第123話 それは過大評価
「自信つけるために、ウチとエッチいことせえへん?」
「ゴホッ! ゲホッ!」
亘は口に含みかけた日本酒に咽せた。飛沫が飛び、小机を汚す。あれが乾いたら粘つき掃除が大変だなと現実逃避をしてしまう。
月と海を肴に酒を飲み、ニヒリズムに浸っていた気分はどこかに消し飛んでしまっている。
「五条はんってば、驚きすぎやで。ホンマに噴き出す人を初めて見たわ。にししっ」
「エルム……もしかして酔ってるだろ、お酒飲んだだろ」
「うーん、実は少し。勧められて少し飲んでしもうた。あんま、美味しゅうなかった」
キセノン社の男性陣は未成年者に酒を飲ませたらしい。明らかにルール違反だ。これは絶対に藤島秘書に告げておかねばならない。そうすれば激怒するに違いない。
スナップの効いたビンタはトラウマになるぐらい痛い、経験者として語る。
「酔ってるなら、水を飲んだ方がいいぞ」
「そんなんええて、それよかな。どや、自信つけよか」
「……なんで、それで自信がつくんだよ」
「だって、五条はんって童貞ですやろ」
「そそそんなわけないだろ」
「思いっきり動揺してますやん」
エルムが冷静な突っ込みを入れた。
もちろん未経験であるのは真実だ。以前にキセノン社の異界で一歩手前までいったが、誠に遺憾ながら何もできなかった。
「ふーん、へー。もしそうなら、ウチで練習してもらおう思うたんですけど」
「練習……だと……」
「そやで。ナーナはお風呂でしばらく戻ってこんやろ。一時間ないやろけど、チャッチャとすれば、そうも時間は要らんもんやろ?」
浴衣姿のエルムが首を傾げる。その仕草が蠱惑的に思え、亘はゴクリと生唾を呑む。徳利を置こうとした手が震え、情けないほどカタカタ音をさせてしまう。
「いやいやいや、大人を揶揄うもんじゃないぞ」
「そこでヘタレるんで童貞なんや。男の人って女の子として漢になるんやろ。ほれ、ウチで練習してヘタレを卒業しなれ」
「れ、練習」
ゴクリと生唾を呑んでしまう。ヘタレとか言われたことも気づいてないぐらい動揺している。だが、ハッと我に返って首を横に振る。
「いや、だから違うって。自分これでも経験豊富な大人ですから、そんなわけないですから、練習とかの次元じゃないですから。はははっ」
「ほんまか。ほんならな……ウチ経験豊富な五条はんに初めてをリードして欲しいわ」
「はぢめて……」
亘の手の中で、握りしめた椅子の手置きがバキバキと粉砕されていく。我知らず操身之術を使用していたらしい。砕けた木片にエルムが驚きの顔だ。
顔を酒精以外の理由で赤くしながら、亘は目を彷徨わせる。
「だったら、なおのこと。そ、そういうことは好きな人とするもんだろ。うん、そうだな。もっと自分の大切にすべきだな、ハハハッ」
「ウチ、五条はん好きですよ。いつも身体張って守ってくれるし……今日もウチを守ってくれたやろ。あないにされて、女として好きにならん方がおかしいですやろ」
「お、おう。そうかい」
今のは告白だろうか。亘は自分の耳を疑ってしまった。ひょっとして夢ではなかろうかと、ベタに腿を抓ってみるが痛い。どうやら夢ではないらしい。
「親切で優しいし、いざとなると絶対に守ってくれるし。ウチがチョロすぎるかもしれんけど、五条はんのこと本当に好きやで」
「…………」
それは過大評価だ。全ては他人に嫌われたくないから、行動しているだけだ。誰かを守ろう助けたいなどと、高尚なことを思う精神の持ち主ではない。もっと打算的で狡い理由で動いているだけなのだ。
自分で自分を貶める亘だが、それでも嬉しくてちょっと泣きそうな気分である。
今まで女の子に好きと言われたことは一度も無い……いや、学生時代に告白されたことがあった。嬉しくて天にも昇る心地で喜んでいたら、罰ゲームだったというオチだ。しかも物陰から同級生が登場して爆笑された記憶がある。
「どないしたんや。急に押し入れなんぞ開けて」
「いや別に……ちょっとな」
