閑23話 一般的な契約者の状況

 和気三兄弟の悠助、高志、依人。小さな頃から悪ガキで近所を騒がせ、長じては揃って万引きや恐喝を繰り返すようになり、十五歳で不良と呼ばれる生活を送ってきた。

 そんなある日、三兄弟は揃って話題の『デーモンルーラー』をダウンロードをした。話題のスマゲーで三人でまとめてパーティーを組み、レベル上げを簡単にしてやろうという程度の思惑だった。

 そして……三人ともが悪魔と契約した。

 悠助の従魔は怪力、高志の従魔は相手を眠らせ、依人の従魔は仲間を回復させる力があった。突然訪れた非日常の出来事に酔いしれ、最初のうちは真面目に悪魔と戦いレベルアップに励んでいた。

 だが異界に連れて行った友人に記憶が残らないことを知ると……持ち前の性根の悪さが頭をもたげてきた。彼らが行ったことは、街で見かけた好みの相手を魔法で眠らせ、異界に引き込むことだった。

 何をしようと相手に記憶は残らず、傷痕も魔法で治せば残らない。万一逃げられたとして、放置しておけば悪魔が証拠を消してくれる。そうして多数の女性を被害に遭わせ、記憶こそないものの激しい恐怖の感情を刻み込んでいた。

 そして今日もまた、新たな女性を異界へと引き込んでいた。

「何なのよ、あんたたち何なのよ!」

 薄暗く薄明るい空の下、信号機に囲まれた交差点で女性が泣き喚く。帰り道の最中、突然クラッとなって意識を失い、そして気付けば見知らぬ男たちに囲まれていた。ニヤニヤする男たちの様子に不気味さを覚え、スマホで110番したが全く通じない。周囲の雰囲気もどこか以上で妙に静まり帰っている。

 そんな異様な状態で相手の男が宣言した。

「これから狩りをする。獲物はお前だ」

「な、何を……」

「さあ早く逃げろー。捕まえたら酷いことしゃちゃうぞー」

 乱暴に頭を掴まれ、煙草臭い息を吐きかけられ女性は理解した。この少年達は本気だと。ゲラゲラ笑う声に、女性は身を翻し逃げ出した。大急ぎで走ると、まず近くの民家へと必死に向かう。

「すいません助けて下さい! 家に入れて下さい! それが無理なら、警察を呼んで下さい!」

 ドアをガンガンと叩いて叫ぶ。反応がないとみると、次の家に向かい同じようにドアを叩く。その次、その次と繰り返す。

 だが、どの家からも反応がない。息を殺し潜んでいる気配すらなかった。交差点の真ん中にいたが、車の一台も人の一人も通りかからない。この場所はどこか異常だ。まるで無人の街のようではないか。

 しかし考えている暇はない。薄ら笑いを浮かべた少年たちが近づいてくる姿に声を張り上げる。

「誰か助けてよ!……誰!? 誰か居るの! 助けて!」

 足音が聞こえた。建物向こう側、古びたバイクの置かれた向こうで防犯用の敷砂利を踏みしめる音がした。相手が誰かも分からないが、絶望の中に現れたヒーローへと、彼女は助けを求め裸のまま走り寄る。

「お願いします、助けて下さい! 助け……えっ」

 人間はあまりにも想像外に遭遇すると、理解が追いつかなくなる。

 彼女は目の前に存在する異形の生物を前に固まり、口を半開きにしつつ目の前に立つ生物を眺めた。


 全身は黄緑色だ。長い紡錘形した身体の先端――恐らく頭部であろう箇所に2本の触覚があり、両脇に大きな目が付いている。胴はそのまま伸び、節を繰り返しながら尖って終わる。途中で二対の細い節足状の腕が生え、その下から生えている足だけが人間の足に似ている。まるでバッタを無理矢理立たせたような姿ではないか。

 キチキチッとした鳴き声で我に返った。

「いやあああっ、化け物ぉ!」

 逃げようとするが、振り向いた前に別の新たな化け物がいた。黒い歪な人型で体表面に骨が埋め込まれた奇妙な姿だ。どれも似た姿で骨の色が赤青黄と違う三体の化け物がいる。ただの髑髏より遙かにおぞましい姿だ。

