第228話 あまり関わり合いになりたくない

 バリケード代わり車両を並べた公民館。

 近づく亘たちに対し、鉄パイプや角材などを手にした男たちが油断のない視線を向けてくる。服の袖を掴む七海の手にギュッと力が入り、亘も自然と守るための気分になってしまう。

 そしてサキは亘を見やり、男たちを見やり軽く考え込んだ。可愛らしい仕草ではあるが、実のところ指示さえあれば襲いかかるつもりである。これでも忠犬ならぬ忠狐なのだから。

 幸いなことに、男たちの一人が気さくな様子で声を投げかけ危機は回避された。

「お三人さん。ご無事でしたか! よいしょっと」

 かけ声をあげながら車のボンネットを乗り越えてきた男はは六十代ぐらい。休みの日にそのまま外出してきたような、着崩れたルームウェアだ。若い頃は体育会系の活動をしていたに違いない体格の良さで、しかし今は腹が突き出てデップリとしている。

 エネルギッシュで脂がのった顔は目にも表情にも自信と力があり、社長か部長でもやっていそうなタイプである。

「さあ、ここは安全ですから。どうぞ中に入って下さい」

 友好的な笑みで歯を見せる。

 しかし、手には鉄パイプを握ったままのため亘は警戒を解かない。今更、普通の人間が振り回す鉄パイプに殴られたところで問題ないが、殴られたいわけではなかった。

 亘がさりげなく七海を庇うと、目敏く気付いた男は鉄パイプを後ろ手に持ち申し訳なさそうな笑いをあげる。

「おっと、これはすんませんですな。なにせ、こんな状況ですからなあ。いやはや、どうしたって武器は必要ってもんですからな。うわはははっ!」

 男は豪快に笑い鉄パイプを股に挟むと、慣れた手つきで名刺入れを取り出した。指の腹をひと舐め、慣れた手つきで名刺を一枚差し出してきた。

「どうぞどうぞ、私は鞍馬吉次と申します」

「……これはどうも、ご丁寧に」

 この状況で、しかもルームウェアに名刺を持っている。どうにも奇妙な印象が拭えないでいたが、受け取った名刺を確認すると何となく納得できた。

 そこんは世界的有名な国産自動車メーカー名があり、続いて本社付け支部の開発部局の云々と長たらしい所属が続く。最後の役職部分に『元部長』と大きくあるではないか。

 どうやら、それが言いたいらしい。

「これはどうも。いやはや、立派な経歴ですね」

 亘は棒読みにならぬよう言った。

 価値感は人それぞれとはいえど、過去の地位と肩書きに囚われ会社のくびきから逃れられぬまま生きる事は凄く憐れに思える。この男から会社という要素を除けば、一体何が残るのだろうか。

 そんな感想など露知らず、鞍馬は恥ずかしそうに頭を掻き――ただし顔には得意さを滲ませつつ――大笑いしてみせた。

「うわはははっ、いやお恥ずかしい。今は地元に尽くそうと、中小企業相手に経営指導なんかしとりますよ。うわはははっ!」

 腹の底からの力強い笑いだ。

 それがまた野太く響き、こいつは苦手なタイプだと亘は結論づけた。しかし、態度に表さないだけの分別はある。職場では面従腹背の日々なのだから。

「それは立派なことで。それよりですね、実はこんな状況なので食事でも頂けないかなっと寄ったわけでして。ご迷惑なら無理にとは言いませんが」

「大丈夫です!」

 鞍馬は芝居がかった仕草で胸を叩いてみせた。

「こんな時こそ、人間同士助け合わねばいけません! うちの会社の、おっと私は既に退職しておる身ですが、会社の若い者たちに指導しておるのですよ。どうぞどうぞ」

 鞍馬は不器用にウインクしてくれた。地位や名誉に固執する人物ではあるが、それを抜きにすれば気は良さそうだ。ただし、この押しの強さは嫌いだが。

 食事の誘惑もあり、当初の予定通り公民館にお邪魔する。亘は鞍馬がやったように、車のボンネットの上を乗り越えた。サキも軽々とした動きで続く。

「よいしょっと。そら、手を貸そう」

「これぐらいなら大丈夫ですよ」

 七海は軽く笑って、軽やかにボンネットの上を乗り越える。トンッと着地してみせた仕草には華があり、自然と目を引いてしまう。それは亘だけでなく、周囲の男たちの目もではあった。

