第227話 女の子と二人乗り
青い空の下、亘と七海は言葉少なに歩いていた。
肉体的な疲労は殆どないのだが精神的には多少の疲労がある。これからどうなるのか先が見えない状況というものは、やはりどうしたって不安なのだ。
そんな感情と無縁なサキと神楽は至って元気であった。両者にとっては契約者である亘の側に居る事だけが重要であって、その他の優先度は低くなる。
周りに人の姿がないという事もあって、チョロチョロと動き回っては鬼ごっこまでして遊んでいるぐらいだ。
神楽は亘の足の間をくぐり抜けると急上昇し、サキの顔に体当たりするようにして飛びついた。
「はい捕まえた。そんじゃあさ、今度はサキが鬼だよ」
「んっ、一二三捕まえた」
素早く唱えたサキは飛びあがったばかりの神楽を掴んだ。小さな姿を握りしめる様子は、ままごと用の人形を手にした子供のようにも見える。
「そんなのずるいや、ちゃんと十まで数えなきゃさ」
「じゃ、やり直す」
亘と七海は呑気に遊ぶ様子を見るともなし見ながら笑っている。
片側一車線の道路脇を歩いているのだが、動いている車は殆ど見かけなくなっていた。恐らくは乗り捨てられた車が道を塞いでいるせいだろう。もちろん、車を乗り捨てて逃げた人々の姿もない。
途中までは一緒であった人々も、亘が悪魔を撲殺する様子に恐れをなして逃げてしまい誰もいなくなった。おかげで神楽も堂々と姿を現わすことが出来ているだが、多少は人助けのつもりであった亘としては心中穏やかではない。
「おっ自転車が放置されてるじゃないか」
ママチャリが横倒しになっていた。周囲にスーパーの袋も転がっており、神楽とサキは食べ物だと大喜びで駆け寄って中身を確認しに行く。
その間に亘は自転車を引き起こした。
軽々と片手で持ち上げ車輪の状態を確認すると頷く。
「特に問題なしか。これ使ってもいいかな」
「ええっと、それはどうでしょう。持ち主の方は……無事だといいですよね」
「非常事態の状況だ、申し訳ないが使わせて貰おう。後で持ち主が分かればお礼をすればいいだろ。これで少しは距離が稼げる」
女の子と二人乗りという夢のシチュエーションに亘は問題ないと強弁した。そして躊躇う七海を後ろに乗せ抱きつかせるとペダルをこぎだす。
有頂天のあまり神楽とサキの事を忘れ置き去りにしたぐらいだ。
ふくれっ面で追いかけてきた両者に、しっかりと怒られてしまう。なお、地面に転がっていたスーパーの袋だが、キムチやら卵やら調味料やら中身はぐちゃぐちゃだったらしい。特にピーマンが大量に入っていた事が、だめ押しだったそうだ。
◆◆◆
空の色合いは昼より夕が近くなっていた。
二人乗りした自転車のペダルを亘が漕ぐと、電動アシスト並にグイグイと進んでいく。そのおかげで、かなりの距離を移動することができていた。
背中に抱きつく七海との一体感は言い表しようもなく心地よい。前カゴにはサキが器用に入り込んで座っている。本来はダメな乗り方だが、それを注意する誰かどころか取り締まる警官の姿さえないのだが。
「ねえねえマスターってばさ、ボクお腹すいたよ。そろそろ何か食べようよ」
飛び回っていた神楽が亘の前にやってきた。目の前を自転車の速度に合わせ滑空するが、手を上下に振りながら訴えるため羽ばたいているようにも見えた。
「確かにそうだな」
亘にしてもそれは同感だ。朝にパンを口にしてから何も食べていない。途中から空腹を感じないほど空腹になったが、その段階を過ぎて飢えに近い感覚となっていた。
そろそろ真面目に食糧を確保する必要が出て来た。
「コンビニかスーパーか、後は食べ物屋……それは開いてないだろうな。でも、あったとして空っぽかもしれないが」
辺りを改めて見回すが、団地風の住宅街で食料品関係の店がある雰囲気ではなかった。ベッドタウンで住居ばかりが集中しているといった感じだ。
「ちょっと調べてみますね」
背後の七海がスマホを取り出し、素早く地図で検索しだす。同じツールを持っていても亘は直ぐにそこに思い至らない。生まれたときから、そうしたツールが身近にあった年代とそうでない年代の差だろう。
さっそく神楽が飛んでいき、期待に満ちた目で覗き込む。
「どなの? 何かありそ?」
「うーん。そうですね……すぐ近くにはないですね。コンビニも少し離れた位置ですよ」
「なるほど老後を暮らすには厳しい場所だな」
「マスターの老後なんてどうだっていいからさ、まずはご飯だよ」
「さよか。コンビニまで行っても無駄足の可能性が高いだろうし……どうするかな」
言いながら亘は建物に視線を向けた。
普通の住宅であれば、そこに食べ物があるのは確実。どこの家庭でも日常生活の延長として多少の食糧も備蓄している。本格的に空腹となれば、そこから食料を得ることも考えねばならなかった。
