閑22話 当人は暢気なもの

 ある日神楽は、珍しいことに一人でアパートにいた。マスターである亘はサキを連れ仕事に出かけ、お留守番の最中だ。置いていかれたわけではない。自ら望んで残っていた。

 それを申し出た時の亘の寂しそうな顔を思い出すと、少し胸が痛んでしまう。ただ、その後でお菓子や食料を厳重にしまい込む姿を思い出すと腹が立ってしまう。なんたる失礼さか。

 それはさておき、普通の従魔は契約者と離れて長時間の行動はできない。また、契約者を守るという面でもよろしくない。しかし神楽は契約内容を改変され長時間離れても問題ない。また、契約者を守るという面でも、並の悪魔では問題ないほど契約者が強く、またもう一体の従魔であるサキがいるため問題ない。

 つまり神楽が寂しさを我慢できさえすれば、一緒に行動する必要はないのだ。そして、その寂しさを我慢するだけの理由が、神楽にはあった。

「んーっ、も少ししたら、出かけよっかな」

 白い小袖に緋袴の姿で、大きく伸びをする。手を上げたため、側面の身八つ口から襦袢が覗く。そのままパタリと後ろに倒れ、机の上で大の字になり天井を仰ぎ見る。

 神楽にはせねばならないことがあった。

 それはレベル上げだ。自分が死亡している間に生じてしまったレベル差は、七海と異界攻略をしたお陰で、多少は縮まっている。だが、まだまだ差は大きい。

 それを何とかするため寂しがるマスターを言いくるめ、自らの寂しさも堪えて一人アパートに残っていたのだ。


 誰にともなく呟いてみせる。

「でもさ、ボクがこんなに強くなれるなんてね」

 従魔になった悪魔は、魔界からの参入者だ。ただし、大半の者はそれすら覚えていないだろうが。

 あちらからこちらに召喚され移動する際に、記憶も力も全てを失ってしまう。その全てには姿形も含まれる。召喚者の一部を得て、文字通り新たな自分へと生まれ変わるのだ。言ってみれば、転生みたいなものである。

 運が悪いと、自我の欠片すら得られない場合もあるのだ。魔界において行き詰まった弱小悪魔は――細かくは覚えてないが――召喚に望みを託し、こちらへと生まれ変わる。

 それを思うと、神楽は実に運が良かった。

 過去の記憶は全て失ったものの、明確な意思と思考を得られ、何より戦闘狂なマスターのおかげで、大きな力を得られたのだから。

「マスターのお陰だね。ボクってば運がいいよね」

 そのマスターの為にも強くならねばならない。神楽はグッと拳を握り、頑張るぞっと気合いの声をあげ跳ね起きた。

「さてと、適当な異界に行こうっと」

 アパートのドアにある郵便受けを通り外へと出かけると、スイスイ空を飛びながら目をつけてある異界を目指す。

 もはや従魔という枠を完全にはみ出しているのだが、神楽自身はそれに気付いてない。自らの考えで行動し契約者と関係なく動ける状態は、一個の悪魔として存在が確立していると言えよう。

 おまけに、それが向上心を持ち成長を望んでいるのだ。アマテラスが知れば、血相を変えそうな危険な存在である。ただし、当人は暢気なものだが。


◆◆◆


「んっ? 外の世界で血の臭いがするなんてさ、珍しいね。なんだろ」

 探知の能力からすると、小さめの人間と猫の存在が感じられた。興味に駆られた神楽はソッと、そちらに近づいていく。

 巫女姿の赤白模様は目立つものだが、神楽には探知という絶対の力がある。その能力によって、周囲の状況が手に取るように分かるのだ。注意しながら行動すれば、小さな姿もあって、そう簡単には見つからない。

 地面すれすれを飛翔し、一本の街路樹に隠れるようにして上昇すると、枝葉に紛れながら幹に腰掛ける。

 そこから下を見やると、道路際でぐったりした猫を前に、メソメソ泣く女の子がいた。血の臭いの元は猫のものらしい。腹辺りが裂け、血とその他のものが溢れだしている。

 周囲を歩く大きい人間も少しはいるが、血だらけの様子に眉を顰め立ち去っていく。

 だが女の子は大切な猫なのか、漂う血臭も気にせず必死で傷を押さえ、失われていく命を留めようとしていた。それが無理と分かると、血だらけの手を組んで祈る。

「死んじゃうよ。神様お願い助けてよ」

 悪魔である神楽にとっては、どうだっていい光景だった。

 大切なのは自分の契約者と、その契約者が気にかけてる人間だけである。その他の人間や猫がどうなろうと、関係がない。関係ない、はずだ。

「……なんだろね、この感じ」

 女の子の泣き声を聞くうちに胸苦しさを覚えていた。白衣の下にある小さくない胸を鷲づかみにし、息苦しさに耐える。それはマスターを失いかけた時に感じた感情。それが、関係ない人間の泣き声で湧きあがってしまう。

