第178話 中はもぬけ

 事務所長によると――大臣や地元市町村の首長、事務所の幹部たちとこの店で二次会を行っていたそうだ。そして途中で事務所長が席を外し、戻ってると中はもぬけの殻だったという。

「失礼ですが、席を外した間に皆が別の場所に飲みに行った可能性とかはないですかね?」

 亘は自分が過去に体験した出来事から推測してみせた。酔い醒ましに夜風に当たり戻ってみると誰も居ない。そんな体験だ。

 しかし事務所長は首を横に振る。

「誰も連絡がつきませんし、短時間で全員がいなくなるとも考えにくいですね。それにほら、店の人だっていませんでしょう」

「厨房も空ですね。火の元とか大丈夫ですかね」

「火は消しておきました。そうなると、答えは自ずと悪魔関係ではないかと思うのですよ。ほら人工異界ってものもあったでしょう?」

「なるほど。あっ、そう言えば昨日の夜に……いや、それは関係ないか」

 言いかけ亘は口ごもる。

 神楽が探知した異界の気配について言うべきか、言わざるべきか。それが問題だ。とはいえ、なんだかマズいと思ってやましい気分だった。

「何か知ってるなら言いなさいよ。今はどんな情報だって大事なのよ」

「長谷部係長の言う通りだ。何か知っているなら教えてくれるか。事は重大だ」

「……いや、大した内容じゃないですよ、はははっ。ほら、あのコンポトン大使を襲撃してきた老人。それが昨日の夜、近場の異界で何人かと一緒にいたみたいで。まあ、関係ないでしょうけど。関係ない情報ですいませんね、はっはっはっ」

 笑って誤魔化すのは、重要情報だと自分でも思うからだ。

 もちろん志緒は目を吊り上げた。

「ちょっと、あなたね。それ凄く重要な情報よ! なんで連絡してくれないのよ。いいえ、今日の早い段階でも教えてくれてれば!」

「忘れてた」

「あなたって人はぁ!」

「そう怒鳴るなよ。なんにせよ結果論でしかない。ここで怒鳴って他人を責めて何か解決になると言うのか? 違うだろう。今はどうするかだ」

「うぐっ。確かにそれはそうかもしれないけどね、でもそれを本人が言うのかしら。なんだかとっても腹が立つわ」

「そりゃすいません」

 亘は誤魔化し笑いを浮かべる。普段の職場での様子――真面目で大人しく他人に従う姿――を知る事務所長は少し意外そうな顔をした。


「さてと、こんな時に頼りになるのは神楽だな。それでは事務所長、今から従魔を喚び出しますけど、驚かないで下さいよ」

「分かりました。実際に見るのは初めてですね、こんな時ですが楽しみですよ」

 期待する事務所長の返事に気を良くして、亘はスマホ画面を操作する。

 光と共に白い衣装に緋色のスカート姿の少女が飛び出すと、そのまま空中へと舞い上がりヒラリと回転しながら元気よく片手を挙げてみせる。

「喚ばれて飛び出て、ボク登場なのさ。あっ、知らない人間……」

 威勢が良かったのはそこまでで、事務所長の存在に気付くなり亘の背後へと隠れてしまう。そこから恐る恐る顔を覗かせるのは、人見知りだからだ。

「これが悪魔……」

 事務所長は目を丸くしながら本気で驚いている。

 小さな姿が生き生きと動く様子に、その目は釘付けだ。どうやら知識として知ってはいても、やはり初めての邂逅は衝撃的だったのだろう。

 けれど驚き具合がちょっと変だ。

「このスケールに、この可愛らしさ。素晴らしい。素晴らしすぎる。エポキシでディティールを……くっ! 次のフェスに間に合うか? いや間に合う間に合わないではない。間に合わせるんだ!」

「事務所長?」

「はっ! いや、すみませんね。悪魔を見るのは初めてで緊張してしまいます」

 指先で自分の額をトントンする事務所長だが、その目は神楽に釘付けのままだ。まるで計測するように真剣に見つめている。

 何か不審を抱いた亘だが気にしないことにした。

「そうですか。あと、もう一体喚びますんで」

 スマホから飛び出した光の粒子が空中で渦を巻き、そこから金色の髪をふわりと靡かせながらサキが現れた。優雅に着地したものの、床が油で滑るためバランスを崩し転びそうになる。亘に支えられ体勢を立て直すや、その手にしがみつく。

「なんと、こちらもまた随分と可愛らしい。いや、美しい子ですね。しかし、見た目は人間と変わらないものですね」

「そうでもないですよ。ほら、耳と尻尾を出せ」

 亘は機嫌良く頷いた。自分の従魔を褒められて嬉しくないはずがない。

 もちろんサキも賞賛され満更でもないようだ。大人しく従い、あどけなく見上げたまま獣耳を現してみせた。亘からは見えないが、絶対にあざと可愛い顔をしているに違いない。

「ぐはっ!」

 事務所長は大いなる衝撃を受けていた。

「なんたる感動、なんたる興奮。この姿を世に残し諸人に伝えることが我が使命ではないのか。これぞ天命。だが、この髪質を再現できるマテリアルは何だ。何を使えばいいんだ」

