第226話 歩むべき道を決めかねて
「あまり大きな被害は出てないみたいですね」
七海はスマホアプリのラジオを止めポシェットに仕舞い込む。そして隣を歩く亘に向けて微笑んでみせた。
「DP飽和と言っても、それほど大変な事になってないのでしょうか。それであれば良いのですが」
「いいや違うな。大災害の場合は、被害の大きい場所の情報は直ぐには出てこないものさ。まず最初に流れるのは比較的被害の少ない地域の情報だけだ」
「そうですか? 被害の情報が出てこないというのは……もしかして、パニックが起きないように情報規制がされるからでしょうか?」
「いや、そうじゃなくってだな。あんまりにも被害が大きすぎると、情報自体が発信できなくなるからなんだよ。分かるか?」
「えっと……」
「地震とかであれば通信機能が失われたとも考えられる。でも、今回の場合だと発信する人間自体が存在しない可能性が考えられるかな」
「そんな……」
七海は口元を押さえ息を呑んだ。
二人は幹線道路に沿って歩いているのだが、日射しは心地よく微風もあり街は静か。周囲には同様に歩いている者が多数存在しており、大半は背広姿。出勤を諦め自宅に向かっているのか、または社畜根性を発揮して職場に向かっているのかは分からない。
そんな中で七海とサキの姿は周囲から浮いていた。
どちらも水準を超える可愛らしさということもあって、特に若い男を中心にチラチラとした視線が向けられている。きっと隣に亘がいなければ、列をなして擦り寄って助力を申し込んで来たに違いない。
「やっぱり大変な事になっているわけですか。私たちも何かすべきでは?」
「何か、何かね。前にも言ったと思うが下手に目立つ事をすれば――」
「分かってます。まして、こんな状況ですから確実に迫害視されるとは思います。でもですね、本当にそれでいいのでしょうか?」
「七海は人間の恐ろしさを知らないからな……」
集団は無意識の内に仮想敵をこしらえ、それを意識する事で団結し結束を強めようとする。『自分たち』といった曖昧な括りで捉えた集団は、特異にして異質な存在を許さない。たとえ亘たちが悪魔を倒し人々を救ったとしても、最終的には迫害され爪弾きとされてしまうだろう。
世の中や人間に対し不信感のある亘は慎重だ。
「個人が勝手に動いても混乱を引き起こすだけ。極力何もしない事が一番さ」
「…………」
七海は黙り込んでいる。しかしそれは納得したわけではない。思うところはあるが遠慮して黙っているようだ。
重くなった雰囲気に亘は話題を変えるべく辺りを見回した。
「しかし、まさか帰宅難民になろうとはな。これが普通の災害なら、状況が改善するまで動かない方がいいだろうが……いつ終わるかなんて分からないからな」
駅付近で右往左往とする段階は過ぎ去り、大半の者は状況に見切りをつけて行動を開始していた。目端が利く者や、犯罪への閾値が低い者はさっさと不正な手段で乗り物を手に入れたりもする。
だが大半の者は黙々と歩くことを選択した。
そうして車道や歩道を列になり、何となくの連帯感で集団となって歩いている。だが男性は革靴、女性はパンプスやヒールなど長時間歩くには辛い靴で、横を走り抜けていく車やバイクを恨めしげに見ている。
クラクションの音が鳴り響いた。
「んっ?」
「あっ、危ない」
亘と七海のみならず、歩いていた者たちが驚き視線を集中させる。少し先でサラリーマンが走ってきた赤い車の前に飛び出し、強引に停車させたのだ。
怒った運転手が窓を開け罵声を浴びせかける。どこかに避難するのか、後部座席には荷物を満載した状態だ。
「バカヤロー! 危ないだろが! お前死にたいのか!」
「悪い。頼むから乗せてくれ」
「なんでお前なんか乗せなきゃいかんだ! バカヤロウが! こちとら荷物がいっぱいなんだ!」
「そこをなんとか! 金なら払うから!」
運転手は柄の悪そうなスキンヘッドだ。サラリーマンが取り出した財布をじっと見ている。そして口の端を歪めるように笑う。
「……この先の避難所までだったら、十万ぐらいで乗せてやるぞ」
「そんな、今の持ち合わせは五千円なんだ。今月の小遣い全額だ」
「話にならんな。悪いけど歩いてくれよ、こっちも余裕があるわけじゃない」
「おい! ちょっと待ってくれ!」
ウインドウが閉められ車が動き出す。しかしサラリーマンは車に縋り付き、サイドミラーにしがみつき必死であった。それを無視して車は徐々に加速。必死に走るサラリーマンであったが、ついには足を縺れさせ軽く引きずられた後に転倒し置き去りとされた。
