第185話 馬車馬の如く
「なあ小父さん、ぼんやりしてっけど。俺の戦闘に感心したのか?」
トンッと正面からぶつかる感触。言うまでもなくイツキだ。向こうでは七海とエルムが残りの木霊とまだ戦っているが、そちらは任せて来たらしい。
疲れ顔をした志緒も恨めしそうな顔で引き上げてくる。
「手伝ってくれたって良かったじゃないの」
「それぐらい頑張れ」
亘は言い返しておいた。
なお、下ではサキがイツキとの間に入り込み、なんとか引き剥がそうと頑張り小競り合いをしている。
「冷たいわねえ、いいですけど。ところで犯人の一人は確保できたわ。命に別状はないけど、ケガしてるのよ。良ければ魔法で回復してあげてくれないかしら」
「それさ、無理だよ。今日のボクはMP切れだもん。マスターを回復してないとこで察してよね」
「ご免なさい!」
神楽が頬を膨らませ睨めば、志緒は大急ぎで謝罪した。人形のように小さな相手に対する態度ではないが、これまで脅かされたり追いかけられたりで苦手なのだ。
ふいに、小競り合いの最中であったサキが小走りで動き、ちょいちょいと志緒の服を引く。
「あれ、どうなる」
ほっそりした指で示すのは麒麟だ。
「そうねスマホは無くなっているものね。どうしたものかしら」
「それならいっそ倒すか」
亘は言うなり、麒麟はガタガタと震えだした。先程の戦闘を見ていたが故の事だろう。風前の灯火となった命を、意外なことにサキが両手を広げ庇ってみせた。
「ダメ」
麒麟は円らな瞳を潤ませ、救いの神を見るように感謝した。
「うちで飼う」
「いや無理だろ、あれは。アパートはペット禁止だし。サクッと倒した方が後腐れない気がするんだが」
「うーっ」
「何がうーっだ。こら」
亘に頭を小突かれ、サキは痛くもないのに痛そうな仕草をしている。そして、おねだりする時の定番となった獣耳を現し、眼を輝かせながら見上げた。
あざとい仕草と分かっても、人には抗えないものがある。
「飼うのは駄目だが、倒すのはやめておくか。でも、どうするかな」
「それについては、我々NATSで何とかしよう」
「正中課長、大丈夫ですか」
多少蹌踉めきながら立ち上がった正中が会話に加わって来た。額をぶつけたのか、そこを押さえながらだ。神楽以外に回復手段を持つ者がいないため、今は傷を治すことができない。
「ああ、それは問題ない。長谷部係長を受け止めただけなのだ、大したものではないな」
「はっはあ。それは重かったことでしょう。よく無事でしたね」
「ちょっと、あなたねえ。それはどういう意味よ、失礼な物言いね」
「人間一人を受け止めれば重いに決まってるって意味だ。そうも過敏に反応しなくたっていいだろ。さて冗談はともかく、従魔を何とかするってことは、その誘拐犯をNATSで引き取る気ですか?」
「非常勤職員にして使うつもりだ。アマテラスに頼んで呪いで枷を付ければ問題あるまい。使える手駒は多い方がいい」
さらっと黒いことを言ってのける。どうやら国家権力の闇は深いらしい。
「空いているスマホを持って来させ、デーモンルーラーを使わせよう。それで回収させれば片付くはずだ」
「じゃあ、スマホが来るまでサキが見張っておけよ。暴れだしたら責任を持って始末するんだぞ」
「んっ、任せる」
頷いたサキは嬉しそうだ。ガオゥとふざけた様子で両手を挙げているが、それだけで麒麟は腰を抜かしパタッと倒れてしまった。心配するまでもなく無害だ。
◆◆◆
到着したNATS隊員により、誘拐犯の片割れは連行されていった。麒麟もまたスマホに回収されるが、鰐のような顔を安堵と解放の喜びとで輝かせていた。名残惜しそうなサキとは対照的であった。
「犯人に暴行されたのか。酷い怪我ですね」
「救急車を呼んでおいて良かった」
そんな会話と共に市町村の首長や、事務所の課長連中が担架で運ばれていくが、亘は周囲の視線を黙殺した。
辺りは片付き、連れ去られた者の中では雲重大臣だけが残っている。異界を出れば記憶は消えてしまうだろうに、先に情報の確認と共有をしておきたいと、正中が何かの処置をして目覚めさせたのだ。
意外なことにイツキが動揺した。
「なあ、大臣ってことはあれなのか。あの人ってば左大臣様か右大臣様なのか」
挙動不審となった様子に、エルムが笑いを堪える。
「いんや太政大臣様やで」
「俺って、そんな凄い人を助けたのか! これは里の誉れになるかな!?」
「まったくもう、エルちゃんダメですよ。イツキちゃんは信じやすいんですから。いいですか、大臣というのは――」
