第125話 何か憑いてる

 翌日の浜辺――そこに裏切り者への制裁を検討する邪悪な男の姿があった。さんさんたる太陽の下、サングラスをかけた亘がビーチチェアで横になり暗い笑いをあげている。

「くくくっ、どうしてくれようかな」

 自らを裏切り抜け駆けしたチャラ夫への復讐に胸を焦がす。とはいえ考えているのは、周りで囃したてるとか、実の姉に密告するとか、その程度でしかない。

「自分より年上の義妹に絶望する姉か……それもいいな。はははっ」

 明るく楽しいビーチで、亘の周りだけ暗雲がある。比喩ではなく、無自覚に操身之術で気を放っているせいで周囲への威圧感が半端ないのだ。ピリピリとした空気が漂い、その辺りだけ人払いされたように人が近づかない。

 水着姿の七海とエルムがしゃがみ込み、顔を突き合わせ声を潜める。

(やっぱり昨夜のこと、バレて怒っているのでしょうか)

(ゴメンナサイしとこか。でも、なんちゅうて謝ろ)

(ううっ、それは……どうしましょう)

 原因の一旦であるサキは青い顔して膝を抱え、隅でガタガタ震えながら命乞いする準備をしている。そこには九尾の狐の系譜といった誇りもへったくれもない。

 唯一ご機嫌なのはチャラ夫だけだが、時折うひうひ怪しげに笑い声をあげるため周囲から不気味がられていた。

「兄貴どうしたっすか。なーんか不機嫌っすね」

「あん不機嫌だと? 自分を不機嫌にさせたら大したもんだ。ははっ」

「やっぱ機嫌が悪いじゃないっすか。何かあったんなら、俺っちに相談して下さいっす。兄貴と俺っちの仲じゃないっすか。水くさいっすよ」

「…………」

 亘は皮肉な笑みを浮かべるにとどめた。こんな時に、上手いこと嫌味の一つでも言える性格ではないのだ。


「おんやっ、あれは……兄貴、あれ見るっす。キララちゃんっすよ」

「ん? ああそうだな」

 チャラ夫が手をひさし代わりにして眺める先に、ケバケバしいピンクの水着姿のキララが歩いていく。肌露出が多く、いかにも遊んでいそうな雰囲気の姿だ。

「……どうせ、新しい男でも漁ってるのだろ」

「でも、なんか歩き方が変じゃないっすか」

「知るものか。どうせ関係ないことだ」

 だが、サキが紅い瞳の目を細め鼻をヒクヒクさせる。じいっと様子を窺うと、亘の元にトコトコやって来た。

「式主。あれ憑かれてる」

「疲れてるだと。はっ、やっぱりな。どうせ夕べも遅くまで遊んだのだろ」

「違う。何か憑いてる」

「ほう?」

 亘は訝し気に唸った。少し会話をして目先が変わったせいか、陰々滅々とした雰囲気が薄れていた。周囲がほっとする中で、それに気づかぬまま亘は顎を擦って眉を寄せる。

「夏場の海岸で怪談はよしてくれ。洒落にならん」

「なあ五条はん。あの子が向かっとるんは、昨日のお堂やないやろか」

「お堂……嫌な予感がします」

「ふむ。確かにな、異界絡みと考えるべきか」

 エルムと七海の言葉に亘は腕組みした。おずおずとした七海と目が合うと何故か顔を赤くされてしまう。

「どうした?」

「な、なんでもありません。それより、どうしましょうか。藤島さんに連絡しましょうか」

「そうだな……」

 亘はそこにいる仲間を見回した。全員が水着姿で戦闘といった様相ではない。七海とエルムはそれぞれ水着の上にパーカーとラッシュガードを着ているが、亘とチャラ夫にいたっては短パン一丁だ。サキも水着にシャツを来た姿である。

