閑7話(1) カマセ犬
――異界に来るのは何度目やら。
感傷に浸る五条亘は薄明るく薄暗い空を見やった。もちろんその頭の上には、いつもの定位置とばかりに載っかる神楽の姿がある。
土曜日。
休日出勤がなければ暇であり、朝から二度寝してゴロゴロ怠惰に過ごしたくなる日だ。独り暮らしで友人の居ない社会人ならそんなものだろう。数か月前までは亘もそうだった。
それが今では、こうして異界の地に佇んでいるのだから、人生とは分からないものだ。亘が腕組みしながら静かに佇んでいると、その背後で騒々しい声があがる。
「っしゃあ! 今日は頑張って稼ぐつもりっす。レベル10越えが目標なんす!」
茶髪に派手なアクセサリーを身につけたチャラ夫が屈伸しながら気合いを入れた。頬や二の腕を叩いたりと、騒々しいことこの上ない。せっかくの感傷的な気分が台無しだ。
だが、それも仕方がない。
今回は、チャラ夫の経験値稼ぎを目的とした異界攻略なのだ。気合いが入るのも無理なからぬ。キセノン社の異界騒ぎでチャラ夫だけレベル据え置きになったことが、よほど悔しかったらしい。自発的に新しい異界を探しだしてくると、息せき切らせるように異界攻略をしようと電話してきたぐらいだ。
DPが稼げるなら否も応もない亘は承諾したが、残念ながら七海は都合が悪く参加していない。モデルの仕事があるそうなので、仕方がないだろう。
しかし、それもまたチャラ夫に気合いが入る要因となっている。
「これで七海ちゃんに追いついてやるっす!」
「そりゃまあ、確かに今のままだと二軍落ちだものな。そうだ、これからはヤムチャラ夫と呼んでやろう」
「だーっ! そんな呼ばれ方したらカマセ犬になっちゃうっす!」
「ヤムチャラ夫君、しっかり頑張ってくれよ」
「そだよ。頑張れ、ヤムチャラ夫」
「やめて―っ!」
神楽にまで言われてしまい、内心危惧していたのかチャラ夫は頭を抱えてしまった。亘はすっきりした気分で周囲を見回す。
「さて、冗談はここまでにして、悪魔を探すか」
「マジ勘弁して欲しいっす」
薄ぼんやりとした風景は入る前と、さして変わらない。人の気配がないことを除けば、曇り空の下にある閑静な住宅街にしか見えない風景だ。
新藤社長によれば、異界の風景は発生時のものが反映されという。それからすると、ここは最近発生したばかりなのだろう。発生したばかりの異界は出現する悪魔も弱く、当然ながら得られるDPも少ない。
「ちょっとでもDPが多いといいけどな」
「どうだろね。あんまり期待しない方がいいと、ボク思うよ」
神楽と話しながら、亘は警棒を手の中で器用に回してみせる。これはキセノン社の異界騒ぎで使用した警棒だ。支給されたものを、そのまま貰ったので借りパクではない。金属バットの方が安心感はあるが、普段持ち歩くには便利だ。
「マスター、前方に悪魔が出たよ」
「おお、あれか。見えた」
小さな手が指し示す前方に、黒い棒を組み合わせたような姿が出現した。それは、棒人間としか表現できないもので、手足だけでなく胴体さえも棒のように細い。警棒で一撃すれば簡単にへし折れそうな華奢な姿だ。
戦ってみないと分からないが、ぎこちない動きから判断しても弱そうに思える。
「あの棒人間ってのは、どんな概念が影響したのかな」
「マスター、いくら弱そうに見えたって油断したらダメだからね」
「誰が攻撃するっす? ガルムっすか、神楽ちゃんっすか、それともわ、た、し?」
「……まず自分が戦ってみよう」
バカな言葉をスルーして、亘は平素ともいえる足取りで近づいていった。肩の力を抜き、だらりと手を下げた姿は油断しているようにも見える。しかし、油断などしていない。
余分な気負いや、力みのない素直な動きをしているだけだ。その証拠に、棒人間が振り回した腕を何気ない動きで避けてみせる。それは避けたというよりは、先に動いて最初から当たらない位置に移動した動きだ。
攻撃後の棒人間が無防備になるや、瞬発して踏み込む。
「りゃぁっ!」
気合いとともに腕を振るい、細い棒のような胴へと警棒を叩き込んだ。棒人間の細い胴がグシャリという音とともにひしゃげ、くの字に折れながら吹き飛んでしまう。
餓鬼相手に必死にバットを振るった頃と、比べものにならない実戦慣れした動きだ。それはレベルアップやAPスキルによって身体が強化されているおかげであった。
「よっしゃあっ! 俺っちに任せるっす!」
すかさずチャラ夫がとどめを刺しに行く。倒れた相手をガスガスと殴って仕留めているが、なんとなくハイエナを連想してしまう。なお、ハイエナはちゃんと狩りをするしっかり者で、むしろライオンに獲物を横取りされるぐらいだ。
「うっし、仕留めたっす。こいつ結構弱いっすね、どんどん倒して稼ぐっすよ」
「まあこんなもんか。あんまり手応えがなかったな」
「やだなぁ。これだとさ、ボクの出番がないよね」
