第284話 そういうのはダメなんだ

――はてさてどうしたものか。

 亘は顎をさすりながら考え込む。

 もしアイドルをやらねばいけないのであれば、今からサインの練習をせねばならない。だがその前に、サインなので普通に名前を書くわけにはいくまい。そうなるとサインっぽいサインを考えねばならない。できれば花押のようなサインであればいいのだが、少しも上手いものが思いつかない。

 亘のどうでもいい悩みとは別に、正中は人選を述べていく。

「舞草君と金房君は確定でいる。二人とも実力は当然として、見た目も申し分ない。必ずやメインとなって活躍してくれることだろう」

「そりゃそうですね」

「実は二人には、簡単に説明をして内諾は取り付けてある」

「流石に早いですね」

 アイドルともなればファンも大勢となるが、七海とエルムがそうして騒がれる事に亘は微妙な嫉妬を感じてしまう。とはいえ、二人が引き受けたのならそれはそれだ。一緒に活動して応援していくしかあるまい。

 さらに正中は何人かの名を挙げた。だが、あまり聞いた事のない名前ばかりだ。

「それでどうするか悩んでいるのは……」

 言い淀んだ正中がちらりと亘を見る。

 それで、亘はついに来たかと確信した。軽く居住まいを正し咳払いなんぞをして改まってみせるのは、少しばかり緊張をしているからだ。

「まあ悩むのであれば、思い切って言ってみてはどうですか? そういうのも言ってみれば、案外と上手くいく場合も多いですし」

「むっ、そうかね。だが大変な面倒と苦労をかけてしまうかもしれない話だが」

「大丈夫ですよ。頑張りますから」

「君がそう言ってくれるのであれば安心できる」

 正中は腕組みすると、大きく頷いた。

「では、チャラ夫君にも頼むとしよう」

「チャラ夫ですか?」

 亘は眼を瞬かせた。肩すかしをくらった気分と言うべきか、これは幼少時の遊びで順番として当然次は自分と思って前に出たら飛ばされた時の気分である。つまり、思いっきり哀しく寂しく恥ずかしい気分という事だ。

 それぐらい自分で間違いないと思っていたのだ。

「悪魔対策の総括責任者でありながらアイドル的な活動までするとなると、かなり大変なのかと思っていたが。そこは苦労をかけて申し訳ない気分ではあるね」

「……いいんじゃないですかね。ちょっとやそっとの苦労でへこたれる奴じゃありませんし。ええ、たっぷりと扱き使ってやればいいんですよ」

 苦労して酷い目に遭えと、亘は身勝手な私怨ありありでそれを願った。

 だが、正中はそんな邪な考えなど気付きもしない。むしろ誰が気付くであろうか、三十過ぎの男がアイドルの座を狙って横取りされたと不満を抱いているなどと。

 書類にさらさらと名前が書かれ、そこにチャラ夫の名前も加えられている。

「あともう一人悩んでいるのが……」

 亘はハッとした。

 まさかここで来るとは少しも思わなかった。チャラ夫の苦労を心から願った自分に恥じいるばかりだ。

「分かりましたよ、悩むのであれば言って下さい」

「そうかね、実はイツキ君の扱いなんだ」

「イツキ……ですか」

「彼女も戦力として申し分ないが、しかしデーモンルーラーは使っていない。やはり一人だけ違うメンバーというのは難しいかもと思うのだ」

「まあオブザーバーぐらいでいいんじゃないですか。助っ人みたいな感じで。ついでに忍者とかの存在も明確にできるでしょうし。ええ、いいんじゃないですか」

 流石にイツキは可愛がっているので、適当なことは言わず亘はそれなり真面目に答えた。何にせよ若干の拗ね気味であって、実に大人げない。

 あまりにも面白くないため、八つ当たりでサキの耳なんぞを上にひっぱり弄る。きゅうきゅうと悲鳴があがるが、抵抗の素振りは一切無くジタバタしているだけだ。

 そんな大人げない行動を上から覗き込む神楽であったが、亘が本当は参加したかったのだろうなーと察していた。察しているがしかし面白いので黙って見ているという、まさに悪魔の所行であった。

 そして正中は身を乗り出した。

「あと君にもお願いをしたいのだが」

「えっ!?」

 亘は驚いたサキの耳を放した。ついでに神楽も驚いた。

「そうですか。ええ、もちろん活動には協力しますよ。世の中が少しでも治まるのであれば協力しますので」

「そう言って貰えると嬉しいね。では神楽君とサキ君を貸して貰いたい」

「……神楽とサキだけですか。つまり本体と言いますか、その使用者である自分がアイドルみたいな活動をするとかっていう事はないですよね」

「うん? ああ安心をしてくれ、そんな気は少しもないから」

 正中はにこやかに笑った。

「最初はどうしようか迷いもした。だが、先程君に言われて考え直したよ。やはり若い子供たちがヒーローのように頑張る姿があるからこそ、多くの者に感動と共感を呼べ込めるのだとね」

「そうですよね」

 亘は顔で笑って心で泣いた。

 自分の画策した事で結果として自分の可能性を潰したのだ。ついでに言えば、自分などがアイドルに抜擢されると少しでも思っていた事が情けなくて恥ずかしかった。この所、さして苦労や嫌な事がなかった為思い上がっていたのだろうかと気落ちさえしている。

