第49話 報酬は約束の通り
ウンウンと唸るチャラ夫は知恵熱を出しそうな様子だ。
七海は何故かコーヒーのブラックに挑戦すると宣言しだしたが、一口で涙目になっている。辛いなら砂糖を入れるよう進言しても聞き入れず、プルプルしながら頑張っている。
そして神楽はスプーンをスコップのように振るい、器用にアイスをパクついているものの、キーンとするのか頭に手をやって顔をしかめている。
なんだかこの席は苦しんでばっかりだ、と亘は呆れてしまった。
「だーっ、お金をどうしたらいいか思いつかないっす。俺っちはもうダメなんすよ……」
「普通はお金がなくて悩むもんだから、贅沢な奴だな」
「そうっす! こうなったら、このお金を兄貴に預けるっすよ!」」
「はあ? お前、何言ってるんだ?」
「それで兄貴から毎月お小遣い貰うっす。名付けて、兄貴に養って貰う作戦っす」
「ダメです」
七海が即座に却下するが、少し恐い目をしているではないか。それは、拒否されたチャラ夫が思わず怯えるぐらいの様子だ。もちろん亘自身も断るつもりでいたが、どうして七海が断るのか不思議でならない。
それを訊けそうな相手は神楽だけだが、周りのやり取りなど無関心にアイスへと集中している。
「んーっ、アイス美味し。ふんふふーん……!」
ご機嫌な顔でアイスを食べていた神楽がビクリと何かに反応する。そして急にスプーンを放っぽりだしたかと思えば、亘の懐へと飛び込んでしまう。机を転がっていたアルルも急転回して七海のスマホの中へと飛び込んでいく。
ガバッと床で身を起こしたガルムは……チャラ夫に気付いて貰えずオロオロとなり、結局は狛犬ぽく硬直するしかなかった。
「おいおい、急にどうしたってんだ」
「あっ……社長さんですよ」
あの神楽が信じがたいことに食べ物を――それも甘味を――放棄したため、何が起きるのかと案じてしまったが、七海の言葉で全てを理解した。高位の悪魔である社長の存在は神楽たち従魔にとって恐怖なのだ。
七海の視線を追ってカフェラウンジの入り口へと目をやれば、部下を引き連れた新藤社長の姿があった。辺りで寛いでいた社員たちが雑談を止め、一斉に立ち上がってはお辞儀をしてみせる。大半はそれで一礼して座り直すが、中には揉み手をせんばかりにして駆け寄っていく連中もいた。
「あいつは……」
その中に見覚えのあるイケメンの姿を発見する。説明会のスタイリッシュサラリーマンだが、あの時の毅然とした態度は欠片もなく媚びてへつらう様子だ。
そうした連中にも新藤社長は気さくに声をかけているが、注意して見れば軽くあしらっているだけでしかなかった。けれど、あしらわれた者はそれに気づかない。社長に顔を売り込み、また周囲の同僚にそれをとアピールが出来たと満足している様子だ。
「どこでもいるんだな……ああいう連中は」
亘が席から立ち上がって挨拶すると、新藤社長は笑顔で亘の肩をバンバン叩いてきた。実に嬉しそうだ。
「やあ、待たせてしまって申し訳ありませんでしたね。ようやく一段落しましたよ」
「どうもお疲れ様です。こちらは自由に飲み食いさせて貰いまして、異界の疲れも癒えてきたところです」
「それは良かった。ああ、この席は空いてますね。少しお邪魔させて貰いましょうか」
「どうぞ」
席に着いた新藤社長は同席の一行を見回す。その顔は上機嫌な笑みを浮かべている。部下がコーヒーを運んでくるが、新藤社長はそれを礼を言って受取り美味そうに一口した。亘もそれに合わせてコーヒーを飲む。
しかし、同席するチャラ夫と七海は落ち着かなげな様子だ。周囲をお付きの一団に囲まれ、さらにはその向こうで大勢の社員たちが様子を伺っているのだから仕方ない。本当は亘だって緊張している。
「しかし、本当に救助だけでなく異界自体を潰してくるとは思いもしませんでしたよ。お陰で助かりました」
「はははっ、対策班を発見して……あの状態ですから先に脱出しようとて、異界の主とかち合っただけですよ。倒せたのも運が良かっただけですから」
「ご謙遜を。そうそう報酬の件ですが、五条君と舞草さんの分は口座振り込みですから明細書をどうぞ。長谷部さんには現金を用意します。もちろん、報酬は約束の通り倍額ですよ」
新藤社長が軽くウインクしてみせると、チャラ夫が頭を抱えてしまった。
「うぎゃーお!」
「おう、どうしたのかね」
いきなりチャラ夫が頭を抱えて悲鳴をあげたものだから、珍しいことに新藤社長が驚きの顔となる。周囲で様子を伺う皆さんも何事かといった顔だ。。
