第182話 もっと敬意を
志緒が青年たちの前に立つ。両手を腰に当て笑うが、それは恐ろしい様相であった。感情がそのまま顔に出てしまっている。
「さあ、どうしてあげましょうか。ちなみに私の従魔はスライムなの。お肌の角質落としが得意ですけど、本気を出せばもっと溶かせるはずね。うっふっふ」
幻覚を見せられたことを怒るのか、ナイーブな年齢に関する言葉を怒るのか、その両方なのかは分からない。だが、今度からもう少し口の利き方を気を付けようと亘は心に刻んだ。
それを止めるべき上司の正中は、むっつりした顔で大臣の様子を見に行っている。ちらりと見えた横顔は思わしげで、何か心の傷を抉られたに違いない。
それでも眼鏡の青年は諦め悪く声を張り上げる。もう一人が裾を引いて止めるにも構わず立ち上がり粋がってみせた。
「まだだ、まだ奥の手がある。これを使用したら瞬殺だ。いいのか、これを使うからな。本当にいいのか。後悔したって知らないからな」
「あっそう、お好きにどうぞ。どうせ何をしたってね、こっちにいる五条さんが何とかしてくれるもの。無駄ってものよ」
「人をアテにするな。それより、さっさと帰りたいんだ。手錠はないのか? 早いとこ拘束してしまえ」
「あら、珍しいわね。異界から早く帰りたいだなんて、どうしたのかしら」
「心外な言葉だな。今はそんな気分なんだよ」
暢気に話す間に眼鏡の青年は一歩下がった。どうせ逃げたところで無駄なので亘は放っているが、志緒は逃がすまいと詰め寄る。
そして追い詰められつつある青年はスマホを操作した。
「だったら後悔しろ。『操身スキル』起動だ!」
「なに!?」
亘は耳を疑い弾かれたように目を向けた。瞬時に思考が展開するが、その予想が間違ってなければ相当にマズいと気付く。
「志緒、そいつから離れろ!」
「どうしたのよ?」
暢気に振り向く志緒の向こうで、眼鏡の青年が膨らんだように見えた。
それぐらい存在感と気配が増している。
「えっ! きゃあああっ!」
青年の腕が横に凪ぎ払われ、志緒は一撃で吹っ飛ばされてしまう。正中がとっさに動き受け止めるが、そのままもつれ合うように倒れ込んでしまう。
だが、そちらを気にしている暇はない。
「おい何だこれ。まさか……」
「気を付けてマスター! 凄い力が溢れてるよ。マスターのアレに近い感じ」
「みたいだな」
眼鏡の下の目が薄く赤く染まった様子に気付き、亘は頷いた。
「凄えじゃねえか、おい。これなら俺だってやってやらあ!」
もう一人もスマホを取り出し操作をしだしている。止めようとする亘だが、眼鏡の青年に牽制されてしまい動くことが出来ない。
「そんじゃ、『操身スキル』を起ど――あっ!」
瞬間、空気を斬り裂き何かが飛来。青年のスマホに命中し、そのまま弾き飛ばした。そしてスマホは画面に一本の苦無を突き立たせながら地面に転がる。
「よっと、只今参上だぜ!」
小柄な姿が辺りを飛び跳ね、身軽な仕草で降り立った。得意そうな顔で鼻の下を擦りながら笑ってみせる。
「へへんっ、どんなもんだ。俺の投擲の技って凄いもんだろ?」
「なんでここに? 帰ったはずじゃないのか!?」
「ナナゴンとエルやんも一緒だぜ。ほら、あっちから来るだろ」
目の前の相手を警戒しつつ、一瞬だけ示された方向を見やる。制服姿の女子高生が二人、瓦礫を乗り越えながら走ってくる姿が見えた。亘としては嬉しいような、怒りたいような複雑な気分だ。
「あっあっあああ!」
だが、異様な声に素早く視線を戻す。眼鏡の青年が突然身体を掻きむしりだしている。服がびりびりと破れだすのは、その身体から盛り上がる肉によるせいだ。
「ああああっ! 身体が熱イ! 熱ぅイ! 熱イんだよおおォォオオオッ!」
「なっ!」
驚きの声をあげる亘の前で青年の変貌は続く。
顔の肉が盛り上がり原形を留めぬまで変形し、眼鏡のテンプルがへし折れる。肉の膨張は留まることを知らず、レンズは肉圧に割れながらモノクルのように挟み込まれてしまう。ぼんっと音をたて靴が弾けた。
人間からかけ離れていく姿に誰もが唖然とする。
「アアアアアアアァッ!」
青年であった存在が咆吼するが、その身体は完全な異形へと変貌を遂げていた。
「どうなってんだ。なんでお前、化け物になってんだ――ぐげっ!」
