第121話 1人ポツネン
「お疲れ様です。それでは無事依頼が完了したことを祝って、乾杯!」
縞柄の旅館浴衣を着た亘がコップを掲げると、それに合わせ宴会場の全員がコップを掲げ唱和した。チンッ、とコップをぶつけ合う音が幾つも重なり、亘も周囲から突き出されたコップの群れに自分のコップを押し当てる。
それから中身を飲み干し、拍手の中で額の汗を拭い拍手を聞いた。
異界攻略と社員旅行の宴会である。豪勢な料理を満載した机が二列並び、その両側に大勢の参加者が着席している。それら全てがキセノン社の社員だ。
部外者であるはずの亘が乾杯の音頭を頼まれたのは、宴会が開始される直前だった。頼んできた相手が藤島秘書とあって断りきれず、乾杯の音頭としてはあっさりしすぎていたかもしれないが、声が震えなかっただけマシだろう。
そのつもりはないだろうが、いきなり頼むなど嫌がらせにしか思えない。手に入れた刀を取り上げられたことも含め、恨みに思っている。
「ふう……」
大任を果たすと、ようやく落ちついて目の前のテーブルを眺めることができた。
テーブルを埋め尽くすように、数々の料理がひしめいている。海辺ということもあって、海産物系の宴会料理となっており鮮度も良い。マグロにタイにタコやホタテの刺身が舟盛りされ、サザエやアワビ、伊勢エビまであって豪華だ。
さっそく箸をつけだすがタイはプリプリで、タコもコリコリの歯ごたえ。マグロは普段口にするものと段違いで、別の魚ではないかと疑う美味しさだ。
軽く醤油をつけ、おろしたての本ワサビで頂くと、香りと辛みがスッと抜け魚の味が一層引き立つ。
「んーっんーっ、刺身最高だな」
思わず膝を叩いて喜びを表現してしまう。
海産物系料理なので、安心して幾らでも食べられる。普通の飲み会料理は油っこくて塩分も強く、翌日まで胃もたれして中性脂肪も心配になってくるものだ。
「やっぱ肉っす。俺っちは肉食系男子っす!」
もちろん肉料理もありチャラ夫が頬張るのは、最高級和牛の霜降りステーキだ。目が合うと、口元を霜降り肉の脂でテラテラさせながら、ニッと笑う。
「兄貴も一つどっすか。この肉、最高っすよ!」
「じゃあ、ひと口だけ」
差し出された皿に箸をのばし、肉を一切れ貰う。口に含めば表面はカリッと焼かれ、しかし噛む力が不要なほど柔らかくジュワッと脂と旨味がしみ出す。さすが最高級の肉といったところだろう。
ただし、亘には一切れだけで充分だ。
貧乏舌が原因かもしれないが、霜降り肉の脂は強すぎる。A5ランクの肉なんて脂を食べるようなもので、ひと口ふた口で満足だ。それ以上食べるとなると、美味しさでなく辛さを感じてしまうに違いない。
口直しにビールを飲み干すと、浴衣姿のエルムが向かいから声をかけてくる。
「五条はん、ビールをお注ぎしましょか」
「あ、いや自分はビールは、その……」
飲めないことはないが、量が飲めるわけではない。あまり飲むと寝てしまうので、今飲んだビールは乾杯用のものだ。
アルコールで腹を満たすよりは料理を楽しみたかった。しかし、せっかく女の子が酌をしてくれるのに断るのは申し訳ない。それで困っていると、七海が新しいコップを亘にウーロン茶の瓶をエルムに渡した。
「エルちゃん、五条さんにはウーロン茶ですよ。アルコールは苦手なんですから」
「そか。そら、悪いことしてもうた。ほんなら、ウーロン茶をどうぞ」
「おっとっとと、ありがとう。七海もありがとうな」
「いえいえ。それより、お刺身を取りましょうか。それとも、お鍋がいいですか」
「ウチにも言ってくれてええで」
「俺っちの肉もあげるっすよ」
ワイワイと囲まれて楽しい。チャラ夫から肉を貰ったのも友達同士シェアするようで嬉しことであるし、七海とエルムが甲斐甲斐しく世話しようとしてくれるのも嬉しい。なんて幸せなのだろうか。
それにしても、女の子が浴衣姿をすると妙に色っぽく、普段着や水着とはまた違う魅力がある。同じ浴衣姿のチャラ夫がヤンチャ坊主にしか見えないのに対し、七海とエルムは大人っぽく見えてしまう。この違いは何なのか。
「それより早く食べた方がいいぞ。なくなる前にな」
その言葉は大袈裟ではない。
宴会場に神楽とサキが降臨しているのだ。その旺盛な食欲でヒョイパクヒョイパクと舟盛りを瞬く間に平らげてしまうが、そこに自重という言葉はない。
異界での活躍があるため、亘も強いことを言えない。そうなると、誰も止めることができない。追加料金を請求されそうな勢いで二体の従魔は食事を続けていた。
◆◆◆
宴会が進むと、食事よりは会話が中心となる。会場は騒々しく賑やかで、それぞれが笑いさざめき思い思いに騒いでいる。