向こうで七海が内閣制度における大臣という仕組みを説明している。ただし、きっとイツキは理解してなさそうだ。
亘からすれば、そちらの会話に混ざりたい気分だ。しかし、人生の常として相手をしたくない存在に限って、しつこく話しかけてくる。
大臣の脂ぎった顔が亘の前にあった。
「あー、君が噂の五条君なのか。ほほう、思ったより普通に見えるものだね」
テレビで見るよりは気さくな感じだ。しかし、同時に画面越しでは感じられない毒も目につく。それは横柄な、人に傅かれることに慣れた態度だ。顔を合わせても挨拶すらせず話しかけて来る時点で人となりが分かろう。
礼には礼を、非礼には非礼を。亘も自分からは挨拶をしないことに決めた。
「それはどうも」
「話によると、君はアマテラスの術者よりも強く、しかもキセノン社の新藤とも上手いことやってるそうじゃないか。どうだね、私付きの秘書でもやらないかね」
「遠慮しときます」
「部署を変更して直属にする事もできる。今の職場の連中を顎で使える立場だ。名前だけ置いてくれたら、好きにして構わん。給料も今より増えるだろうし、気苦労もない。どうだね魅力的じゃないかね」
同じ公務員とは言え、地方部の末端職員と中央省庁の職員とでは、給料に大きな差がある。
けれど、けれどだ。
「確かに魅力的ですね。適当に仕事するフリして責任もなく、肩書きだけあって給料が貰えるなら最高でしょう。でも――そんな人間が腐るようなら、今の面倒で不自由な部署で苦労する方がずっといい」
「うーん、この。マスターの捻くれ度合いときたらさ」
「今更」
神楽とサキは顔を見合わせ頷き合っている。
「それは残念だ。まあいい、気が変わったら連絡するといい」
大臣は少なくとも表面上は気にした様子もなく笑ってみせ、馴れ馴れしく背中を叩いてくる。なんとなく嫌いなタイプだと断定する。
辺りは概ね片付き、あとは大臣の撤収待ちの者が待機するばかりだ。
「いやあ、それにしても分からんものだね。こうして君と異界で会えるとは思いもしなかった。折角、視察に来たのに、なかなか会えなくってね。どうしよかと思ったよ」
「まさか今回の視察の目的は……」
「噂の君に会いたくってね。会えて良かったよ。うはははっ」
下らない理由に亘は頬をひくつかせた。急速に苛ついてしまう。
「何が会いたかっただ。そんな思いつきで行動するなら、直接呼べよ!」
その言葉に周囲で控えていたNATSのみならず、雲重大臣本人もギョッとする。正中は顔を引きつらせ、志緒は額を押さえ息を吐く。
「君ね、その物言いは幾らなんでも失礼ってものじゃないかね。私は大臣だよ」
気分を害した様子の大臣へと、志緒がフォローで頭をさげた。
「申し訳ありません、この人は戦闘の後で気が立っているので。ほら、五条さん。謝りなさいよ」
「うるさい。この視察でどんだけ迷惑がかかったと思ってる。たとえばだ、この視察の案内だけでも業務が実質的に二日はストップだ。事前準備で資料作りはあるし、決裁は遅延、会議の予定は狂って大迷惑してるんだ」
呆気に取られた大臣に指を突きつけ、言いたい事を言ってやる。どうせ異界を出れば忘れてしまう相手なのだ。これが言わずにおられようものか。
「この地域のトップだって全滅しかけた。あの誘拐犯だってな、そりゃ悪いことをしたかもしれない。でもな、あんな死に様をしないですんだはずだ。全部、あんたの気紛れが原因じゃないか」
流石に正中が止めに入る。
「五条係長、落ち着くんだ。少し頭を冷やしてきなさい……それはそれとしても大臣。彼の言葉に一理あることも事実でしょう。最近の人工異界を使用した暗殺の数々はご存じのはず」
「むっ、まあそれはな」
「それなのにアマテラスの護衛すら付けず出歩くなど、あまりにも無謀で無策。せめて我々だけにでも事前連絡を頂きたかったですね」
「まあそれはだね、こうした要職をしているとだね。なかなか時間が取れないわけでね。様々な懸案を勘案した結果、ようやっと時間が取れたわけであってだね。それに対し事務方の連絡ミスがあり、一部に誤解を招く部分があったやもしれない」
政治家特有のお子様並みの言い訳で、有耶無耶にしようとする口調だ。
呆れた亘は軽く鼻をならすと、その場を離れた。とりあえず、言いたいことは言ったが、あまり満足感はないのだった。
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