押し入れを開け、戸棚を開け中に誰もいないことを確認し亘は戸惑っていた。これは、まさか真実だろうか。
机の上で腕を組み頭を載せるエルムを斜め後ろから見ると、うなじが妙に色っぽい。浴衣に包まれた身体は、水着姿を思い出せばスラリとして健康的な魅力があった。
ゴクリと唾を呑む。
思考がグルグルと頭の中を巡る。時間は有限。これを逃せば一生ないかもしれないチャンス。脳裏に七海の姿が何故か浮かぶが、それより練習。そう、練習だ。
酒の力もあって、いつもと違う結論へと思考が及んでいく。
「あのな……あ、あれ……寝てやがる。」
「……くぅ」
「言うだけ言っておいて寝るとか、なんなんだよ。やれやれ」
言うだけ言ったエルムは、くてっと机に突っ伏している。どうやらそのまま寝てしまったらしい。すやすやとした寝息には、苦笑するしかなかった。
そして気付く。
部屋には二人きりだ。相手の女の子は酔って寝てしまい、しかも本人からは許可も出ている。つまりオールオッケーという感じで、ゴーサインが出ている状態なのだ。
机に突っ伏したエルムの首筋が見える。綺麗で滑らかな背中も少し見えている。亘はゴクリと生唾を呑んだ。
◆◆◆
「お邪魔します」
「よう」
軽いノックの後、湯上がり浴衣姿な七海が入って来た。酔った亘が軽く杯を掲げてみせると、ニッコリ応える。そして、机に突っ伏し眠るエルムの姿を見て困った顔をした。
「もう、エルちゃんってば。こんなところで寝ちゃってるんだから」
「押しかけて来て、そのまま寝てしまったんだ」
「宴会場でお酒飲んでましたから、ちょっと心配だったんですよ」
「聞いたよ……明日にでも藤島さんに叱ってもらおう」
男性社員の誰が飲ませたかは分からない。だが、藤島秘書ならきっと一蓮托生で全員を怒るに違いないだろう。ついでに、あの中堂が首謀者だと言っておくのがいいかもしれない。
「私もお酒を勧められて困りましたよ。結構しつこくって……お酒の臭いも、辛かったです」
「飲んでない人に……アルコール臭は辛いからな……飲んでる自分が言うのもなんだが……臭いかな」
眠そうに欠伸をした亘が自分の浴衣の袖を嗅いでみせるが、その前には空になった徳利が幾つかあった。神楽がいれば飲み過ぎと叱られるだろう。
「大丈夫です。五条さんなら良い匂いです」
「そうか。ありがとな……神楽とサキは? ふあぁっ、すまん」
欠伸をしながら、亘はトロンとした目で謝る。
「まだお風呂に入ってるそうですよ。なんだか泳いでました」
「そうか……」
寝ぼけ眼で窓の外を眺めやる。酔いが回っているが、先程エルムとのやり取りの後で、七海の顔を見るのは少し気恥ずかしい。もちろんエルムには指一本触れなかった。触らなかったのではなく、触れなかったのだが。
恐かったから。亘だっていつか女の子との行為を期待し各種資料の精読をしてきた。しかし、歳を重ねるほど自分の失敗が先に想像してしまう。頑張ろうと思っても、いざやろうとすると恐くて躊躇してしまう。
エルムが起きているならともかく、寝ていては据え膳だからとホイホイ手が出せなかった。結局は、その寝姿を肴に妄想で仮の満足をするにとどめてしまったのだ。
「寝ちゃってますね」
「だな……」
浴衣姿の七海はエルムの隣に座ると、酔って寝てしまった友人を心配そうにしている。
今度はその姿を肴に酒を飲む。不躾な視線で七海の身体を精査し、昼間見た水着姿を重ね合わせ、そこからさらに発展させ妄想する。
魅惑的で蠱惑的な身体だ。この極上な身体を好きにする男は誰なのか。勇気を出せば、その男に自分がなれるのだろうか。そんなゲスいことを考え、ちびちびと酒を飲んでいく。
徐々に頭の中がボンヤリとしだす。耳の中でゴウゴウと音が響きだす。そして一歩引いた場所から視界を見ているような感覚。心地よいほろ酔い加減で、美しい少女を眺めながら意識を落としていった。
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