閑64話 後悔するも時既に遅し
対策本部界隈には、複数の食堂がある。
当初は差異のない施設だったが、利用者による何となくの棲み分けがなされ、そこで要望に応えたメニューの追加が繰り返され、今では食堂毎に全く違う料理が出されるようになっていた。
その一つに、防衛隊やNATS関係者が多く利用する食堂がある。お揚げ料理が充実するため御狐様たちが利用し、従魔の類が彷徨く混沌とした場所だ。
「近村君のお陰で、今日も作戦は大成功だ」
「いえいえ、僕なんて全然です。先輩方のお陰で何とかなっただけですって」
「うちのエースが何言ってんだ、もっと自信をもってくれ。エース近村に乾杯!」
世の中は大変な状況だが、近村は充実した日々を過ごしている。頼れる先輩や信用出来る仲間達と力を合わせ悪魔を倒し、そこで褒められ認められ全てが順調だ。きっと今が人生で最高の時に違いないと思っている。
そして、それは間違いではない。
最高の時はいつだって永遠には続かないのだから。
「マスター、あそこだよ」
「流石は神楽だ、あっさり見つけてくれたな」
「こんなの簡単だもん、ボクにおまかせなのさ」
そんな声が食堂内に響くと、辺りに様々な反応が引き起こされた。
直立不動で最敬礼する者あれば、小さな存在に手を合わせる者もいる。お揚げを咥え駆け去る狐目の集団もいれば、驚きと憧れの目で見やる集団もいる。
近村たちは一斉に下を向いてテーブルを凝視した。
嵐をやり過ごそうとする小動物のように身を縮こまらせ、各自が持つ信心のままに心の中で囁き、祈り、詠唱、念じ、足音が傍に来て止まって、真っ白な灰の気分になった。
「ちょっといいですか、実はそこにいる近村君を訓練に――」
「やだあああっ!」
近村は椅子を蹴倒し逃げだそうとした。だが、周りがそれを許さない。頼れる先輩や信用出来る仲間に取り押さえられ突き出された。
信じていた仲間に裏切られ絶望した近村は逃げる気力すら失っている。
「明日から数日ほど、お借りしたいです。ただ、その辺りはですね。何と言いますか正中さん辺りには内緒で。上手いこと誤魔化しておきたいですけど、大丈夫ですか」
どうぞどうぞと頷く先輩や仲間たちに、近村は裏切り者と叫びたかった。だが、これから待ち受ける悪夢に身が震え声すら出ない。
「と言うわけで、今日からこちらの近村君が十八番となります」
食堂を出て車に乗せられ、問答無用で連れて来られた郊外には複数の人たちがいた。車中での説明によれば、新しく発足したデーモンルーラーズの参加者たちだ。それにしては年寄りが多い。
近村は不安と恐怖に怯えるが、そこに大柄な男が近づいて肩を叩いた。
「あんたが新しい仲間だな。話は聞いているぞ、強くなりたいそうだな! 俺は大宮、あんたと同じように強くなりたいと思ってる! 一緒に死んで頑張ろうな」
凄く不穏な言葉を言った大宮は、そのまま五条亘へと話しかけているのだが、まったく恐がる様子もなく親しげで気軽な様子だ。
「ところで五条さんよ、ウォーミングアップの悪魔は狩っておいたぜ。これからアレで悪魔を集めるのはいいが、ちっとばっかし時間が遅くないか。もう昼過ぎだろう」
「ああ、それはですね。どうせなら夜間戦闘もやろうかなと思いまして」
「ほう!」
「悪魔が襲ってくるのは昼だけではないですから。そんなわけで、ぶっ通しで明け方まで戦う経験も必要かと思いまして」
「はっはっはぁ! そりゃいい!」
ちょっと意味が分からない言葉が聞こえた気がした。
もっと意味が分からないことに、年配の老人たちも揃って嬉しそうに笑って自分の腕を叩いて気合いを入れている。信じがたいことに、どうやら全員が同類らしい。
呼吸が浅く早くなった近村に、自分と近い年代の二人がやって来た。一人は犬を連れ、もう一人は無表情に近い淡々とした態度だ。
「木屋と言います、今後ともよろしく。こちらは簀戸君です」
「簀戸です」
「それから、こっちはスナガシと言いまして、凄く賢くてお利口でしてね。一応は従魔ですけど、仲間で家族なんですよ。もちろん戦闘でも頼りになって、この前も大型悪魔に一歩も引かずに食らい付いて貢献したんです」
木屋はよっぽどスナガシが好きなのだろう、早口で説明してくれる。
年を取った犬のようにしか見えないが、しかしスナガシは賢そうで明らかに普通の従魔ではない。あの妖精悪魔と幼女悪魔と同じように強い意志を持っているらしい。だが、見た限りはこちらの方がまともそうだ。
どうやら、この木屋と簀戸の側にいれば安心――だが、簀戸は淡々と言った。
「僕は昨日から思いました、戦いに従魔を使うのは軟弱ではないでしょうか」
「その心は?」
「やはり自らの手で戦う方が、戦っている気がします」
「なるほど、そうかもしれません。ですけど、戦いに軟弱なんてありませんよ。自分の従魔と力を合わせ、少しでも悪魔を倒すことが大事なのでは?」
「なるほど、それもそうですね」
木屋と簀戸の会話に近村は絶望した。
朗々と響く叫びに四方から唸りのような音が応え、瞬く間に多数の悪魔が寄って来る。前に見た時よりも数多く、近村は戦慄した。