「志津先輩、まだその趣味を続けていたのですか。昔はフェスで売り子を手伝わされたものですよね」

 大学時代からの仲である正中は呆れ顔だ。亘が視線を向け目で尋ねると軽く肩をすくめている。

「先輩、それより今は大事なことがあるでしょう。正気に戻って下さい」

「くっ、確かに……五条係長、この事態は極めて深刻。大臣が行方不明となれば国家運営のみならず、我が国の信用問題にも繋がってしまいます。加えて近隣市町村の首長や我が事務所の職員が行方不明となれば、この地方の行政運営は麻痺し多大な混乱が生じることは必至。それだけはなんとしても避けねばなりません」

 思わしげに憂いている。先程の声と、今なお視線を神楽とサキに彷徨わせていなければ、天下の憂いに先立ち憂える人に見えたことだろう。

――こんな人だったのか。

 亘は内心呟いた。

 ただしそれは好感に基づくものだ。

 生真面目なキャリア官僚なので、人生のリソース全てを仕事に注ぎ込んでいると思っていた。事務所長という立場や役職で決めつけ、本人を見ようとも知ろうともしなかった。なんと偏見に満ちていたことか。

 亘は自分を恥じた。

 天井を見上げ剥き出しの蛍光管を睨み、神楽に問いかける。

「周囲に悪魔らしい気配はあるか? もしくは居た気配とか」

「んーとね、ここらには居ないよ。ボクの能力だとさ、居たかどうかなんて分かんないもん。そんぐらい、ちゃんと把握しといてよね」

 小さな手でペシペシと叩いて動く様子に事務所長が目を輝かせている。

「そうだったな。だったら、近くにある異界はどうだ?」

「ちょっと待ってね。探してみるからさ……えっとね、あれれ?」

「どうした?」

「あー、なんでもないよ。それよかさ、異界なら幾つかあるみたいだよ」

 神楽の態度が少し腑に落ちないが、しかし今は消えた大臣の行方が優先だ。亘は顎に手をやり考え込む。異界が複数存在するなら探すのは容易ではない。

「そうなるとサキに臭いを辿らせて……おい何してる」

 ふと見れば、肝心のサキはパイプ椅子の上に立ち肉を手づかみで食べていた。もちろん生肉で、ひょいぱくひょいぱくと美味そうに平らげていくではないか。美しい顔立ちには似合わぬ行動であるが、幸せそうな顔が可愛い。

「おいこら生肉はダメだ。食中毒の危険があるだろ、せめて焼いてからにしろ」

「平気」

「行儀だって悪いだろ。恥ずかしいから止めなさい」

 亘の拳骨が振り下ろされる。ぎゃんっと小さな悲鳴をあげ、サキは涙目で獣耳のある頭を押さえた。

「ところで大臣の座っていた場所はどこでしょうか?」

「え? ああ、それなら私の向かいですよ」

「なるほど、そこですか」

 言うなり亘はサキの首根っこを引っ掴むと、大臣が座っていたパイプ椅子へと運んで行く。そして座面へグリグリと顔面を押しつける。嫌そうな声があっても、お構いなしだ。その手荒な扱いに皆が呆れ顔だ。

「よし、臭いを覚えたな。さあ追え、GO!」

「式主酷い」

「文句を言うな。食べた肉の分ぐらいは活躍するんだ」

「ほらさ、サキも我慢しなよ。どーせ、言い出したら聞かないんだからさ」

「んっ」

 神楽の取りなし――というより、諦めの勧め――もあって、サキは渋々と頷いた。クンクンと周囲の臭いを嗅ぎだしている。猟犬の中には空気中に漂う臭いで獲物を追う犬もいるそうなので、きっとサキにも可能だろう。

「それでは、なんとしても皆を救出してみせますから!」

 亘はきっぱりと言い切った。それは危機に敢然として立ち向かおうとする立派な態度だ。事務所長と正中は感心すること頻りであった。

 けれど志緒や神楽にサキなどは胡乱げだ。

「あなたが乗り気って、何だか不気味よね」

「そだよね。マスターってば、何を企んでるのさ。ほらさ、ボクの目を見て言ってごらんよ。正直になると楽だよ」

「失礼だな。この気持ちは本当なんだ。もし、職場の課長たちに万が一があったら……いかん。考えるだけでも、ぞっとしてしまう。早く探さねば」

 亘は目を閉じ身を震わせた。

 その姿は同僚たちの身を心配しているようにしか見えないものだ――が、もちろん違う。もし職場の課長たちが行方不明になればどうなるか。

 人の補充なんてそう簡単にされない。名目上の代行として事務所長が仮権限を持つとして、実際の実務などは全て周囲に降りかかる。今でさえ課長の代わりに行う仕事があるのに、それを全てなんてなったら目も当てられない。

 真剣な眼差しの様子に神楽が何故か涙ぐみだす。

「そっか、本当に心配してたんだ。そっか、そっかぁ。マスターがさ、ついに人のために行動しようだなんてさ……ボク、ボクとっても嬉しいや」

 感動の涙を前に亘はそっと目を逸らした。

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