第184話 異常者気取り

 瓦礫の中から異形が飛び出し、肥大化した腕を振るった。

 それを笑みすら浮かべながら亘は受け止める。あまつさえ掴み投げ飛ばせば、相手は地面の上を擦りながら転がっていく。最後に大きな塊に激突し倒れ込んでいくほどの力が込められている。

 悠然とした足取りで近づく亘の目に赤い燐光が浮かび、まるで悪魔のように強く深く輝く。

 異形化した青年は膝を突きながら身を起こした。身体のあちこちに負った裂傷から血が流れるが、慟哭するようにあげた咆吼と共に傷が塞がっていく。それが止まると口元から涎を垂らし、飢えた獣のように荒々しい息づかいをしてみせる。だが、次の瞬間にまた咆えた。

「ガアアアアアッ!」

 両手で地面をかくように動かし、まるで不器用な獣のように突進してくる。奥歯まで裂けた口を大きく開き、食らいつこうとする。

「まるで獣だな、おい。腹が減ってるのか」

 亘は体を開き斜めに構えると、相手の勢いを利用しつつ下から押し上げるように掌底を放った。異形と化した身体の大胸筋が窪むように陥没し、突進の勢いもあって大きな弧を描きながら宙を舞い、そのまま背中から落下していく。

 だが、その先にあったのは、瓦礫から突き出した太い鉄筋の群れであった。櫛のようなそこに叩き付けられ、鈍く嫌な音をさせながら突き刺さる。

「ぎゃあああああっ! 痛い痛い痛いいいいっ!」

 あがった悲鳴は人間のものであった。

 再生する肉は即座に再生し鉄筋を締め付け、異形化した巨体を吊るしてしまう。暴れると僅かに動き身体の中を貫く異物が肉を傷つける。だが、それも再生され新たな痛みを引き起こす。

 激しく振られた顔から眼鏡の残骸が外れ地面に落ち、小さな音を響かせた。

「っ!」

 そこで亘は我に返る。

 人間を相手に戦うことに躊躇などない。だがしかし、それでも今の悲鳴は不意打ちだった。異形の姿の口から今もあがるのは、まぎれもない人の声であって、壮絶な痛みと苦しみを訴えるものであった。

 戦いの高揚のまま攻撃していれば良かったが、しかし一旦でも躊躇してしまうと手が止まってしまう。

「助けて、助けてっ! 痛い、助けてたすけ、たすけて、たすけいたたすけいた――」

 目の前で悲鳴をあげ苦しむ姿は正視に耐えない。

 それを一瞬でも早く終わらせてやるべき。そう思いながら、なんとか腹を決めようとする亘の前に――とんっ、と金色の長い髪をなびかせサキが降り立った。

「いいから。あと、やる」

 その幼い横顔に浮かぶものは、真摯な悼みであった。

 亘が何か言葉をかけるより早く火球が現れる。その数は五つ、サキの尻尾と同じだ。浮かんだそれは、いつもと違う動きを見せ、青年だった悪魔を取り囲みながら回転しだす。円を描きゆっくりと半径を狭めていくと、最後に一つの大きな炎柱へと変じる。

 その熱量は凄まじいもので、離れていた亘の場所にまで熱波が押し寄せるほどだ。もちろん、中心にいた悪魔は瞬時に焼き尽くされ絶命したのは間違いなかった。


◆◆◆


 辺りに漂うのは、人が焼けた時の何とも言えぬ臭いだ。

 それは生理的嫌悪を併せ持った決して慣れることない嫌な臭いで、これを美味しそうな香りと表現できるのは、異常者気取りをした現実を知らぬ者ぐらいだろう。

 亘が鼻腔から脳に突き刺さるような臭いに顔をしかめる。それでもまだ堪えているが、一方で七海たちは両手で鼻と口を覆い表情を曇らせた。

「うっ……これ……」

 年若いこともあるが、昨今は死を隠し火葬さえ無煙式。ここまで強烈に遭遇することは初めてかもしれない。それでも気を取り直し、燃え尽きた姿へと両手を合わせ目を閉じている。

 その姿を見れば、やはり彼女たちを戦わせなかったことは正解だったろう。

「ふぁーっ、凄い戦闘だったね。ボクのMPが尽きてなきゃさ、もっと楽だったのに。ごめんね」

 あれだけ激しく動いたにもかかわらず、神楽は頭に張り付いたままだった。髪が引っ張られ痛かったのが事実だが、空気の読める亘は黙っておく。それよりも聞きたいことが一つある。