老人たちは自分の従魔を引き連れ、武器を振りかざし突っ込んでいく。
「ちょっ、あれ。あれ大丈夫なんですか」
思わず指さし声をあげた近村に、しかし大宮が笑った。
「問題ない。まだレベルが低い連中なんでな、まずは先陣をきってるだけだ」
「そういう問題じゃなくて、あれじゃあ悪魔に……」
「なーに問題ない。そら援護攻撃だ」
空から幾つも振ってくる光の球は、あの小さな悪魔――まさしく悪魔――の放つ攻撃魔法だ。しかし、その攻撃は老人たちのいる辺りを次々と爆発を引き起こしている。
確かに爆発は悪魔を攻撃しているのだが、その爆風は近くにいた老人を吹き飛ばした。
「い、いま。いまの……」
「神楽様のありがたい援護だ。威勢がいい、こうでなくては! さあ戦うぞ!」
「えっ……?」
近村には大宮の言葉が理解出来なかった。
しかし戦っている老人たちの誰も気にしていないし、それどころか歓声をあげ次々と悪魔に襲い掛かっている。もちろん倒れた老人も平然と立ち上がると、当然のようにして悪魔へと向かった。
走りだした大宮の後ろを簀戸が追い、さらに木屋がスナガシを連れ全体を見回し援護しながら戦いを始めている。もちろん、周りでは幾つも爆発が起きている中でだ。
「…………」
自分がおかしいのだろうか。
脳が理解を拒み呆然とする近村だったが、肩を軽く叩かれ我に返った。視線を向ければ、笑顔の五条亘がいた。きっと悪意など欠片もないのだろうが、しかし時に善意は悪意より恐ろしい。
「よし近村君も、頑張ろう」
「え? まって下さい」
「さあ悪魔退治だ、死にそうになっても歯を食い縛って耐えれば回復するから」
背中を押される。
だが、その力は凄まじい。押し出されるより射出されるぐらいの感じで前に飛ばされた。当然だが地面の上を転がって倒れ込み――目の前に山羊のような足があった。
「!」
とっさに転がれば、山羊の足が寸前まで頭のあった地面を踏みつけている。避けねば頭が砕かれていたに違いない。しかも、まだこれで終わりではないのだ。
「ぎゃあああっ! 死ぬ死ぬ、死ぬ!」
近村は叫びながら驚異的な身体能力を発揮し、悪魔に足払いをかけ転がすと、辺りにあった石を掴んで何度も殴りつけた。襲いかかって来た次の悪魔の攻撃を間一髪で回避し、スマホを取り出し自らの従魔を召喚。
「死にたくないいいっ!」
辺りでは爆発が繰り返され、まさしく戦場。粉塵と煙を押し分け悪魔が走り、爆音の向こうからは叫び――ただし雄叫びや笑い声――が聞こえてくる。
「やらなきゃ死ぬ、やらなきゃ死ぬんだ」
近村は戦い続けた。
◆◆◆
迎えのバスから降りた志緒とヒヨは、伸びをしながら朝日に目を細めた。
「夜間訓練が必要なのは分かるけど、分かるけど一晩戦うとか正気じゃないわ」
「そうです? 私は参加したかったのですよ。それなのに五条さんが駄目って言うんです。仲間外れにするなんて、ちょっと酷いですよね」
「ああ、あの人はね。あれで気に入った相手には気遣いするのよ」
「はっ! と言うことはですね。私ってば気に入られてる!? そうなんですかー」
頬を押さえて悶えるヒヨに、志緒は心配する目を向けた。なんと言うべきか、心配すべき事項が多すぎて、何から忠告しようか迷って何も言えない状態だ。
志緒は気持ちを切り替え辺りを見回した。
「えっと、彼はどこかしら……」
ここに来た一番の理由は近村を心配してのことだ。
近村が訓練に参加することになった一番の原因は勝手な行動をした行方不明者だが、それでも志緒は責任を感じていた。さらに、証拠隠滅の書類整理や根回しを大義名分として訓練から逃げたことの後ろめたさもあったのだ。
姿を探し見回すと、皆から離れ一人空を見上げる近村を見つけた。
「大変だったわね、大丈夫だったかしら」
「ああ、長谷部さんですか。ご心配無用、悪魔を倒すことこそが本懐であれば」
近村は堂々と言い放った。
その言葉もだが、大きく開かれた目は爛々として別人のような雰囲気がある。
「え? あの……近村君、よね? どうしたの」
「戦いの中で皆から仲間と認めて貰えました。そして戦い続けた末に悟ったのです、戦いとは死ぬことの先にあるものだと」
「そ、それは違うのではないかしら……」
「僕は皆から学びました、大事なことは言葉ではないのだと。行動し戦い悪魔を倒した先にこそ真理があるのだと。一人は皆の為に死に、皆は一人の為に死ぬのです」
「えーっと、それは違うんじゃないかなぁ……?」
「真の悪魔使いは先頭に立って戦うもの。命を捨て、獣の如き意志を持ってこそ! 悪魔を討ち取れるのですよ」
「…………」
志緒は後退った。
自分は取り返しの付かないことをしたのだと、人ひとりの人生を大きく歪めてしまったのだと悟った。後悔するも時既に遅し。もうどうしようもない。
近村は大宮たちに合流すると、共に高らかに笑っていた。
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