第188話 修羅の道

 山の色合いは緑が優勢。

 薄黄がそれに続き、赤が点在する程度で紅葉と呼ぶにはまだ早い。それでも快晴の青空の下に、色合いが際だち美しさを感じさせる。

 亘は景色を眺め背筋を伸ばした。

 気心の知れた仲間たちとはいえ、やはり人を乗せて運転していたことで、いつもより安全に気を遣い疲れている。それを思うと、運転を職業にしている方々にもっと感謝せねばならない。

 両肘を交互に身体に押し寄せ、ストレッチ。深呼吸で息を吸い込むと、空気の味からして違った。

「思ったより客が多いな」

 山奥という立地条件というわりに、駐車場の空きは少なめだ。

 今も目の前を興奮した子供が大はしゃぎしながら走って行く。微笑ましく思うところだが、後ろの両親を見て眉をひそめてしまう。スマホを弄りフラフラして、通りかかる車に迷惑をかけているのだ。気付いて手を引きに戻って来た子供の方が、しっかりしているではないか。

 バタンとトランクが閉まる音に、亘はそちらに意識を向けた。

「準備は完了か」

「荷物は車の中で良いのですよね」

「そうだな忍者の里で少し遊ぶからな。その後にしよう。言っとくけど、この後で徒歩で移動するから体力は残しておいてくれ。特に、そこの二名」

 エルムは大張り切りであるし、チャラ夫も屈伸などしている。思いっきり遊ぶつもりらしい。

「何を言うとりますか、そんなん……思いっきり遊ぶに決まっとるやんか!」

「前向きに善処するっす!」

 亘は少し呆れた。

「おいおい、山をなめるなよ。途中で力尽きたらどうする気だ」

「五条はんに背負って貰うんや!」

「俺っちも!」

 エルムを背負うのは構わないが、少なくともチャラ夫は蹴飛ばしてでも歩かせてやる。そう亘は心に決めた。

 つんつんっと袖が引かれる。

「なあ早く行こうぜ。カカ様が待ってるんだぞ」

 待ちきれない様子のイツキが急かす。

 久しぶりの帰省で、特に母親に会いたいようでえソワソワしている。それでも一人で先に行くこともなく、その場で皆を催促するのみ。良い娘ではないか。

「じゃあ行くか……っと、おいおい」

 亘が同意すると、施錠する間もなく引きずられてしまう。スマートキーで、さしてスマートでもなくなんとか施錠をした。

 そんな様子を微笑ましく見ながら、残りの三人も続く。


 砂利敷きの駐車場から道路を渡る。

 前回は関係者専用の通用口に向かったが、今回は正規の入り口へと向かう。

 二本の門柱に木を渡し扉をつけた冠木門。木柵が両側に続く関所のような場所で、古びて時代を感じさせる。

 とはいえ、『入場無料!』などの看板や何かのポスター、タクシーの連絡先やバスの時刻表――なんと一時間に一本もあるではないか――などがベタベタと張られたあげく、とどめに顔出しパネルまであっていろいろと台無しであった。

 門からピンク色した忍者服の女性が顔を出すと、イツキが大きな声をあげる。

「カカ様だっ!」

 髪を後ろで結わえた鉢巻き姿の若い女性だ。容姿といい肌つやといい、とても子持ちには見えない若々しさだ。三十歳を少し越しているはずが、この姿はDPによるアンチエイジング効果の賜物だろう。

 亘が改めてDP獲得に熱意を燃やした。

「うわぉっ、スミレお姉さんやん。ホンマにスミレお姉さんがイツキちゃんのお母はんなんやな」

「マジっすか、若いっす。俺っちの母ちゃんと違うっす……」

「カカ様!」

 ギャラリーが騒ぐ間にイツキはスミレへと飛びついていった。そのまま母親の胸に顔を埋め、もう声をあげない。見れば肩を小刻みに震わせ、すすり泣く声が聞こえる。それを優しく撫でるスミレの慈母の如き微笑み。

 なんだか尊くも立ち入るべきでないシーンに思えるのだ。

 亘はそっと会釈してみせると、スミレは目礼してみせた。無言のまま足音にさえ気を遣い門をくぐっていく。七海とエルムが頷き合い、チャラ夫ですら何も言わず忍び足で移動する。

 母娘の久しぶりの出会いに気を使えない者などいやしない。改めて良い連中と知り合えたと思う。

 だが、充分に離れたところまで移動すれと遠慮も何も無い。

「ここに来たら、まずはアレやんな!」

 勢い込んだエルムが、とある建物を指さす。

 それを見やり、亘は顔を引きつらせねばならない。そこには、『今日の君は忍者だセット』と案内があるのだ。

 タイミング良く建物の中から出てくるが、ちびっこ忍者にパパママ忍者。そして爺婆忍者。子供は兎も角、残りの年甲斐もない姿に亘はそっと後ずさり、その場を離れようとした。

