第176話 厄介事は間違いない

 ようやく来た正中へ志緒が詰め寄るように訴えた。

「課長、聞いて下さいよ! この人が、また異界で訓練をするって言いだしたんです。それもですよ、今度は八時間もやるって! 信じられます!?」

 まるで子供が親に言いつけるみたいな様子で、キリッとした美人さは台無しだ。もっとも亘からすると、それこそが志緒らしいと思えているのだったが。

 正中は軽く穏やかに笑った。

「八時間だって? そんな冗談を真に受けるものではないよ」

「本気です。この人、本気に決まってます」

「いやまさか、ふふふっ」

 苦笑交じりで笑う正中の周りで三人の少女が困ったように顔を見合わせる。

「本気です」「本気やで」「本気なんだぞ」

 少女たちが揃って頷くに至り、どうやらそれが冗談でないと正中は知った。そして顔を引きつらせながら困惑する。

「バカな、そんな話が本気のはずない。いや、本気なのかもしれんが。しかし、しかしだ。八時間も異界で訓練ってものは狂気の沙汰ではないかね」

 我が意を得たりと志緒が頷いた。

「ですよね、課長もそう思いますよね!」

「狂気の沙汰とか失礼な……休みの日とかやってるよな。普通だよな」

「んっ、普通」

 亘に同意してくれたのは、サキぐらいのものだ。残念なことに他の者は――七海でさえも――気まずそうに視線を逸らしている。

 ようやく正中が動揺を抑えた。ただし、何度か深呼吸をした上でのことだ。

「……ちなみにレベルは幾つなのだ?」

「確かレベル33だったかな。ちょっとうろ覚えでして、ほら年齢だって30を越すと、あまり気にしなくなる感じがあるじゃないですか」

「それはある……って、また上がってる! 高レベルになると上がりにくいんじゃないのか? うちの長谷部係長はレベル6のままだが!」

 正中は髪をガシガシと擦り、またしても動揺しだした。

「それは志緒がサボっているからでは?」

「サボってなんてないわよ! 私が普通で、あなたが異常なの!」

「おい人を指差すなよ」

 指を突きつけられ、ムッとした亘が指を差し返す。それに対し志緒が改めて指を突きつけ、それに対し亘が……そんな大人げない大人たちの様子に、少女たちは呆れた様子であった。


 ヘッドライトの強い光が辺りを照らした。パトカーが目の前を通過すると駐車スペースに停車し、青シャツに反射ベストを付けた警官が降りてくる。巡回では見つけられなかった不審者を警察署の裏口に見つけ訝しげな顔だ。

