。ほんと、マスターときたら戦闘大好きなんだからさ」

 懐の中から聞こえる声に、亘は憮然とした。まるで人を戦闘民族に決めつけたような言葉ではないか。

「失礼だな。仕事で自由になる時間が少ないんだ。少しでも時間を有効に使えるよう、考えているだけだ。戦闘も異界探しも、やれる時にやる。つまりオンとオフを大事にしているってことだぞ」

「ふーん。あーそーなの」

「信じてないだろ」

「信じてますよーだ」

「やっぱり信じてないな」

 夜といえど、そこそこ人通りがある。仕事帰りのサラリーマンや、塾に向かうのか帰りなのか分からない子供、夜のお仕事系の雰囲気を漂わせた女性。目的のない足取りのカップル。

 そんな中にあって、独りで喋るようにしか見えない亘の姿は浮いていた。夜なので酔っ払いに思われるかもしれないが、完全に危ない人だ。警戒して誰も近づこうとしない。

「おっと本屋だ」

「先に言っておくけどさ。そこってば、異界ないからね」

「だからな、人を何だと思ってるんだ……ちょっと寄ってくか」

 ぶつぶつ良いながら本屋へ足を向ける理由は、さっきから戦闘以外に何も考えてないような扱いをされたせいでもある。

 そんな寂しい人間ではないと、ちょっとばかり行動で示したかったりする。


 店内で深々息を吸い、紙の放つ香りを堪能する。

「久しぶりだな」

 本屋を訪れることは十年とまでいかずとも、それに近いぐらいの久しぶりだった。子供の頃に感じた、本屋に来れば何かあるに違いないといった期待感が込み上げてしまう。

 もっとも、まずは昔の癖でマンガ系の雑誌に行ってしまうのだが。

「これ、まだ連載していたのか」

 大好きだった作品が表紙を飾っていた。

 亘が学生の頃でさえ、既に総集編が何冊も出ていたぐらいの作品だ。完結したら大人買いしようと思ったまま忘れていたが、まだ連載していたらしい。なんだか古い友人と思わぬ場所で遭遇した気分だ。

 手にとってパラパラ眺める。

「なんと、巨大化するようになったか。ほう、エクシードだと……」

 嬉しくなって感嘆の声をあげていると、横で立ち読みしていた青年にジロッと睨まれてしまった。

 それで気付く。

 どうやら、神楽に話しかける調子でかなり独り言を呟いていたらしい。

 急に周囲から非難される気分になってしまい、雑誌を棚に戻す。来たばかりであったが、そそくさ本屋を立ち去ることにした。もちろん即座に出口に向かっては、なんだか逃げ出すようなので、気にしてないフリをして棚の間を軽く巡ったりしてみせる。

 そんな途中。ふと、レジ近くの一番目立つ平台に注意が引かれてしまった。

 そこにあるのは、可愛らしい女の子たちが何人も集結した写真集だ。けれど華やかな女の子たちなど縁がないもので、興味を持たぬよう目を逸らそうとする。だが、どうにも気になってしまう。

 近寄って眺めてみることにした。

――ん、んー? おおそうか。

 今度は声をあげず、ぽんと手を叩いて納得した。

 人は視界に入った物全てを情報として得ているが、通常は焦点が定まった部分のみを明確に知覚している。けれど、それ以外の部分も知覚しているわけで、だからこそ『注意が引かれる』ことや『ふと気付く』といった事象が発生する。

 この場合もそうだった。

 無数に並ぶ本の表紙から知り合いの顔を見つけ出し、その情報を無意識の領域を通じ注意喚起を促していたのだろう。つまり、写真集を飾る女の子たちの中に知り合いの姿があったのだ。

 他の子が賑やかしげな笑顔を見せる中で、ふんわり穏やかな笑みをしている少女の姿に納得した。

「なるほどな」

 またしても呟いてしまい、そろそろ本格的に独り言が癖になっていそうだと戦慄してしまう。その時、店の入り口のドアが開いた。

 誰かが走ってくるが、忙しないパタパタとした足音だ。そのまま、亘が表紙を眺めていた写真集に手を伸ばす。

「あったあった。超良かった……って、先輩じゃないですか?」

「水田君じゃないか」

 職場で隣の席に座る後輩の登場に、亘は驚きを隠せなかった。

「奇遇ですね。あ、もしかして、これを買いに来たんですか?」

「いや、別に……」

「もー、隠さなくてもいいんですから。先輩も隠れファン? ちなみに僕の一押しはナナみんですけど、ナナみんは知ってますよね」

「一応はね」

 頷いてみせる。なにせ一緒に異界に行った仲で、最近はアパートに来たことだってある。もちろんそれを、口にしたりはしないが。

「やっぱ可愛いでしょ。僕ね、ナナみん関連のグッズは漏らさずゲットしてるんですよ。凄いでしょ」

「漏らさずって、全部なのか?」

「当たり前じゃないですか。僕らファンが買い支えてこそ、彼女たちは光り輝くってもんなんです」

「ふーん。あーそーなの」

 なんだか、どうでも良い気分だ。

「先輩も応援のためにも是非買ってくださいよ。こういうのって、ファンが買うことで次に繋がるんですから。それではっ!」

 水田は軽い足取りでレジに向かった。

 彼女と同棲中のはずだが、相手はこのアイドル趣味をどう思っているのか。まさか、エロ本を隠す中学生のようにこっそり所持しているのだろうか。それとも、一緒にファンという可能性もある。

 気にはなるが、なんにせよ他人事で関係ないことだ。

「ファンが買い支えてこそ光り輝くか……」

 亘は財布の中身をそっと確認した。


 本屋でもなんでも行ってみると新鮮な発見がある。いつも同じことをするばかりでなく、時にはこんな寄り道をした方が良いかもしれない。夜道を歩く亘は感慨深く頷いた。

「ねえマスター、今日はどうすんのさ」

 懐から神楽が声をあげた。どうやら退屈していたらしく、少し身を乗り出し気味に周囲を眺めている。夜なので誰も気付くまい。

「もうアパートに戻ろうかな」

「そだね、それが良いとボク思うよ。でさ、その荷物どしたのさ」

「いや別に」

 亘はギクリとして、手にしていた品を背後に隠す。本屋特有の薄い紙質の袋がシャリシャリした音をたてる。

「隠さなくたっていいのにさ。ナナちゃんの写真集でしょ」

 どうやら、すっかり聞かれていたらしい。もっとも、いずれバレるのだから遅いか早いかだけの違いでしかないのだが。

「今度会ったらナナちゃんに教えたげよっと」

「おいよせよ」

「どうしよっかなー。ボクおやつ食べたいなー」

「こいつめ。一個だぞ、一個だけだからな。だから余計な事は言うんじゃないぞ」

「どーしよーかなー」

 そんなやり取りを楽しみながら家路につく。

 小声で自分の懐に頼み込む姿は、やっぱり奇妙で怪しげなもので、人通りが減った夜道では殊更避けられるものであった。

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