前で歌うチャラ夫は何故か藤島秘書とデュエットしている。きっと、チャラ夫ならどんな相手だろうと仲間となって、やっていけることだろう。
七海やエルムの周りには自然と人が集まり、賑やかさの中心となっている。
そして宴会場の隅っこで、一人ポツネンとしているのが亘だ。気づけばそれは、いつもの飲み会での定位置でもあった。温くなった刺身をつついていると、亘の隣に海部がやって来た。
「五条様。どうもお久しぶりでして。料理の方はいかがでしょうか」
コップの中身がウーロン茶だと見ると、海部は手にするビールを横に置きさっとウーロン茶に切り替えている。さすが世慣れているだけあって、気づかいが細やかだ。
ボッチが解消されたことも合わせ、亘は笑ってみせる。
「美味しい料理ですね。腹いっぱい食べさせて貰ってますよ」
「それは良かった。料理以外も日本酒の美味しいものも用意しておりますが、あいにく五条様は飲まれない様子で残念ですな」
「全く飲めないわけではないですよ……何と言いますかね。宴会でガブガブ飲むより、味わって飲む方が好きなんですよ。もちろん量は飲めませんけど」
どうせ量が飲めないなら、ガブ飲みでなく味わって飲みたいということだ。それを説明すると、海部が嬉しそうに膝を叩く。少し顔が赤らんでいるが酔っているようだ。
「それこそが正しいお酒の飲み方ですよ。宴会で泥酔した人間に美味い酒を飲ませるなんて、酒に対して失礼だと思うのです。酔うだけなら、アルコールだけ摂取させておけばいいのです」
「お酒好きなんですか?」
「ええ。飲んでのバカ騒ぎは、嫌いですけども」
「ははあ」
ますます親近感がわいたが、それは海部も同様らしい。社員の一人を軽く拝んで、徳利とお猪口を持ってきて貰っている。
「や、ありがとう……それでしたら、これを試して下さいな。少量ならよろしいでしょう」
お猪口に注がれた日本酒は澄んで美しい。そっと口をつけた亘は目を見開いた。
「これは飲み口がいい。水みたいに喉を通る」
「そうでしょう。今回のため、特別に取り寄せたものです。よろしければ、後でお部屋で頼んでみて下さいな。静かな場所で、ゆっくり飲んで欲しいお酒ですよ」
「お言葉に甘えさせて貰いましょう」
亘は素直に頷いた。残りを口に含むが、これなら飲めると思える味わいだ。
上立ち香は抑えられているが、口に含むと透明な味わいの中から鼻に抜ける上品な酒香がある。宴会場で他の酒類と一緒飲みはしたくない酒だ。
美味しいので、もう一杯貰っていると海部がチラッと視線を他所に向ける。
「ところで、五条様の従魔は凄いですな」
「……いや、お恥ずかしい。そろそろ注意しましょうか」
謙遜などではない。間違っても違う。宴会場を荒らす自分の従魔には恥ずかしさしかなかった。異次元胃袋と呼びたくなる勢いで、遠慮なく食べまくっているではないか。
しかし海部は、そうでないと首を振る。
「それは大丈夫ですよ。確かにあの食欲は凄いですが、話は別のことです」
ホッと安心する。実は釘をさされないか心配だったのだ。
「今日の戦闘について伺いましたが、他の従魔と比較にならない強さだそうで。特に……あの子供の方。あれは、アマテラスに追われていたと噂の悪魔ですな」
「その節は会社に、ご迷惑をおかけしました。あのまま成り行きで契約して従魔にしましてね」
「そうですか。他で派生した悪魔を従魔にするなど、初めて見ましたよ。しかしですな、あまりにもイレギュラー過ぎます。どうぞ、お気を付け下さい」
亘は他の契約者の状況を殆ど知らない。しかし、デーモンルーラーの運営に携わり、数多の契約者情報に触れる海部が言うのだから、とんでもないイレギュラーなのだろう。
気をつけろとの忠告されると、確かにその通りだ。今日も初めて大狐になれることを知ったぐらいであるし、他にも隠していることがまだあるかもしれない。
しかし――自分に言い聞かせるように、きっぱりと言いきる。
「サキは自分の大切な従魔です。大丈夫ですよ」
「そうですか。ならばこれ以上は言いますまい。どうぞお休みの間、悪魔に身体を乗っ取られぬよう……」
「言ってるじゃないですか」
酒の入った亘が珍しく突っ込みを入れる。それで海部はニッコリと笑うと、徳利片手に去っていった。雑談めいていたが、サキについて探りに来たのかもしれない。何となくそんな気がした。
「あ、しまった」
亘はボッチに逆戻りしてしまった。賑やかな宴会場の中でただ一人は寂しすぎる。けれど賑やかな場所に行って加わる勇気もない。海部を引き留めれば良かったと後悔するが、もう遅かった。
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