第366話 たわいもない追いかけっこ

「なかなか苦戦したし、よく考えたら悪魔と違って倒す必要ないと思ってな。それで服でも破ろうかと。自分がやられたら困ることを、やったわけだ」

 運転席で前を見ながら亘は言った。言葉通りに困った感じに笑っているが、直ぐに表情を消し深く息を吐いた。

「海部さんから話を聞いたら、いろいろ事情……家族のことだけどな。やっぱり苦労してきた気持ちは分かるんだ。それで憎めないと言うか何と言うか。いや本当は倒してでも止めないとダメなのは分かるんだけどな――」

 車の中で亘の話を聞くのは、助手席の七海だった。あと後部座席には神楽とサキ。窓から見える景色はゆるゆると後ろに流れて、安全運転な速度だと分かる。

 神楽はなぜだか妙に遠慮して後部座席で小さくなっていた。これまでであれば、七海の頭にのっかってでも前に来ていただろう。しかし車に乗る前に七海が、海部との戦いについて聞きたいと言うと、神楽はサキを促して後ろに行ってしまったのだ。

 きっと気を遣っているのだろう。

「それで良いと思いますよ。五条さんの、そういう気持ちが大事ですから」

 七海が言うと、亘は首を横に振った。それは否定ではなく、何か気分を振り払うような仕草であった。

「でもな、正中さんや志緒は違うんだよな」

「違うとは?」

「あの二人だって海部さんのことは理解して気の毒に思っている。その上で割り切って敵だと認識して、言葉の裏を読もうとしている。凄いよな、とても真似できない。ああいう人たちが世の中を動かしていくのだろうな」

 七海は人差し指を唇にあて、しばらく考えている。

「私は……そうは思いませんよ」

「そうか?」

「もちろん、正中さんや志緒さんを否定したりはしませんよ。ですけど世の中を動かす一番のものは人の心だって思います。つまり五条さんの、その優しい相手を思う気持ちが大事なんです。きっとそれが、いつか世の中を動かすに違いないですよ」

「そうかな?」

 あごに手をやり、片手運転をしながら亘は呟いた。

「まあ、そうなったら良いよな」


 適当な場所で車を止め車外に出ると、大きく伸びをした。

 もう夕方だ。

 空から黄金色した光が差し込んで、辺りを同じ色に染め上げていた。崩れたビルや積み重なった瓦礫も不謹慎ではあるが、夕方の光に照らされていると、絵画的に綺麗で幻想的に見えてしまう。

 どこか見知らぬ世界に迷い込んだような、そんな気分だ。

 とても綺麗な景色だが――楽しめない。

 心の中で引っかかる気分がある。喉に刺さった小骨のように心に引っかかって、楽しい気分に水を差す。だから思いっきり楽しんで笑える気分ではない。

 ――これは同情なのだろうか?

 海部の気持ちを思うとやるせない気分になる。

 介護で苦労した海部。誰にも頼れなかった海部。周りから理解されなかった海部。天涯孤独になった海部。わかり合える相手のいなかった海部。精神的に追い詰められていき、心を暗くして人を苦しめることに悦びを見出した海部。

 いろいろ喋って教えてくれた内容はブラフだったのか――いや、きっと違う。

 海部は誰かと喋りたかったのだ。

 ただ単に寂しかったのだろう。

 それであるのに、そうした海部の気持ちを正中と志緒は理解しなかった。その事がどうにも心に引っかかる。強いて言うなら悔しいといった感情に近い。

 ふと気づくのは、正中と志緒に理解して貰いたかったという事だ。

 二人を仲間と思って親しく思うからこそ、海部のことを理解して貰いたかった。

 なぜならば。

 ほんの少しの何かがあれば、自分もそうなったに違いないと思うからだ。たまたまスマホを弄ってアプリを見つけたから、たまたま従魔が神楽という形をとってくれたから、たまたまチャラ夫や七海に出会えたから。いろんな偶然があって、今の自分がある。しかしどれか一つ違っていれば、海部と同じ方向に行っていたに違いない。

