第183話 お約束的な問い

 考え込んだ亘へと呻き声が届いた。

「痛っ。あれ課長? 正中課長しっかりしてください、私のせいで……あっ! あなた左文教授! 出たあぁっ!」

「人をゴキカブリのごとく扱いおって。失礼な女じゃぞい」

「なんなのよ、その悪魔は! まさか、あなたの仕業!?」

「まったく、騒々しい女じゃ。儂の若い頃といえば、婦女子は皆、お淑やかで礼節を知っておったのに。嘆かわしいわい」

 苛立たしげな左文教授は杖で地面を突いた。

 多少は同意する気分を持ちつつ、亘は様子を窺う。左文教授の注意は志緒に向けられているが、リッチはフードを被っているため分からない。青年だった悪魔は自分の従魔を喰らい続けている。

 どちらも不意をついて一撃で倒すには難しい相手だ。

 そして背後では緊張した声ながら、囁き声が交わされている。

「な、なあ。ナーナってばゴキカブリってなんや?」

「えっと、それはですね。つまり何といいますか……あの黒くて平べったい素早い生物のことです。真ん中が誤字か脱字で抜けてしまったそうです」

 恐怖に呑まれているからこそ、現実逃避で変な話をしているのだろうか。

 思考を邪魔された亘は態とらしい咳払いをしてみせると静かになる。恐らく二人揃って首を竦めたはずだ。背後なので見えやしないが間違いない。

 その間に志緒は腰に手をやり拳銃を構えようとしている。モタモタとした鈍臭い動きは、左文教授が呆れ顔をしたほどだ。迫力なんてありやしない。

「無駄な抵抗は止めて大人しく投降しなさい。撃ちます、脅しではなく撃ちますから。投降して下さい」

 しかしカラカラとした笑いがあがる。

「それこそ無駄じゃな。撃ったところで、儂のリッチが止める。そして次の反撃でお主と、その辺りに転がっておる連中が死ぬだけじゃぞい。試してみるか?」

「うっ」

 フードに隠されたリッチの双眸を感じ志緒は怯んだ。震えながら堪えている。

「でも大臣誘拐犯を逃がすわけには……」

「勘違いしては困るわい。別に儂は誘拐なんぞ企んでおらん。やったのは、こいつらじゃ。儂はそれに手を貸してやっただけじゃぞい。ちょうど良い実験が出来るかと思ってな」

「実験って何よ?」

 志緒は聞くまでもないことを聞いた。情報を引き出そうとの思惑ではなく、お約束的な問いだろう。亘は耳をそばだてる。

「此奴の持つ力を再現しようとの実験じゃぞい」

 杖の先が亘に向けられた。

 その失礼な態度に本人怒るより先に、頭上の神楽が声を張り上げる。

「なにさ、マスターに向かって失礼じゃないのさ」

「落ち着け」

 亘が宥める間にも左文教授は話を続ける。年寄りらしく自分の言いたいことを話すまで終わらないらしい。

「この間に会うた時に見た力じゃが、あれをなんとか再現できぬかと思ってなあ。何度か実験して、ようやっと形になったんじゃぞい。なにせ儂はDP研究の第一人者じゃからな、この程度造作もない。カァーッカッカッカッ!」

 高笑いをあげる姿は愉悦間に満ちている。

「それにしても最近の若者と来たら本当に愚かじゃ。短絡的に大臣を攫って金をせしめようとか、何の信念もありゃせん。しかも儂がちょっと情報を流してやれば、ホイホイ乗ってくるわ、渡してやったスキルも疑いもせず使ってくれる。ほんに礼を言いたいわい。カカカカッ」

 左文教授の笑い声に、従魔を喰らう四つ目の悪魔から涙がこぼれ落ちた。

 まだ意識があるらしい。その事実に亘はゾッとした。自分が自分でなくなる一方で意識がある。それはどれだけの絶望なのだろうか。

 だから聞かずにはいられなかった。

 答えなど、聞くまでもなく決まっているとしてもだ。

「もう戻れないのか」

「さて知らぬ。調査して研究すれば戻るやもしれぬ。じゃが、その前にこやつはDPに飢えて人を襲うじゃろうな。さてと――」

 左文教授が軽く指を鳴らすと、新たなローブ姿が現れ地面に落ちていた青年たちのスマホを素早く回収していった。リッチが二体並ぶ姿に亘は目を見張った。

「従魔を同時召喚だと!?」

「何を驚いておる、お主の専売特許でもあるまいに。それでは、儂はこれにてお暇させて貰おう。この実験結果の詰まったスマホを解析せねばならんでな、ああ忙しい忙しい」

「ちょっと待ちなさいよ逃げるつもりなの?」

 志緒が声を張りあげるが、余計な事を言うなといった気分だ。逃げてくれるなら、それに越したことはないではないか。

 幸い左文教授は考えを変えるつもりはないらしい。

「当たり前じゃい。儂は老い先の短い年寄りなんじゃ、早うせぬと死んでしまうわい。そんならな、後はよろしゅうに」

「待ちなさい!」

 改めて拳銃を構えた志緒だが、しかしリッチにひと睨みされ悔しそうに銃口を降ろした。自分の身の安全より、傍に倒れる正中課長や大臣たちの身を慮ったらしい。

 その間に左文教授と二体のリッチは悠々と立ち去り、現れた時と同様にあっさり姿を消してしまう。

 