 気持ちは分かっても、亘にとっては面白くないことだ。その視線を遮るように七海を連れ公民館のドアをくぐる。


◆◆◆


 公民館の中は、大勢の人間が集まった体臭が鼻をついた。

 エントランスホールは避難してきた人でごった返し、椅子やソファーだけでは足らず床に座り込みさえしている。家族単位でまとまって不安げな顔だが、そんな時でも子供は人の多さに興奮し騒々しかった。

 新たにやって来た亘たちに視線が集中する。

 それは縄張りを主張するような、自分たちの優位性を固持しようとするような雰囲気が感じ取られた。値踏みするような視線に亘は嫌悪を感じてしまう。

 腕に触れる七海の手に力がこもるのは、亘が受ける以上に様々な視線を感じるせいだろう。年頃の少女に対する視線は粘り着くような視線に敏感なのだ。

 そっと背後に庇っていると、続いて鞍馬が中に入ってきた。座り込む人たちを眺め、顔をしかめる。

「皆さん、休んでないで少しでも防衛を固めて下さい」

 呼びかけの声に視線は散った。

 しかし誰も動きたくないらしい。目を合わさぬように、自分に言葉が向けられぬようにと無関心と無関係を装う状態だ。中には急に居眠りを始めた者までいる。

「皆で力を合わせなければ、この難局は乗り越えられませんよ。さあ、皆で力を合わせようじゃありませんか」

「そうは言うが、悪魔が襲って来るかなんて分からないじゃないか。これだけ大勢の人間がいれば、そうは襲って来ないと思うんだがね」

「しかし襲われてからは遅いのですよ」

「食糧だって少ないんだ、無駄な労力を使うこたぁねえだろ」

「リスクマネジメントの観点から言いますと、出来る時に出来ることをしておく。それが最善なんですよ」

「だがねえ」

 鞍馬と老人の一人とが言い合いを始める。周りの様子を見ると、老人の言葉に頷いており動くつもりはなさそうだ。

 これが正常性バイアスかと亘は感心した。

 いつ悪魔に襲われる状況は不安でならない。しかし人は不安なままではいられない。そのすると不安な気持ちを回避しようと、正常性を拡大しようとしだす。そして都合の良い理屈をつけ、安全で大丈夫だと思い込もうとするらしい。

――くだらない。

 亘は軽く鼻で笑い息をついた。

 安全と思いたければ思えばいいのだ。動きたくなければ動かなければいいのだ。その結果を受けるのは全て自分自身であるのだから。

 この馬鹿馬鹿しさに付き合う気はないが、早いところ終わらせるため口を開く。

「ここに来る前ですけど、駅前に数百人が集まった状態で悪魔に襲われていましたよ。皆が必死に逃げ惑って大変な騒ぎでしたね」

 亘の発言に場がざわつき、そして鞍馬は勢い込んだ。

「皆さんも、危ない目に遭いたかないでしょ。お父さんお母さん息子さん娘さん、それからお爺さんお婆さんが危険にあって良いと思うわけですか? 違うでしょう。さあ皆さん立って、皆で力を合わせましょう!」

 鞍馬が手を叩き声を張り上げると、人々が渋々と動き出した。それでも見るからに面倒そうな仕草で、仕方ないといった程度のものだ。

 中には顔をしかめ、余計な事を言った亘を睨んでくる者までいるぐらいだった。

 皆が動きだすと鞍馬はニッコリ笑って礼を言った。

「やあ、ありがとうございました。お陰で助かりました」

「別に大したことは……正直言えば、ああいった手合いが許せないだけで」

「気が合いますね、私もそうなんです。どうして皆は目先のことしか考えないのでしょうか、もっと先を見据えて生きるべきですよこれだから、程度の低い連中は……おっと、失礼」