 だから正中と志緒には理解して貰いたかったのだ。

 今の自分の環境。

 海部が絶望した環境。

 その差がどうにも、やるせない。


「五条さん」

 気がつくと七海が側に来ていた。

 亘はどちらかと言えば人の動きが気になって警戒に近く反応してしまう質だが、七海の動きは不思議と気にならない。立ち位置も程よい場所で、近いが近すぎない絶妙な間合い。

 まるで癇に触れる部分を全て見抜いて避けているような気さえしてくる。もちろんそんな事はありえないので、きっと相性が良いのだろう。

「綺麗ですね」

「そうだな」

 亘は七海の横顔を見つめながら言った。夕日に彩られ綺麗だった。もちろん普段からそう思っているが、今は尚のことそう思える。

 ちらりと振り向いて、軽く見上げてくる顔が優しげに微笑んでくれて最高だった。だが同時に、やっぱり気が晴れない。

 自分だけがこうして楽しい思いをしている事が――。

「うん?」

 七海が服の袖をつかみ、ぐいっと引き寄せながら近づいてきた。そのまま身体を寄せながら腕を抱きしめてくる。お陰で亘の悩みなど飛んで行きそうなぐらいである。

「海部さんのことが気になっているんですよね」

「そうだな、分かるか?」

「車の中で話している様子で分かりますよ」

「そうだよな、分かるよな」

 海部のことを言い当てられて、一瞬だけどきっとしたが、あれだけ話して顔にも出していたのだから当然だった。

「上手く言えませんけど……今が全てではないでしょうか。五条さんは海部さんに同情して、それで気の毒に思ってますよね」

「その通りだ。もしかすると――」

 言葉を口にするのは躊躇ったが、しかし相手が七海なので思い切る。弱くて卑怯な自分の片鱗をみせても構わないと思えるのだから。

「――もしかすると、海部さんのようになったかもしれない」

「なりませんよ」

「いや、しかしだな。人を僻んで羨むダークサイドに堕ちたかもしれないだろ」

「なりません。だって五条さんは優しい人ですから、そうはなりませんよ。今だって海部さんに同情している優しい人ですから」

 きっぱりと言われてしまう。

 そうなると否定したくなるのが――少なくとも捻くれた面倒な人間としては――人情というものだ。しかも亘は自己評価が低いので、良い方向に言われる事に慣れてもいない。

「いやいや、そんな大した事ないぞ。実際にはいろいろ酷いことを考えて、他人の失敗を願ったりとかしているかもしれないだろ」

 途端に腕に痛みを感じたのは、七海が強く掴んだからだ。見れば口をへの字にして、ちょっとお怒り気味な顔をしているではないか。

「私の好きな人を馬鹿にしないで下さい」

「それはすまない……ん……あぁ……あー。うん、そうか」

「とにかくですね、五条さんは海部さんみたいになりません。どんな環境だったとしても、何か違ったとしても。他人の不幸を願ったりはしませんよ」

「…………」

「だから五条さんは五条さん、海部さんは海部さん。同情して理解してあげるのは大事ですけど、どこかで一線を引きましょう。海部さんは自分で選んで、そうなったのですから」

 さっきより腕が強く抱きしめられている。埋もれるようなと言った状態で、男という生き物は単純なので、もうそれだけで悩みなど吹っ飛んでいく。海部への同情も一緒に吹っ飛んでしまう。

 長々と悩む必要などなく、こうして貰う事が一番の解決方法だったに違いない。


 亘は大きく息を吸って、深々と吐いた。

「よし、気分を切り替えるか。悪魔退治とは言ってここに来たが、このまま……このままデ、デートというものをするのも良いな。いや、しかし別にどこか行くアテなんてないけどな」

 なお亘の脳内ではデートとは、遊園地や水族館に行くものという概念しかない。異性同士どころか人間同士のコミュニケーション全般が苦手なので仕方がなかろう。

「どこかなんて行かなくっても良いと思いますよ」

「そうか……」

 しょんぼりするのは、自分の考えたデートなるものが否定されたように感じたからだ。しかし七海は楽しげに微笑む。

「つまりですね、ここで良いかなって思います。それでですね、五条さんの好きなことをして構わないって思います」

「好きなことか?」

「はい、そうです。好きにして構いませんですから……」

 七海が少し頬を染めている。それは夕日の日差しに紛れてはいるが、その恥ずかしげな様子を見れば誰だって分かっただろう。

 鈍臭い狩人に焦れた獲物側が狩られに出たので、それまで物陰に待機していた神楽とサキは目を輝かせ、そして身を乗り出し耳をそばだてた。

「そ、そうか。だったら一緒に悪魔を倒すとするか、うん。最初の予定通りでもあるし、その方が良いよな」

「……そうですね」

 流石の七海もちょっとだけ反応に困ったのか、返事までに一拍の間があった。

 それで抱きしめていた腕を放して、つつっと離れてそっぽを向いてしまった。勇気を出しての行動に、あんまりな対応をされたにしては、まだ穏当な反応に違いない。

 相手の機嫌の変化だけは敏感な亘は片眉をあげた。

「どうした、やっぱり悪魔倒すのは嫌か」

「さあ? どうでしょうか」

 後ろに手を組んだ七海は悪戯っぽく笑って振り向いた。ちょっと距離を取ると、それを亘が追いかける。また距離を取ると、亘が追いかける。片やからかい気味に片や必死気味に、端から見ればたわいもない追いかけっこをしている。

 神楽とサキは前のめり状態から両手を投げ出し突っ伏していた。どちらも果てしなくやるせない気分なのだった。

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