「いやはや、アイドル活動やれなんて言われたらどうしようかと思いましたよ」

「はっはっはっ、それはない」

「ですよね。はははっ」

 面白い冗談だと笑う正中と、それに合わせる亘であった。


「ちょっとさ、勝手に決めないで欲しいのさ」

 神楽が不満げに頬を膨らませ、テーブルの上に降り立った。小さくもない胸の下で腕組みする姿は可愛らしく、間違いなく誰からも愛され好かれるキャラに違いない。

「どーしてボクたちがマスターを置いて行動しなきゃなんないのさ」

「んっ、同感」

「ボクたちははマスターのものでマスターの為に動いてマスターの傍に居たいの。なのにマスターと離れて行動するとか、ボクやだよ」

「んだんだ」

 全くもって正論となる意見であるが、正中はふと疑問に思った――どうして従魔が使用者の意見に逆らうのだろうかと。

 そしてある可能性に思い至り顔を青ざめさせた。

 つまり、この神楽とサキという存在が従魔という枠組みをはずれ一個の悪魔として存在しているのではないかという事だ。それであれば、他の悪魔たちと一線を画した戦闘能力や賑やかしさや自由さ全ての理由が付く。

「もしや君たちは……」

「何なのさ、とにかくボクたちはマスターにしか従わないの」

 神楽の言葉に正中は自分の考えが思い違いであったかと安堵した。だがしかし、胸の中に湧いた懸念は少しも晴れてはいないのだが。

「そう言うなよ、今までだって別行動はあっただろうが」

「と言うかさ、マスターを一人で放って置いたら何するか分かんないじゃないのさ」

「失礼な奴だな、まあいい。だったら交代制とするか。どちらか片方が一緒に居て、もう片方が七海たちと行動する。これでどうだ」

「「…………」」

 神楽とサキは視線を合わせた。

 そこでは両者とも瞬時に全く同じ考えを巡らせている。つまるところ、片方がいなければ残りは亘と二人っきりで居られる。その間は完全に独占状態なのだ。

 斯くして両者は同時に頷いた。

 しかし次なる問題が起きる。

「だったらさ、最初はサキが別行動ね」

「やだ」

「ボクがマスターと一緒に居るの」

 なんと言うか子供の喧嘩のような感じである。ただし、ここで問題となるのは両方が並の悪魔を遙かに陵駕した実力の持ち主ということだ。

「「…………」」

 睨み合う神楽とサキ。

 亘を巡る両者の間には殺気すら漂い、今にも怪獣大決戦が始まりそうな予感だ。たとえ本気でなかろうとも、余波だけで周囲は大被害に違いない。実際問題、力の放出に伴い辺りに剣呑な空気が物理的に漂いだす。

 NATSの本部が壊滅しそうになる寸前に亘が周囲を救った。

「やめんか」

 ぺしっぺしっと叩く見事な裁きに正中は安堵した。たとえ自分の抱いた懸念が本物であったとしても、とりあえず何の問題もないのだと。

 叩かれた神楽は頭を抱え、うーうーと唸っていたが直ぐに立ち直る。ビシッと立ってサキに指先を突きつければ、サキも亘の膝上から飛び降り両者は気合いを入れ対峙する。

「だったらさ、ジャンケンだよジャンケンで決めよ」

「んっ、負けが負け」

「そだね負けた方がさ、最初にナナちゃんたちと行動するんだよ」

 何気ない言葉――だがしかし、それが逆に亘の逆鱗に触れた。

 困った奴らだと軽く笑っていた顔が強ばり、続いて表情が抜け落ちる。それは亘のトラウマスイッチがオンとなったのだ。

 過去の記憶――小学生の夏、クラス二つに分かれての対抗戦。クラスの中心二人が交互にメンバーを指定し自分の仲間を選び、徐々に減りゆく残りの人数。やがて漂いだすいたたまれない空気。そんな中で最後の一人を押しつけ合う無慈悲なジャンケンは、もちろん負けた方が引き取るというものだ。

「おい」

「マスター?」

「負けた方が一緒にだと……ふざけるな」

「えっ、あのっ。どしたのさ」

「どうしただと?」

 静かな声には深く怒りが含まれ、神楽は身を縮めサキは尻尾を抱き、まるで世界の終わりのように身を震わせる。

 周囲で成り行きを見守っていた者たちは心の底から恐怖した。先程の神楽とサキの睨み合いなど比較にならない程の圧迫感が辺りに渦巻く。その中で皆は背筋の産毛さえ逆立たせ、肌を粟立たせている。

「ジャンケンをするのはいいが、負けた方がとか。そういうのはダメなんだ」

 亘は静かに言った。

「そういうのはな。そういうのはダメなんだ。やってはいけないんだ、分かるか」

「「ごめんなさい」」

 神楽とサキは心の底から謝るとジャンケンをしだした。もちろん勝った神楽が、まず七海たちと行動することとなった。

 素直に従う両者の姿に、正中は自分の懸念が少しも問題ないと確信する。だがしかし、今度は五条亘という人物に対し若干の――本当に微細な――不安を抱いてしまうのであった。

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