 ちらりと本音を漏らした鞍馬はごまかし笑いを浮かべ口を閉ざした。

「ところで、できれば食事が欲しいのですよ。実は朝からまともに食べてなくて……」

「ああこれは、すいません。さあ食事は料理室で準備させてあります。私はまだ準備がありますのでね、後でまた声をかけて下さい」

「どうも」

 去って行く鞍馬に礼言いつつ、やれやれと安堵する。後ろでサキの手を引いていた七海も、ホッと息をついたのが分かった。

「声の大きな方でしたね」

「職場では出世するタイプだな」

「そうなんですか。あっ、そういえば実際に部長さんでしたよね」

「名刺によるとそうらしいな」

 亘が出世するタイプと言ったのは、鞍馬という男は平然と他人を利用しその成果を自分の手柄として平気に違いないからだ。他人を見下しており、自分の意のままになる相手に対しては鷹揚で親切。けれど、意見が対立しようものなら絶対に相手を許さずねじ伏せ屈伏させなければ気がすまない性格に違いない。

 あまり関わり合いになりたくないタイプであることは間違いない。

「まあ、いいか。どうせ一晩だけのつもりだからな。さあ気を取り直して、食事を頂きますか」

 スキップするサキに手を引かれ料理室と札のあるドアを開けた。

 たちまち美味しそうな酢飯系のにおいがプンプンと鼻をつく。亘の腹が豪快に、そして七海のお腹も可愛らしく鳴ってしまう。懐の中でも、モゾモゾと反応している。サキに至っては、涎を垂らしていた。

 料理室は流しとコンロのセットがあり、中央に作業台には大量の稲荷寿司が置かれていた。横ではまだ調理中で、揚げを煮て包丁を入れ中に冷ました酢飯を詰めている。

 子供向けの料理教室も開かれていたのだろうか、壁には幼い子の描いたイラストや文字が画鋲で貼られている。そして火の用心や、庖丁を扱う際の注意などもあった。学校にあった家庭科室を、もっとアットホームにしたような雰囲気だろう。

 亘がそうして室内を見回す間に、サキは三角巾姿のおばちゃんたちの元へと駆けていってしまう。見た目は天使な姿でキラキラした目をするため、女性たちはたちまち相好を崩してしまう。

「あら可愛い子だわね。食べるのかい?」

「食べる!」

「元気の良い子だね。ほら、お食べ」

 稲荷寿司の載せた皿を頭上にかかげ、サキが小躍りする。そんな様子に、皆が笑顔になった。

「申し訳ありません。行儀が悪いやつでして」

「何を言うんだい、子供はこれぐらいでなくっちゃね。さあ、お父さんも娘さんたちとお食べんなさいな」

「お父さん……はあ、どうも」

 見た目からすると、やっぱりそんな感じに見えるらしい。

 亘は微妙な顔をすると、娘扱いされた七海も同じような顔だ。つつっと寄って寄り添ってくるのだが、おばちゃん連中には仲良し父娘としか見て貰えなかった。

「さあ、お父さんにもオマケして山盛りだよ」

 公民館備え付けの飾り気ない白い皿に載せられた稲荷寿司。空腹は最高の調味料だが、それを差し引いても美味しそうに見えた。匂いをかぐと、改めて自分の空腹さを加減を改めて認識してしまい、一気に食べたくなってしまう。

 しかし、懐の中で存在を主張し激しく蹴りを入れる存在を忘れる事はできない。 亘は食べる場所を探し辺りを見回した。

 その意図を察した女性が、すぐに声をかけてくれる。おばちゃんのお節介さも、こんな時は嬉しい。

「悪いけど、ここは調理場なんでね。どこか別の部屋で食べとくれるかい。そうだね二階の会議室とかどうだね」

「そうさね。あんたら、皿が空いたらまた持って来ておくれよ。お残しは許さないからね。こんな状況じゃあ、ゴミ回収なんてないだろからね」

「残さない!」

 サキが強く宣言する。どうやら稲荷寿司を前にテンションが上がったらしい。頭上に稲荷寿司を掲げ、クルクルと舞い踊っているのだ。

 そんな姿に皆から明るい笑い声があがっていた。

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