第180話 押さえ込まれた子鹿
むさ苦しいオッサン集団が地面に座り込んでいた。正座する者、胡座をかく者、膝を抱える者と様々だが、いずれも酔っ払いだ。
異界の中で風は吹かず、周囲にアルコール臭や煙草臭、脂っぽい加齢臭や年寄り好みの整髪料といった臭いが濃く漂っていた。
そのせいか、近くにいた二人の青年は近寄ろうとしない。
一人は眼鏡をかけた生真面目そう坊主頭で、もう一人はひと昔前の不良風オールバックの髪型だ。どちらも成人式を迎えた程度の顔立ちで、落ち着かなげにソワソワと周囲を歩き回っている。
「どーすんだよ。こんなに人質とっちまって、大臣だけじゃなかったんか?」
「確かに過ぎたるは及ばざるがごとし。文句あるなら自分で数を減らせばいいじゃない?」
「減らすって、どーやってだよ。始末しろっての?」
「どうするか聞いたのは、そっち。こっちは答えただけ。減らす方法は自分で考えなよ。ほら、自分の従魔を使うなり好きにすれば?」
眼鏡の青年はきつい口調で言うと、のっそり佇む異形を指さした。
それは鰐の頭に鱗のあるカバのような姿であった。大型犬並のサイズだが、口元に覗く牙は鋭く、人間など容易く喰い千切りそうだ。けれど暢気に欠伸をする様子には獰猛さの欠片もなかった。
オールバックの青年はむっとした顔をすると、相手が小脇に抱えた鞄サイズの貝を指さす。
「俺の麒麟を馬鹿にすんな。お前のだせー従魔と違って格好いいだろ」
「んな間抜け顔のが麒麟て、毎回思うけど何かの間違いじゃないのか」
「なんだとこら、喧嘩売ってんのか」
「やだやだ、これだから君みたいな野蛮なタイプは嫌いなんだよ」
「こっちだってお前みたいな嫌みっぽい野郎は嫌いなんだ。偉そうに大臣を誘拐するとか言ったくせに、どうすんだ。これから」
「それを今考えているんだよ。少し黙ってくれないか」
言い争う二人の雰囲気がどんどん険悪になっていく――その時、突如として光の球が飛来した。
「「えっ?」」
目で追うのが精一杯。音もなくスッと通り過ぎ、植え込みへと吸い込まれる。途端に辺りを揺るがすような爆発が生じた。葉と枝と根と土が飛散する。
「のわわっ!」
「伏せろ、伏せろ!」
それだけでは終わらない。同じような光の球が次々と降り注ぎ、そこら中で爆発音が轟き土砂が巻き上げられていく。二人は地面に身を伏せ頭を抱えた。麒麟も伏せの状態になり短い前足で頭を抱えている。
冷静に観察できたなら、爆発は彼らと人質に命中せぬよう注意が払われていることに気付いただろう。しかし、この状況でそんな冷静さを持てるはずがない。音と土のシャワーを浴び、ただ恐怖に戦くばかりであった。
ようやく爆発が収まると――。
「動くな!」
正中が銃を構えながら叫んだ。ひと足後れで志緒も追いつき横に並ぶ。鋭い声に青年たちは呆気に取られたまま事態が飲み込めないでいる。
一方で麒麟は呻りをあげ戦いのため身を起こし自らの契約者を守ろうと動きかけ――その背にサキが馬乗りとなった。背中に遙か高位の存在を感じ取り、麒麟は瞬く間に抵抗の意思を失いクシャッと潰れてしまう。
四本足を投げ出しブルブルと震える寸胴体型に哀れを催し、サキは攻撃せず判断を仰ぐよう、遅まきながら現れた亘へと視線を向けた。どうするかと問いかけた目線に対し、手の合図だけでそのままでいろと指示がされ嬉しそうにする。
ペタペタと頭を撫でられた麒麟は恐怖に震え続ける事になった。
上空から一直線に飛んできた神楽が亘に纏わり付く。
「ふふん、やっぱし凄いよね。ボクの魔法ってばさ」
「流石は神楽だ。一発ぐらい誤射があると思ったのに、見事なもんだ」
