第177話 本日、貸し切り

「ありがとう。お返しする」

 通話を終えた正中がスマホを差し出してくる。画面にはむくれ顔の神楽が見えた。どうやら亘以外が使用したのが気に入らないらしい。面倒なので何のフォローもせず懐に放り込んだ。

「勘違いだといいですけど、急いで行った方がいいですよね」

 相手は所属事務所のトップ。ここでゴマすって恩の一つでも売っておけば後々助かるに違いない。たとえば難しい案件の決裁とか――仕事にプライベートを持ち込む人ではないらしいが、多少の期待はしてしまう。

「場所を聞いたが、この辺りの土地勘がないんだ。五条係長は知ってるか?」

 そして正中が告げた住所を聞いて亘は軽く頷いた。あの合コン会場の近くだ。

「店は知りませんが、場所は大体は分かります。歩いてになると、ちょっと距離がある。行くなら車の方がいいかと」

「分かった、近くまでパトカーで送って貰うとしよう。長谷部係長、至急手配を」

「こっちの三人は帰らせますんで、戦力には考えないで下さい」

「それがいい。子供を遅くまでは出歩かせられない」

 一緒に行きたがるイツキとエルムを宥め、七海にタクシーを呼ばせておく。そうこうするうちに、パトカーの準備が出来たと知らせが来た。

 正中を先頭にカツカツと勢いよく正面玄関に向かう。

 背広の上着を翻しパトカーへと乗り込んだ様は、ちょっとした刑事ドラマ気分だ。格好付けドアを閉めた亘だったが、外からノックされる。

 サキを忘れていた。どうにも締まらない。


 パトカーは赤色灯のみでサイレンは鳴らさず出発した。

 道路に出ると一般車両が次々と道を譲っていくのだが、それを見ると何だか――自分が偉くなったような気分に――勘違いしてしまいそうだ。

 もっとも、今はその勘違いしそうな状況のおかげで目的の場所まで早々に到着する事ができたので感謝せねばならない。

 そして運転していた警官に店の位置を教えて貰いパトカーを降りた。

「なるほど、これなら少し離れた場所で降りて正解ってところかな」

 周囲の通行人が立ち止まり、何か事件かといった興味本位の目が向けている。

「パトカーでは目立ちますからね。さあ、行こう。おっと、走る必要はない。急いでいるときこそ、ゆっくりだ」

「でも課長、ここは急いだ方が……」

「走ったところで一分か二分の違いだ。今はまだ、それを求める時ではない」

 そう言った正中は大股で歩きだす。どうやら今の言葉は自分自身に言い聞かせていたらしい。思いの外、それは早い動きだ。

 亘もサキの手を引きながら歩きだした。


 周囲から向けられる視線はすぐ薄らいでいく。誰もが自分にしか関心がない世の中がありがたかった。とはいえ、まだ不躾な視線は幾つも向けられている。

 それはサキが原因であった。黄金色した綺麗な髪が夜目にも目立ち、整った顔立ちの幼い姿と相まって人目を引いてしまう。

「すまないが、その悪魔――その子は戻してくれないか。流石に夜の繁華街で、その姿は目立ちすぎだ」

「確かに……そこの物陰で戻すんで、志緒。悪いが一緒に壁を頼む」

「分かったわ」

 さすがに正中を使うわけにもいかず、志緒と一緒に物陰へ移動する。

「ほら戻れ」

「ぶー」

 サキは下唇を突き出し不服そうな顔だ。

「また直ぐ喚ぶから我慢しろ」

「…………」

「明日の夜は稲荷寿司にしてやるから」

「分かった」

 嬉しそうな顔が光の粒子になりスマホの中へと消えると、志緒が目に見えて安堵した。額の汗を拭うような仕草までしている。

「ふうっ、良かったわ」

「何がだ?」

 先行する正中を早足で追いながら言葉を交わす。女性相手は苦手だが、志緒が相手なら平気だ。七海たちとはまた違って、とにかく気軽に話すことができる。

「あなたは平気でしょうけど。あの子は、やっぱり恐いもの」

「うちのサキを恐いとか失礼だな。素直で良い子なのに、もちろん神楽もだ」

「その台詞、まるで子供自慢する父親みたいよ。あなたって……案外と良い父親になるかもしれないわね」

「案外ってのはなん――すいません」

 横を向いて文句を言っていたので、正面から来ていた集団にぶつかりそうになってしまう。軽く謝りながら避けようとして、相手共々目を見張る。

「あっ」

「これは五条先生ではありませんか。あれ、どうしちゃったんですか。急用が出来て帰ったのじゃなかったですか?」

 合コン会場に置き去りにしてきた高田係長をはじめとする同僚たちだった。

 男だけで歩いている様子からすると、どうやら全員が上手くいかなかったらしい。さもありなん。いや、問題はそこではない。

 亘は脳裏で冷静な計算を組み立てだす。

 今後の職場での立場ってものがある。嘘をついて帰ったことがバレては最悪。誤魔化す必要がある。どうすればいいか。手持ちのカードで何とかするしかない。

