第120話 実は激怒
「必要ない」
亘の前にサキが立ちはだかる。その紅い瞳は燃えるように色を強め、ひと睨みで自らの契約者を押しとどめた。そして背を向けオロチへと歩きだす。
「いい。任せて」
そう宣言した白いワンピースの裾が風もないのにはためく。どこからか、グルルルッと低い唸り声が辺りに響き渡りだした。冷静に見えるサキではあったが、実は激怒していた。その目で瞳孔が大きく開かれ、大事な契約者を瀕死に追いやった敵を睨み付けている。
一歩二歩と進むうち、鼻の頭に皺が寄り口角が上がる。威嚇するように打ち鳴らされる歯が牙となり、黄金色した髪が暴風に乱されるようにざわめく。
「許さない。サキが……相手をしてやろう。我が式の主を傷つけたこと、後悔するがよい」
瞬間、サキの足元から炎が吹きあがった。それは大きく立ち上り、小さな少女の姿を覆い隠しなお成長する。火柱の中から巨大な獣がのそりと現れ出た。
黄金色した毛並みの中で胸に一房だけ白毛がある。口は尖り気味、ピンッと立った三角耳。先の黒い四肢が地面を踏みしめ、フサフサとした五本の尾が揺れ動く。
その姿は狐であった。人の背丈よりも巨大な毛並みに紅い隈取りのラインが走る姿は、神々しくも畏れを感じさせるものだ。一歩を踏み出せば足跡の地面が燃えあがる。
ゴオッと大狐が吼え声をあげ疾走しだすと、それに呼応しオロチが動きを止め振り向いた。
◆◆◆
大怪獣大決戦といった戦闘は、終始が大狐の圧倒で終わった。
オロチの七つの首や尾による攻撃など意に介さず、大狐は襲い掛かった首へと逆に喰らいつく。そのまま口から火を吐き焼き切ってしまう。
落ちた蛇頭は前足に踏みにじられ潰されてしまう。火に焼かれた首は再生せず、次々と首を落とされていくオロチは、残り二つとなったところで逃げだしさえした。
だが、それを大狐が頭突きの体当たりで押し倒し、蛇体を踏み付ける。残った首へと喰いつ喰い千切り、仕留めてしまう。
「圧倒的やないやろか」
「もう全部あいつだけで、いいんじゃないのかな」
大狐は消えかけるオロチの蛇体を咥えると、まるで獲物を運んでくる猫のような足取りで戻って来る。それを眺める亘たちは口をあんぐりさせ、馬鹿な感想をもらすだけだ。同じ獣型のガルムは尻尾を振り憧れの眼で見上げていた。
大狐はDP化しだしたオロチをポイッと放りだすと、姿を揺らめかせ小さなサキの姿へと一瞬で戻る。白いワンピース姿でタタッと走ると、亘へと飛びつく。
その顔はどやっと言いたげだ。
「誉めて」
「あ、ああ。よく……やったな」
亘は戸惑いながら黄金色した髪を撫でやる。目を細め嬉しそうにする姿は、無邪気な少女のものでしかない。大狐だった名残はどこにもなかった。
何がなんだか分からない。分かるのは、切り札を隠し持っていたのは自分だけでないということだ。もう一つの切り札が出来たと喜ぶべきか、それを内緒にされていたことを悲しむべきか迷ってしまう。
茫然とする皆の中からチャラ夫が声をあげた。
「兄貴、あれを見るっす」
その指さす先――オロチの尾があった辺り――に一振りの刀が転がっていた。
その瞬間、亘はクワッと目を開き凄い勢いで駆けだした。さっきまで気力が尽きていたと思えない程だ。置き去りにされたサキが怒って頬を膨らませているが、神楽はいつものことだと呆れて頭を振っている。
「むう。箱乱れの小沸出来っぽいが、これはドロップ品か?」
「んー、違うよ。ドロップ品じゃなくてさ、本物みたいだね」
「そうか。それなら刀を保護せねばいかんな。この異界から救ってやらねば」
「……兄貴兄貴、下心が見えてるっすよ。それよか、悪魔が落としたならヤバくないっすか。はっ! まさか妖刀村正とか!」
「さてな、愛好家レベルで鑑定はできんよ」
曇った刀身では、刃文も地鉄もボンヤリしか見えない。もっとも、ハッキリ見えたとして村正かどうかは分からない。鑑定は玄人ですら二の足を踏むのだ。偶に鑑定会で自信を持ってしまった愛好家が、鑑定が出来ると豪語することもあるが、そんなの推して知るべしだ。
「村正なら凄いっすね! 徳川家に祟る伝説の妖刀! 大業物の凄い切れ味!」
「「ああ、刀の話は……」」
興奮したチャラ夫を神楽と七海が止めようとするが、もう遅かった。亘の目はきらきら輝き、嬉しそうな笑顔となっている。
「徳川家に祟るって話は江戸中頃の講談による影響だな。実際には家康自身が村正のコレクターで、遺品に村正を残してるからな。要するに風評被害ってやつだ」
「マジっすか。祟るのは嘘っすか……」
「刀自体が祟るというのは……村正と関係ないが多少はあるかもしれんな」
昔であればバカバカしいと一蹴したところだが、自分が体験していれば話は別だ。刀を購入した当夜に金縛りに遭って、明晰夢の中で人影を見たあげく三晩連続でうなされ夜中に飛び起きる体験をしたことがある。だから、祟りがないとは言い切れない。しかも、御札と一緒に保管するようになったら何も起きなくなった。
「あと、村正は業物じゃないからな。江戸時代の村正はな、風評被害で存在を抹消されてただろ。だから業物の選定が出来なかったのだろうな。そもそも業物というのは――」