 自分まで泣きたくなる心に従い、神楽は決めた。

「……『治癒』」

 緑の光が猫を包み、その傷を癒やす。目を丸くし驚愕する少女の前で、猫は元気になった。ゴロゴロ鳴きだし顔を舐めてくる猫の様子に女の子は驚くやら喜ぶやらで、また泣き出してしまった。

 神楽は優しい笑顔を浮かべた。この泣き声は、さっきまでと違って心が温かくなるのだ。小躍りしたくなる気持ちを抑え、ソッと飛び立とうとした。

 その背中に声がかけられる。

「小さな神様ありがとう」

 ギョッとして振り向くと、驚くことに女の子と目が合った。子供特有の不思議な勘の良さでか、それとも猫の視線を追ってかは分からないが、神楽の存在を見つけだしたらしい。そのまま、おしゃまな仕草で丁寧に頭を下げてみせる。

 照れた神楽は急いで飛び去った。

 そして神様という言葉を口の中で呟いて、口を押さえて笑ってみせる。なんだか、とっても嬉しかった。


◆◆◆


「それじゃあ、狩っちゃうぞ!」

 ご機嫌の神楽は異界を訪れるや、持ち前の探知能力をフルに活かし、次々と倒すべき悪魔の存在を見つけだす。ここに現れるのは、人の頭をした鳥の悪魔だ。

 鳥型のくせに空も飛べず、地面の上を跳ねるだけで敵にすらならない。時折反撃で風を飛ばしてくるが、それも簡単に避けることが出来る。仮に命中したとして、大したダメージでもないだろうが、当たるのも癪なので避けていく。

 そうして、民家の建ち並ぶ異界の中を飛行し、発見しだい悪魔を狩っていく。

「ふっふーん。ボクってば、強いよね」

 異界の中を高速で飛び回りながら、威力を弱めた光球でもって悪魔を倒していく。集積場のゴミ山に跳び込み隠れて無駄だ。そんな時はまとめて吹き飛ばす。人の存在しない静かな異界の中で、一方的な戦いが繰り広げられていく。

「んんっ、DP濃度低下っと、いよいよ異界の主の登場だね! さて、どの辺りに出たかな」

 これまでの経験からすると、出口付近に現れることが多い。それで、侵入してきた辺りに向かって飛んでいくと、探知に幾つかの反応が引っかかった。

 一つは異界の主で間違いない。そして残りは人間と従魔の存在だ。なんと前に感じたことのあるものだった。

「んーっと、これは……そうだ! ペン次郎とアオラだったね」

 飛びながらポンッと手を叩く。前にマスターをバカにした人間の従魔だったはずだ。探知能力自体凄いものだが、さらに凄いことに神楽は一度感じて認識した存在を識別できる。人によっては、戦闘能力より欲しい能力かもしれない。

「あはは、異界の主に追われてら」

 屋根にあるアンテナに着地した神楽は暢気に観戦しだした。腰掛けるのに丁度良いが、一番座り心地が良いのは、やはり契約者であるマスターの頭だ。そんなことを考えながら、見下ろした辺りを眺めやる。


 前にマスターを小馬鹿にした二人の人間が、道路を必死で逃げていく。ちょうど、タイミング悪く異界の主が出現したところに、出くわしてしまったのかもしれない。

 異界の主は、最初に倒した餓者髑髏だった。

 二人の人間も前に見たときよりは強くなっているが勝てやしないだろう。逃げる判断は正しい。ただし、餓者髑髏は逃さないよう立ち回り、建物を崩し道を塞ぎ少しずつ二人を追い込んでいる。上から見ていると、それがよく分かった。

