第225話 従魔の忠誠心
チェックインする時は疲労と眠気で気にもならなかったが、チェックアウト時にはホテルマンたちの目線を妙に意識してしまう。つまりは一夜を共に過ごした男女――ただし何もなかったのだが――に対する勘ぐりをされているような気がするためだ。
もっとも、それは完全に亘の意識しすぎだろう。平常時ならともかく、この異常事態の中でそこまで気にする者はいないのだから。
外に出ると、日射しは既に高く朝よりは昼に近いぐらいだ。
街は……ざわついている。
どこかしら落ち着かない雰囲気が漂っていた。余裕がないとでも言うのか、たとえば人の往来を見れば皆がせかせかして落ち着かなげに周囲に目をやっている。車の動きもどこか荒っぽい。
「マスター残念だったね、周りに悪魔はいないよ」
襟元の辺りで神楽が笑った。どうやら街の様子を観察する亘が悪魔を探していると勘違いしたらしい。流石にちょっと失礼すぎで文句を言いたいところだが、ぐっと堪える。
人の往来のある中で神楽を目立たせるわけにはいかないのだ。
こんな状況でふわふわ飛ぶ姿を見られようものなら、とんだ大騒ぎになってしまう。DPが飽和しておおっぴらに動く気満々の神楽を宥め言い含め、苦労して襟元辺りに隠れさせた苦労を思い出せば我慢するしかない。
「さて行くとするか」
「はい。でもその前にコンビニで何か買いましょう」
「そうだな、昨日の夜から何も食べてないものな」
亘は少々食事を抜いても平気だが、七海にそんな事はさせたくない。何より神楽とサキに朝食抜きにしようものなら、何が起きるか分かったものではなかった。
しかし……コンビニは既に弁当などの商品棚もほぼ空っぽ。辛うじて菓子パンが少しあっただけで、インスタント食品やスナック菓子などの棚もほぼ何もない状態だった。
何とか入手できた菓子パンを手に、ひと目のつかない場所に行く。
そして大中小に分けた。
「状況が状況だ。この菓子パンを分け合うわけだが、とりあえず身体の大きさで分け合おうと思う。そうなると――」
「いただきなのさ!」
「食べる!」
電光石火で大と中は消えた。亘は残された小さなパンを無言で見つめ、己の従魔の忠誠心に疑問を抱きつつそれを食べるしかなかった。
「あの、私の分を半ぶっこしましょう」
「いいんだ。七海は七海の分を食べてくれ」
「でも……」
「大丈夫。仕事してるとな、食事抜きなんてよくあることだ。前も災害時に山奥に派遣されたあげく二日ぐらい何も食べなかったこともあったからな。七海はしっかり食べるんだ」
言って亘は小さな欠片のパンを口にした。よく噛むのは味わうためでなく空腹を紛らわすためだ。
「しかしまあ、普通は食べ物は買い占めるか。どうやって食糧を手に入れるかだな」
歩きだすと、ビルとビルに挟まれた通りをすすむ。
ようやく信号の向こうに駅前広場という場所まで来ると――そこから先は大勢の人がたむろしていた。見渡す範囲に人の姿があり、百人などは軽く越えている。
背広姿や学生服姿など様々な年齢層の人たちが一様に不安そうな顔で集まっており、中には駅員に詰め寄って騒ぎ立てる者までいる。どうやら電車は動いていないらしい。
ふと見ると、ちょうど駅の人混みから戻って来た沈鬱な顔をしたサラリーマンが歩いて来た。七海を脇にやり姿を隠れさせると、その男を呼び止める。
「すいません。ちょっといいですか」
声をかけられた男は何故かビクッとなり、亘を上から下まで眺め怯えた様子だ。まるで危ない職業の人に難癖でもつけらたような雰囲気だった。
「えっ? ああっあの。あの何か御用でしょうか」
「いえ大したことでもないですが、駅の電車が動いてるか聞きたいだけです」
男はホッとした様子で、しかしまだ緊張気味だ。まるで恐い上司の前で直立不動する新人のような態度であった。
「あっああ、そうなの。はい、電車はどこかで脱線したとかで全面運行停止らしいそうです」
「復旧の目処とか、何か言ってましたか?」
「特には何も。悪魔が出てるって話もありますので……あの、これから先どうなるのでしょうか。今日は出社できませんでしたし。ああ今日が期限の仕事があったのに。すみません、あなたに言ってもどうしようもないのに」
「はあ、そうですか」
「すいません、すいません」
男は何故か何度も頭を下げながら去って行った。結局最初から最後まで亘に対し怯えたような様子であった。
「なんだってんだ……」
「五条さん、どうかしました?」
「いやなんだ。電車は動いてないらしいんだが、それはそれとして妙に怯えられていた気がしてな。なあ、そんなに態度悪かったかな?」
「そんなことありませんよ。五条さんは別に普通でしたけど」
