第122話 それは負け惜しみ
キセノン社の社員たちは身内で固まって話し込んでいる。部外者である亘に話しかけて来ないのは仕方ない――だが、デュエットを終えたチャラ夫は社員の中に交じって楽しくやっているではないか。
お姉さま方に頭を撫でて貰い、マスコット扱いされる姿が羨ましかった。
「神楽ちゃんどうぞー、お食べくだされー」
「いえ、こちらの方が美味しいですぞ」
「なんですとー。こっちのが美味しいはず」
「喧嘩しないの! ボク両方食べるからいいもん」
神楽が貢がれた料理を平らげ、法成寺を筆頭とした小太り気味の濃い集団から喝采をあびている。どういう状況か理解に苦しむ。
それはサキについても同様だ。
何故かキセノン社の従魔たちが整列し、一体ずつ前にまかり出ては挨拶するではないか。亀形悪魔を椅子代わりに、そこで不遜な仕草で足を組むサキの姿はまるで女王様だ。これまた、どういう状況か理解不能だ。
そして……七海とエルムは男性社員に囲まれていた。近すぎるとまでは言わないが、そこそこ近い距離に中堂の姿があって、得意そうに語っている。
「――飲みに行くと普通はワリカンするんですけどね、細かいお金の計算とかどうでも良くなって、いつも僕が全部払っちゃうんですよ。ええ、おかげでいつも金欠。でも、皆とのコミュニケーションは大事ですからねえ。僕はお金より人間関係を取りますよ」
「はあ……そら凄いもんですな」
「あっ、でも遊んでばっかじゃないですよ。遊びは仕事の息抜きってやつ。だからこそ仕事が冴え渡る! なーんてね。仕事頑張り過ぎでねえ、先月の残業なんて五十時間近くなって、もうフラフラ。家に帰るとバタンキュウですよ。いやー、まいったまいった」
「そうですか。大変ですね」
「おおっと、そこの君。舞草ちゃんと金房ちゃんに近づきすぎだ。もっと離れなさい」
馴れ馴れしげに話す中堂は浴衣を格好良く着崩し、逞しい胸元をアピールしている。その状態で、太っ腹アピールや、頑張ってるアピールを繰り返すのがウザい。七海たちに近づく連中を窘める姿は、まるで彼氏気取りではないか。
「…………」
誰もが普通に人の輪をつくり、普通に受け答えをして宴会を楽しんでいる。そんな場所で、亘だけがボッチだった。ちまちま隅っこで食べる様子は、根暗で陰気なつまらないヤツだろう。なんだか、急に虚しくなってきた。
「ちょっとトイレに行こうかな」
誰も聞いてないだろうが、ワザとらしく呟いて立ち上がる。もちろん、誰も反応しない。寂しさを覚えつつ、そのまま目立たないよう宴会場を出る。廊下でチラッと振り向くが、誰の反応もない。
言葉通りトイレの方向に向かいかけ、もう一度振り向く。廊下は静かで宴会場は賑やかしい。
誰も出て来る様子がないと確認すると、松の間――自分に割り当てられた部屋へと向かうことにした。要するに逃げ出したのだ。
◆◆◆
松の間に戻る途中、フロントでルームサービスを頼んでおいた。海部に勧められた日本酒を静かな部屋でゆっくり飲みたい気分である。
自分は騒々しい宴会場でなく、静かな場所で穏やかに酒を飲みたいのだ。それは負け惜しみだろうが、そう思わないとやってられない。
部屋に入ると、宴会の臭いに慣れた鼻が畳の臭いによってようやくリセットされる。
座卓は片隅に片づけられ、布団が敷かれていた。畳の部屋に布団が並ぶと、なぜかしら淫靡に感じてしまう。
「よいしょっと」
もっとも、同室はチャラ夫なので布団を離し間に座卓を置いておく。やはり男同士並んで寝るなど、ぞっとしない話である。どちらの布団を使うかは、後でチャラ夫と相談だ。
そんな作業をする間に運ばれてきた日本酒を受取り、窓辺の広縁で椅子に座る。部屋の明りを消し、月夜の海を眺め静かに一人酒を始める。心が落ちつくにつれ、少し開いた窓から潮騒が響いてきた。もちろん楽し気な宴会の笑い声も少しある。
「……ふう、美味いな」
月明かりに照らされた海は幻想的だった。
自分のペースでゆっくり日本酒を飲む。やはり宴会場のような賑やかな場所で飲むよりは、こうやって静かに飲む方が何倍も美味しい。
「でも、陰気だなあ」
独りごちる。
世間的には陰気な人間より陽気な人間の方が好まれる。つまり酒を飲んでバカになれる方が好まれるのだ。そうしてみると、このように陰気な人間が独身なのも無理なからぬことだろう。
苦笑しながら杯を重ねていると、ふいに部屋の入り口がノックされた。
「五条はん、おるん?」
「ん? いるぞ」
「うわ、真っ暗でよう見えんわ。明かり点けるで」
部屋の中がパッと明るくなった。
亘が闇に慣れた目を瞬かせている間にエルムは部屋に入り、座卓についた。布団を座布団代わりに腰を下ろしており、亘の今日寝る布団が決定される。
「なんだ七海は一緒じゃないのか」
「ナーナなら、神楽ちゃんとサキちゃんを連れてお風呂やで。でもな、ウチは五条はんに言っとかなあかんことがあってやな……あのですな、その。今日は本当にありがとうございました。それとすんませんでした」