「そーでしょ、そーでしょ。もっと褒めたっていんだよ」
「さて、あんまり褒めると調子に乗るから、この程度にしておくか」
「ぶーっ、なにさそれ。もっとボクを褒めたっていいじゃないのさ」
頬を膨らませた神楽が両手を振り回しながら突撃し、亘にいなされ遊ばれる。そんなじゃれ合いの姿にサキは軽く拗ね、不機嫌そうに麒麟の背中を小突いた。おかげで敷物代わりにされた麒麟の恐怖は、いや増すばかりである。
「これにて一件落着といったところかしら」
やれやれと志緒は笑顔になり、放心状態の大臣一行を見つめた。座り込んだままピクリともしていない。
「なんだか様子がおかしくないかね。様子を見てくる。長谷部係長はこの二人を見張っていてくれ」
「了解です」
志緒は頷き慎重に青年たちを見張る。だが、眼鏡の青年が抱える白いものが従魔と気付き顔色を変えた。
「あなた、その従魔を放しなさい。抵抗しても無駄よ」
「俺は何もしない。でも、そいつらはどうかな?」
「なんですって!?」
「やってしまえ!」
その声に大臣たちが一斉に立ち上がった。焦点の定まらない目でフラフラと動きだすが、両手を突き出し呻きをあげる声はホラー映画のようだ。
近づいていた正中が掴まる。
「大臣!? うわっ!」
格闘技の心得はあるものの、相手が相手のため何もできない。正中は大臣に腕を掴まれ、近隣市町村の首長たちにより地面へ押さえ込まれてしまった。
「えっ、えっ? 何、どうしたら?」
残りの者はそのまま迫り、志緒は相手と青年と両方を交互に見ながら後退るしかない。
形勢が変わった様子にオールバックの青年は立ち上がり、麒麟に跨がるサキに目を向けた。傍目には可愛い子供が大型犬にじゃれているようにしか見えない。
「おいちびっ子、俺の従魔からどけよ」
「やだ」
「この餓鬼が。くそっ、仕方ねえな。そいつ気が弱いんだ虐めんなよ。それよか、これからどうすっかだ」
腕組みしながら苛立たしげに貧乏揺すりをしだす。
サキがここに――異界という世界に――居て麒麟を抑え込む異常さに気付きもしない。元来から考えなしなのか、現状に手一杯なのかは不明だ。なんにせよ麒麟は絶望し虎に押さえ込まれた子鹿並に震えるしかない。
その間にも志緒はおっさん集団に迫られていた。
「ちょっ、皆さん正気に戻って下さい。酔っ払った上での暴行も罪になりますよ」
懸命に声をあげる志緒に対し、亘がのんびりした口調で助言する。
「言っても無駄だろ。どう見たって操られてるだろ。それより、早く逃げないと、嫁入り前に押し倒されるぞ」
「ちょっとね。バカなこと言ってないで、何とかなさいよ。この人たち、あなたの上司さんたちなんでしょ。部下なら説得ぐらいしなさいよ」
「だから操られてる様子だ。説得なんて無駄だな」
青年たちは顔を見合わせ笑った。
「なんだって部下ぁ? 自分の上司を助けにでも来たのか。社畜だな、社畜」
「社畜じゃん、だっさ」
あからさまな嘲り声で笑っているが、なんにせよ、亘は鼻を鳴らした。
ろくすっぽ働いた経験もなさそうな二人だ。どうせネットの知識でしか、知りもしないだろう。それで社畜を語るとは、ちゃんちゃらおかしい。社畜は、その状況に居る者が自嘲気味に語るべき事なのだ。
こめかみを揉みながら深々と息を吐く。
「社畜、社畜。なるほど社畜ねえ? 確かに社畜だな」
嫌な気配を察した志緒は、それまでと違った意味で慌てだす。
「ちょっと、そこのあなた! すぐに止めなさい。でないと本当に大変な事になってしまうわ。お願いだから止めさせて!」
「何言ってんだ、この女」
「い、い、か、ら! 早く止めなさい」
