第179話 古代の軍師に倣い
植栽ブロックの上でバランスを取るのはイツキであった。横の歩道を普通に歩く七海とエルムは何も言わない。どのみち制服姿の二人の方が目立っているのだ。
警察署からタクシーで移動し、運転手に目的の場所を聞き、近場で降ろして貰ってこっそり接近中である。近寄ってくる酔っ払いがいるため早足だ。
「タクシー代をこんな風に使ってしまったので、怒られちゃいそうです」
「しゃーないやん。なんやら大事件ぽかったのに、置いてく方が悪いんや」
「そうだ俺たちは悪くない」
イツキが植栽ブロックから飛び降り、もっともらしい顔で頷く。
「エルやんの言う通り置いてく方が悪いんだぞ」
「それには同意ですね。でも、こんな時間にこんな場所を歩くなんて初めてですよ。そもそも、夜はあまり出歩きませんけど」
「そういやナーナは、撮影とかで遅うなったりせんのか?」
「遅くなっても、撮影所から家まで車で移動ですから」
「にゃるほど。それやと出歩いとるっちゅう感覚はないわな」
「俺は鍛錬代わりの走り込みしてるけどな」
イツキは歩道タイルの同じ模様ばかりを踏み、ぴょんぴょんと身軽に飛び跳ねている。しかし、ふいに足を止め前方を指さした。
「むむっ、小父さん発見だぞ。ドン狐に手を引かれてら。あと、正中の課長さんに志緒ちゃんも一緒だぜ」
「マジかいな。ウチ、視力いいはずなんやけど……よう見えんわ」
「私もですよ」
七海とエルムは目を細めてみせたが、それで見えるわけではない。
遠いうえに暗くもあり、イツキが指さした辺りに人影が判別できる程度でしかない。それでもイツキは手をひさしのようにしながら平然と見通している。流石は山育ちだ。
「ありゃ、チビ悪魔のやつ。こっちに気付いてら」
その言葉に七海が目を見張る。
「えっ、神楽ちゃんの姿まで見えるんだ……」
「うん、振り向いて手を振ったんだぞ」
「ほんなら、五条はんにも気付かれとるんかいな」
「そうでもなさそうだぜ。多分、黙ってんじゃないのか。理由は分かんないけど。そんで、どうすんだ? もう合流するか」
イツキの言葉にエルムが頷く。
「ここまで来れば帰れとは言わんやろ。合流しよ……とはいえ、まずはこれを追い払わなあかんやろ」
エルムはウンザリした様子で傍らを見やった。そちらから、酔っ払いが呂律のまわらない言葉を言いながら寄ってくる。しかもニタニタ笑いながらだ。
「じゃあ、また俺の出番だな」
イツキは不敵に笑い酔っ払いへ向き直る。里で身につけた戦闘術を披露すべく身構え臨戦態勢だ。七海とエルムは顔を見合わせたが、しかし止める気配はない。
「ほどほどでお願いしますね」
「あと、目立たんようにな」
◆◆◆
夜の闇に包まれていた街の景色がクッキリと見えていた。そこは異界に再現された薄暗くも薄明るい仮初めの世界である。しかし、暗がりに慣れきっていた目には明るすぎ、時差ボケを起こさないか心配になるぐらいであった。
そんな静かな世界に亘の声が響く。
「よし、ここがそうか。良く案内してくれたな」
黄金色の髪をわしゃわしゃされ、サキは得意そうで嬉しそうだ。
なにせ人間の街は様々な悪臭を放つため、臭いを嗅ぎ分ける事は苦労している。それだけに褒められると、引っ込めていた耳と尻尾が自然と現れ機嫌良く揺れるほどであった。
「とはいえ、本当にここに大臣たちが居るのか?」
「むうっ、式主酷い」
疑われたサキは不機嫌そうに口を尖らせた。
上げて下げての失礼な扱いだが、質の悪いことに亘は自覚がない。ここでいつもなら、神楽が注意をするのだが……今は通り抜けた異界の扉を見やったままだ。遅いなあと、呟いていたりする。
「なあ神楽の探知に気配を感じないか?」
「えっ? 人間の気配のこと? 異界の中だと探知範囲狭いもん、ボクあんまし分かんないや」
「さよか」
「でもさ、サキが言ってんなら間違いないよ。疑うなんて酷いとボク思うよ」
「むっ、確かにそれはそうだな。疑って悪かった」
「んっ、許す」
サキは偉そうに言いながら、そっと動いて亘の手が届く位置へと移動していく。もちろんそれは、頭を撫でて貰うためだ。これが人を惑わし虜にする側の係累と誰が思うだろうか。
亘は手頃な位置にある頭を撫でつつ改めて周囲を見回す。
酒臭いサラリーマンもいなければ、ケバい服装の女性だっていやしない。夜のベールを剥ぎ取られたそこは、いかがわしい雰囲気は欠片もなかった。ビルなどの建物たちが、ただ存在するばかりだ。
「この異界の中で捜索を行うのか。建物を一つずつ確認するのは面倒だな」