 従魔を喰いつくした悪魔が一歩前に踏み出した。鼻息も荒く獲物――人間を見やる。大臣たちのオッサン組と志緒は一瞥しただけで視線を逸らし、やはり魅力的で美味そう獲物なのか七海やエルムにイツキを狙っているようだ。

 それを許すつもりもなく亘は身構え戦う事にした。

「さて、やるか」

「俺も――」

「イツキは下がってくれ。いや、あそこで倒れた奴を安全な場所まで運んでくれるか。貴重な情報源だから逃がすなよ」

「分かったぜ」

 イツキは悪魔を警戒しつつ、もう一人の青年の確保に動き出した。

 戦いの始まる様子にサキが駆け出し、けれどベショッと顔面から地面に倒れ込んだ。その足に麒麟がしがみついていた。邪魔するつもりではなく、怯えてすがり付いているだけだ。それを苛立たしげに蹴り剥がそうとして手間取っている。

「七海とエルムは下がってくれ。こいつの相手は一人でする」

 DPで出来た棒を手に、亘は一歩前に出た。靴底で細かな砂がジャリッと滑る。息を吸って吐いて意識を集中させ気を落ち着けていく。

「悪いが倒させて貰おう。恨むなら自分が選択した不幸を恨むんだな」

 言って、地面を蹴るように踏み込み。鋭く激しい気合と共に打ち込んだ棒の威力は生半可ではない。事実、命中するや血と肉片が爆ぜて飛び散る。

 人間ならばそれだけで行動不能になる威力だが、相手は悪魔化した存在だ。痛みこそ感じたようだが、致命的ダメージとまではいかない。しかも、再生した肉に棒が取り込まれそうになる。

 纏わり付く薄肉を引き千切りながら、次の攻撃に移り――頭上の神楽が鋭い声をあげた。

「マスター! 左ッ!」

 ぶち当たってきた打撃を咄嗟にガードする。だが、すぐ傍に歯茎をむき出した口があり生温かい息が顔に届く。大きく開いた口に唾液の滴る歯が迫る。

「そんなの、させないもんっ!」

 至近距離から神楽が銃を撃ち放つ。MPが尽きたため、こっそり装備させておいたのだ。小さいとは言え並の悪魔なら軽く倒してしまう銃弾を受け、さしもの相手も悲鳴をあげ仰け反った。助かったとはいえ、頭の上から銃撃だ。マズルフラッシュで頭部がヒリヒリする。

 なんにせよ、その隙に一旦距離を取った。

 と、同時に燃えさかる火球が尾を引き悪魔へと激突する。サキが麒麟を踏みつけながら援護で放った魔法だ。炎が悪魔を包み込む。

「よしっ! ――っとぉ!」

 煙を纏いながら悪魔が飛び出した。

 とっさに棒を捨て、相手と組み合った押し合いとなる。至近距離から神楽が銃撃を加えるが、相手の力は緩まない。それどころか苦痛の声を力に変え、ギリギリと押し込んでくる。とんでもない力だ。

 踏ん張る足ごと地面の上を押され、膝を屈しそうになる。

「ぐっ!」

 亘には奥の手がある。操身之術を使い、暴走させたDPから桁違いの力を引き出すものだ。それを使いさえすれば形勢は逆転できる。それは間違いない。

 だが、これまで何度も使ってきた力に今ここで不安を覚えていた。

 力に呑まれるとの警告。そして目の前で起きた異形化。大丈夫と思っていても躊躇はある。

「駄目やって、邪魔になる」

「でも援護ぐらいなら」

 視界の端に行動しようとする七海と引き留めるエルムの姿が見えた。亘の苦戦に援護するつもりらしい。躊躇はあるが、この相手を野放しにして彼女たちを危険に晒すわけにはいかない。

「やるしかない」

 亘は丹田に意識を集中し操身之術を発動させた。

――きた、きたきたきた!

 身体の奥底から力が湧き気分が高揚しだす。

 自分に匹敵する力の存在が嬉しくて堪らなくなり、どこまで壊れず相手をしてくれるのか期待に胸が躍ってしまう。先程までの不安など消え失せた。

 相手の力を押し留め、さらに押し返す。悪魔化した相手の動揺を察し、亘はニヤリと笑う。そのまま漲る力に心をゆだねていった。

「うらああああっ!」

 吠え声をあげ、さらに押す。地面を踏みつければ土砂が跳ね、植栽の残骸が宙を舞う。一歩二歩と勢いを増し、留まることさえ許さず押していく。そのまま思いっきり地を蹴ると、瓦礫で埋まる大通りへと異形化した巨体を叩き込んだ。

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