第224話 社会は大きな変革を迫られる
「さて、どうしたものか……」
亘はベッドの上で胡座をかいた。
正直に言えば、これから何をどうして良いか分からない。そもそも現在発生している状況を完全には掴めていなかった。スマホで確認しようにも情報は錯綜。NATSの志緒に連絡すれば把握しているかもしれないが、それをすると面倒そうだ。
自分の力を人助けに使おうとか、この混乱を収めるため少しでも尽力しようとかいった考えは欠片も無い。アニメのヒーローでもあるまいに、どうしてそれをせねばならないのか。どうせ良いように利用されて後はおざなりにされるのがオチだ。
亘がそう考えてしまうのは、これまでそうした思いを味合わせてくれた世の中に対するささやかな復讐かもしれない。
公務員なので災害時は職場に出勤と決まっているが、過去の例をみれば必死に対応したところで感謝されることは希で、むしろ不安を抱いた人々からストレスのはけ口にされるのが関の山だ。それであれば、身の回りの大事な人を守った方がずっといい。
「まずは七海のお母さんと合流するか。心配だろ?」
「ええ、まあ。お母さんはイツキちゃんとエルちゃんが一緒なので大丈夫と思いますけど……やっぱり会って顔を確認したいですね」
「だったら、まずはそうしよう。それから皆で安全な場所に移動すればいい」
「安全な場所ですか? それって?」
不思議そうな顔ににやりと笑いかける。
「さっき言ってただろ。アマクニ様のお膝元なら、どんな悪魔も絶対に来ない」
この状況下であっても、いやむしろこの状況下だからこそ、アマクニは自分の領域内に悪魔を侵入させるなど絶対にしまい。それを考えれば、亘の実家はとても安全な場所と言える。
「それもそうですよね」
七海は両手を合わせ微笑み、そしてちょっと困り顔になった。
「あっ、でも。私のお母さんが、五条さんの家にお邪魔してしまって良いですか?」
「問題ない。部屋は余っているぐらいだし、自分の家だと思って構わない。いずれ……そうなるだろうし」
亘は最後の言葉を早口で言った。かなりの小声であったが、七海にはしっかり聞こえたらしい。揃って真っ赤になる様子に、賢い二体の従魔は声を出さずニヤケ顔を堪えていた。
「よし、そうと決まれば移動するか。電車が動いていればいいけど……まあ、何とかなるだろな」
「分かりました、直ぐに着替えてきます」
「ついでにシャワーを浴びておくといい。インフラがいつまで持つかは分からないぞ」
「えっ!? でも別に地震などとは違いますよね」
この場合のインフラとは電気ガス水道といった生活に必要なものを示している。しかし今の状況は通常の災害とは異なり、悪魔が出没しているだけ。そうした設備に被害がでているわけではない。
七海は不思議そうな顔だ。
「全ては維持管理も含めて人が動かしている。人が逃げ出せば、いずれ止まるさ」
「あっ……そうですね。分かりました、それではそうします」
「そうした方がいい」
亘はそれ以上は言わなかった。
悪魔は設備を狙うわけではないが人間を狙う。
もともと、今の社会は様々な分野でコスト縮減や省力化を推し進めてきた。当然ながら、社会を支える技能者は減少。その数少ない人的リソースがさらに減少してしまえば、あらゆる人間活動は縮小化せざるを得なくなる。
たとえ、この危機を乗り越えられたとして社会は大きな変革を迫られるに違いない。
しかしそんな事はどうだっていい。
亘はホテル備え付けのパジャマ姿の七海がバスルームに向かう姿を見やる。それは薄手の素材であって、お尻のラインなど動く様子がよく分かってしまう。
とりあえず七海さえ無事で、七海が笑っていられたなら、それでいいのだ。
「はいはい、マスターも着替えよっか」
「そうするか」
「はいさほいさ、マスターの服だよ」
神楽は妙なかけ声で、クローゼットに吊してあった亘の服を運んでくる。それから着替えを手伝い、または服の埃を払い櫛で髪を梳かす。そうやって世話を焼く事が楽しくて仕方がないといった様子だ。もちろん世話される側も楽しそうだが。
「ところで神楽とサキに言っておく」
「どしたのさ? 途中の悪魔とか見かけたら倒すとか、そーいうこと?」
「そんな事は当たり前の大前提だろ。それよりもだ、七海の安全を絶対に最優先させてくれよ」
「でもさ、ほらさ。ボクたちってマスターの従魔なんだからさ、何があってもマスターの安全こそが最優先なわけだよ。だからナナちゃんを最優先っていわれてもさ困るよ」
「あっそう。もし七海に何かあったら……」
亘が言葉を切ると、神楽とサキが不思議そうに小首を傾げた。
