第124話 立ち直れない自信

「……五条さん、どうされましたか?……あれ? 寝てしまったのですか」

 問いかけた七海だが小机の上に並んだ徳利の数を眺め、お酒を飲んだら寝てしまうタイプだと思い出し納得した。

「もう。そんなとこで寝てると、風邪引いちゃいますよ」

「…………」

「仕方ないですね。お布団に運んじゃいますね」

 嬉しそうな顔で亘に肩を貸す。

 実家が花屋のため意外と力持ちなのだ。軽々とはいかずとも、亘の身体を支え布団に連れていく程度はできる。むしろ昇天しそうな意識を堪える方が苦労する七海だった。

「よいしょっと。あっ、浴衣がはだけちゃってますね」

 亘を布団に寝かせると、七海は出てもいない汗を拭う素振りをする。そして、はだけてしまった亘の浴衣を直そうと手を伸ばした。

「あっ……」

 その手が止まる。

 はだけた胸元に色の違う部分があるではないか。弧を描くそれは、今日の戦闘で負った傷痕だ。いや、もう傷痕ではない。回復魔法で治癒された、新しい色合いの肌となっているのだから。

「…………」

 ほっそりとした指先を、その痕に這わせる。弧を描く跡を追いながら肩から胸へ、そして腹へとなぞっていく。きっと背中側にも同じような跡があるのだろう。

 もし回復が間に合わなかったら。もし毒が消えなかったら。そう考えるだけで、胸が締め付けられてしまう。その時感じた恐怖を思いだすと、今でも背筋が寒くなってしまうのだ。

「無事で良かったです。あっ……」

 そこで七海は気づいたが、痕を追ううちに亘の浴衣を脱がせる形となっていた。

 引き締まった身体は、お酒のせいで赤く染まっている。その筋肉の付き方は、自分の知る範疇の女性たちとはまるで違う。見ているだけでドキドキしてしまう。

 さらに帯も緩んだせいで、男物の下着が覗いている。それを見て羞恥で頬が熱くなり、見てはいけないと思いつつ目が離せない。チラッと目を向ける。

「やあ、凄いでんな」

「にゃああああっ!」

 七海は悲鳴をあげた。


 油の切れた機械のような仕草で振り向けば、机に突っ伏し寝ていたはずのエルムが頬杖をつきニヤニヤしているではないか。亘が起きていたら、ヤッパリ起きてたなと叫んだに違いない。

 エルムは人差し指を口にあててみせ、悪戯っ子の顔でウインクしてみせた。

「しーっ、あんま大声だすと五条はんが目ぇ覚ますで」

「ううっ……寝てたんじゃ……」

「いや、半分寝とったで。しっかし、ナーナも案外やるもんやなぁ。ウチ、びっくりやで」

「すいません……」

 正座で項垂れる七海を前にエルムはニヤケる。そして四つん這いで亘の傍らへと膝を進めていくのだが、その顔は興味津々といったものだ。

「ほほう。これは凄いですなあ、男の人の筋肉凄いんやな」

「ちょ、ちょっとエルちゃん。見たらダメです」

「なんやな、ナーナと同じく見とるだけやで。な、に、か?」

 エルムはニヤニヤしているが、亘の治癒した肌痕を見ると思い詰めた顔をする。しかし、反省ポーズの七海が顔を上げた時には、また元のニヤケ顔に戻っていた。そうして七海をからかい、亘に手を伸ばそうとする。

 それを阻止しようとする七海との間で、じゃれ合いのような攻防がされていると、ふいに横から新たな声がかかった。

「何してる?」

「そうそう。ボクも知りたいな」

「「ひっ」」

 少女は揃って悲鳴をあげた。浴衣をはだけ寝ている男を囲み鑑賞していたなど、年頃の女の子としては弁解しがたい状況だ。もっとも、従魔二体は不思議そうな顔でなぜ悲鳴をあげているのか理解していなかったが。

「いえ別に何もしてませんですよ、はい」

「そやそや。別に見とったとか、触ったとかしとらへんで」

「ん、触るか。なら触れば……あ」

「あぁっ、あのあの。これ、どうしましょう」

「これって、あれやないですか。どないしよう」

「勿体ない」

「マスターってばさ……やーれやれ、また知らないフリしてあげないとさ……」

「あかんて、五条はんが起きよる!」

「えええぇ!」

 七海とエルムは神楽とサキを引っ掴むと、向こうの布団へとダイブした。


◆◆◆


 亘は肌寒さを感じ目を覚ました。酒を飲んだ後は妙に寒くなる。酷いときはガタガタ震えるぐらいだ。

 どうやら思った以上に海部お勧めの日本酒を飲み過ぎていたらしい。飲み口が良いため、ついつい油断してしまったが日本酒は度数が高いのだ。

 とりあえずひと眠りしたせいか、気分の悪さや吐き気はない。気怠さと頭痛と寒気だけで……身を起こしかけたところで、下着に嫌な感触があった。まさか旅行中にやらかしてしまうとは、誰が思うだろうか。

