第189話 見習い証明
亘の手に一枚のカードがある。
「ふむ、これが忍者証明書か」
忍者館のカラクリ迷路をクリアした後に貰ったものだ。ただの厚紙に毛筆タッチのフォントが印刷されている。スタンプされた日付は規定位置を外れ、しかも傾いている。ポケットに入れておけば、きっといつの間にか消えてしまう代物だろう。
しかし亘はそれを大事に財布にしまい込む。
なにせ七海と一緒に行動してクリアして得た記念なのだ。大事にして当然ってものだろう。なお、七海もイソイソとカードケースの中に納めている。
「いいっすね。俺っちクリアできなかったっす。見習い証明書っすよ」
羨ましげに声をあげたチャラ夫の手にあるカードには、『修行不足』の文字が大きく記されていた。
「チャラ夫は、どこで引っかかったんだ?」
「薬草と毒草のパネルっす。見分けるヒントは部屋の中ってあったんすけど、でもどこにもヒントが無かったっす。んでもって、探してる間にタイムアップっす!」
嘆くチャラ夫の肩を叩き、エルムが呆れてみせる。
「一番最初のとこやないの、そりゃあかんわ」
「いやいや、でもヒントがないなんて詐欺っす!」
「ちゃんとあったんな。なあ?」
問いを投げかけられた亘と七海は揃って頷く。
「マジっすか、ちょっと教えて欲しいっす! このままじゃ気になって夜も寝られないっす!」
「大袈裟やんな……まあ、教えたるけど。ヒントがあったんは天井やで」
その言葉にチャラ夫を目を覆いながら項垂れてしまう。
「悔しすぎっす、全く気付かなかったっす」
「さてと、出だしにしてはええタイムやったんな。これなら、何回か挑戦すればトップの座も夢じゃない……」
「ほら次に行くぞ。他の場所も見ないと」
「そんな殺生な」
亘が歩きだすと、エルムは渋々と追いかけてきた。
残暑の園内に蝉の力強い鳴き声が響き、空を見上げれば鷹か鷲か区別はつかない鳥の姿が舞うように飛ぶ。爽やかな風が吹き何とも心地よい。
園内を巡り遊ぶのは楽しいもので、手裏剣を投げて景品を貰い資料館に入って展示を見ながら雑談をする。そしてひと休みで飲み物を買い、楽しく笑い合う。
楽しいという気分さえ分からないほど楽しい。
きっと多くの者が味わったであろう青春の喜びを三十代にして味わう。最初は保護者的な気分でいた亘だが、十代の少年少女に混じって楽しんでいた。
歳を重ねようとも、本当は人の心に年齢なんて関係ないのかもしれない。年齢を意識するからこそ年寄りじみてしまうだけで――そこにイツキが駆けてきた。
「小父さーん!」
呼びかけの声によって亘は自分の年齢を思い出させられ我に返る。自分が浮かれかけていたと気付き、心の中で注意し自制する。
「遅れてごめんだぜ」
「気にしなくたっていいさ。来てくれて、ちょうど良かったよ」
まさしくその通りだ。浮かれて馬鹿な事をしだす前に気付けて本当に良かった。
「そうなのか。何かするとこだったのか?」
「別にそうじゃないが。まあ……イツキはどうしてるか心配していたところだ」
「なんだ心配してくれてたのか。えへへっ」
イツキは嬉しそうに鼻の下をこすってみせた。
黒の忍び装束だが、他の者と違って流石に着慣れた感じがある。なにより足下が普通の靴ではなく、ちゃんとした足袋を履いている。よく見れば生地もレンタルのポリエステル生地と違うもので麻のようだ。どうやら実用の本物らしい。
「それよりなんだけどよ、もうすぐショーが始まるだろ。でな、良かったらそれに出てみないかって、カカ様からの伝言なんだぞ。どうすんだ?」
その言葉にエルムが即座に食い付く。
「それって、まさか鬼妖斎様も出るんか!」
「出るはずなんだぞ」
「わおっ、共演なんて夢みたいや! そんなん出るに決まってるやん」
「俺っちも出たいっす!」
テンションの高い二人はノリノリだ。
「えっと私はちょっと遠慮しておきます」
しかし七海は胸の前で小さく両手を振る。こちらは所属事務所の関係もあるので当然ってものだろう。
「こちらも遠慮しよう。二人だけで頼むな」
もちろん亘も便乗して言いきる。演劇に出る気などない。人には向き不向きがあるのだ。何度か促されはしたが、こればかりは譲れぬと断固として拒否しつづけ、なんとか免れたのであった。
◆◆◆
「ちびっ子の皆、お待たせ! 司会のスミレお姉さんだよ!」
舞台のスミレが元気に声をはりあげた。その姿はどう見ても二十代の前半と言った様子だ。小さな子供たちが大きな歓声をあげ、大人たちが拍手をする。
隣の七海が拍手をするものだから、亘もそれなりに手を叩いておく。
何と言えばいいのか分からぬが、人が何かを演じる姿を見ると気恥ずかしさを感じてしまう。自分とは関係なくとも、妙にドキドキハラハラしてしまうのだ。そして勝手に気まずさが込み上げてくる。