 恐怖と絶望のあまり、足が震え力が入らなくなる。

「あっ、あっあああっ。化け物、化け物が」

「こっちに来いよ。そこに居ると、巻き込まれるぞ」

 その声は先程の少年たちのものだった。恐怖した相手であっても、相手は少なくとも同じ人間。化け物ではない。すがりつくようにして、しがみつく。

「何なのよ、何なのよ! あれは何なのよ!」

「ありゃ悪魔だ。でも手前の三体は、俺らの命令をきく従魔ってやつさ」

「え? 何それ……」

 得意そうに高志が指差す先を見やり、彼女は呆然とする。イーッと叫んだ三体の悪魔が、黄緑色した悪魔をタコ殴りにしていく。まるで、積年の恨みがあるように徹底的に攻撃するではないか。

 あっという間に黄緑色悪魔が倒され、三体の悪魔がのっそりと近寄ってきた。その姿に怯えた彼女だが、三体が命令を待つように膝をついた様子にホッとした。

 だが彼女の受難はまだ終わらない。依人が下卑た笑いを浮かべ、近寄って来たのだ。

「ひっ!」

 ゲラゲラと笑い声があがり、女性は絶望に顔を俯ける。だが、それを悠助が顎を掴んで上を向けさせる。ニヤニヤとした下卑た笑い顔がキスしそうなぐらい近づく。

「なあ、なんで俺らが顔を見せてるか、理由分かんのか?」

「え」

 思わぬ質問に、女は一瞬考え込む。そして、答えを導き出すと同時に必死に懇願してみせる。

「お願い! お願いだから命だけは助けて! 誰にも言わないから!」

「安心しろ、そんなことしないって。勘違いすんな」

「えっ……でも」

「実はな。ここは異界っつう場所でな、普通の世界とは違う場所にあるんだ。でな、普通の奴はここから出るとな、中であったこと全部忘れちまうの。分かった?」

「嘘。そんなバカなこと……」

「本当だ。悪魔だって見ただろ」

「そうそう。だから安心しろって、どうせ忘れちまうんだ。楽しもうぜ」

 ゲラゲラと笑う三兄弟の姿に、彼女はまた別の絶望に包まれた。この絶望も憎しみも全て忘れてしまうのなら、それは今の自分が殺されるのと何が違うのか。悔しさで胸が張り裂けそうになる。

 だが彼女が絶望する前に、下品な笑いが唐突に止まった。

「ふごっ!」

 飛来した何かが悠助の顔に張り付いていた。それは半透明の不定形な、中に赤と青をした線のようなものが浮いている生物だった。


◆◆◆


 長谷部志緒は激怒していた。

 NATSの訓練を兼ねた異界攻略中、『デーモンルーラー』を悪用する連中を発見したのだ。女性の様子を見れば、連中が何をしようとしていたかは一目瞭然だった。

 相手は三人で、ともに従魔を引き連れている。しかし一切躊躇することなく、自らの従魔であるリネアを投げつけていた。へっぴり腰の投擲は狙いを外していたが、意図を察したリネアが根性で触手を伸ばし、男の顔にへばり付くファインプレーをみせてくれた。

 そして志緒自身は銃を構え飛び出した。

「NATSよ。いえ警察よ! 全員動かないで!」

「なんで警察がここに! ちくしょう赤骨、こいつらを……がぁああっ!」

 パンッと乾いた音が響き、高志の肩から血が噴きだし、見えない手で突き飛ばされたように背後へと転倒する。その後は悲鳴をあげ、のたうつばかりだ。

 残った依人は衝撃を受け狼狽えるばかりで、地面で藻掻く兄たちと突然現れた相手を交互に見るばかりだ。

 三体の従魔は待機状態のまま、ピクリともしない。自我がないのか、それとも卑劣な三兄弟を主として認めてないのかは不明だ。

「長谷部係長、勝手に行動せんで下さい。おい坊主、両手を挙げ跪け!」

 志緒の傍らに、新たな人物が現れている。黒いアサルトスーツにボディアーマーを着込み、バラクラバを装着した特殊部隊の姿だ。なお、志緒も同じ装備だが、こちらはサバゲー会場でまごつく初心者にしか見えない。