志緒は必死に声を張りあげるが、眼鏡の青年は命乞い程度にしか思わずせせら笑うばかりだ。その間に亘はDPで出来た棒で軽く地面を突き、口角を上げニンマリと笑っている。
「ああこうなっては仕方ない。我が身を守るためには戦うしかないのだ」
空を仰ぎ嘆くような素振りをしてみせると、亘は笑顔で掴みかかる下原課長の腕を打ち払う。そのまま流れるように総務課長の腹を棒で突く。相手は吐瀉物でスーツを汚しながら仰向けに倒れてしまった。
一方、腕を抱えた下原課長が苦悶の声をあげ亘を見上げる。
「ううっ、なんだどうなった。ここは……んっ、五条係長?」
「ちぇすとぉっ!」
「ぐふうっ」
亘の激しい蹴りが下原課長を捉えた。見事なモーションで吹っ飛ぶ様子は、まるで格ゲーのトドメを刺された瞬間の如くだ。エコーのかかりそうな悲鳴とともに、地面へと落下し転がった。ひくひく痙攣している。
「ちょっと! 今のどう見たって正気に――」
「気のせいだ」
言い置いて亘は向かって来る面々に身構えた。いずれも職場で見知った上司たち。さして関わり合いのない相手もいれば、そうでない相手もいる。
「うふっ、ふふふ。まさかこんな日がこようとは、ふふふはははっ」
亘は笑いを抑えきれない。
横柄に威張られたことや、小バカにされたこともある。頑固なまでに自分の意見を主張され、板挟みになって苦しんだこともある。顎先一つで使われたこともある。杓子定規な事を言われ、寝れないほど困った事だってある。
普段は印鑑一つを押して貰うため、大人しく返事をして従っているが……今は異界だ。死ななければ、どうとでもなる。
「いやあ、すみませんね。申し訳ありませんねえ」
謝る亘だが、もちろん笑顔で棒を振るう。
凪ぎ払いで腰を打ち据え、太股を打つ。突いて叩いて蹴り飛ばし、踏みつける。手加減こそするものの、その動きに躊躇いはない。最後に太った経理課長を地に這わせた後は、下原課長をわざわざ足蹴にしに行くほどだった。
「もうマスターってばさ、それやりすぎだよ……」
「こいつに日々、嫌みを言われているんだがな」
「もっとやっちゃえ!」
神楽は声を張りあげた。麒麟に跨がるサキも頷いている。
「お前は人の心ってものがないのかよ、自分の上司だろ!」
「ん? 何を言ってるんだ。人の心があるからこそ、やってるんだろ」
亘は心底不思議そうな顔をした。
呆気に取られた青年はしばし意味を考え固まってしまう。
「あなたね、相手は一般人なのよ。いくらなんでも、やりすぎでしょ」
「大丈夫だ。多少ケガしたって、回復させれば問題ないんだ」
「そういう問題じゃないわよ」
「そう言うなよ。仕方ないだろ、相手は上司なんだから。志緒も分かるだろ?」
「……まあ分からないでもないけど。あっ、別に正中課長に不満はありませんよ。世間一般的には確かにそれはそうって意味なだけで……」
志緒は口ごもりながら大臣に押さえ込まれる自分の上司を見やった。それで我に返った眼鏡の青年が正中を指をさす。
「だ、だったら、あいつがどうなってもいいのか」
一瞥して亘は平然と答えた。
「いいぞ。好きにしろ」
「ちょっと、良くないわよ。うちの課長に対して何てこと言うのよ!」
声を張りあげた志緒に亘は哀しそう頭を振る。
「正中課長は自分の職務に命をかける立派な人だ。人質となって事態を悪化させることは望まないはず。ならば、それに応えてあげるべきだ」
「うぐぐっ!」
亘の弄する詭弁に志緒は呻りをあげるしかなかった。
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