「臭い辿れる。任せて」
「そうだな、そのまま続ければ良かったな。よしよしお前はお利口だな、偉いな」
「んもう、マスターってばサキばっかり――」
神楽は道路標識の白い支柱を睨んだ。
「そっちから敵が来るよ」
警戒する一行の前に、音符のような形状をした黒い生き物たちが出現した。
そのサイズは亘の掌とさして変わらず、神楽と比べても一回り小さい。数は多く二十から三十だが、ぴょんぴょん跳ねるため数えられない。
「木霊だね。数が多いからさ、ボクの魔法で倒しちゃおっか」
「それは止めておこう」
亘はDPアンカーを起動させ、スマホの中から棒を引き抜いた。軽く回転させ、自分の肩を数回叩く。
「大きな音を出すと犯人に気付かれるかもしれない。ここは面倒でも接近戦で倒しておこう。とりあえずサキと二人で片付けてくる」
「一緒、戦う!」
喜んだサキはスキップしながら前に出た。両者が並ぶ姿は身長さもあって、まるで散歩する親子のような雰囲気だ。
「ボクだってさ戦えるのにさ。いいもん、いいもん」
神楽はふて腐れつつ亘の頭に飛び乗った。
そして木霊との戦闘が開始され――意外にも苦戦する。
一撃で倒せるほど脆弱な相手だが、小さいため亘にとって攻撃しづらいのだ。踏みつぶそうにも、ちょこまか動くため狙いが定めにくい。そうなるとしゃがみ込み、一体ずつ棒で叩いて潰さねばならなかった。
それは地道で地味な戦闘だ。
「くそっ、なんて戦いにくい敵だ。ああ、鬱陶しい」
「ほらマスター足下に来てるよ。背中はボクが見てあげるからさ、ほら早く倒しちゃいなよ」
「簡単に言うな。この姿勢だと戦い難いんだ」
「式主、頑張る」
サキがすばしっこく動き、スカートを翻し次々倒していく。ひょいっと動いて腕を振るい軽々と木霊を爪で引き裂く。横でモグラ叩きのような動きをする亘とは大違いだ。
「応援は呼んだが、それを待たず少しでも早く発見せねばなるまい」
背後では戦闘に参加しない正中と志緒が話し込んでいる。
「ですが課長、敵はどのようにして大臣たちを連れ込んだのでしょう? 少なくとも十人以上はいたはずですわ。それをここまで連れて来ることは難しいのでは……」
「そうだな。悪魔で脅して、というだけでは弱い。犯人の数が予想より多いのか、他に理由があるのか。なんにせよ警戒せねば」
二人が会話を続ける前で、全ての木霊が叩き潰された。ちなみに殆どサキが倒してしまった。面目を失った亘の背中にサキが飛びつき、そのままよじ登り肩車のように腰掛けてしまった。
「高い高い」
「じっとしてろよ……それより、うちの職場の幹部連中が生きているといいですけど。なんせ大臣より優先度が低い。死体になってたら泣くに泣けないな」
「あなたね、縁起でもないこと言わないでよ」
「じゃあ早いとこ探しに行こうか。サキの鼻が頼りだ」
「任せる!」
期待されるサキは顔を輝かせ、亘の頭を抱え込みながら道案内を開始した。
「まっすぐ」
コインパーキングの前を抜け解体途中のビルの前を通り、横断歩道を踏み越え左右確認しながら車道へと出る。無音の世界のため、足音に注意しながら進む。幸いなことに、新たな悪魔は出現しない。
サキに指示されるがまま進んでいくと、大通りに挟まれた広場が見えた。それは巨大な中央分離帯とでも言うようなもので、木々の植栽やベンチがあり、ちょっとした公園となっている。
「あそこらへん」
「そだね、ボクの探知でも感じたよ。人間の気配がするけどさ、昨日の夜に感じた二人の人間がいるね」
亘たちは目立たぬよう車の陰に隠れた。しゃがみ込むと、車座になって顔を付き合わせる。
「で、どうするんだ。志緒の案は?」
「そうねえ……課長どうですか?」
亘から志緒に、志緒から正中にと問いが振られていく。
「うむ。古代の軍師に倣い三策をあげるなら、一気に攻めるが上策、敵を誘い出し各個撃破するが中策、そのまま時を過ごすが下策」
正中がスラスラと述べ、学のあるところを見せた。
「どのみち応援がいつ来るか分からない。そして戦力的には五条係長が一番であることも間違いない。だったら、早いところ突入すべきということだ。ただし、犯人は生かして捕まえたい」
「それならよい方法があります」
亘はニヤリと笑ってみせたが、志緒は不安そうな顔をするばかりだった。絶対にろくでもない方法だと確信さえしていたのだ。
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