「そうだな自害でもするか」
ニッと笑った顔に、二体の従魔はガクガクと震え何度も頷いた。
もちろん亘は本気だ。これからこの先、これだけ人を好きになれるとは思わないし好かれるとも思わない。しかも、あれだけの可愛い女の子にだ。もしその存在を失いでもすれば絶望だけで死ねる。
バスルームから聞こえる水音を聞きつつ、亘は万が一を考え不安になってしまう。
――もし、そうなったら。
全身から異様な気配が立ちあがりだした。
それは、おどろおどろしい妖気のような雰囲気だ。サキはベッドの上に倒れ即座に服従ポーズをとった。金色の髪に混じる黒い房が、何故か勝手に震えている。上下関係がしっかり刷り込まれているのだ。
「マスター、漏れてる漏れてるからさ。人間から漏れたらいけない気配だよ!」
「むっ、そうか」
「今ので周りの悪魔とか逃げちゃった感じだよ。というかさ、ボク思うんだけどさ。マスターの気配ってば凄まじいよ」
「そりゃレベルがけっこう上がったからな」
「けっこうってもんじゃないって、ボク思うよ」
神楽は腕組みしながら頷いた。
前回の戦闘では、異界の主に匹敵する力を持ったリッチを百を越える数も倒したあげく、それを従える力を持った左文教授を倒したのだ。そのレベルは一気に上がり、七海と比較しても格段の差があった。
亘は手を伸ばしサキの腹を撫でてやる。それは、まるでペットでもじゃらしているかのようで、実際にそんな気分なのだ。
「何か問題でもあるか?」
「悪魔は逃げてくから問題ないけどさ」
「それは大問題だろが! DPが逃げてくなんて!」
「このマスターときたらさ……それよか、普通の人間でも恐怖を感じちゃう方が問題だよ。ほらさ、昨日の夜とか思い出してよ。ここに泊まる時だって人間が怖がってたでしょ」
「そう言えば……」
ホテルのフロント係はあぶら汗を流し、部屋までの案内係は妙にオドオドしていた。その時は思わぬ現象に怯えているばかりと思っていたが、もしかすると亘という存在に怯えていたのかもしれない。
「もっと気配を抑えたらどうなのさ」
「抑えると言ってもな……どうやるんだ?」
「さあ? マスターが分かんないならボクが分かるわけないじゃないのさ。サキは分かる? どうせ分かんないよね」
腹を撫でられ、のたうつように喜ぶサキの姿に神楽は肩をすくめた。
「分かる」
「やっぱしそうだよね、分かんないよね。えっ!? 分かるの?」
「当然」
そこはかとなく威張った様子のサキだが、ベッドの上で腹を撫でられる姿には可愛さしかなかった。
「姿消す。気配消す。消える感じ」
拙い説明に神楽はため息を吐いた。
「あのさ、それじゃあさ。分かるわけないじゃないのさ」
「……こんな感じか?」
「あっ、マスター出来てるよ! なんでどうして!?」
「修行の賜物かな」
それは、これまでの人生で日々鍛えてきた事である。
学生の頃は教師か授業で当てられぬように、又は悪系の同級生に絡まれぬように。社会人となってからは上司の目に留まらぬように、厄介な仕事を割り振られぬように、先輩や同僚に飲みに連れて行かれぬように。
ずっとずっと目立たぬように生きて来たのだ。故に気配を消す感覚とはお手の物であった。少しも威張れやしない特技ではあるが、それが初めて役立ったのである。
「これなら大丈夫だな。DPも逃げていかない」
「ほんっと、マスターときたらさ。そんなにDPを貯めてどうすんのさ」
「もちろん換金するさ、言ってみれば貯金みたいな感じだ。数値が増えていくと、通帳で数字が増えてく感覚だな。この嬉しさ分かるだろ」
「分かんないよ」
神楽が言えばサキも同感だと頷いている。
「この喜びを知らないなんて損してるな」
鼻で笑った亘は窓の外を見やり不安を感じた。
社会がこんな状況であれば、お金はどうなってしまうのだろうか。通貨とは発行する国がその価値を保証しているから成り立っているだけでしかない。国そのものが揺らぐような事態となれば、通貨そのものに価値がなくなる事だってあるのだ。
「ふむ、世の中の為に動く事も考えないとな」
「大変だよ『状態回復』!」
「どうして、そんなものをかける?」
「マスターが世の中の為とか言うからさ。どこか具合でも悪いのかと思ってさ」
「なんて奴だ」
そして七海がバスルームから出て来た時には、亘と神楽とサキとでバタバタとちょっかいを出しあっていた。それは、じゃれ合うような姿であって、仲が良いな羨んでしまうほどだ。
世の中の不安や恐怖は、ここでは全くの無縁であった。
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