「おっと兄貴、どこ行くつもりっすかね。へっへっへ、逃がしゃしないっす」

「ほんにそうやんな。どこに行くおつもり?」

 両脇から腕をとられて動けない。 

「おい離せ。こういのは苦手なんだよ」

「観念しなれ。ここまで来て、コスプレせんなんて、ありえへんやろ」

「ありえる。なあ、七海もそう思うだろ?」

「折角ですから楽しみましょうよ」

 七海に微笑まれてしまう。そうなると、もうどうしようもない。

「勘弁してくれよ」


◆◆◆


「似合いますよ」

 ぽんっ手を叩き褒めてくれた七海は、赤い忍び装束に鉢巻き姿。その楽しそうな表情に、亘は自分の忍者姿を受け入れることにした。人間諦めが肝心である。

「ふむ、そうか。いや青にしようか黒にしようか迷ったが、似合うなら……まあ、良かったか」

「私の方はどうでしょうか」

 七海は目の前でヒラリと回転してみせ、少し恥ずかしげに聞いてくる。ちょっと普段よりも忍者っぽい。そうとしか言い様がない動きだ。

「うん、もちろん似合ってる。可愛い感じだな」

「ありがとうございます、嬉しいです」

 微笑ましいとしか言い様がないやりとりである。

「そりゃそうと、エルムはどうした?」

「それが色で迷ってまして。赤が嫌で黒賀鬼妖斎とお揃いの黒がいいとかで……チャラ夫君はどうなんです?」

「似たようなもんだ。散々迷って、さっきようやく着替えだしたからな。ぼちぼち出てくるはずだが」

「あっ、出てきました」

 男性用と女性用の出入り口からタイミング良くチャラ夫とエルムが出てきた。黄と黒の二人が並ぶと警戒色とまでは言わないが、よく目立つ。そしてテンションが高いものだから、それはなおのことだ。

 出てくるなり、まるで示し合わせたかのように印を結ぶポーズを取ってみせる。

「「いっえーいっ!」」

 だが、亘はあくまでも冷静だ。

「はいはい、騒いでないで行くぞ」

「相変わらず五条はんてばクール過ぎやん」

「そっすよ、楽しまにゃ損々! 兄貴も一緒に、いえーっ!」

 またまた叫んで二人でハイタッチなんぞしている。

 本音を言えば、そんな様子が羨ましい。バカなことをやって巫山戯ることが出来たらどんなに楽しいだろうか。だが、亘にはそれが出来ない。どうしても自分を解放することが出来ず、周囲が浮かれるとむしろ冷静になってしまう。

「分かったよ。いえい」

 棒読みで声をあげるのが亘の精一杯であった。

「もうっ、エルちゃんもチャラ夫君もハシャギすぎですよ」

「こらまた失礼。ほんなら移動するんやけど、まずは忍者館に行くんや。大人部門も最速レコードを更新したらなあかん。目指せ! ダブル最速レコードホルダーや!」

「マジっすか! 狙っちゃうっすか! パネっすよ!」

「……本当、こいつらときたらテンション高いよな」

「でも二人らしいですよ。大人しかったら、むしろ変だと思いませんか」

「そりゃそうだな」

 笑って歩きだすが、さして広くもない園内。数十歩も進めば目的の場所。以前見た時と変わらず、発券ブースに料金や注意書きが表示されている。

 近づいてみると順位の書かれた表に気付く。

 毛筆で名前とタイムが書かれた木の板が嵌め込まれており、そのちびっ子部門のトップを見れば確かに『金房エルムちゃん』とあった。二位とのタイム差は大きく、板の色褪せ具合からみて、長いこと記録は破られてないようだ。

「本当に名前があった……」

「ちょいと五条はん、酷いんな。ウチが嘘でも言うとると思っとたんか」

「そうじゃない。あれだ、感心しただけだ」

「そんならええんやけど。さて大人部門やけど。トップは外国の人なんか」

 片仮名で書かれたトップのタイムも、やはりぶっちぎりの一位だ。

「アーネストサトウ……? いやまさかな」

 亘は少し前に知り合った趣味仲間の顔を思い浮かべる。時々メールをしているが、そんな話は出たことがない。きっと気のせいだろう。

「ふっふっふ。このエルムさんが記録を塗り替えたるで!」

「俺っちも挑戦してみるっす。運が良ければトップかもしれないっすよ」

 その言葉にエルムが人差し指を立て説教しだす。

「そんな甘い考えで最速なんて無理やで。ええか、この忍者館っちゅう場所は修羅の道なんや。次に目指す部屋とか移動ルートは当然として、ギミック解除までの手順から足運びの位置まで気を使わなあかん。一瞬の油断がタイムロスにつながり、常に神経を張り詰め身体と頭の両方を駆使せなあかんのや!」

「マジっすか。そんなヤバイ世界なんすか」

「まずは何度かトライして、ルート選定せなあかん」

「おいちょっと待てよ」

 勢い込むエルムに亘が釘を刺した。

「一回こっきりで勝負しろよ。そんな何度もやってトップを取っても、面白くないだろう」

「いやそらそうやけど、トップを目指すんやで。それぐらいせな――」

「時間もないんだ。とにかく一回だけにしてくれよ」

「そんな殺生やんな」

 ガックリ項垂れ、エルムは残念そうに嘆く。その姿を見やり、亘は七海と顔を見合わせこっそり笑う。

「まあ、どんなだか試してみようじゃないか。ただしのんびりとな」

「そうですね」

 七海はクスクス笑って頷いた。

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