「今から忍者ショーが始まるけど、座ってる場所から動かないようにね。お姉さんと約束だよ。お利口に座って大きな声で応援しようね。それでは、始まり!」
開始早々から亘の背中はムズムズしてしまう。
爆竹が鳴らされ舞台袖から白い忍者が登場すると、中央で決めポーズを取る。
「ホワイト忍者ただいま参上! 臨兵闘者皆陣烈在前、いえああああっ!」
九字の作法に則り印を次々と結び、縦横格子に線を切る。それだけでもう観客は大喜びだ。そして亘の落ち着かない気分は、いや増すばかりであった。
むずむずした気分で腕を組み替え足を組み替えしていると、七海がそっと尋ねてくる。
「どうされました?」
「ううむ、実はだな――」
亘は少し躊躇ったものの、自分の心情を素直に吐露した。これまで誰にも言ったことないことだ。旅行中という環境で心持ちが浮かれていることもあるが、何より相手を信用しているからであった。
「なるほど。それは私には分からない気持ちです」
「さよか」
「でもですね、演じる側からすると気にせず楽しんで欲しいです。脚本を考えた人、演出や大道具をセットする人。皆が楽しんで欲しいと考えて準備した舞台なんですよ。だから、思いっきり楽しみましょうよ」
「……そうだな」
七海が舞台などに立つ側だと思い出し、その言葉を噛みしめる。
改めて舞台に目をやるが、オーバーアクションな動きは見る側に分かり易くするため。芝居がかった台詞もまた同様のものだ。
随所に演出の存在が垣間見え、観客を楽しませようとしている。それだからこそ、観客の子供たちも大人も笑っているのだ。
誰もが思いっきり楽しんでいる姿に、ふと思う。
自分の心の中に枷がある。楽しんではいけない喜んではいけないと自制しようとする枷があるのだ。それは子供の頃のトラウマもあるが、学生時代に社会人時代を含め常に抑圧された生活をしているからかもしれない。
演技という自分に出来ないことをやり、楽しそうにする相手が羨ましいのか。
――自分もいつまでも縮こまってられないな。
心の中で呟き、舞台で剣戟を行うホワイト忍者と黒賀鬼妖斎の姿を眺める。
「大変だ、ホワイト忍者のピンチだ! さあちびっ子の皆、大きな声で応援だよ。頑張れホワイト忍者! 負けるなホワイト忍者!」
スミレお姉さんの声に、最前列でかぶりつきの子供たちが応援の声を張り上げている。その様子に亘は微笑しながら頷く。前ほど背中はむず痒くない。まだ少しでしかないが、皆と一緒になって楽しめだしていた。
と、そこで舞台上で派手な爆発と白煙が上がる。
「はーっはっはっは! 謎の助っ人! チャラ獅子丸、見参っす!」
髪と髭が一体化したようなタテガミに赤タイツの衣装の……チャラ夫が登場した。顔を白塗りメイクしていようが見間違えようもない。
亘は目を覆ってしまった。
「あいつときたら、何やってんだ」
「まあまあ楽しんでる様子ですし、いいじゃないですか。チャラ夫君らしいです」
「確かにノリノリだな」
「舞台慣れしてる感じですけど、演技の経験があるのでしょうか?」
「ないと思うな。あれは天性の才だ」
チャラ夫は玩具っぽい刀を構え、黒賀鬼妖斎とハチャメチャな動きで剣戟を繰り広げる。それなりに戦えているのは相手が合わせていることもあるが、チャラ夫が実戦を経験しているからに違いない。
そして盛り上がる舞台で、またしても派手な爆発と白煙が上がった。
「あっはっはー! 鬼妖斎様に加勢やで! タイガーエル、推参やんな!」
今度は七海が目を覆う番であった。
舞台に登場したのは、虎縞模様の服にスカート姿の少女だ。鍔の眼帯を装着しているものの、どう見てもエルムだ。
「エルちゃんたら、何やってるの……」
「あちらも楽しんでるみたいだな。うん、諦めろ」
「そうですよね、確かに思いっきり楽しんじゃってますね」
颯爽として動き回るエルムのスカートがひらめいている。時々見える白いのは見せても良い下着……の、はずだ。
「エルムこそ舞台慣れした感じだな。まさか演技経験があるのか?」
「聞いたことありません……やっぱり天性の才でしょうか」
楽しむとか楽しむの問題ではなく、まず身内感情が先に立ってしまい亘と七海はいたたまれない気分で舞台を見つめる。
「必殺チャラ獅子飛空斬りぃ!」
「なんの、魔人剣雀斬りや!」
観客の反応は最高で、ハードな戦闘をこなす二人に大歓声だ。下手するとホワイト忍者より人気がある。
亘と七海は他の観客とは違った意味でハラハラし、舞台が早く終了するように願うしかないのであった。
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