最上大業物、大業物、良業、業物は実際に斬れ味を試して選定される。同一刀工作の刀十本で試しを行い、所定の試斬方法で斬れた本数によってランクが定まる。もちろん斬るのは人間の死体でだ。
そんな選定方法のため、試し斬りに使える刀は限られる。古来名刀とされた刀は試し斬りには使えず、結果として末古刀以降の刀が多く選定される結果となっているのだろう。
つまり徳川家に祟るとして忌避された村正が江戸時代に使えるはずもない。従って業物としては選定されていないのだろう。
「あのさマスター、刀の話はさ。また後にしようよ」
終わりそうにない説明に神楽が呆れたように口を挟んだ。
「むっ、そうだな。まあ村正は良い刀だと思うぞ。無骨な田舎臭い姿だが、如何にも物斬れしそうな凄味があるからな」
「あれを見て下さい!」
七海が声を上げたのは、何も話を逸らすためだけではない。
オロチが消えた辺りに七人の男の姿が現れていた。全身がずぶ濡れで、下半身が幽霊のようにぼやけている。しきりに何かを訴えるように口をパクパクさせているが、やがてその姿は薄れ消えていった。
「あのオロチは、殺されてしまった侍たちの怨念だったのでしょうか」
「……悪魔が誕生する時は、周囲の概念の影響を受けるって話だよな。そういう意味では怨念なのかもな」
侍たちの強い恨みが、誕生する悪魔に影響を与えたということだろうか。
亘は両手を合わせ、南無南無と経を唱えた。一応、亡霊相手に効果のあったお経なので何かしらの効果はあるだろう。
「助けてくれた村を荒らし回った連中だが、死ねば仏だな。成仏して欲しいな」
「バッカじゃないの。あんな昔話を信じちゃって、あー笑える」
瞑目していたため接近に気付かなかった。キララの拘束は解かれており、散々喚かれたのか藤島秘書たちキセノン社の連中はウンザリした顔だ。
そのキララだが、神楽やガルム、そしてフレンディといった人外の姿を気にした様子もない。巨大な七つ首の蛇や火を吐く大狐を立て続けに見たせいで、今更どうでもいいと思っているのかもしれない。
もしくは、異界から出ると全部忘れてしまうと説明されたかだ。
「あんなの嘘っぱちだよぉ。キララが小さい頃に聞いた話だと、村に助けて欲しいって来たお侍さんは、まんま村人に殺されたの」
「はあっ!? なんでっすか」
「んー、キララ分かんない。でも戦争で負けた方なんて助けたら、勝った方に睨まれるじゃん。そーゆーことでしょ」
亘はなんとなく察した。そんなものではなく、きっと落ち武者狩りだろう。
中世の百姓は単なる弱者ではない。村ごとに武装し、自衛や村同士の争いに備えた武装集団であった。そして落ち武者のような存在は、身ぐるみ剥いで命まで奪っても問題ないと考えられていた。
権力と勢力を持った武士であっても、ひとたび落ち武者となれば支配していた相手に襲われ殺されてしまう。考えてみればそれは現代でも同じで、過ちを犯した権力者がネット上で徹底的に叩かれ無名の個人に追い詰められる。人は変わらないということだ。
ふっ、と亘が皮肉に笑っていると、キララがその側に近寄る。
血まみれのツナギなどは脱いでいるため、亘の上半身は裸だ。その胸にキララが媚びるように顔を寄せたかと思うと、馴れ馴れしく手を伸ばして撫でだした。
その様子に、七海が神楽やサキと一緒になって呻っている。
「それよかさぁ、ゴジョちゃんって。おじさんなのに、凄くいい身体してるね。あのね、後でキララとどうかなぁ。ほら昨日見られちゃった感じのコトとかぁ、どお」
意味深にウィンクしてくるキララだが、緩いのは頭だけではなさそうだ。
「昨日の子ってば下手くそだったの。だーかーらー、キララ欲求不満なの。ゴジョちゃんみたいな、大人のテクに期待しちゃうなぁ」
亘は昨日見た岩場のアンナコトを思い出す。アンナコトとはアンナコトで凄く興味はある。けれど、生唾を呑んで首を横に振るしかない。大人のベテランテクを期待されているのに、亘はルーキーですらないのだ。
「いや遠慮しておこう」
「えー、そんなぁ。私ぃ、凄いんだよ。皆、また会いたいって言ってくれるんだよぉ」
「……だ、だが断る」
「ゴジョちゃんって、もしかして女の子がダメな人? あーっ! もしかして、こっちの彼が彼女なの?」
「何で俺っち!? しかも彼女側とか失礼っす!」
チャラ夫が狼狽え、妙なとこで文句を言っている。まさか彼氏になりたい願望でもあるのか。
亘はため息をついた。
「違う。くだらないことを言うな」
「ゴジョちゃんってば、ストイックぅ。じゃぁ、こっちの子の誰かが彼女とか?」
「はい! 私です!」
「えーっ、マジでぇー!」
さっと出た七海が亘の腕をとり、キララから遠ざけた。あげく威嚇するように睨んでいるではないか。それは、まるで飼い主を守ろうとする子犬の如き懸命さだ。
そんなやり取りをする中、エルムは黙ったままでいた。いつもなら率先して七海をからかうはずが、ずっと黙ったまま下を向いていた。
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