仲間の変化に叫ぶオールバックの青年だったが、異形化した腕に一撃され、血反吐を吐きながら吹っ飛んでしまう。地面の上を何度も転がった後はグッタリして動かない。
その隙に亘はイツキの肩を掴み後退する。
「これはどうなってるんだ。まるで悪魔じゃないか」
「そだよ、この気配って殆ど悪魔だよ!」
「俺、聞いたことがあるぞ。力の呑まれたヤツは悪魔に墜ちることがあるって」
その言葉に亘は相手を睨むように見つめる。
青年の姿は異形と化した。歯茎をむき出しにした口から見える犬歯が牙のように伸びている。頬骨の下に筋が入ると、そこに新たな眼球が現れた。額にはフジツボのようなものが萌芽し、手足や全身にも胴体にもそれが現れていく。
眼鏡の残骸だけが元の名残を示すのみで、それは見るに堪えない姿だ。
「神楽、攻撃だ」
「ボクMPもう残ってないや、ごめん」
「だったらサキ」
「邪魔」
しかしサキは怯えた麒麟にしがみつかれていた。足蹴にして振り払おうとしているが、すぐ動けそうにない。
その間に青年だった悪魔は抱えていた貝の姿をした従魔の殻を砕き、中から白い中身を引き出す。そして――喰らいつく。
自らの従魔へと歯を立てムシャムシャと貪っている。
亘は顔をしかめると、戦いに備えDPで出来た棒を構える。頭の上の神楽は何があっても離れるつもりはないらしいので、そのままだ。
七海とエルムがやって来た。
制服のスカートをなびかせ、そこから伸びる足を躍動的に動かしながら走って来る。二人とも既に戦闘態勢となっており、ケサランパサランのアルルと、土蜘蛛のフレンディを喚び出していた。
乱れた息を整え、汗で頬に張り付いた髪を軽く払う。
「応援に来ました! すぐに手伝います!」」
「おい――」
「話は後や。つまりコイツが異界の主なんやろ。でも皆でかかれば、ちょちょいのちょいやんな」
亘の言葉を遮りエルムは不敵に笑う。
「油断してはいけません。なんだか、かなり強そうな感じです」
「確かにそうやんな。周りをこんなに壊したんも、こいつの仕業かもしれんもんな。ほんならいつものように五条はんが前衛で、ウチらは後衛で――」
「ダメだ。手を出すな」
亘の言葉は暗く重い。
「なんでや。邪魔にはならんはずやで」
「そうですよ。私たちだって、援護ぐらいはできます」
「違う。こいつは……これでも人間なんだ」
「「えっ!」」
その反応に、やっぱりなと思う。
亘は相手が人間だからと躊躇う気はあまりない。しかし、二人は違う。人間と聞いて動揺するようでは、仮に倒したとしても気に病んでしまうに違いない。
一方でイツキは割り切っている。厳しい顔で苦無を構え戦う気だ。その辺りの割り切りは、やはり忍びの里で育てられたということだろう。
とりあえずイツキと二人でやるしかない――その時、神楽が声を張り上げた。
「マスター注意して新手だよ! しかもこれ、前に戦ったお爺さんだよ!」
同時に黒いローブ姿のリッチが少し距離を取り、ふわりと降り立った。亘からも、悪魔化した青年からも離れた場所だ。
そして、その土気色したリッチの腕に抱えられているのは小柄の老人であった。
薄く口ひげを生やし、短気さと頑固さを兼ね備えた顔。禿げ気味の白髪を軽く後ろで結び、紋付き羽織に袴だ。
「どれ、ようやく使ったか。しかし、上手くはいかなんだようじゃな」
カラカラと上機嫌な笑い声が異界の中に響き渡った。
「やっぱり左文教授か」
「これ、もっと敬意を込めて呼ばぬか。まったくもって、失敬なやつじゃぞい。最近の若い者ときたら礼儀を知らぬわ」
「そりゃ失礼」
悪魔化した青年と、新たに登場した相手を油断なく睨む。両方と戦うのであれば難しい。
亘は心の中で考えを定めていく。
DPは欲しいが、身の安全が第一だ。そもそも無理して戦う必要はない。
自分とほぼ同列に位置づける存在は七海、エルム、イツキ。ここまでは絶対に守ってみせる。正中と志緒は悪いが出来れば守る程度。大臣たちは、どうだっていい。なお神楽とサキは一心同体なので考えるまでもない。
だが一番の問題は、絶対に守るべき存在が、どうだっていい存在を守る気でいる事だろう。
これでは逃げることも難しい。
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