「……マジかよ」

 顔に手を当て、ため息をついた。

 座卓を挟んだ反対の布団には七海とエルムが折り重なるようにして寝ている。浴衣の裾回りがはだけ、女の子が男の部屋で何してるんだと言いたくなるような光景だ。

 幸いにして、皆が寝ていて助かったのも事実だ。これが朝だったとしたら、皆にバレて一生立ち直れない自信がある。

「レベルアップも良いことばかりじゃないな……」

 身体が活性化しアンチエイジング的に若返れば、色々と元気になってしまうということだ。

 荷物から新しい着替えを取り出し、情けない気分でソソクサ部屋を後にする。腰を屈めた小股でまずトイレに向かって、粗方掃除をすると大浴場へと向かった。


 大浴場はやはり古びた風情で、洗い場の床は白黒モザイクタイル、湯船もタイル張り、腰かけや湯桶はプラスチック製といった風情だ。掃除では落とせない黒ずんだ汚れが目立つ。清潔ではあるが綺麗ではない。

 幸い誰もいない。こういった職場旅行となると宿の宴会が終わると、タクシーを呼んだりして二次会へ繰り出すものだ。きっとキセノン社の皆さんも、近くの飲み屋に繰り出したのだろう。

 大変申し訳ないが、下着やら身体を洗い場の片隅で洗う。洗い場も念入りに掃除し、痕跡を完璧に消す。いつもアパートで神楽やサキにばれぬよう洗っているので手慣れた物だ。しかし今日は尚のことヤルセナイ気分であった。

「やっと綺麗になったが……最近の自分の身体はどうなってるんだ」

 色んな意味で綺麗な身になって、ようやく湯船に浸かれるようになる。

 あのテガイの里の温泉とは比べようもないが、広い湯船は解放感がある。普段のアパートの風呂では足も伸ばせないが、ここでは思いっきり足も伸ばせる。つい童心に戻って、大人げなく泳いでしまうが、素っ裸で平泳ぎなど誰かに見られたら一生の恥だ。

 脱衣所に誰かが現れた気配に、素知らぬ顔で湯船に浸かる。湯が僅かに揺れているだけだ。

「あっ、兄貴じゃないっすか。ふぇっへっへっへ。うひひひっ」

 入って来たのはチャラ夫だった。前を隠すことなく堂々ときて、そのまま湯船に入るというマナーの悪さだ。

 そのため少々ぶっきらぼうとなってしまう。

「洗ってから入れよ」

「うひひ、先に洗ってから来たっすよ。へへへっ」

「どうした、気味の悪い笑いをあげて。変なものでも食べたのか」

「へっへっへ、違うっすよ。そうっすか知りたいっすか、知りたいっすね」

「……いや知りたくない」

 亘はきっぱりと断った。

 こんな風に相手に聞かせたがる話は、大抵がろくでもない内容というのがセオリーだ。やっとこさ、ヤルセナイ気分から回復したところなので聞きたくない。

 しかし、チャラ夫は聞いて欲しそうに、にじり寄ってくるではないか。密着される前に手で押しとどめた。

「分かった、聞いてやるから近寄るな。勿体ぶらず、早く話せよ」

「ういっす。実はっすね、へへへっ。俺っちは、大人になったっすよ」

「ああそうかい……はあっ!?」

 予想外の言葉に亘は頓狂な声をあげ、二度見してしまう。やはり、ろくでもない話だった。

「大人の階段を上ったっす。いいっすね、いやあいいっすね! 最高っすよ! これも兄貴が旅行に呼んでくれたお陰っす」

「なん……だと……いや待て。お前未成年だろ」

「違うっす。選挙権もある大人っす。そして今日こそ真の大人になったっす。そんで相手は誰だと思うっすか? 誰だと思うっすか?」

「さ、さあ?」

 脳裏にまさかのキララが過ぎる。ありえないことではない。まだ近くにいるならばワンチャンあるだろうか……バカなことを考える亘の様子に気付かぬまま、チャラ夫はだらしなく顔を緩ませニヤケ顔だ。

「そーれーがー。なんと藤島さんっす」

「ふぁっ!? マジで? えっ、嘘だろ」

「チッチッチ。マジっすよ。二人きりのときは、綾ちゃんって呼んで欲しいそうっす。あっ、今のは内緒っすよ。ふぇふぇふぇ」

「…………」

 殴りたい笑顔、それが目の前にある。

「これで俺っちも兄貴と同じ大人なんすよ。もう子供扱いはさせないっす」

「そう……だな……オメデト。ははっ」

「むふふふっ、これでクラスの童貞君たちに自慢できるってもんす。はっはー、高校生にもなって童貞とかないっすよね。ねえ、兄貴もそう思うっしょ」

 憎しみで人が殺せたら。

「くーっ! それもこれも全部兄貴のおかげっすよ! 兄貴についてきてマジ感謝してるっす!」

「…………」

 色ボケ猿がだらしなく笑う姿に、亘の心は絶望と憎しみに染まっていた。

 チャラ夫が大人の階段を上っている間に自分ときたら……あまりに情けない。練習しておけばよかった、心の中で地団駄を踏む亘だった。

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