「いいから俺を置いて逃げろってんだよ!」

「やだよ! 僕たち仲間じゃないか!」

 ケガしたらしい方に肩を貸しながら、二人揃って走る。

 見ている神楽からすると、無駄な行動だ。前にマスターをバカにした奴など、やられてしまえという気分だ。

 餓者髑髏が巨大な骨の手を払い二人を攻撃する。背を向けて逃げていた二人はそれに気付かず――間一髪、アオラとペン次郎が飛びつくように二人を突き飛ばす。

 それで代わりに二体の従魔が払い飛ばされ、アスファルトの上を転がり民家のブロック塀にぶち当たる。それを破壊し、瓦礫の中に倒れ込んでしまった。

 だが、従魔たちは粉塵の中から直ぐに起き上がり、傷などものともせず飛び出す。ダメージを負った身体に構わず餓者髑髏へと果敢に突進していくのだ。

 まったく通じない攻撃を放ち、無駄だと分かっても懸命にそして必死に挑んでいる。

「…………」

 神楽はざわつく自分の胸にイライラしてきた。またしても、胸を鷲づかみにし押さえつける。

 関係ない人間たちのことなど、放っておけばいい。自分の契約者と自らの身さえ守ることが出来ればいい。それが従魔のあるべき思考だ。先程、猫を回復させたのは偶々でしかない。

 しかしだ。

 我が身よりも、必死に契約者を守ろうとする従魔たちの姿を見ていると、なぜかしら胸が熱くなってくる。よく分からない。自分の気持ちが分からないまま、神楽は飛翔した。

「あーもー! 分かんないや!」

 神楽は叫び、餓者髑髏と人間たちの間に飛び込んだ。そのまま地面に這いつくばる人間どもを睥睨する。背後に居る餓者髑髏のことなど無視して、そのまま魔法を発動させる。

「『範囲治癒』」

「えっ、傷が……あの悪魔って、もしかして……」

「あの時のおっさんが連れてた悪魔?」

「ふんだ。さっさと行っちゃいなよ」

 神楽が出口の方を指さすと、二人は戸惑いながら立ち上がった。

「何だかわからないけど、ありがとう」

「おい、走るぞ。急いで逃げるんだ」

「待ってよ!」

 二人が駆け出し従魔もそれに続く。ただペン次郎だけが、お辞儀をしてから駆け出す。なかなか律儀で丁寧な奴だ。そんな様子を見送り、二人とその従魔が出口に消えたのを確認すると神楽は独り言のように呟く。

「あのさ、君ってばさ。違う悪魔だろうけどさ。前に同じ餓者髑髏がさ、マスターを傷つけたことがあったんだよね」

 小さな神楽が振り向くと、それだけで巨大な餓者髑髏が怯む。今まで動かなかったのは、動けなかったからだ。

「ボクねあの時にね、凄く凄ーく悔しかったのを思い出したよ。だからさ、これは八つ当たりかもしれないけどさ……」

 小さな吹けば飛ぶような姿に恐るべき実力が秘められている。

「死んでくれる?」

 ニッコリ笑う神楽の頭上に、無数の光球が生じた。


◆◆◆


「えへん、ボクも強くなったよねー」

 異界を攻略した神楽は、吞気に飛んでいく。民家の庭先を横切り、植え込みの中をすり抜け吠える犬を一瞥して黙らせる。探知能力をフルに活かし、誰にも見つからないまま飛んでいく。

「あっ、マスターが帰ってら」

 アパートに近づくと大好きな気配を察し、大喜びでドアの郵便受けを通り抜け帰宅する……のだが、不機嫌顔の亘に出迎えられた。ちらっと傍らのサキに目をやると、身を縮こまらせ頭を抱え気配を消しているではないか。

 嫌な予感に、神楽は空中で後ずさりした。

「マスター……えへへ、そのう……お帰りなさい。今日は帰りが早いんだね」

「留守番すると言っておきながら、こんな時間までどこを彷徨いてたんだ? 理由があるなら言ってみようかな」

「えっとね。あのね。ちょっと、お出かけしてたの」

「ほう、お出かけねえ」

「あのね、猫を助けたの。それから異界に行ってね……あっ」

 神楽は自分の失言に気付く。慌てて口を押さえるが、もう遅い。

「ほほう、一人で異界に行ったのか。それはそれは」

 かくして神楽はガミガミと怒られる。猫を助けたことで罪を一等免じられたものの、おやつ抜きを命じられてしまった。

 目の前でアイスクリームを食べられる光景を見せつけられ、もう一人で異界に行くのは止めようと決心する神楽だった。

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