第181話 名状しがたい感覚

「違うわよ。そうじゃなくって、もっとこう……ああ、もう! 兎に角何とかしなさいったら、しなさいよ!」

 キレた志緒が喚くように声を張りあげた。こうなると女性は無敵状態だ。

 亘は肩をすくめ何気ない動きで前に出る。

「まっ、そりゃそうだな」

 あまりにも自然な動きのため誰も反応しない。そのままあっさりと近づき、そして何の躊躇いもなく大臣の顔を足蹴にした。

「ちょっとお!」

 注文の多い志緒が声を張りあげるが無視だ。

 選挙ポスターでしか見たことがない首長たちを張り倒し、放り投げていく。手加減はしているが、やはりそこに容赦とか遠慮といったものはない。

「えっ……なにこれ」

 眼鏡の青年が我に返った時は、既に全員を地に這わせ正中を助け起こしている。複雑な表情をした正中は背広の埃を払いながら礼を述べた。

「言いたいことは沢山あるが、とりあえず礼を言っておこう」

「そりゃどうも」

 あえてスルーしておき、亘は青年たちに向き直った。どちらもビクッとして身を引くのは、今し方の容赦ない凶行を見てのことだろう。

「で? そっちはどうするんだ? 大人しく捕まるか、痛い思いをして捕まるかテロリストらしく好きな方を選べ」

「テロリストなんかじゃねえよっ! ちょっと大臣を攫って身代金を貰おうとしただけだ」

「ちょっとって程度じゃないでしょ。なんて短絡的な子たちかしらね」

 オールバックの青年の言葉に志緒は額に手をやり、心底呆れた様子だ。とりあえず亘のやった事はあえて触れない事にしたらしい。

「ばばあは黙れよ。大臣ならいろいろと金を貯め込んでんに決まってんだろ」

「ばっ!? このっ!」

「長谷部係長、落ち着け。深呼吸だ、ほら深呼吸をするんだ」

 鬼の形相となった志緒を正中が慌てて制止した。何せ拳銃を携帯しているのだ。

 まあ撃とうが撃つまいが、どっちだっていい。亘は頭の上に載る神楽に手をやり、ちょいちょいと弄りながら考える。それは、この二人の始末をどうするかだ。


 どうなるかは分からないが、以前に異界の中で起きた事件は管轄外と聞いた覚えがある。そうなると普通では罪に問えやしないだろう。悪魔を使って大臣たちを操り誘導したことは何の罪になるのか。

――操る?

 思い至らなかった事柄に思考がようやく一つの考えに到達する。目の前の連中は他人を操れるのだ。

「あ……しまったな。ほら、その従魔をすぐに戻せ」

「大人って馬鹿ばっかだな。気付くのが遅いんだよ。蜃気楼、やってしまえ!」

 青年の抱えていた貝が突き出される。殻が開き、中で目が怪しく輝いた。

「ぐっ」

 亘は目眩にも似た名状しがたい感覚に顔を押さえたが、何度か頭を振り踏みとどまった。状態異常耐性は伊達ではないということだ。しかし他はそうでもない。正中と志緒はあっさりと術中に填まってしまう。

「私は無能ではない。術が使えないからと……あの子を妬んでなどいない……違う。そうじゃない。そんなことは考えていない。素直に普通に賞賛している。そんなことは思ってない!」

「なんで? 私は別に憧れてなんかないわよ! でもそうよ、そうなのよね。私が全部悪いのよね。ごめんなさい、ごめんなさい。こんな私でごめんなさい」

 それのみならず、サキも様子がおかしい。

「ピーマンが、ピーマンが」

 呟き空中の何かを狙い暴れている。振り回される手が風切りの音を響かせており、麒麟からすれば背の上で怪獣が暴れている気分に違いない。

「おいお前何をした?」

「効いてないのか!? まともな奴ほどかかるはずなのに!」

「……あっ、幻覚が見えてしまう」

「嘘つけ! 蜃気楼、もう一度だ。こいつに集中して幻覚を味合わせてやれ!」

 貝の口が再び開き、その中で不気味な目が怪しく輝く。身体感覚が貧血の時のように遠のけば生ぬるい湯に浸るように身も心も虚ろとなる。そんな意識すら曖昧な中で亘は目の前に自分の姿を見た。

「――――」

 何か言っているが、分からない。

 いや、分かりたくないだけだ。それは耳を塞ぎたい罵倒と悪態。もう一人の自分は嫉妬と羨望を顔に浮かべ、問いかけそして糾弾する。

「――――、――? ――――! ――! ――!」

 過去の嫌な出来事や、忘れたい辛い出来事をあげつらい、原因の全てはお前にあると古傷を抉るよう責め立てだす。自分の口から紡がれる聞くに堪えない言葉の数々。それは他の誰に言われるよりも辛い。

 それを亘は――平坦な心で見つめた。

 小さく息を吐くと、ゆっくりと手を伸ばし自分と同じ姿をした相手の喉を握りつぶす。それでもう一人の自分は消えてしまう。手の中には何もないが、嫌なものに触れた時の様に両手を叩いて払っておく。