 確かに怪しいメンバーだろう。

 制服姿の女子高生をはじめとした未成年が四人。それにスーツ姿の女性一人と、背広姿の男が二人。これを不審に思わねば、警官として失格だろう。

 だが、正中が懐から取り出した手帳を見るなり、関わり合いを避け、そそくさ署内に入っていった。これは警官として正解だろう。

「ところでそろそろ、皆を帰らせたいのですが。もう夜の九時を過ぎている。こんな時間まで出歩かせてはマズいでしょう」

「確かに五条係長の言う通りだ。子供に夜更かしさせては、いかんからな」

「あら嫌ですね。今日びの若者にとって、これぐらい夜更かしになりませんよ。もちろん私も若者なんですけど」

 年寄りめいた二人を笑う志緒にエルムが質問を投げかけた。

「なあ志緒はん。今日びってなんの意味や? 昔、流行った言葉なんか?」

 無邪気な言葉に絶句してしまう。

「昔……」

「エルちゃん、それはですね。今日このごろとか、今時のって意味なんですよ」

「なんやそうか。ナーナは昔の言葉とか、よう知っとるんな」

「昔……」

 志緒は打ちのめされている。


◆◆◆


 亘の懐でスマホが曲を奏でだした。

 今日は着信の多い日だと驚いてしまう。電話して来そうな相手はほぼ揃っており、そうなると残りの心当たりは実家の母かチャラ夫ぐらいだ。

 そう思って画面を確認するが、見知らぬ番号が表示されていた。

「間違い電話かな? もしもし?」

『五条係長の携帯でよろしいでしょうか』

 どことなく聞き覚えのある声だが思いつかない。

「どちら様で?」

『事務所長の志津です』

「あ、はい! 五条です。どうして、この番号をご存じで?」

 亘は条件反射的に背筋を伸ばした。

『すみませんね。以前に緊急時の連絡表に目を通して覚えてましたからね。その番号にかけさせて貰いました』

「ああ、なる程」

 納得しつつ感心する。一度見かけただけの電話番号を覚えているなんて流石だ。なお、亘は自分の職場の電話番号も思い出せなかったりする。

『ちょっと緊急事態でしてね、お願いしたいことがあります』

「管内で事故発生ですか? 今から出勤でしょうか?」

『確かに事故であり、応援のお願いではあるのですが。五条係長にしか頼めないカテゴリーですね。つまりは悪魔絡みということです』

「悪魔絡みの事件ですか」

 周囲の暗さが増したような気がした。日常の象徴たる職場の上司から悪魔なんて言葉が普通に出ると、日常が非日常に侵食されている気がしてしまう。


『ですから、少しお願いしてもよろしいでしょうか?』

 事務所長の言葉は部下に対するとは思えないほど丁寧なものだ。

 ただしそれは頼み事をするため、下手に出ているわけではない。これがいつもの口調だ。亘が知る限り、殆どの相手と同じように話している。

 穏やかで取っ付きやすい事務所長と評判だ。

 ただし単純にそうだと亘は思ってない。つまるところ、この態度は試金石ではないかと思うのだ。丁寧な言葉に与しやすしと威圧的に出るか、同じく丁寧に対応するか。そうやって相手の反応を見ている様な気がするのだ。もしかすると、ある意味で最も恐い態度なのかもしれない。

「もちろん構いません。今は釈放……時間が空いてますから。すぐ動けますので」

『詳細は会ってから、お伝えします。まずは、今から連絡する場所に来て頂けますか。その間にNATSの正中君にも連絡しますので』

「待って下さい。タイミング良く隣にいますけど、代わりましょうか?」

『それは好都合です。申し訳ありませんが、代わって貰えますか』

「はい」

 振り向けば、話を聞いていた正中が既に待機していた。相手が事務所長であると伝えつつ、上着の袖で画面を拭いてからスマホを渡す。

 礼を言って受け取った正中は反対の耳を押さえ真剣な表情で通話を始めた。


 腕を組み考える。

 何が起きたのかは分からない。しかし事務所長が態々電話までしてきたのだから、厄介事は間違いないだろう。しかもNATSまで絡むのだから大事と言える。心当たりと言えば――。

「考えるまでもないか。事務所長は大臣と意見交換会だったし……」

 目を覆うように額へ手をあてる。間違いなくソレだ。腹に飛びついてじゃれるサキの頭を撫でながら唸ってしまう。

「あのう、何があったのですか?」

 七海が話しかけてきた。遠慮がちな様子だが、その後ろにいるエルムとイツキは興味津々で目を輝かせている。

「うん? いや大したことない。気にする必要はない」

「でもですね。正中課長さんの様子も、ただ事でない感じなのですけど」

「……大丈夫だ。あれが地顔なんだ、気にする必要はない。それより、もう遅いから七海たちは家に帰りなさい」

「悪魔絡みの事件ならお手伝いしますよ」

「そうやで、ウチらかて戦えるんやで」

「女の子が遅くまで出歩くもんじゃない。いいから帰りなさい」

 気遣いの出来る大人のつもりで諭す。

 遅くまで出歩いて欲しくないと心配する気持ちもあるが、それと同時に、学生の間ぐらい自宅でゆっくり過ごして欲しいと思う気持ちもあったりする。どうせ、社会人になれば嫌でも帰れなくなるのだから。

「ほら、このお金でタクシーを呼んで帰りなさい」

「えっ、そんないいですよ」

「いいからいいから。気にするな」

 亘は財布から万札を数枚取り出す。

 タクシーの相場を知らないため、余裕を見込んで多めを渡す。どうせ七海は律儀な性格だ。余れば返してくるに違いない。

 女子高生に万札を渡す背広姿の男――場所が警察署でなければ、洒落にならないマズい絵面だろう。もっとも当人たちは、そんなこと微塵も思ってないが。

 なかなか受け取ろうとしない七海の手に握らせるようにお金を渡した。それでもまだ遠慮をしている。

「別にお金なんて大丈夫ですよ。それに帰るなら、電車で帰れますから」

「タクシーにするんだ。なんだったら、パトカーで送って貰うように頼もうか?」

「それは流石に……」

 七海とエルムは慌てて首を横に振っている。それが普通の反応で、赤いピカピカに乗りたいと騒ぐのはイツキぐらいであった。

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