 これで異界に行って戦うなど、少し無警戒すぎるかもしれない。しかし、気にはなる。

「勘違いだと悪いし、まずは様子を見に行くだけにしよう。スマホは忘れないようにな」


◆◆◆


「うん、異界があるね。あの女の子の気配はないからさ、異界の中だとボク思うよ」

 スマホから顔を出した神楽がお堂を見ながら断言してみせた。しかし、ここにあった異界は昨日の時点で崩壊している。それがこうも早く復活するとは信じがたい。

「偶々同じ場所に異界が出来たのか……いや違うな。生贄役だった少女が憑かれた状況を考えれば、偶々とも言い切れないだろうな」

「どうしましょうか。戻りますか。その、この格好ですし」

 七海が胸に手を当てる。確かに戦闘には不向きな姿だ。

「……いや、時間がない。取りあえず自分だけで様子を見ってこよう」

 異界の中でキララと二人っきりになろうとか、助けに言ってロマンスなどの下心はない。純粋に危険性を考えてのことだ。

「ダメです! 私も行きますから!」

「そうや! ウチも行くでな!」

「そ、そうか? まあ安全第一でなら……」

 血相を変えた少女たちに亘は怯んだ。水着姿の女の子に詰め寄られると、身長差から胸の谷間が覗けてしまい目線を逸らすしかない。特に七海など、もう凄い。

 そこにチャラ夫が戻ってくる。

「綾ちゃんじゃなくって、藤島さんに連絡しといたっす」

「そうか、なんて言ってた」

「チャラ夫様くれぐれもお気をつけて、貴方の身に何かあったら綾は――ぶぎゃっ」

 イラッとした亘はチャラ夫の頭を叩いた。結構力が入っているので、痛そうに頭を抱えている。これでも抑えたつもりだ。

「余計な事を言ってないで他には?」

「酷す! えっと応援をすぐ寄越すそうっすよ。ただ、夕べの宴会で、皆さん飲み過ぎて二日酔いの人が多いらしいっす」

「あいつらダメじゃないか。もういい、行こうか」

 節度なく飲むのは、どんな職場でも一緒らしい。応援を待っている間にキララが悪魔の餌食になりかねない。そう判断すると行動に移る。

 裏手に回り、昨日と同じように裏口から中へと入り込む。板張りのお堂の中には、神楽が言った通りキララの姿はない。

 中心辺りの空間を神楽が叩くと空間が揺らめき、その開いた異界への入り口へと亘たちは飛び込んだ。


 薄明るく薄暗い異界の世界を見回すと、駅やコンビニ、海の家などは存在していなかった。つまり新たに出来た異界では無く、古くからある異界の光景だ。

「駅とかの建物がないので、つまり古い異界ということですね。変ですよね」

「そうだな。これは、昨日と同じ異界じゃないか」

 七海と亘が首を捻っていると、神楽が周囲を見回しながらヒラヒラと飛んだ。

「あのさ、これってさ。もしかしてだけどさ……」

「何か分かるのか?」

「異界の第二階層じゃないかな。昨日の異界が壊れて出てきたんだと思うよ。ほらさ、古い異界は層になってるって、忍者さんが言ってたじゃない」

「だが、雨竜くんを倒してもあの異界は……ああ、もういいや! さっさと行こう」

「考えるの無駄」

 サキがぼそっと呟く。確かに考えて分からないものは仕方がない。どうせ異界なんてものは、存在からして摩訶不思議なのだ。変に理由をこじつけて納得するより、今はキララを探す方が先決だろう。


 異界の中で七海が両腕をかき抱き、身を震わせた。

「日差しがないと、少し寒く感じますね」

「そやな。暑いとこから急にやで、余計にやな」

 七海とエルムが羽織っていた上着のファスナーを閉じる。そうすると水着の下だけが見えてしまい、妄想をかき立てる光景だ。まぶしい太ももや、裾から覗いた水着の下部分が余計に妄想を強調してしまう。

 亘は咳払いをした。

「サキと神楽はチャラ夫と一緒に先頭を、七海とエルムがその後ろ。急いでいるからこそ、ゆっくり行こう」

「「「はい」」」

 その指示で隊列を組んで歩き出す。そうして亘が一番後ろになるが、目的は言わずもがなだろう。先程までの不機嫌さはどこへやら、目の前を歩く少女たちのお尻を眺めながら歩きだす男がいた。


◆◆◆


 水着に覆われたお尻が、歩きに合わせ小刻みに揺れる。目の前にキュッとした張りのあるお尻が並び。右を見て癒やされ、左を見ては癒やされる。綺麗な肌は滑らかそうで、誠に眼福である。

「いました、あそこです!」

 鼻の下を伸ばしていた亘はその声で我に返った。

 今の気分は裏切り者のチャラ夫すら赦せるまで回復している。うっとりした気分で顔を上げると、渚に佇むキララの姿が見えようやく自分が異界に来た理由を思い出す。

「取りあえず保護するか」

 ケバいピンクの水着を除けば、水際に立つキララはその身を捧げる生贄のように厳粛な雰囲気で佇んでいる。その様子からして、早めに保護した方が良さそうな予感がするのだ。

「待ってよマスター、周りのDP濃度が変化してる。何か出てくるよ、ほらあそこ!」

 神楽が声を張り上げ、海を指さした。

 すると、鏡のようだった海面が大きく盛り上がりだす。水を割って現れたのは、坊主頭の巨人だ。水を滝のように盛大に滴らせる姿は、見上げる程に大きい。

 落ちくぼみ黒一色の目、青白く頬の痩けた生気のない顔。ボロ布のような穴だらけの衣を纏った身体は肋が浮き、肌色は水死体のような色合いだ。身体のとこどこに寄生したフジツボの存在が、よりいっそう怖気を誘う。

「うげっ、何っすか。ヤバげな雰囲気っす」

「ボクが思うに、海坊主か海法師だと思うよ」

「冷静に言っとる場合やないで、あれキララちゃんを狙っとるで」

「急ぎましょう」

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