亘は何もしてないのに嫌われてしまったかと、なんだかとても悲しかった。しかし、その頭に神楽がよじ登ると、あはっと笑い声をあげる。さらに四つん這いから垂れ下がるようにして、逆さまで亘の前に顔を出した。
「そらそーだよ。相手が怯えるのってさ、当たり前じゃないのさ」
「なんでだ? 気配は抑えてたつもりだが」
「だってさ、ボクとサキがいるしマスターだって気配を完全に抑えきれてないもん」
「……なるほど。APスキルも発動してるからな」
頷いた亘が道路標識に手をやり力を込めると、支柱が傾いてしまう。素手で悪魔を殴り倒せるぐらいなのだから、それぐらいは軽いものだ。
「あの、私はどうしましょう。気配を抑えるなんてできませんけど……」
七海が困った感じでうな垂れる。やりすぎてる亘のせいで目立たぬが、こちらも一般的なデーモンルーラー使いと比べて遙かに高レベルなのだ。
「ナナちゃんはさ、そのまんまでいんじゃないの。マスターと違って恐いって感じないからさ」
「そうですか?」
「まあ確かにな。こう癒やされる感じがするな、ずっと見つめたくなるような気がする」
「五条さん……」
亘と七海は見つめ合い、二人の世界に浸る。頭上の神楽はニヨニヨと笑う。
「あー、そのままキスしちゃえ。ぶちゅーとやっちゃえ」
「そこ黙っとけ」
「いいじゃないのさ。そのまんま早いところ子供つくって子孫繁栄なのさ。頑張れマスター、ナナちゃんは待ってる――ぶぎゃん。もー! 何すんのさ!」
「このお喋りピクシーめ、自重しろ自重!」
「酷いよマスター」
顔を付き合わせ言い争う様子に、七海は恥ずかしそうにしつつ仲良いなぁと羨ましげな顔をする。足下で注意を引こうと亘の腹に顔を押し当てるサキを見ると、七海もまた遠慮気味ではあるが亘の袖を掴んだ。
「むっ!」
駅の方から絹を裂くような悲鳴が聞こえた。
驚き振り向くと大勢の人の視線が一斉に空中へと向けられている。そして、その上空を羽の生えた暗褐色の生物が何体も飛び交っていた。
謎生物が舞い降りると、誰かが掴み挙げられ空中で引き裂かれ悲鳴と共に血飛沫が雨のように降り注いぐ。そして一拍遅れ人々が動き出す。
それは騒乱だった。
駅前の広場を無数の人が右に左にと走り回る。悲鳴や怒声をあげ、安全を求めた人の流れが無秩序に押し合い圧し合う。助けを求める声もあれば、意味不明の金切り声もあがる。
人波に揉まれ熱気にあてられた者が倒れ、そこに躓き転倒する者が続出。けれど誰も助けようとはしない。蹴りつけ踏みつけ足元の悲鳴など気にもかけず逃げ惑うばかりだ。
スタンピードとなって一斉に動きだした群衆は亘たちがいる通りへと突進してきた。
「拙い! 壁に寄るんだ!」
壁の窪みに七海とサキを押し込み、そこに覆い被さるようにしてガードする。背中にガンガンとぶつかる勢いは亘が本気で抗わねばならないほどだ。腕の中に少女の肩を抱え、亘は背中の痛みに耐え続けた。
ほんの数十秒ほどで、暴徒の波は通り過ぎた。
「痛たたっ、酷い目にあったな。なんてヤツらだ」
「すいません、ありがとうございます。大丈夫ですか怪我とかは」
「問題ない。それより神楽は?」
「はいはい。ボクここだよ」
上から神楽が舞い降りてきて亘の頭に着地した。どうやら咄嗟に飛びあがり逃れたらしい。下では亘と七海に挟まれ潰されていたサキがフラフラとしている。
「ケガしてない? 痛いならさ、回復しとくけどさ」
「大丈夫だ、そこまでは痛くない。それより……」
亘は駅前を眺めた。まだ腕の中にいる七海も一緒に同じ方を見る。
駅前には軽く十人以上の人が倒れていた。それは悪魔に襲われたというよりも、将棋倒しになり踏みつけられたせいだろう。上空を飛び交っていた悪魔の姿はない。むしろ逃げた者たちを追いかけ去って行ったらしい。
「まだ生きてるのか?」
「んーとね、少しは生きてる人もいるみたいだね。回復しとく?」
「まあこのまま見殺しにするのもな……軽く回復をかけてあげるか」
「はいはい。『範囲治癒』っと、こんなものでどうかな」
「いいんじゃないかな。ああ動けるようだな。それじゃあ行くか、電車も動いてないから暫くは歩きだな」
亘は踵を返し歩きだす。それでも七海は少し気遣わしげに人々を眺めていたが、サキに促されすぐに後を追いかけた。
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*新作はじめました 『華麗なる転生者☆空知晟生のハーレムな日々』 *
*再開しました 『英雄存在 -プロトタイプの守護者に少女は願う-』 *
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