珍しく口ごもって、エルムが神妙に頭を下げる。どうやら今日の戦闘で亘が死にかけたことを気にしているらしい。それに苦笑する。
「前にも言っただろ。異界にいれば何かとある。それを、いちいち気にしなくたっていいさ。ほら、こうして無事だったからな」
「そんでも、今日のは……」
「悪いと思ったら、次から気をつければいいさ」
人に嫌われるのが恐く、強いことや厳しいことが言えぬこともあるが、済んだことの責任を追及する気はない。それより同じミスをせぬよう注意してくれれば充分だ。
ネチネチと、人のミスを責め立てる人間にはなりたくはない。
「…………」
「…………」
しばらく無言のひと時が流れる。
開いた窓から波の音と、亘が手酌する音だけが響く。それは旅館の一室で浴衣姿の女の子と二人きりというシチュエーションだった。ふと気付いてしまうと、妙に緊張し敷かれた布団が再び淫靡に思えてきた。
「五条はんて、ナーナが好きやろ」
「……まあ嫌いではないな」
予想外の不意打ちに、危うく酒を噴き出すところだった。明りが付いて窓は鏡状になってしまい、そこに映るエルムと目が合ってしまう。机に頭を載せグタッとしているが、いつもの悪戯っぽい顔でない。何故かしら女性を感じさせる顔だ。
口内の酒を飲み込み、ニヒルな雰囲気――のつもり――でいるが、心臓はバクバクだ。顔が赤らんでも酒を飲んでいるおかげで隠せる。
だが、そんな付け焼き刃の態度など、吹き飛ばすような言葉が投げかけられる。思い出せば、この少女は人の聞きにくい場所に踏み込むタイプだ。
「そやったら、なんで手を出さへんのや」
「お前は何を言ってるんだ」
「誤魔化さんといてや。あのなナーナはな、五条はんが好きなんやで。ああ、気づいとらんとは言わせんで、あんだけ頑張っとるんやからな」
「……まあな」
それだけ言うのが精一杯だ。言葉を先回りされたせいで誤魔化すこともできやしない。
それに気付いてない……わけではない。正直に言えば気づいていた。ハーレム物の鈍感系主人公ではないのだ、七海の声や視線から度合いは分からぬが、好意を持たれているとは感じている。
ならば、何故手をださないのか。
酷な質問だ。
自分でだっていい加減勇気を持って、七海にアプローチしてはどうかと思うのだが。できないでいる。
これまで何度も失敗し上手くいかず傷ついてきたからこそ、それを味わいたくないと恐れ躊躇してしまう。それは臆病かもしれない、ヘタレかもしれない。だけど亘は傷つくことを恐れ、自分が可愛い普通の人間でしかない。
ラブロマンスの主人公のように、どんなに失恋しようが恋に挑戦し続けることは出来やしない。しかも最後にハッピーエンドを迎えられるとも思えない。
「なあ、なんでナーナに手を出さんのや?」
エルムは興味津々といった様子で目を輝かせる。それは失敗を知らず、挫折を知らぬ者の顔だ。もっとも十代半ばの少女なんてそんなもので、むしろ失敗や挫折を知っている方が問題だろうが。
自分の気持ちを説明したとして理解されやしないだろう。そう考えて説明を放棄する。
「だってな、七海の母親と同じ年齢なんだぞ」
「うっ、そらキツイわな。いやいや、でもな。世の中には年の差カップルなんて、大勢おるやろ。そんなん気にしたらあかん」
「……それにイケメンでもないからな」
段々と面倒になる。どうして、ここまで追及され自分の心情をエルムに説明せねばならないのか。ぶっきらぼうに言い放ち、会話は終わりだと言わんばかりにそっぽを向く。
常なら、これで会話は終わりだろうが相手はエルムである。人の聞きにくい場所をガンガンと踏み込むタイプなのだ。
「イケメンやない? 五条はんはイケメンを勘違いしとるで」
「ほう、勘違いだと?」
二回りは下の少女からの思わぬ言葉に、亘は興味を引かれた
「そや。イケメンを顔のことやと勘違いしとるやろ。そんなイケメンなんて、ほんの一握りや。スポーツ選手を見てみなれ。イケメンや言うたかて、そうでもない人も多いやろ」
「まあ確かに言われてみれば」
「しかもゴリラでもイケメンと言われとる。なんでやと思う?」
「……有名だからじゃないのか」
「違うで。それは自信があるからや。自信を持って堂々としとるで、格好良く見えるんや。それがイケメンやと、ウチは思うとる」
面白いなと思う。自分では考えもしなかった、別方向からの視点。年下だから人生経験が浅いからと、我知らず軽く見ていたのかもしれない。
「なる、ほど……一理あるな」
「つまり五条はんもな、自分に自信を持てばええんや。そしたら、イケメンや」
それなら矢張りイケメンではないと、亘は苦笑した。自信とは自らを信じる心だが、亘にとってこの世で一番信じられない存在は自分自身なのだ。
「そこでやけどな……」
「ん?」
自嘲する亘の前でエルムが口を開く。珍しく言い淀み、視線を彷徨わせている。
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