第十四章

第187話 覚えてくれていた

 道路の両脇は鬱蒼とした林。

 僅かな紅葉をみせる樹木が道路上へと枝を広げ、朝と昼の中間にある日射しを遮っている。空はその隙間からしか見えないが、見事な快晴であった。

 山間の道路は勾配がきつく、一車線しかない道路は白線が両端にあるだけ。普通車同士であれば擦れ違う事は出来るが、大型車では難しい。所々に待避所が儲けられているが、直ぐ脇は崖で――しかも赤の三角コーンが置かれ――あまり近寄らない方が良い雰囲気を醸し出していた。

 長い登り坂に、五条亘はアクセルを思い切り踏み込んでいる。

 今は乗車人数が多いため、アクセルを踏んでも音ばかりで加速しない。速度を維持するのが精一杯でエンジンは青息吐息の体であった。

 そろそろ買い換え時期だが、休日しか乗らない上に愛着があるので、あまり前向きには考えていなかった。

「酔いそうなら早めに言ってくれよ。すぐに休憩するから。特にイツキは車酔いの前歴があるだろ、大丈夫か?」

 亘は前方に注意しながらも、さっとバックミラーに目を走らせる。

「大丈夫だぜ。俺は車酔いなんて、してないかんな。もう完璧だかんな」

 気遣った相手であるイツキは得意そうに言った。

 前髪を長めにしたボーイッシュな髪で言葉遣いや一人称だが、れっきとした女の子である。最近は体つきの変化もあって、以前のように男の子と間違えられる事はめっきり減っている。

 後部座席から身を乗り出したイツキを同じ後部座席の二人がひっぱり戻す。

「イツキちゃん、運転の邪魔ですよ。ちゃんと座りましょうね」

 一人は舞草七海。優しげな顔の通りにほんわかした少女だ。

「そやで、それやると後ろが見えんで邪魔なんや。ウチも、子供んころはお父はんによう叱られたもんやわ」

 もう一人は金房エルムだ。

「むむっ、そっか邪魔したらだめだよな」

 言われたイツキは素直に座席に身を預け、伸びたシートベルトを調節しようとする。だが、腰のみの二点式のため上手く直せない。それを隣の七海が手伝う。

「はい、これでいいですよ。ちゃんと座ってましょうね」

「了解だぜ」

 後部座席には女の子が並ぶと、なんとも華やかだ。この配席は亘の希望によるものだ。後部座席に三人を並ばせたかったのである。なぜなら――助手席に目をやる。

「すまないが、カーナビの縮尺を上げてくれないか」

 チャラ夫がいる。図々しく後ろに座りたがっていたが、助手席に座るよう指定したのだ。

 狭い後部座席で女の子に挟ませるなど論外ではないか。そんな羨ましくも、けしからん事など、天が許しても亘が許さない。

「うぃーっす。あれっ、なんか上手くいかないっす。壊れてないっすか?」

「ん? そりゃ使い方が違うんだ。これは古いカーナビだから、画面で操作できないんだ。さっきも言ったじゃないか。ほら、横のボタンで操作してくれ」

「なんかアナログっすね」

 どうやら古いものをアナログと言いたいらしい。

 突っ込みを入れたい亘だが対向車に意識を集中する。ちょうど擦れ違うのに厳しい場所なのだが、ミニバンタイプの車は待避所を無視して突っ込んで来たのだ。

 あげくに、少しも横に寄ろうともしない。どうにも大きな車に乗るわりに、自分の車幅感覚がないようだ。

「というか、坂道なら下りが上りの車に道を譲るべきだろうが……」

 ぶつぶつと文句を言いながら速度を緩める。

 サイドミラーが触れそうなギリギリで擦れ違わねばならなかったが、対向車の運転手は、さも亘に非があるような顔をして睨んでいた。

 苛立ちを込めてアクセルを踏み込むが、車はもどかしいほどの加速しかしてくれなかった。

「にしても、このナビ古くないっす? なんか途中の道も変なルートで案内してたじゃないっすか。大丈夫なんすか」

 チャラ夫は運転手の気苦労など知らずカーナビを弄っている。

「安心しろ。方角だけは間違いないはずだ」

「それって安心できないっすよ」

「昔はなナビなんてなくって、助手席が地図を見ながら道案内してたぐらいだぞ。あるだけマシってもんだろ」

「アナログっすねぇ。おっ、縮尺を変えたら目的地が出てきたっす」

 チャラ夫が広域にした地図に、『忍者の里』といったランドマーク表示が現れる。途中の道はクネクネと曲がりくねり、まだ運転手の気苦労は続きそうであった。


◆◆◆


 数週間前の事だ。

 その異界は古びた宿場町のような場所であった。風雨に晒され黒ずんだ戸板や大きな樽や桶など、時代を感じさせる品々が存在。景観保全された理想として思い描かれる伝統的町並みではなく、リアルな風景をしていた。