そうした視点で住居を見るが、窓や雨戸に板を打ち付け補強してあったりする。ゴーストタウンのように静かだが、きっと家の中で身を潜める家庭も多いだろう。
「でも神楽ちゃんの言うとおり、そろそろ食べ物が欲しいですよね。一応、コンビニまで行くだけ行ってみませんか?」
「ナナちゃんは良いこと言うね。それにさ、寝る場所も考えなきゃだよ。ボクら女の子は繊細なんだからさ、マスターってば気遣いが足りないよ」
「七海はともかく、誰が繊細だって? どこでもグースカ寝る神楽が何を言うのやら」
「マスターってばさ、それは失礼だよ」
亘と神楽は顔を付き合わせ軽口を叩き合っていると、ふいに前カゴのサキが顔を上げた。目を閉じながら鼻をクンクンとさせた。
「お揚げ!」
唐突に叫んだ。
「お揚げ煮る匂い」
「えっ、ほんと!? どれどれ……ボク分かんないや。マスターは分かる?」
真似して鼻をクンクンさせた神楽だが、少しして残念そうに諦めた。思いっきり深呼吸した亘もまた、それらしい香りは微塵も感じなかった。しかしサキは人間を遙かに超える嗅覚の持ち主だ。特にお揚げともなれば、間違いうこともないだろう。
「どこかの家で揚げ料理をしているのか。飢えた悪魔に襲われても知らんぞ」
揶揄するように呟く亘を無視し、神楽は勢い込みながらサキを問いただす。
「ねえ、どこからなのさ。ご飯! ご飯!」
「風上」
「なるほど、まあ確かに風で流れてくるなら風上だよな」
亘の言葉に神楽が顔の前に飛んできて手をばたつかせる。
「行ってみようよ!」
「変なトラブルに巻き込まれるかもしれないよな」
「大丈夫だよ行こうよ! ご飯ご飯!」
熱烈に訴え駄々をこねる神楽に根負けし、亘は苦笑して頷いた。
「分かった。他にあてもないし、行ってみて食べ物を分けて貰えないか頼んでみるか」
「やったね!」
そしてサキに先導されながら歩きだす。この現代において、食べ物を手に入れるために苦労する日が来ようとは、全く思いもしなかった。
◆◆◆
自転車は軋みもなく停止した。
「んっ、あそこ」
ここまで来ると、亘にもお揚げかは不明だが、何かを煮る匂いを感じていた。
たどり着いた場所は、案内看板によると公民館だった。あまり大きくは見えない二階建てだが、図書館や体育館が併設されているらしい。
ガラス窓の補強をする作業がされており、一階では外から板を打ち付け、二階では内側から何かを置くようにして塞ぐ人々の姿があった。
正面玄関前の駐車場ではバリケードのつもりか、何台もの車が半円状の列をつくり駐車してある。隙間なく駐められており、なんとなくだが西部劇の開拓民が幌馬車をバリケードにするシーンを思い出してしまった。
「警戒して備えてるってことは、悪魔に襲われたことがあるのか? 近くに悪魔の気配はあったりするか」
「んーとね、ちょっとはあるかな。でもさ、あんなことしたって意味ないよ。悪魔なんてヒョィッて越えちゃうよね。無駄なローリョクってやつだね」
「何もしないよりはマシだな。それにバリケードっぽいものがあるだけで気分が違うってもんだ」
「ふーん、そーゆーものなんだ。人間ってさ、変だよね」
神楽は不思議そうに首を傾げている。
あの程度のバリケードであれば無駄だと亘も思うが、同時に少しでも身を守ろうとする人々の努力に感心した。駅で途方に暮れ、右往左往しているだけの人々より、よっぽど建設的ではないか。
「笑うのはいいけどな、においはあそこからだぞ」
「炊き出しでしょうか。それでしたら何か食べさせてくれるかもしれませんよね。行ってみましょうか」
「行こう行こう」
喜ぶ七海とサキの側で神楽が肩を落とす。悪魔が闊歩する状況下にあって、人よりも小さな神楽の姿は余計なトラブルを招きかねない。それを理解してのことだった。
「じゃあさ、ボクは無理だよね」
「あっ、ごめんさい」
「いいもんボクなら大丈夫だからさ。それにさ、きっと優しいマスターがボクのご飯を用意してくれるに違いないからさ。信じてるもんね」
「まあ何とかしよう。とりあえず、悪いが隠れてくれるか」
「きっとだよ」
そして神楽は飛び立ち、慣れた動きで亘の襟元から懐へと潜り込んでいく。ポジショニングでモゾモゾされると、こそばゆいぐらいだ。
「じゃあ行くか。自転車は……まあ、ここに置いておくか」
「はい」
背後でトンッと七海が降り立つ気配がする。密着していた身体が離れたことを残念に思いつつ亘も自転車を降りる。そして前カゴからサキをヒョイッと取り出し、肩に担ぐと人々の元へと歩きだした。
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