明らかに交通事故や事件性のある類するもので、本来であれば通報すべきような出来事だ。けれど、一部始終を見ていた者たちは無言で歩くばかりで助け起こそうともしない。
誰も明確に意識している者はいないが――もしくは故意に意識から外しているのかもしれないが――既に治安というものが破綻しだしている。
加速して去って行く赤い車を見やり、新たな悲鳴があがった。
突如として道路脇から牛が現れたのだ。
もちろん普通ではありえないのは、足の数が六本もありトラック並みの巨大さがあるためだ。勢いよく車の横腹に突進し、激しいクラッシュ音と共に横転させる。
子供が玩具で遊ぶように、ひっくり返った車に何度も体当たりを繰り返す。
悲鳴があがり、周囲の人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「さくっと倒すか、おいサキ」
「んっ、やるのか」
「片付けてきてくれ」
亘が軽く顎で示すと、足下でしゃがみ込み蟻さんを眺めていたサキが立ち上がり、のんびりと牛を見やり駆けていった。
その間に七海は倒れたサラリーマンへ向かおうとする。しかし亘は、そっと腕を掴み軽く左右に頭を振ってみせる。
「いいさ、神楽に治させるから」
亘は自分の懐を軽く指先で叩いて合図をする。そこに以心伝心で意を汲んでくれる存在がいるのだ。小さな姿がひょいっと顔を覗かせ回復の魔法を放てば、少し先で倒れていた男は一瞬淡い緑の光に包まれる。
「はいなのさ、これでいいの?」
「いいんじゃないのか」
傷を治された男は戸惑いの声をあげつつ立ち上がると、不思議そうに自分の手足を眺めている。けれど突然に痛みが消えたことに戸惑っていたのは僅かの間で、すぐに目の前で繰り広げられている異様な光景に驚愕する。
巨大な牛が小さな女の子に追い回され必死で逃げ惑っているのだ。しかも、後ろから蹴りを入れられ道路脇の家屋に突っ込んでいる。そこにトドメとばかりに襲いかかり、笑いをあげながら牛を仕留める女の子。
男は悲鳴をあげ逃げ出した。
「と、いうわけで大丈夫だろ」
「そうですね……ありがとうございます」
七海は複雑な顔で頷いた。その様子に気付いた亘は改めて釘を刺す。
「言っておくが、別に他人を助けないわけじゃない。目の間で困っていれば助ける。でも、わざわざ押しかけてまで助ける気はないってだけだ」
「分かります。でも……やっぱり思うのですが、今はもっと積極的に動いてもいいのではないでしょうか?」
遠慮気味に七海が言う。
やはりどうしても皆を放っておいて良いのか悩んでいるのだろう。
従魔の神楽にサキ、アルルさえも並の悪魔など及びもつかぬ力がある。もちろん亘と七海も人間ながら、素手で悪魔を倒すぐらい簡単だ。その力を使えば、この状況下で多くの人を救うことができるだろう。
「前に言っただろ。そう、あれは学園祭だったな。怪物を倒すヤツは怪物――だったよな、もう昔すぎてしまったが――この状況下だと本当に洒落にならん」
亘の口調は僅かだが不機嫌さが含まれていた。
実を言えば腹が減っているのだ。朝から食べたのは小さなパンが一切れ。もちろん男のプライドにかけて空腹であることを口にする気は無い。それでも腹が減れば機嫌も悪くなるのだ。
「もしくは救世主のように祭り上げられて、後をゾロゾロ着いてこられるのもご免だろ。自分で何もしない連中に良いように利用されるだけのことだ」
「うっ……それはそうですが……でも……」
「まず優先すべきは七海のお母さんやエルムたちと合流することだろ。目的を忘れないようにな」
「そうですね」
その返事を聞きながら、亘は心中複雑であった。
七海の期待に応え大勢の人を救って活躍したい気持ちはある。だがどうしても、根深い人間不信があって人を救うなど真っ平ごめんと思ってしまうのだ。
相反する考えの中で、自分がどうすべきかを思い悩んでいた。
駆け戻ってきたサキは亘の前で、ちょこんと立ち止まる。両手を後ろにやって、褒めて欲しそうな顔だ。無造作に伸ばされた手が二房の黒が混じる金髪をかき混ぜるように撫でると、心地良さげに喉を鳴らしていた。
亘は歩きだしながら自らの歩むべき道を決めかねている。
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