「よっしゃ、とどめやん!」

 土蜘蛛の放った糸に絡めとられた人面犬をエルムが殴り倒す。得られたDPを確認すると亘へと嬉しそうな声をかける。

「どや、ウチも充分に戦えとるやろ」

「うん凄いもんだ。センスがいいな」

「ふふん、このエルムさんの実力を思い知ったか」

 なにやらお嬢様風に手を顔に当て小威張りしている。その様子は、子供っぽくもあり大人っぽくもある。何にせよ、見ていて楽しい。

「そやけど、ここってば忍者の里みたいな場所やんな。なんか、こう懐かしゅうて燃えてくるわ。ニンニン!」

 エルムはファイティングポーズをとりつつ、興味津々で周りを見回した。今にも近寄って触りだしそうな様子だが、それはしない。勝手な行動は慎むようしっかりと釘を刺してあるおかげだろう。

「ほう、忍者の里か。もしかしてあれか、忍者ショーなんかやってる場所のことか? 資料館があって、中が迷路になった忍者館もあったりしたよな」

「知っとるん? そこやて、そこ。忍び装束着てニンニン遊べて手裏剣投げたりとかしたんやな。めっちゃ最高に楽しかったわ」

 エルムはうっとりとした顔をする。

「ちなみになんやけど、忍者館踏破のちびっ子部門最速レコードホルダーはウチなんやで。黒賀鬼妖斎様から直々に記念品を貰ったんやで。ええやろー、羨ましいやろ」

「それはそれは羨ましい……ような気がするような、しないような」

「どっちやねん。そんでな、十八歳になったんで、今度は大人部門の最速を目指して挑戦するつもりなんや」

「それはまあ、楽しそうで」

「五条はんも一緒にどうや、忍者の里!」

 なんだか話が変な方向に行きそうだ。

「忍者の里か。あれな、経営してるの藤源次たちだぞ。イツキから聞いてないのか?」

「ええっ! いや全然やったわ!」

 エルムは賑やかしくも、大袈裟な身振り手振りで驚きを表現している。

「ちなみに、この間に行った時のニンジャショーでは藤源次がニンジャマン役をやって、イツキの母親が司会をやっていたな」

「司会って、もしかしてスミレお姉さん!? ふぁーっ! あん人がイツキちゃんのお母はんやったんか! ウチとしたことが気付かんかったわ」

 エルムの驚きは、いや増すばかりだ。

 詳しく話を聞こうと詰め寄られ、亘は子ネコにじゃれつかれる大型犬気分で困ってしまう。目で助けを求めるものの、神楽やサキはニヤニヤ笑うだけ。

「そんなら早う行かんとあかんわ。イツキちゃんも里帰りしたいって言うとったやん。こうなったら一緒に行くで。そしたらばっちしやで」

「それは楽しそうな事で」

「何を他人事のような事を言っとるんや。五条はんも一緒やで」

「えっ!?」

 思わぬ言葉に亘は目を瞬かせる。

「何を驚いとるんや。ちょっと前に旅行に行こうって自分で言うとったやないの」

「……ああ、そういえば」

 亘は忘れていたふりをして頷いた。

 誘った事は覚えていたが、自分から誘えずに困っていたのだ。もし誘って断られてしまったり、もしくは、そもそも忘れられていたらどうしようと、言い出せなかったのだ。

 だが、エルムはしっかりと覚えてくれていたのだ。


◆◆◆


 回想しながら、思い出し嬉し笑いをしていた亘にカーナビ音声が告げる。

「目的地マデアト少シデス。案内を終了シマス運転オツカレサマデシタ」

 前方に『ようこそ忍者の里に』の看板が現れた。デフォルメされた忍者が手裏剣を投げる絵も以前に見たままだ。

 妙に懐かしく思える。

 前回はイツキの父親である藤源次が運転する軽トラで来た。ほんの少し前のはずなのに、随分と昔のようだ。それだけ充足した日々を過ごしたということの証左だろう。

「うわぁ、懐かしいんな。あれやて、あの看板。変わっとらんわ」

「あの絵だけどよ、実は俺なんだぞ」

 イツキの得意そうな声が聞こえる。しかし、デフォルメされきったイラストにイツキの面影など欠片も見いだせなかった。

「どう見ても、イツキちゃんには見えないっすよ」

「そんなことないぞ、ほら目のとこなんか似てるだろ」

「そっすか? ……七海ちゃんはどう思うっす?」

「えっ、そこで私に振りますか? そうですね、目の辺りですか……そこはかとなく面影があるような、ないような。あっ、通り過ぎてしまいました」

 七海の困ったような声で、車内に笑い声が響く。

「もう、皆して笑わないで下さいよう」

「はははっ、悪い。それより到着するから降りる準備をしてくれよ」

 看板表示に従い砂利敷きの広場へと進入。白線引きで示された枠へと車を向ける。亘が後方確認しようと振り向くと、後ろの少女三人は揃って身体をずらして姿勢を低くした。それが面白いらしく、互いに顔を見合わせクスクス笑っているではないか。

 亘もまた楽しくなるが、素直に笑いを表わす事ができず苦笑のような顔になってしまった。

「よし到着だ。お疲れだったな」

 車を駐めた。

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