「で? 今ので終わりなのか」

「何だよ、どうして効かないんだ!」

「なかなか強力だったが、前に似たような攻撃を受けているんだ。慣れだよ慣れ」

「何だよ、そのバカげた理由は!」

 眼鏡の青年が喚いた。

 それを見やり、どうしてやろうかと暗い気持ちで考え込む。聞きたくない言葉を聞かされたことに変わりはない。悪魔の餌にしてやろうかと、かなり本気で考えもする。幸いなことに正中も志緒も地面に膝を突き、前後不覚の様子でぶつぶつ呟くばかりなのだ。今なら何をやっても分かりはしないだろう。


 その時、頭上で小さな声が発せられた。

「ボク嫌だよ」

 呟く暗い声だ。

 そこには背筋をゾッとさせるような重さと思い詰めた何かがあった。神楽がフラフラと何かを追うように飛ぶが、それを足取りで例えるならば蹌踉めくようなものであった。

「おい神楽? ちょっとまさか、お前が術にかかるとか。ありえないだろ!」

「ボク嫌だよ。マスターがマスターが居ないなんて嫌だよ。そんなの嫌だよ、嫌だ嫌だあ嫌だああああっ!」

「げっ」

 叫んだ神楽の周りに光の球が大小様々に出現した。

 余りあるMPを注ぎ込み、暴走するが如く魔法が発動される。辺り構わず放たれた光の球は周囲に暴威を振るいだす。亘は咄嗟に正中と志緒を引き倒した。青年二人も一足遅れで地面へと身を投げ出す。

 爆発、爆発、大爆発。

 目も耳も眩み、音なのか衝撃なのかさえ区別できない状況に包まれる。

 舞い上がる粉塵の中を閃光のように光球が突き抜け、新たな光を煌めかせ衝撃音を轟かせる。木々が吹き飛び電柱や信号機が倒れ、アスファルトの路面が歩道橋が破壊されていく。周辺のビルの外壁が抉られガラスが吹き飛び、崩壊するものさえあった。

 舞い上げられた様々な破片が無作為に無造作に周囲に降り注ぐ。すぐ近くにひと抱えもあるコンクリート塊が落下し、思わず目を見張る。

「おい神楽っ!」

 亘は伏せた状態から、やっとのことで顔をあげた。

 宙に浮かぶ神楽は辺り構わず破壊を撒き散らしながら、それでもまだ魔法を放ち続ける。けれど何度も頭を振り、抑えきれず堪えきれない悲しみと苦しみに声をあげ泣いていた。何か酷く辛い思いをしているようだ。

「……しょうがないヤツだな」

 亘は深く息をつき膝をついた。神楽の涙を見ては放ってはおけない。

 小さな光球が横をかすめるが怯みはしない。そのまま立ち上がる。降り注ぐ破片の数が一気に増え、押し寄せる爆風にのった塵芥が肌を打ち付ける。幾つか大きな塊がかすめるが、気にはしない。

 そんなことよりも――。

「ほら泣くなよ。傍にいるから」

 手を伸ばし小さな身体を両手で優しく包み込んでやる。そのまま引き寄せると、抱え込むように抱きしめた。


◆◆◆


「なにこれ……何がどうなったらこうなるのかしら」

「そこら中でビルが崩壊している。これではまるで世紀末の光景だ」

 正気に戻った正中と志緒は呻きながら身を起こし、そして周囲の景色の変わりように驚愕した。そのまま座り込んでしまい理解が追いつかず辺りを眺めている。

 無理もない。

 何でも無い普通の都市だった景色は、今やひと戦争あったかというほどに破壊され変貌しているのだ。道路には瓦礫が散乱し、コンクリート塊から飛び出した鉄筋が断末魔のように伸びていた。

 破壊されたビルは途中から折れ内部構造を露出している。隣に崩れかかった状態のビルからは、今もガラス片やコンクリート塊が断続的に落下している。

 もしこれが普通の世界での出来事であれば、今頃は大量の死者負傷者が発生し、緊急車両が駆けつけ空をヘリが飛び交っていていたところだろう。

「あー、よしよし。もう泣くな」

 その惨状をつくりだした神楽だが、今は鼻をすすりながら亘にペチョッと張り付いたままだ。しっかりしがみつき、決して離れまいとしている。もちろん、引きはがすような恐ろしい真似はしやしない。

 亘は地面に座り込んだままの若者二人を見やった。

「もう一度幻覚を見せてもいいけどな、次はどうなるか分からないぞ」

 忠告するが、それは脅しだ。神楽のMPはこの破壊と、ケガした者の回復で既に尽きている。同じ真似はできないだろう。

「…………」

 正中と志緒は大臣たちの様子を確認しつつ、時折恐れるような視線を神楽に向けている。それを無視すると亘は軽く息をつき小さな頭を指先で撫でてやった。

 神楽がどんな幻覚を見たのかは知らない。

 けれど酷く悲しがっていることは分かる。そして亘も自分の姿をした存在が放った言葉に傷ついていた。

 今夜はもう帰って雑談などして気を紛らわし、風呂に入って寝てしまうのが一番だろう。引っ付いて一緒にいれば、お互い癒やされるに違いない。

 ピーマンを怖がっていた方は、まあ……どうしたら良いかは不明だ。

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