亘が苦笑しながら事情を話すと、またしても珍しいことに新藤社長が声をあげて大笑いする。
「くはははっ。なる程ね、それは大変だ。くくくっ、いやはや笑って失礼。それでしたら、こちらで口座を用意しましょうか。我が社は銀行業務にも参入しておりますから、一人分の口座開設ぐらい簡単なものですよ」
「まじっすか! 社長さんありがとうございまっす」
「気にしないで下さい。顧客が増えれば我が社もありがたいですから。さてさて、話は変わりますが異界の中はどうでしたかね。何か気付いたことはありましたかね」
「さあ? 異界の主が居ただけで、他に敵は居ませんでした。特におかしなことは、対策班の方たちぐらいですかねえ」
「……ふふふっ、まあ、いいでしょう。お互い余計な詮索はしない方がいいですからね」
ばれてら、と亘は肩を竦めた。
新藤社長はそれ以上は追及しないようなので、亘は監禁部屋と怪しい診察台の記憶を彼方へと追いやった。それは七海も同様だろう。ただし、元より気付いてなかったチャラ夫はそんなやり取りそっちのけで、藤島秘書から優しく教えられながら口座開設の記入をしている。幸せな奴だ。
七海がおずおずと口を開く。
「あの、それで対策班の方たちは大丈夫でしたか?」
「ええ身体的には疲労している程度でした。大丈夫ですよ」
「そうですか、良かったです」
七海は安心したように微笑んでいるが、亘は藻女御前の言葉を思い出しガクブルした。その言葉からすると、対策班の男性陣はたっぷり絞り取られたに違いない。ご愁傷様と同情しかけるが、会議室で見た光景を思い出したので同情するのを止めた。
対策班の男どもなんて、EDにでもなってしまえば良いのだ。
「そうだ。異界の崩壊は大丈夫でしたか? あれからで、救助が間に合いましたか」
「異界の崩壊のことですか? それでしたら大丈夫ですよ。人間のような生命体なら、そのまま放り出されますから、そこまで焦る必要はないのですよ」
「えっ、崩壊に巻き込まれても大丈夫なんですか。しまったな、いつも必死で脱出してましたよ」
「くくくっ、それは気の毒に」
雑談をしながら、チャラ夫の口座が開設されるまで適当な雑談を続けた。キセノン社の社員たちは終始ご機嫌な社長の様子を目にし、相手をする亘を何者だと興味津々の様子で注目し通しだった。
おかげで、黒塗り高級車に送られ帰路についたころには、すっかり気疲れしてしまった。注目されることに慣れていないので仕方ない。
◆◆◆
ようやくアパートに戻ると、完全に気が抜けてしまった。肉体的な疲労も合わさりドッと疲れが押し寄せてくる。コタツテーブルに頭を載せ、グッタリしてしまう。
「今日は疲れたな……ハードな一日だった」
目の前では神楽がガックリと膝をついてうな垂れている。
「うーっ、ボクのアイスがー。まだ食べてる途中だったのにぃ」
「また買ってやるから、そう嘆くなよ」
「本当! やったね!」
アイスという言葉に喜んだ神楽は振り向くと、うれしそうに亘の顔に抱きついてくる。視界の全てが巫女装束に覆われてしまい嬉しい。
心地良くされるがままでいる亘はふと気づく。
「そういや明日は日曜日だな」
「マスターも疲れてるでしょ。明日ぐらいゆっくりしたらどう? あっ、でもアイスを買いに行くのは別だからね」
「はいはい。明日ぐらいゆっくりするさ」
「ほっ」
「だから異界に行くのは昼からにしておこう」
「……あのさ、マスターってばさ……いいけどさ。はあ、ボク呆れちゃうよ」
神楽はがっくり肩を落としため息をついてみせた。なんだか不当評価されているようで亘は少し口を尖らせる。午前中いっぱいのんびりするのだ。一体、どこに呆れる要素があるというのか。ちょっとムッとしてしまう。
「ふん。何とでも言えばいいさ。今日はとにかく疲れた。ご飯食べて風呂に入ったら早いとこ寝よう」
「ご飯! 今日のメニューは何するの」
「ったく、本当に食い意地の張った奴だな……さて、何を食べるかな」
ブツブツ文句を言った亘だが、やはり疲労の色は拭えない。あまりに面倒なので宅配ピザを頼んだのだった。
そして食事と風呂を終えると早々に床についた……のだが、寝つけない。
疲れているが、目を閉じれば柔らかで滑らかな七海の裸身が浮かんでしまうのだ。さらに感触やら反応やら思い出してしまうと、まるで思春期のように心臓が高鳴ってしまう。
くいーくいーと枕元で軽やかな寝息をたてる神楽をよそに、亘はまんじりともせず、その夜を過ごした。
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