閑65話 命燃やして全力を
大宮大司郎は廃墟で生活していた。
廃墟と言っても、元からの廃墟ではない。そこは長年両親と共に暮らした、小さいながらも住みやすい自宅だ。しかし、突如として巻き起こった悪魔騒動によって半分ほどが崩れてしまっている。
その場所で大宮は、悪魔に殺された両親を想いながら、何の会話も楽しみもなく一人孤独に過ごしている。寂しさに気が抜け気力もわかず、胃の中が空っぽになったように、身体から力が抜けたような毎日だ。
「…………」
主な生活場所は二階にある自室で、そこは奇跡的にと言うべきか殆ど損壊していない。子供の頃から変わらぬ室内で、椅子に腰掛けお気に入りのマンガを読んでいれば、今も下で両親が暮らしているような気が少しだけする。
だが、それも今日で終わりだ。
ついに決意して机に並べるのは、自宅にあった全ての薬類だ。全部飲めば、きっと楽になれるはず。読みかけの本を読破したので、もう何の心残りもない。
「さて……」
古びた写真一枚を前に置き、錠剤を一つずつ取り出し一つにまとめ、一瞬迷って一気に呑む。しかし一旦手を止めたのは一階から一寸した物音が聞こえたせいだ。
一応見に行くことにする。
ただ単に何かが倒れただけかもしれない。
だが、もしも悪魔であれば許せない。この自分の家に、あの悪魔どもが入り込むなど、もう二度と許せなかった。だから用心の為に用意してあった木刀を手に、慎重に階段を降りていく。
長年住んだ家だけに、どこを踏めば音が出ないかは把握している。
口煩かった母親に見つからないよう動いた日々を、ふと思い出してしまって、腹の中の空虚さがいや増した。
階段を降りると、ガサガサとした物音がはっきりと聞こえる。
とりあえず悪魔ではなさそうだ。しかし自宅への不法侵入は、それはそれで許せない。まずは大きな声で威嚇する。
「こらぁっ! 誰だ!?」
「ご、ごめんなさい」
「ん……?」
大宮は戸惑った。
怒鳴り声に首を竦めたのは中学生ぐらいの女の子だった。一緒に小学生ぐらいの女の子もいて、顔立ちが似ているので姉妹に違いない。怯えた目をする二人は疲れきった様子で、何日もまともに食べていないように思えた。
「…………」
何故か思い出されるのは、子供の頃に庭に痩せこけた猫が現れた日のことだ。猫嫌いだった母が、即座に食べ物を用意してやって、あの時はとても驚いた。その猫も十数年後には、母の腕の中で最期を迎えたのだ。
母よ、あなたは一番厳しく一番優しかった。
木刀の先が下を向く。
「怒鳴って悪かった。右の棚に食べられるものがある。好きに食べなさい」
「それは、でも……」
「食べ物を探しに来たのだろう? 好きに食べて構わんよ」
言って大宮は、年上の子が警戒する様子に気付いた。
――なるほど、それもそうだ。
こんな状況下だ。無条件に食糧を分け与えるなど、何か下心があると怪しんで当然だろう。しかも自分のような、むさ苦しい男の親切である。これまでの人生で見た目が大事であること、そして自分の見た目は理解していた。
大宮は自嘲気味に笑った。
「どうせ一人では食べきれん。それに食べ物は、近所から勝手に持って来て溜め込んだ。食べたいだけ食べなさい」
言いおいて、大宮は二階に戻った。
木刀をベッドに投げ置いて、古びた写真を手に椅子にもたれ天上を眺めやる。
ぼんやり考え事をしていると、ドアがノックされ、遠慮がちに開かれた。
「あのっ、食べ物頂きました。ありがとうございます」
「おじさん、ありがと」
大宮はそちらを見ないまま、軽く手を挙げる事で返事をしておいた。あまり人と話すのは得意でないし、自分の家の中で他人を見ることは慣れていない。
そのまま姉妹は去って行った。
「やれやれ死に損なったな……今日は寝るか」
気が削がれたと言うべきか、今はあの姉妹の姿が心の中に残ってしまっている。出来る事なら、両親と暮らした日々を思いながら最期を迎えたいではないか。
とりあえず薬を片付けた。
「さて……」
翌日、改めて自分の身を処すことにした。
まず薬は止めておくことにした。夕べ寝る前に考えたが、薬で上手くいくとは限らない。なにせ身体だけは頑丈なのだ。もし失敗でもすれば悶え苦しむだけかもしれないではないか。
そうなると、やはり古典的な方法だ。
大宮は頑丈なロープを手に、しっかりとした枝振りの庭木を見やる。
「ここでバーベキューをした事もあったな……」
懐かしい思い出に浸り庭を眺める。
父が飲めもしないビールを飲んで酔っ払い、母と二人で文句を言いながら焦げていく肉を必死に食べた覚えがある。しかも猫が乱入して大騒ぎ。楽しくて賑やかで、記憶に残る美味しさだった。