「いや、すいませんでしたよね。先程は、はっはっは」

 まず先手を打って謝罪して意味もなく笑う。これで会話のイニシアチブを奪う。

「こいつが急に呼び出すもんですから。いやあ、どこで嗅ぎ付けてきたのやら。嫉妬深くて参りますよ。はははっ」

「私が嫉妬……」

 余計なことを言いかけた志緒の二の腕を掴み、軽く力を入れて黙らせる。嘘をつくときは言葉を多くはしない。相手に想像の余地を残すことが重要だ。

「そんなわけですいませんね。今からご機嫌取りなんで、いやはや本当すいませんね。それでは、また明日」

 唖然とする高田係長たちを片手で拝みつつ、志緒を引きずり移動する。駆け出したい気分を堪え角を曲がり、そこから一気に早足で遠ざかった。


「くそっ、そうだった。合コン会場の近くだったんだ。迂闊」

「合コン会場? あなたが合コン? あらそうなの、参加していたわけね。あらまあ、それがどうして七海さんたちと警察署に居たのかしら」

「つまりだな、合コン相手がちょっと苦手なタイプだったんで、急用があるって逃げだしたんだよ。それから偶然近くに居て会ったんだ」

 二人並んで歩くが、決まり悪い亘はどんどん早足になる。まるで競歩みたいな勢いだ。それでも先に行く正中には追いつけない。

「それで、嘘ついた理由を誤魔化すため私が呼び出したことにしたわけね」

「ああそうだよ。なんだ悪いのか」

「べーつーにー……なんてね。真面目なこと言いますと、あなたには世話になりっぱなしなのも事実なのよね。少しでも借りが返せたなら嬉しいと思っているわ」

「世話とか借りとか、大袈裟だな。NATSを鍛えてやったぐらいのことだろ。ああ、そういやチャラ夫の世話をした貸しは大きいな」

「……まあ、そうよね」

 志緒は小さく呟き、くすっと笑った。

 命を助けたり協力したりしているくせに、その件については全く触れようともしない。忘れたフリして誤魔化している。なんて不器用で良い人なのだろうか。

「おいぼさっとするな、ほら正中課長殿がお待ちだろ。急ぐぞ」

 亘に急かされ、志緒は歩く速度をさらにあげた。


◆◆◆


 古びたビル。

 壁には怪しげなローンや出会い系の連絡先がシールで張られ、油性ペンで火気厳禁といった注意が手書きされている。だが、誰も気にしていないのか足下に煙草の吸い殻が散乱していた。

 油染み元は赤かっただろう褪せた暖簾に目的の店名が表示されている。

 入り口脇にぶら下げられた赤提灯。窓に貼られた手書きのメニュー。ビールの看板。油の滴る排気ダクト。店先の青いポリバケツ。それは、いかにも常連御用達といった雰囲気の薄汚れた店だ。

 引き戸に『本日、貸し切り』の張り紙がしてある。

「志津先輩、いらっしゃいますか」

 事務所長とは大学時代の後輩である正中は、多少砕けた言葉でカラカラと軽い音で戸を開け油染みた暖簾をくぐった。

 暖簾に触れぬよう大仰に身を屈めた志緒に続き亘も店内に入る。

 正面奥の厨房は唐草模様のような布で目隠しされている。その手前にお手洗いの札がある扉があり、そこにビールジョッキを掲げる水着美女のポスターが張られていた。壁には単品メニューが張られ、値段はかなり安い。

 床は油でキトキトしており、微妙に滑ってしまうぐらいだ。

 そんな店内に似つかわしくない、きっちりとした背広姿の男が一人ぽつんとパイプ椅子に座っていた。

「やあ、来てくれましたか。すいませんね、態々」

 志津事務所長は申し訳なさそうに頭を下げたが、しかし他に誰の姿もない。奥の厨房でさえ空のようだった。

 ただし人がいた形跡はある。

 四席しかないベニヤ天板の折り畳み机には、ビール瓶やガラスのコップが幾つも置かれ、焼き肉プレートの手前には生肉が載った手つかずの皿が多数あった。椅子の数からしても、十数人分の料理や飲み物が放置されている。

 ここで大臣を交えた意見交換会が開かれていたのだろうか。もちろん、意見交換会とは飲み会のことなのだが。

「意外と安い店で飲むんですね」

「まあ二次会ですからね。ちなみにここは、モツ焼きが絶品なんですよ。一晩蜂蜜に漬けてあるそうなんです」

「ははあ、それは今度食べに来てみます」

 そんな気は全くなかったが、お愛想で言っておく。

「志津先輩、それより本当なんですか。大臣が異界に連れ去られたというのは」

 切羽詰まった正中の言葉に、亘と志緒はギョッとした。そんな事はここまで、全く知らされておらず、どこかで悪魔を見かけた程度と思っていたぐらいだ。

 視線を集め、事務所長はゆっくりと頷いた。

「恐らくですが、間違いないと思います」

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