出現した悪魔をあっさり倒してしまうと、チャラ夫は嬉しそうな声をあげ、神楽が残念そうに呟く。そして亘は顎を擦り、物足りなさを感じていた。
敵が弱く手応えがないため、ストレス発散には少々物足りない。そしてなにより、このメンバーでは華やぎがなかった。ここに七海という少女がいれば、自然と目線で追ってしまい心が浮き立ってきただろう。残念ながら、今回はお休みだ。
代わりに女の子となると……ふわふわ飛んでいる神楽へと視線をやった。
外ハネしたショートの髪に、明るく可愛らしい顔は見ているだけで癒やしを与えてくれる。巫女装束の小袖をなびかせ、元気よく動き回る姿は可愛らしい。
しかし、華やぎとは別ベクトルの存在……つまりそれは幼子やペットなどのマスコット的存在に思える。神楽に満面の笑みを浮かべられても、ほっこりしてしまうだけだ。
「なーに。ボクがどうかした?」
「うん、そうだな。神楽は可愛いなぁと思ってただけだな」
「えへへ。も-、マスターってば正直者なんだからさ」
神楽は嬉しそうに両手で口元を隠してみせた。そのままヒラリと飛んでくると、小さな手で亘の鼻を叩いてみせる。どうやら照れているらしい。
ペシペシされて、ちょっと痛かったりする。
「むむっ、俺っちのガルちゃんだって可愛いんすよ。ほーら、よしよし。お前はなんて可愛い奴っすか!」
仲睦まじげな主従の様子に対抗心を燃やしたのか、チャラ夫はしゃがみ込んで自分の従魔であるガルムを揉みくちゃに撫でだした。
当のガルムは迷惑そうな顔をしつつも満更でないようで、尻尾が左右に振られている。
「……ガルムも大変だな」
「そだね」
◆◆◆
「ここの異界、いまいちっすね。あんま敵が出ないんで全然稼げないっすよ」
「そう文句を言うなよ。異界は異界なんだ」
不満そうな声をあげたチャラ夫を窘めておく。
確かに棒人間と遭遇する頻度は、今までの異界と比べると実に低いものだ。経験値稼ぎを目的とするチャラ夫が不満に思うのも仕方ない。これがゲームであっればリポップの遅さに見切りをつけ、別フィールドに移動しているだろう。けれど現実では、そう簡単に移動するわけにもいかず我慢している。
「でもな、こうも出現数が少ないと不安になってこないか」
「どうして?」
「ほら、この前のキセノン社がそうだったろ。敵が出ないと思ったら、実は異界の主が隠れて見張ってたよな。ここもそうじゃないとは、言い切れまい」
「うーん。ボクの探知だとさ、そんな気配はないけどね……でも、確かに前みたいなこともあるよね……それじゃあさ、ボク探知に集中して精度をあげてみるよ」
気ままに飛んでいた神楽がヒラリと舞い上がり、亘の頭にストンと着地した。そこで腰を落ち着け座り込んだことが感触で分かる。どうやら探知に専念するつもりらしい。
「マスターあんまし動かないでね」
「分かった。大人しくするとしよう」
ちょうどいいと亘は軽く笑みを浮かべた。
「さて、ここからはチャラ夫だけで戦って貰うとしようか」
「えっ! いきなりマジっすか」
チャラ夫から素っ頓狂な声があがるが、亘は平然としながら自分の頭の上を指してみせた。
「見てのとおり神楽が探知に専念している。これでは動けないだろ」
「そんなぁ……」
「まっ、それだけじゃない。何もレベル上げだけが大事じゃなくて、戦えるようになることが大事だろ。このままだと本当にヤムチャラ夫になるぞ」
「うっ、そりゃそうっすけど……」
流石にヤムチャラ夫化は回避したいらしく、チャラ夫が口ごもる。現実はシビアな熟練度性で、レベルを上げても技量を伴わなければ意味がない。
「チャラ夫なら大丈夫、大丈夫。自信を持って戦えば大丈夫さ」
「本当にそう思ってるすか?」
「もちろんだとも。それに、もし死にかけたってガルムも神楽もいるから回復できる。大丈夫だろ」
「それ思ってないじゃないっすか!」
「はははっ、とにかく安心して戦うといいさ。骨は拾ってやる」
「安心できないっす……」
チャラ夫はぶちくさ言っているが、それでもやる気になったらしい。警棒で素振りを始めだした様子からすると、よっぽどヤムチャラ夫化は嫌なようだ。
良い環境であるのは間違いない。敵の強さは手頃で回復役は揃い、いざという時のバックアップも控えている。一人で戦うデビュー戦としては理想的だった。
「さあ神楽、一番近い敵はどこらへんだ?」
「んーっとね、そだね……やっぱ敵が少ないね。ええっとね、ちょっと距離があるけどさ、あっちの方だよ」
しばらく目を閉じていた神楽がややあって遠方を指し示す。異界の中では探知精度が落ちるそうだが、集中して精度をあげれば遠くまで探知できるようだ。
「ほら、早速出番だな。行こうか」
「ういーっす」
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