 硝煙のあがった拳銃を手にした人物は、くぐもった声で再度指示をする。

「聞こえないのか、坊主。両手を挙げ跪くんだ」

「え? でも高兄が」

「声を出すな、次は撃つぞ。そちらの女性、ゆっくりこちらへ来なさい」

 有無を言わせぬ口調に依人が素直に従う。

 女性の方も、いきなり銃を撃つ姿に戸惑いつつ、警察という言葉を信じ逃げてくる。バラクラバを取った志緒が、それを優しく抱きしめあやす。

「恐かったわね、辛かったわね。もう大丈夫よ」

「長谷部係長、あんたの従魔を何とかして下さい。そこの男、窒息しかけてますよ」

「窒息すればいいのよ、そんな奴」

「無茶言わんで下さい」

「仕方ないわね、リネア離れなさい」

 不機嫌そうな命令に従い、不定形生物のリネアが青年の顔から離れる。また新たに現れた特殊部隊の隊員が三兄弟を拘束していく。さらに別の隊員が現れ、スマホを取り上げ操作すると、薄気味悪い三体の従魔をスマホへと帰還させた。

 泣きじゃくる被害者女性は、女性隊員が肩にタオルを掛けてやりながら離れた場所へと連れていく。

 ついさっきまで無人だった異界の中に、人の姿が増えていた。


「無茶してくれましたね。係長がいきなり突撃したんで、ヒヤヒヤもんですよ」

「問題あるかしら?」

「ないですな。長谷部係長が行ってなけりゃ、俺が行ってましたよ」

「ふふん、そうでしょう」

「さて、係長。こいつらを捕らえたはいいですが、どうする気です?」

 少し得意げに威張っていた志緒だったが、その言葉に虚を突かれた顔となる。日本国憲法で日本の領土は規定されてないが、少なくとも異界は日本の領土ではない。つまり異界は法の及ばない無法地帯とも言える。

「きっと課長がなんとかしてくれる……かも。ああ、また怒られる」

 ションボリ呟く姿に、他の連中は呆れた様子で顔を見合わせた。だが、そこには好意的な雰囲気しかない。

「やっぱなあ、長谷部係長はこうでなくっちゃな」

「あー、確かに。最近の係長ときたら、悪魔に怯えてくれないんでつまらんですよ」

「悲鳴をあげて、逃げ惑っていた頃が懐かしい」

「あなたたちねえ」

 今度は志緒が呆れた顔となって、ため息をついた。

「いいこと。私はね、鬼のような男に訓練を受けたのよ。あれに比べたら、大抵のことはマシになるわ」

「まーた、その話ですか。悪魔に向かって係長を蹴り飛ばすんでしょ、それも笑いながら。そんなことする奴、いやしませんて」

「いるのよ……泣いても頼んでも許してくれないんだから」

 志緒が泣きそうな声をするが、笑って誰も取り合おうともしない。そんな非常識な人間がいるとは思わないうえ、最近志緒がやらかした奇行も影響している。

 その奇行――自信満々に米で悪魔が倒せると言い切り、止めようとする皆の前でそれを実行して死にかけるというものだ。

 顔のあるトマトに追われ泣きながら逃げ惑う姿を見たせいで、NATSメンバーは呆れており、ただでさえ低い志緒の評価は地に落ちている。

 おかげで誰も志緒の話を信じない。

 それでも、誰かのために率先して行動する姿は周囲から支持されていた。愛すべきバカ扱いだが職場の皆から、一定の信頼と親愛を受けているのだ。

 図らずもそれは自分の弟と似た立ち位置である。

「ちょっとリネア足を登らないの。誰かとって、誰かとって」

「まったく、これが一般的な契約者の状況じゃないことを祈りやすぜ」

 一人が呟いた言葉に、残りが同感と肩をすくめた。その言葉が志緒を指すのか、三兄弟を指すのかは不明だ。

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