「なあ、神楽や。姿とか、どこも変じゃないよな?」

「へっ? どしたのさ。そんなこと聞くなんて、それこそ変だよ」

「……そうか、気にしないでくれ」

「でもさ、マスターの格好ってば大変だよ。上着の袖は取れちゃってるし、靴だってダメになってるじゃないのさ。これは買い直しだね」

「さようか。また出費だな」

 亘は靴の片方を脱ぐと手にぶら下げた。靴底が完全に外れ、振ればペチペチと間抜けな音がする。何となく、それを鳴らしてしまう。


「そりゃそうと……なんで三人が、ここにいるんだ?」

 笑顔で駆け寄ろうとしていた少女たちは動きを止めた。

 それぞれ気まずそうな様子で、七海は手を後ろにやって下を向き、エルムは腕組みしてあらぬ方を見ると口笛を吹き、イツキは頭で手を組み誤魔化し笑いを浮かべている。

 そんな三者三様の様子に、亘は一拍おいて苦笑した。

「まあいいけどな。イツキの苦無は助かった。あれでもう一人のスマホを使えなくしたおかげで、余計な敵が増えなくてすんだからな」

「どんなもんだい、って言いたいけど。言いつけ破ったことは、ごめんだぜ」

「すいません。何かお手伝いできないか、私が言い出したせいなんです」

 イツキと七海は揃って謝った。しかしエルムは少し違い、少しばかり不機嫌そうでもある。

「ウチらは来た意味なかったし、足手まといなんは分かるんやけどな。それでも仲間やろ。手伝えることやったかて、あったかもしれんやん。もっと頼って欲しかったわ」

「エルちゃん、五条さんは心配してくれて――」

「いや……そうだな。エルムの言う通りだ」

 亘は呟いた。

 実のところ自分が調子に乗っていたと気付かされていたところだ。

 レベルアップを重ね、強力な従魔である神楽とサキを従え、いざとなれば奥の手もある強い自分。どんな相手だって負けるはずがないと、高をくくっていた。

 だが、あの初めて戦った異界の主である餓者髑髏を思い出せばどうだ。

 命の危機に藻掻いて必死で懸命だったではないか。

 いつの間にか、誰もが一度は経験する、『自分こそ特別な凄い存在』の錯覚に陥っていたのかもしれない。周りが見えなくなり、仲間である存在すら自分の庇護下にあると勘違いしていたかもしれない。

「今後は、もっと頼ることにするか」

「そうして欲しいわ、そんならウチもごめんな。心配してくれとったんに勝手して。それがさあ、ナーナが心配やって言うもんで」

 エルムは悪戯っぽく顔を綻ばせた。

「ああっ、それ内緒なのに」

 逃げ回るエルムを追いかけながら七海が両手を振り回す。二人の髪が揺れ、スカートが翻り、何と生き生きしたことか。生命力そのものの少女が、青春の象徴たる制服姿で楽しげにする。

――まいて少女などの笑いたるが、いと美しき見ゆるは、いとをかし。

 逃げるエルムに追う七海。そんな光景を見ているだけで照れてしまい、古語調子で考えてしまう。もっとも、古文の成績は悪かったので適当だ。

 もう一度、燃え尽きた青年の残骸を一瞥し目礼をすると、イツキの頭を何気にポンポンと叩き、さらに二人に声を掛け踵を返した。


◆◆◆


 元の場所に戻ってみると、音符のような姿をした木霊の群れと戦う志緒の姿があった。こちらに気付くなり泣き言のように助けを求めてくる。

「ちょっと手伝いなさいよ。一人じゃ無理よ」

 自分の従魔であるスライムを振り回し、鞭のように操っている。ついでに言えば、あの麒麟もお手伝いしながら一生懸命戦っていた。

「今行くで、志緒はん。でも、そんな振り回さんといてぇな」

 エルムを先頭に少女たちは駆けだした。しかし亘は見送るだけで、足取りは変えない。

「マスター、どしたのさ。戦いに行かないなんて疲れちゃったの?」

「少しな。銃が使いたいなら、神楽も行って来ていいぞ」

「んー、やめとくよ。ボク、マスターの傍にいたいからさ」

「さよか、まあ手を出すまでもない敵だからいいか」

 ゆるりと歩を進めサキの手を繋ぎながら歩く。七海たちが志緒の元に駆けつけ戦いだす様子を眺め、ぼんやりと考え込む。

――左文教授の実験か。

 操身之術と似た名のスキル。

 それは間違いなく操身之術を再現しようとした試みに違いない。あの青年の爆発的な力の高まりを見れば、それはもう間違いない。それに気付いたからこそ、戦闘中に奥の手の使用を躊躇ったのだ。つまり自分も異形になりやしないか不安が湧いてしまった。

 だが、気になることはそこではない。

 左文教授は言った。『此奴の持つ力を再現しようとした』、と。それで何故、操身之術を結びつけられたのか。亘がそれを使うと知る者は限られている。

「藤源次に法成寺……」

 名前はあげたが、この二人がそれを他者に漏らすとも思えない。あとは精々がキセノン社かアマテラスぐらいだろう。

 さらに嫌な考えは広がる。

――左文教授はどうやって研究をしているのか。

 研究となれば少なくとも機材や設備、資料や情報が必要となる。それらの入手設置にかかる費用、さらには維持費。もっと現実的に考えれば研究者本人の生活費だって必要となる。

 物語のように、マッドサイエンティストが自宅の地下に秘密研究所をつくり、研究に没頭するなんて現実的には不可能なことだ。

 それを思うと、左文教授に協力している何者かが存在していることになる。

「…………」

「どしたのさ? マスターってば何だか考え込んじゃってさ」

「どっか痛いか?」

「ええっ、そなの!? 怪我したの痛いの! どしよ、ボクMPないよ」

「どこも怪我なんてしてないから大丈夫だ」

 心配した神楽とサキがペタペタと全身を触ってくる。少々こそばゆい思いをしながら、とりあえず悩むことを止める亘であった。どうせ悩んだところで、どうしようもないのだから。

 

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