猫よ、お前は素晴らしい奴だった。
古びた写真を尻ポケットに仕舞い込むと、持って来た脚立にあがって、頑丈そうな枝にロープをかけ輪をつくり――声が聞こえた。
折角の決意に水を差され、懐かしい記憶を邪魔されてしまった。
「なんて騒々しい。迷惑な連中だ」
忌々しい気分で塀の向こうをみやれば、あの姉妹の姿があった。姉が妹の手を引き必死に走ってくるが、その直ぐ後ろには犬の顔をした人の姿がある。
その悪魔は二人を獲物として狙っているらしい。
恐らくは逃げきれないだろう。
――死にたいが、しかし悪魔に喰われるのはご免だな。
身を隠そうとして、ふと思い出した。
昔々の子供の頃、野良犬に追われた時に父が助けてくれた。凄い勢いで駆け付け犬を追い払い、自分の怪我――ただし途中で転んだもの――など少しも気にせず、ただただ心配してくれた。
父よ、あなたは最高に格好悪く最高に格好良かった。
なぜだか泣きたくなって、全身が熱くなる。
気付けば、大宮は飛びだしていた。
「ここだ! ここに来い!」
手にした脚立を振り回し、二人を呼び寄せ犬の悪魔に立ち向かう。恐くて恐くて堪らないが歯を食い縛った。これまで自分の中に蓄積した数々のヒーローたち、その全てを心の中に宿し気合いを入れる。
二人を背後に庇った自分は、今だけはヒーローだ。
「ここに俺がいる!」
叫べば勇気が湧いてくる。
脚立を叩き付ければ重い手応え、悪魔は蹌踉めいた。こちらを標的に飛び掛かってくるが、これを脚立を盾にして防ぎ押し合う。隙間に突っ込まれた犬の顔が目の前に迫り、生臭い息を顔に感じる。
大宮は戦った、勇敢に戦った、人生で一番全力を尽くし戦った。
それでも徐々に追い詰められていく。
ヤケクソで膝蹴りをすると、膝にぐにゃりと嫌な感触。犬の目と口が丸く大きく開き悲痛な声が漏れでた。股間に手と尾を挟み、よろめきながら逃げていった。どうやらクリティカルヒットしたらしい。
「つまらぬものを蹴ってしまった……」
荒い息を繰り返し呼吸がおさまってきて、同時に痛みがおそってきた。どうやら致命傷になるような傷はないようだが、その他の細かな傷は無数にあって、血も思った以上に出ている。顔をしかめ塀にもたれながら座り込んでしまう。
アスファルトの上で砂を踏む音に顔をあげれば、あの姉妹がそばにいた。
「あのっ怪我……」
「別に構わない、どうせ――」
どうせ死ぬつもりだった、その言葉は呑み込んだ。小さな子供の前で言うべき言葉ではないだろう。そして、あまり心配させるべきでもないとも思えた。
「あー、すまないが。家の中から救急箱を持って来てくれないか。昨日の食糧のあった場所の、向かいの棚の上から二段目だ」
「「はい!」」
姉妹は大急ぎで走って行った。
「やれやれ死に損なった……今日は止めておくか」
気が削がれたと言うべきか、今は戦いの後の興奮がおさまらない。出来る事なら、もう少し穏やかな気分で最期を迎えたいではないか。
大宮は道路に転がる脚立に目を向けた。
それはグシャグシャに壊れ、自分がその一端を担ったとは俄には信じがたかった。
なぜか姉妹はまだ家にいる。
追い出す必要はなかったのと、料理などをしてくれるので助かっていた。だが、最期を迎えるには、ちょいと邪魔。今日こそは追い出そうと思いながら、何日も過ぎてしまった。
「お姉ちゃん、よかったね」
「そうだね、本当によかった」
「ご飯美味しいね。お父さんとお母さんと、食べたかった」
「代わりに……代わりに、しっかり食べてガンバろう!」
「うん。ガンバろ」
居間から聞こえた涙声の決意に、大宮は目を開かされた。
自分は両親を失い悲嘆にくれていたが、もっと幼い身の上でそれに耐え生きている子たちがいるのだ。それどころか、前を向いて必死に頑張ろうとしている。
「…………」
ぐっ、と歯を噛みしめる。
なぜだか猛烈に恥ずかしかった。これまで何もせず人生を費やした事が悔しかった。父や母に迷惑や心配ばかりをかけた事が情けなく感じられた。
――変わりたい。
心の底から自分を変えたいという思いが込み上げてくる。
勇敢になって誰かを守って人様の役に立ち、できれば悲しむ子供たちを一人でも減らしたい。思いっきり暴れて笑って生きて、そして死んでやりたい。最期まで悪魔と戦い笑って死んだ両親のように。
父よ母よ、あなたたちは偉大だった。
「なせばなる。なるまで命燃やして全力を尽くしてみせよう。見ていてくれよ」
笑顔三つと猫一匹の写る古びた写真、大宮はそれをポケットの奥底へと深く仕舞い込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます