第368話 悪魔使いというのも大変そうだ

 暗くなって聞く虫の音には、何やら風情がある。

「思ったよりも遅くなった。これは拙いな」

「そうですね。今頃イツキちゃんが、そわそわしてそうですね」

「やれやれ、おかずを少し奪われそうな気がするよ」

 車を降りた亘は軽く苦笑し、七海が回り込んで隣に来るのを待って歩きだす。

 機嫌が良いので、車の鍵のリングを指先に引っ掛けグルグル回す。ただし、調子にのって勢いをつけすぎ、うっかり飛ばしてしまう。

「あっ……」

 暗闇で捜し物をする苦労を想像して顔をしかめると、すかさずサキが走った。金色の髪を闇夜に靡かせ、鍵が落ちる前に掴んで回収して戻って来た。頭を撫でてやって受け取るのだが――サキは緋色の瞳を輝かせ見上げてくる。

 どうやら続けて遊んで貰おうと期待しているらしい。

 しかも尻尾を出してパタパタさせている。

 だが投げて取ってくる遊びをすると、サキは飽きないのできりがない。しかも興奮しだすと、途中のものを薙ぎ倒して突き進むので遊び場は選ばねばならない。何より足元は既に真っ暗だ。鍵を紛失すれば面倒になる。

 一番の問題は、これから夕食だ。どう考えても無理だ。

「また今度な」

「んっ……分かった」

 サキはガッカリして顔も尻尾も下を向いてしまった。それでも素直に従い、とぼとぼと歩く様子がいじらしい。思わず亘はサキを抱き上げ肩に担いだ。こうやって慰めてやる――のだが、今度は神楽が目の前をよぎる。それも恨めしそうな顔をしてだ。

「なんだ?」

「べーつーにー、何でもないもん。サキばっかり可愛がられてるとか、ボクとはちっとも遊んでくれないとか、ボクの出番がないとか、もちょっと優しくした方がいいっとか。そなこと思ってないもん」

「そうかい、思ってないのか。なんだ、少し気にしてたのにな」

「思ってるに決まってるでしょ!」

「えっ、なんだって?」

 態とらしく亘が聞き直せば、神楽は声なき声で叫びをあげ空中で地団駄を踏んで暴れた。仲良しだと七海は見ているし、サキは頬ずりして甘えている。

「そーいうとこが良くないの。もっとボクに優しくするべきだって思うの!」

「じゃあ夕食に肉でもあったら一つやろうじゃないか」

「貰うけど、そういうのじゃないの」

 怒る神楽が面白くてからかうが、あまりやり過ぎると怒らせてしまう。そろそろ噛みついてくる頃合いだ。どこまでぎりぎりに迫れるか、亘の挑戦は続いている。

 だが、その時であった。

「ちょっと良いかな」

 古宇多に声をかけられた。

 意外な相手に少し驚き会釈していると、亘は怒った神楽に耳を齧り付かれた。


「あー、耳は大丈夫かな。けっこう良い音がしていたようだが」

「ええ、まあ大丈夫です。痛くなるように噛んできただけなので」

「そ、そうか。悪魔使いというのも大変そうだ」

「普段は大人しい……大人しいのかな? ええまあ、大人しいですけどね」

 亘は誤魔化すように笑った。

 目の前の古宇多は四白眼しはくがんで、引き締まった顔や鍛えられた体躯もあって古武士と言った雰囲気がある。肝が据わっているらしく、不機嫌な神楽とサキに睨まれても殆ど怯みもしない。似合うなら南北朝期の大太刀に違いない、と亘は最大級に近い良い評価をしている。

「ところで今帰ったようだが、デートのお帰りかな」

「えーっと、まあ……」

「ほう、当たらずとも遠からずといったところかな」

 頭に手をやり目を逸らす亘と、にこにこする七海の様子を見て、古宇多は微笑ましそうに笑った。ただし迫力ある顔なので、獰猛そうな感じではあったが。

「少し話をしたいが、よろしいかな?」

「構いませんよ……ただ」

 言いかけた亘の袖がひかれた。七海が微笑んでいる。

「私は食堂に行ってます」

「そうか、先に食べておいてくれ」

「分かりました。そのようにしますから」

 少しとは言っても時間はかかる。

 相手が古宇多なので断るに断れないが、夕食を待っている仲間も気にかかってしまう。そんな逡巡があったところ、すかさず七海がフォローをしてくれて助かった。

「それでは」

 七海は古宇多にお辞儀して、亘には手を振って歩きだした。神楽が追いかけるが、途中で振り向いて舌を出してみせる。サキは暇そうに欠伸をして、近くの階段に座り込んだ。

「かくあるべし、と言いたくなる素敵な女性だね」

「ええ、とっても良い子ですよ。ところで、お話というのは?」

 亘は真面目な顔をした。

 この古宇多は防衛隊の実働部隊で中核を担う人物。それがこうして接触してきたには相応の理由があるだろう。しかも、周囲にはさり気なくだが古宇多の部下が立って人を近づけぬようにしている。

 立ち話と言っても内密に話したいのは間違いなかった。


「キセノン社の者と会ったと、正中から聞いた。議員や官僚の中にキセノン社に靡いている者がいるとの情報もだ」

 正中は信用できる相手として古宇多を選んだのだろう。

 話した事は正しい。この古宇多の性格や信条からして、キセノン社に靡くことは絶対にない。一方で話した事は正しくない。この古宇多は過激なのだから。

「それは事実で良いのだね」

「内容が事実かどうかは分かりませんが、相手はそう言ったのは事実ですよ」

「なるほど。正中はキセノン社のブラフかもしれないと言っていたが、しかし……」

「ないですね。間違いない事実かと」

「私もそう思う。正中は真面目だが、少々物事を難しく考えすぎる癖がある。そんなブラフなどあるものか。まったく度しがたい、どうしてくれようか。おっと、今のは正中にではなく肥え太った豚共に対してだよ」

 古宇多の顔が獰猛に歪んだ。

 そこにあるのは怒りで、豚と呼んだ相手にどういった感情を持っているのか想像は容易かった。同時に古宇多が何を考えているかも、やはり想像は容易だった。

 サキは肥え太った豚と聞いて、舌なめずりして辺りを見回している。こちらの考えも想像するのは容易だ。

「で、五条殿はどうしたい?」

 その問いは、どう思うかではなく、どうしたいかだ。

 ――これは非常に拙い。

 亘は眉を寄せた。

 たとえばチャラ夫が冗談めかして世紀末覇王を誘うような軽さはない。この古宇多は本気で言っている。しかも現場で活動している隊員達の支持も非常に高い。下手に賛同すれば巻き込まれる。一方で拒否すれば、それはそれで暴走されかねない。

 どっちにしても厄介な相手だ。

 もっとも厄介な点は、こうして話をしている時点で既に引き込まれているという点だろう。こんな場所で密談めいて会話していれば、誰だって勘ぐるだろう。そうすれば、なし崩し的に巻き込まれてしまう。

 これを何としても丸く納めねばならない。

 亘は保身の為に思考をフルに活用する。

「どうもしませんよ」

 まずは否定ではなく興味なさげに答えた。

「ほぉ? では獅子身中の虫を放置すると? 君には力があるのに?」

「確かに力はあります。それは自覚してます。ですけど、自分は元々どこにでもいる人間です。はっきり言って、他の人より優れた部分なんて思いつきもしない、しょうもない人間です」

 とりあえず自分を卑下しておくのがいいだろう。これで見限って、仲間にする価値が無いと思ってくれたら万々歳だ。だが、どうやらその気配はない。

 もう少し卑下すべきだろう。

「仕事をして失敗して怒られて愚痴を言う。悩み事は明日の天気や、何を食べるかといった程度。そんなどこにでもいる、ただの小市民なんです。だから、いきなり力を持ったからって世の中を憂いて、何かを変えようとは思いませんよ。少しもね」

 古宇多は目で問うように、真正面から亘を見つめてくる。

 他人と目を合わせることが苦手な亘には苦痛だったが、しかし今ここで目を逸らしてはいけない事は分かっていた。我慢して見つめ返すものの、瞬きが多くなることは仕方なかった。

 なおサキは古宇多を睨んで不機嫌そうだ。


「それは確かに、あれです。映画や漫画を読みすぎた人なら、ここで世の中を良くしようと青臭い理想を掲げて行動するのでしょうね」

 取りあえず、暗に古宇多の考えている行動を揶揄っておく。これで古宇多に少しでも距離をおかれ、仲間にしたいと思われなくなると良い。

 期待して待つが、古宇多の反応はない。黙り込んでいる。

「でも、そんな事をしても碌な結果にはなりません」

「そうかな? 私は世の中が綺麗になると思うのだがね」

「一人潰しても次が出てくるだけ。次を潰せば、また次が出てキリがない」

「ゴミはどれだけでもいるものだ」

「だから恐いのですよ」

 他人をゴミと呼ぶ古宇多はやっぱり恐いと思う。

 どちらかと言えば、これまでゴミのような存在だった亘としては、あんまり関わり合いたくない。

「そのゴミと呼ぶ相手を次々と潰していけば、潰す側は歯止めが利かなくなって、少しでも疑わしい者を潰したくなる。第三者から見れば方向性は違っても、どっちもゴミですよ」

「自分がゴミ……か」

 渋い顔で眉を寄せる古宇多の様子からすると、今のは言い過ぎたかもしれない。ちょっと距離をおかれる程度にはなりたいが、さりとて嫌われたいわけではない。人から嫌われる事は亘にとって恐怖でもある。

「うん、話が少し逸れましたね。だからどこぞの頭の良い風見鶏なんてどうでもいいんですよ。そんな連中は好きにさせておけばいい。そんな事よりも悪魔を倒しましょう。倒して倒して疲れたら戻って、大切な相手と楽しく食事をすればいい」

 手招きして呼びよせたサキの頭に手を置き撫でてやる。お腹を空かせているだろうに、こうして付き合ってくれる。だから一緒に食べる夕食が楽しいのは間違いない。

「君の言葉は惰弱だ。だが、それがいい」

「はい?」

「実にいい。その感覚が実にいい。そうだ戦うべき相手を見誤ってはいかんな、我々が戦うべきは悪魔なのだからな。目を覚ましてくれて感謝する、我が盟友よ」

 なんだか気に入られた。しかも悪化している。最悪だ。友達は欲しいが、盟友にはなりたくない。なんだか古宇多の距離感がおかしい気がして引いてしまう。

 亘はこっそり深い息を吐いた。

 サキも真似して息を吐く。何か楽しそうだ。

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